劉備が漢中王となり、蜀の全盛期。
関羽は荊州の守備を任されていた。
そして関羽は、魏の曹仁の守る樊城に侵攻。
関羽は戦を有利に進めていた。
しかし、裏では関羽の勢力拡大をよしと思わない
同盟を結んでいた呉が魏と密かに同盟を結んだ。
そして関羽を二方から挟撃しようとしたのだ。
しかし、関羽はこの動きを察知できなかった。
後方では呂蒙隊が奇襲。
留守将の麋芳と傅士仁を関羽は非を咎め、
「あとで始末してやる」とまで言った。
それを恐れた麋芳と傅士仁は呉軍に投降。
江陵と公安は呉の手に落ちる。
関羽は麦城に撤退。
しかし麦城は呉軍に包囲されてしまう。
投降勧告をするが、プライドが人一倍高い関羽が承諾するはずも無い。
一兵の援軍も期待できず、場内は厭戦ムード。
進退窮まった関羽は逃亡を開始。
しかし、途中罠に掛かり、捕らえられてしまう。
関羽は最後まで投降せず、斬首されてしまうのだ。
関羽は今は神格化されているが、
非常に自信家、悪く言えば傲慢不遜だったようだ。
だから将から裏切られたりするのだ。
重要拠点である荊州を、一介の武人にすぎない関羽に
任せざるを負えないと言う蜀の人材不足を感じる。
関羽は荊州の守備を任されていた。
そして関羽は、魏の曹仁の守る樊城に侵攻。
関羽は戦を有利に進めていた。
しかし、裏では関羽の勢力拡大をよしと思わない
同盟を結んでいた呉が魏と密かに同盟を結んだ。
そして関羽を二方から挟撃しようとしたのだ。
しかし、関羽はこの動きを察知できなかった。
後方では呂蒙隊が奇襲。
留守将の麋芳と傅士仁を関羽は非を咎め、
「あとで始末してやる」とまで言った。
それを恐れた麋芳と傅士仁は呉軍に投降。
江陵と公安は呉の手に落ちる。
関羽は麦城に撤退。
しかし麦城は呉軍に包囲されてしまう。
投降勧告をするが、プライドが人一倍高い関羽が承諾するはずも無い。
一兵の援軍も期待できず、場内は厭戦ムード。
進退窮まった関羽は逃亡を開始。
しかし、途中罠に掛かり、捕らえられてしまう。
関羽は最後まで投降せず、斬首されてしまうのだ。
関羽は今は神格化されているが、
非常に自信家、悪く言えば傲慢不遜だったようだ。
だから将から裏切られたりするのだ。
重要拠点である荊州を、一介の武人にすぎない関羽に
任せざるを負えないと言う蜀の人材不足を感じる。
武田家の事が記されてる甲陽軍艦にはこう書かれている。
国を滅ぼし家を破らん大将は四つの型がある。(つまりリーダー失格の人間が四つのタイプがいると言うことだ。)
一つは馬鹿なる大将
二つは利根(利口)過ぎる大将
三つは臆病たる大将
そして四つは強過ぎる大将だ。
強過ぎる大将は魅力的で憧れ尊敬されるような一見理想的だが弱さを忌み嫌う、慎重になることと譲歩する事は弱さだと嫌い、いつも強気で向こう見ずである、部下たちはこうしたら駄目だと正確に直言したくても逆鱗に触れることを恐れ、大将が好みそうな前向きな進言や発言しか言えなくなる。
やがて部下も大将と同じ強気で向こう見ずな軽率な言動しかできなくなり、取り返しの付かない敗北や失敗につながる。
戦と言うのは個の力のみで行うのではなくチームワークや状況を読む事やある程度慎重になる事も大事である。
一辺倒な関羽は強過ぎる武があれば解決するのだと過信し、チームワークやある程度慎重になり状況を読む事を怠ってしまった
その結果領地は奪われ仲間には裏切られ四面楚歌になり、遂には命を落としてしまった。
信念を貫くのは悪くはない、しかしそれが過ぎて意固地になり柔軟性を失い関羽は狭量になってしまった。
関羽だけではない歴史上の独裁者も強過ぎる大将だ。
先述通り強過ぎるが故に傲慢になり身を滅ぼした。
最近では関羽がいる中国が台頭しているがこれも強過ぎるが故に正論や道理を無視して頑なに強気な反論ばかり発言する。
中国も関羽や他の独裁者同様、遠かれ近かれ身を滅ぼすだろう
彼らには彼らなりの正義や善があるのだろう、しかしそれは絶対的ではない。
人の心は不安定なれど中庸であり、それから生み出す信念や思想に良かれ悪かれ絶対と言うものは存在しない。
それを絶対なものだと過信した強過ぎる武人や独裁者は惨めな敗北と最期を迎えたのだ。