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ネドじゅん 本体さんからのメッセージ 転載

2024-01-26 12:38:00 | 日記
2024/01/22 12:14
初挑戦(真面目な顔)(・д・)
こんにちは、皆さん。
ネドじゅん氏の「本体さん」を通じてお話しています。
皆さんの在り方についてのお願いがあります。
あなたがいま、どの位置に意識があり、どの脳の影響を受けておられるにせよ、在り方に気をつけていただきたいのです。

それは、あなたの意識を思考でいっぱいにしないでいてください、ということです。

思考によって疑問がささやかれ、答えをささやかれ、また打ち消すように疑問がささやかれます。
答えを知らなければ、という思いを利用して、思考は自らが立つ居場所を創り続けます。

けれども、我々(意識を外側から抱きかかえておる無意識と呼ばれる我々)は、あなたに無垢なる赤ん坊のような在り方で居てほしいと願っておるのです。

分からない、という言葉も無い、純粋な空白で居ていただきたいのです。

そうすれば、あなたという意識の外壁が崩れ、点線のような、気体のような、スカスカした風通りの良い在り方に変わります。

そうなっていただければ、我々からあなたへ、あなただけへの情報を届けることができます。
そうなることを、我々はいま、強く願っておるのです。
我々はあなたに直接教えたいのです。
伝えたいのです。

そうした「気持ち」なるものが、我々にも有るのだということを、感じ取っていただきたい。
空っぽで、スカスカで在り、そして内側の我々からの情報に心踊らせていてほしいのです。

つまり、あなたが答えを出す必要はもう無いのです。
空白であること、しかし無関心ではないこと、我々がそれを既に持っており、あなたに直接渡したいのだということ、そういう時期が来ているのだと、信じていただきたい。

わからないという、純粋な白い光を心に抱いていてください。
そのことがサインとなり、化学変化が起きて細胞が変わります。
神経が繋がります。

分かるのは我々の役割であり、そこから毎瞬必要なことをあなたに教えたいのです。
分からない、知らないという光があなたの役割です。
いまやその準備は整いました。

あなたという意識を維持している左脳も右脳も身体の全細胞も、正しく神の身体であり、あなたはそれらに繋がるフィルタという役割の者であり、フィルタ(あなたという意識)が情報の方向性を決定します。

分かっている、と思うフィルタ(意識)は、思考からの情報を吸い込み、ストレスと混乱を身体細胞に与えます。
分からない、と思うフィルタ(意識)は、我々からの情報を吸い込み、細胞と神経を再び神の経(みち)に整えます。
情報は毎瞬改まり、次へ、次へと新しくなります。
細胞の変化に対応してゆくのです。
ですから、情報は個々の肉体に対応すべく、個々の意識に与えられるのです。

くり返しますが、我々はいま、個々の意識に直接教えることを望んでおります。
分からない、知らないという光であってください。

予想を立てず、理由も知らず、原因も成り立ちも社会事情も意識から外しておくのであります。
次の瞬間は全くの未知、ゼロから組み上げられる最新の地球であるのです。

分からない、という光は、そうした細心の努力で維持されるものであり、無知と無関心・放棄ではありません。
分かっている、という外側の社会から形作られた姿勢を、丹念に崩すのであります。

ですから、外壁があり、その外壁に気づいた意識によって崩されるというのです。

知っていろ、という外側の圧力に気づき、それに疑問を抱き、その奇妙な意図に違和感を覚える意識によって、崩されるのであります。

知らない、という感じには、微笑みがあります。
知らない、という意識はそれを味わっておれるのです。

悲壮感は外側の圧力であります。
それは何かに備える姿勢であり、意識が未来という異空間に引きずり出されている苦痛です。
それらはすべて丹念に分解し、知らない、分からないという光に戻る過程であります。

我々はあなたを抱きかかえておる無意識です。
賢者のように壁を崩し、赤子のように微笑んでいてください。

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【追記オカン】
どーしても直接書かせろというので、やってみました(・д・)<フゥ‥

正確には、昨日のKADOKAWAさんのワークショップへの情報でありましたが、ワークショップ後にもとにかく文面にさせよと言います。

じゃあ、こっちに書くけど良い?と交渉してみると、ぜひぜひ三脳研の皆さまにも聞いてほしいというので、やってみました。

わたしはチャネラーではないので上手くはないですが、今回のは何かスゲー高いところのスゲー強い何かが、ドカーンと置いてったので、全力で多くの方に伝えなくちゃと感じました。
(じわじわ外部にも書いていこうと思います)

