慈恩のぶろぐ

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言葉の不思議

2015-01-24 23:06:01 | 宇宙

最近、とても不思議な意味の言葉に出会った。

「障害」

障害とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること。

また、さまたげとなるもののことである。(Wikipediaより)


自分の通る道に、その道いっぱいの物体が置いてあれば

それは障害物となり、通ることを妨げるものといえよう。


しかし高齢になり、身体機能が低下することも、障害ということになるらしい。

単なる機能低下ではないのだ。妨げとなることなのだ。



早く歩くことができなくても、ゆっくりなら歩けるならば、歩く行為の妨げとはいえない。

単に遅いだけだ。

でも障害なのだ。

妨げていることにつながるのだ。



なんとも不思議な意味ではないか。



どんなに元気な高齢者とて、どこも機能が低下しない人などいないはずだ。

ならば、全員障害者という枠組みに入るということになるのか。



障害者という定義もなんだろう。



なぜこのように定義しなければならないのだろう。



年齢であれ、何らかの事象のせいであれ、一時的、恒久的に機能が

低下することは誰にでも起こりうることであり、特別なことなのだろうか。

不運とはいえるかもしれないが、特別とは思えない。



食べすぎや精神的に胃腸が調子を崩すことは、よくあることだろう。

でもこれが起こったら、当然機能低下である。

一時的であれ、機能は低下する。

だとしたら、これも障害じゃないか。



胃腸を壊している人が治るまで、障害者と呼ばれるか?



どこも全く不調はありません。

そんな人なんて、この世にいないだろう。

むしろ健常者という言葉のほうが不自然に思えてくる。


言葉通りでとれば、常に健康である人ということなのだから。


言葉の意味とは、本当に不思議なものだ。

誰かの思い込みからできてるのでは?と勘ぐりたくもなる。

こうして、特別な意味を持たせるから、健常者と障害者などという区別が生まれる。

そして障害者にはなりたくないというマイナスな考えが生まれる。


しかし、大丈夫だ(笑)


機能低下が障害なのだ。

だとしたら、いつでもみんな障害者だ。


健常者と障害者などという言葉は、やがて消えるだろう。

今年は、この不思議な思い込みの多くが露呈し、考え直す機会を

多くの人が与えられることになるのだろう。

こんな区別がなくなれば、人はもっと楽になり、幸せになっていく。

自分の中の思い込みを消せばいいだけなのだから。







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