慈恩のぶろぐ

アセンションに向けて、
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楽になっていく意識改革について
お伝えしています。

親を看取るということ

2016-09-12 18:41:55 | 人生

 

8月13日未明に父が亡くなりました。

5月4日に入院したので、3ヶ月あまりの闘病でした。

 

誤嚥性肺炎による入院で、

今後口から食事をとることが不可能

寝たきりになるという宣告を受け

それならばと自然死の道を選んだのですが・・・。

もちろん、簡単に決められたわけではありません。

栄養を点滴すればまだまだ生きられるのに

この選択で本当にいいのかと病院側からも

何回も確認されました。

 

一度鼻からの栄養摂取をやってみましたが、

父が鼻の管を無意識に取ろうとするので、

ミトンをはめ両手をベット柵に拘束するという

措置を取りました。

しかしこれでは父は何もできず、かゆい所を

掻くこともできません。

かつ鼻から栄養を入れると、わずかな誤嚥が発生することも

判明し鼻からの栄養を断念しました。

 

私個人は、延命治療を望まないので、

仮に父のようになったら自然死を目指したい

こう考えていましたが、看取る家族の側にたって

考えたことがなく・・・。

延命治療を望んでなくても、いざとなると意思がかわってしまう。。

まさにその境地になってしまいました。
 

基礎疾患がなかったのもあり、本当にこれでいいのかと

父を見舞うたび悩みました。

妹や友人に、同じ状態ならどうしたいかと尋ねては

皆一様に同じ答えだったので、道は間違っていないと

自分に言い聞かせました。
 

でも同時に生きているって何だろうと。

父は食べることが大好きな人でしたので、食べられないのに、

寝たきりで生きる人生なんて、望んでないよねって思い、

自然死の道を選んだわけですが、自然死という名の

餓死という状態でした。

 

わかってはいても、その過程を見守るのは想像以上に

大変なものだったし。

自然死より、餓死なんだということが

一番私が悩んだところでした。

水分とわずかな塩分、ビタミンだけで3ヶ月。

本当にやせ細り、骨と皮の極限までいきました。

誤嚥が起こらないので、父の様子は楽そうで、

そこがわずかな救いでしたが、

 

痩せていく姿は、つらかったですぐすん

人間はちょっとくらい食べられなくたって死なないのだな

と思いましたし、やっぱり寿命で亡くなるんだと

実感させられました。

 

そんな中・・・、15年ぶりくらいに友人から

突然電話がかかってきて。乳ガンの再発でした。

抗がん剤治療を受けたくない、どうしたらいいかというものでした。

抗がん剤を使わないがん治療を行う医師を紹介したら

すぐ治療に入りました。

と同時に、友人のご主人のメンタルの相談にのる

ということも行っていました。

 

友人は、最初にガンになった時、

ジャンクフードを食べ過ぎたと言ってました。

今回の再発については、再発を告げられる前に、

仕事でかなりのストレスを抱えており

自分の体の異変に気づいていながら、先送りにしていたそうです。

もうこれはおかしいとなり、病院に行ったら再発を告げられるも、

抗がん剤の治療を拒否し、私の紹介した医師のもとで

治療を行いました。

 

そして、遠出できる体調じゃなかったにも関わらず、

海外旅行にご主人と一緒に行き、そこで体調を崩すも、

現地の見知らぬ看護師とご主人に助けられ、

本来なら経験できないことを経験できたと言っていました。

人の温かさを感じ、感銘をうけたそうです。

生きる意欲も湧いたのか、私に生き抜く姿を見てほしい

とも言ってました。
 

きっとガンが再発しなければ、旅行にも行かず、

そういう経験もしなかったのでしょうが

再発が彼女を動かし、色々な奇跡を起こしたのだと思います。

 

ご主人ともなかなか本音で語り合えなかったようですが

亡くなる数日前に、お互いの心の思いを打ち明けあったそうです。

残念ながら、父が亡くなった10日後、友人も宇宙へ還りました。

 

世間では友人と同じ病気で闘病されている、

小林麻央さんのブログが話題となっていますが

マスコミに追いかけられ、たくさん悩み、

病気の状況もありつらかっただろうと思います。

私も拝見しましたが、麻央さんは精神的には

既に病気を克服してるんだと感じました。

 

でも何より印象的だったのは、痛み止めを飲むのが嫌いで、

でも痛みに耐えられず痛み止めを飲んだら、

その痛みが緩和されていく過程に、自分が許されたような気がした

という部分でした。

 

  なぜここまで頑なに、自分を苦しめてきてしまったのだろうと。

    痛みは忘れてしまいそうだけど、この痛みが和らいでいく感覚は

  一生忘れないと。

 

僭越ながら、麻央さんは、病気を通して自らの解放を学ぶ必要があったのだろうと

感じました。もっと自分を大事にしていくことが何より優先事項だということも。

 

人は麻央さん同様、自分を痛めつけてしまっている人がとても多いです。

友人もそうでした。無理ばかりしていました。

体が痛い。

痛いのだから、止めてほしいと誰もが願うもの。

でも我慢してしまう。。。。

 

痛み止めを飲まない理由は様々あるとは思いますが、

今直面しているその痛みを止めるのに、躊躇してしまう本当の理由は一体なにか。

 

 

本当なら

今何が起こっていて

どうしたいか?

・・・だけのはずなのに。

 

 

 

そこをおざなりにしがちなのですね。

自らを解放するというのは、簡単なことのようで簡単ではないことです。

 

人は病気で死ぬことはなく、全ては自分が学びを得るため。

そしてその学びを得たら、病気でいる必要がなくなるので完治する。

麻央さんもまた、完治の道に向かって行かれるのだろうと思います。

ブログを始められたこと、それはすなわち、自らの解放であり

新たな1歩なんだなと。

 

何が正解などということは、本当に本人にしかわからないことですが

友人の選択も最良であったと感じましたし、

とても有意義な時間を過ごせただろうとも。

 

麻央さんの選択もまた、多くの人の共感を呼び、その勇気ある行動が

多くの人にとって、自身の人生を振り返るきっかけになったのかなと。

 

人生は時間の長さではなく、質が大事だと思います。

病気になったのも、その人が悪いわけではなく、何かを学ぶためになっただけ。

だから自分で自分の好きなように向かい合い、学べばいいだけ。

 

どんな宣告を受けようと、それが決定でも答えでもなく

 

そこからどうするかを問われただけなのだと。

 

 周りはそれを見守り、また同様に何か学ぶだけ。

私は父と友人から多くのことを学ばせてもらいました。

特に色々なことを考えさせられた父の看病でしたが、

最後はこれでヨシ、これで良かったんだと、

自分に言ってやることができました。

私の学びの為に長生きしてくれた父に改めて感謝です。

 

そして、父と友人を通して・・

 

ともかく自分を大事にすること、

やりたいことは、後回しにせずやること

その際、お金の心配はしないこと

やっぱり明日はなく、今のこの瞬間瞬間だけが大切だということ。

 

今回は、今さらながら、本当に本気で肝に銘じました(笑)

 

そして9月になり、暦上では秋となりました。

いよいよ、どの人にも変化の時が始まるようです!

心していきたいものです!


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