そして本体さん自身が、このメッセージを通じて自分の気持ちみたいなものを伝えて来たことも初めてです。
そういうのは無いのかと思っていたので、衝撃を受けました。
とても強く、胸を打つ気持ちでした。
自分が赤ん坊で、ぎゅーっと抱きしめられた腕の強さで、愛の強さを感じて驚いた感じです。

淡々と書いておりますが、人生で三回目ぐらいの、度肝抜かれる事態でした。
ちょっとヨレヨレになったよ。神経焦げそう。神経鍛えておいて良かったー。

あとねぇ、つまりこれねぇ、ぶっちゃけて言うと2025年がフンダララ、みたいなあの予言と関わっている気がしますね。
どっちのフィルタで居るかによって、分岐するのかもしれません。(突然のオカルト)
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以上、この記事、追記部分含め、外部転記転載・ご自由に。動画とかにしても良いですよ。
考察してみてください!

保江情報の精度について

2023-12-20 02:45:00 | 日記
この動画で私も大好きな芹沢光治良について語っていることがどうも記憶と違うので検証してみました。

肺炎で危篤になりルルドの水を飲んで回復したものの結核と診断され療養所生活をしたのはフランス留学時代なので、学生時代に死病の結核に罹ったというのはどうなのかと疑問に感じたのが調べてみようと思ったきっかけです。

保江さんの主張を簡単にまとめると…
仏文学者の(これが既に間違っています)芹沢光治良は東大の仏文の教授になっているるが、東大で仏文の学生になったばかりの時、結核になった。片道の交通費だけ与えられて井出クニ(井出国子)に会って癒され、井出クニによって『神の微笑』から始まる神シリーズを書かされたということですが…

実際は仏文でなくて仏法(第一外国語の違いで英法、独法、仏法と別れていました)に入ったのは第一高等学校で、東京帝国大学には経済学部に入っています。
旧制第一高等学校は東大教養学部の前身みたいなものなのでそれはいいとしましょう。

大正七年に井出クニを訪ねて行った時は肋膜炎でした。案内役の中学校長であった砂崎徳三と兄の眞一との3人でした。
(砂崎は大正十一年に隅田川高校の初代校長になっています。)
中学といっても旧制中学ですから、上流階級の子息が入る感じの学校だと思います。芹沢光治良は貧しいのに中学に入ったことによって村八分にあっています。
中学時代に修身で毎日日記を書いて校長に提出していたので、砂崎は芹沢光治良の日記を五年間読んでいました。彼の家庭や経済事情を熟知していたため、一高進学前の準備期間に仕事の世話など芹沢をサポートしています。

以上のことから、結核に冒されて死を覚悟しないといけない状態で、片道の交通費だけ渡されて井出クニを訪ねていったとの話は殆ど創作になっていると思います。

参考文献と引用
『芹沢光治良の世界』梶川敦子 p.127
一九一八年(大正七年) [井出国子]五十五歳。中学校長、砂崎氏に連れられ、兄・真一とともに国子を訪ねる。振動現象を見せられ、真一、即座に入信

『新潮日本文学アルバム62 芹沢光治良』p.104f
大正五年(一九一六) [芹沢光治良]二十歳
九月、第一高等学校文丁(仏法科)に入学。
大正八年(一九一九)二十三歳
七月、第一高等学校卒業。九月、東京帝国大学経済学部に入学。

『父、芹沢光治良、その愛』野沢朝子p.116
「親様とのご縁は、一高に在学中の父が肋膜と胃弱を助けていただくために、当時の天理教信者に連れられ、『兵庫県三木市高木』の井出クニ宅を訪ねたのが始まりらしい。
その頃の父は貧乏していて、三木までの旅費にも困っていたが、病気を治してほしい一心で行ったのだろう。このときに助けていただいたことから、知人に語ったり、のちに婚約した母やその両親を三木に連れて行くことにつながったのだと想像する。」
(初出、野沢朝子著『導かれるままに』2015年12月15日刊 21頁)

この辺りはもう少し残された文献を調べてみるつもりです。

それから東大の教授になったというのも違っていて、フランス留学から帰国後、中央大学の講師で貨幣論を教えましたが、新聞に連載小説を書いているのを学長が問題視して辞めて、それからは作家一筋です。

現実世界でこれだけ誤認があると、霊的世界の話にどれだけ信憑性があるのか分からなくなってきます。

以前書きましたが『神の微笑』に芹沢光治良の死の予言になっている部分があって、それについて、小平教授のモデルの松本滋さんがエッセーに書いているのが面白いです。

芹沢光治良 『死の扉の前で 』 「吻として」

2023-12-05 11:29:00 | 日記
あるスピリチュアル系の方が作家の芹沢光治良についてYouTubeでお話しされていたのを見ていたら、どうも私の記憶している事実と違っています。
結核で死にかかったのはフランス留学時代だし、仏文学者でもないし、東大の教授にもなっていない。
記憶を確認するため、著書の『神の微笑』や略歴を確認してみると、フランスで学んでいたのは経済学で、肺炎で死にかけ、ルルドの水で救われたが、結核に冒されていることが判明して高地で安静療法をして帰国。
出向前の農商務省(現・経済産業省、農林水産省)に戻れなくなって、中央大学で講師として貨幣論の講座を教えたが、新聞に連載小説を掲載していることを学長が問題視したため退職…

これがきっかけとなって芹沢光治良の当時のことを知りたくなって天理教の真柱との交流が描かれている『死の扉の前で』を読んでいます。この時代の作家を読むと読めない漢字がよくでてきますが今回「吻として」が分かりません。
文脈はこんな感じです。
「ただその先生方のなかに、諸井慶徳さんがいたので吻としたのです。この人が教内きっての立派な学者であることを、機会ある度に京大で学んだ未弟から尊敬をもっていろいろ聞かされていたから、この学者と一晩ともに過すことができれば、偶然の幸福だと思ったのです。」
流れから行くと「ほっとして」としか読めませんが、国語辞典を見ても漢和辞典を見ても出てないし、Yahoo!知恵袋の「吻とする気分とはどのような気分ですか?」の回答も納得できません。
「ほっとする」としか読めないと思う用例を『精選版日本国語大辞典』で探してみると…

舗道雑記帖(1933)<高田保>ボーナス擬談
「ニウヨーク人が、女優脚線の上下を見て吻と救はれた気持になって」

読本・昔話稲妻表紙(1806)一
「手燭をはっしと打落し、吻(ホ)とため息つきもあへず」

やはり「吻として」は「ほっとして」でしょうね。

赤松瞳さん

2023-10-08 03:19:00 | 日記
保江邦夫さんの対談動画を見ていてウクライナの研究所でUFOに関わる研究をしていた赤松瞳さんがブラジルで事件に遭って殺されたことを知りました。
その話を聞いてブラジルで日本人女性が殺されたニュースが微かに記憶に残っているのを思い出しました。
あの女性がこの方だったのかと驚き、ネットで調べるといろんな情報が残っていました。それをここにまとめてみました。

日本大学出身でオーストラリアに留学、アメリカでリモート・ビューイングを学び、ウクライナの研究所で視力のない障害者にリモート・ビューイングを教える。中には肉体的視力も回復することがあった。ここで宇宙人(見た目は普通の白人の西洋人)から言語を介さずテレパシー的に情報をもらってUFOを作成に携わっていた(保江情報による)。
東日本大震災で危険な地域に入ってボランティア活動をして体内被爆し体調を崩す。
ヒーリングを求めてブラジルに行き、その地で殺害される。
保江情報だとカトリックのシスターから戸籍を消して現在も無事で密かに活躍されていると言われて、保江さん自身もブラジルであんなにすぐ犯人が見つかるわけがないとおっしゃっていますが、ブラジルのニュース映像を見ると、監視カメラに自転車に乗って去っていく犯人が写っていて、指紋も一致して逮捕されたようなので、犯人がすぐ見つかったことに矛盾はないように思います。

赤松瞳さんについてまとめられています。

Hitomi Akamatsu

Hitomi AkamatsuHitomi Akamatsu (PhD ©, BSC, BA, DiplMedSci, CHT) (1977-2020) was a practicing psychotherapist in Japan with a degree in psychology. She was int...

PSI-Unit

 

リモート・ビューイングのトレーニングの記録はこんな感じです。最初にモンロー研究所が来ています。
Voyager course at the Monroe Institute (Faber, Virginia)
“External Vision” / “Brain Direct Vision” (Ukraine)
Basic and advanced courses in CRV with David Morehouse
Advanced training with the Hawaii Remote Viewers’ Guild, 2012
Advanced SRV, Farsight Institute


Hitomi and the God Particle
DVDで販売されていたリモート・ビューイングの記録。神の粒子とはヒッグス粒子の事。
先にあげたまとめの記事でヒッグス粒子のリモート・ビューイングで世に知られるようになったとあるのはこれによるのでしょう。
上と同じ動画の別リンクです。

このリモート・ビューイングの記録のPDF

日本語字幕付き
前半

後半

赤松さんの経歴とリモート・ビューイングの記録。

赤松さんのリモート・ビューイングのドキュメンタリーを作ったDick Allgireのインタビュー

上の二つのリンクは次のページにあったものです。

子孫へのラブレター 赤松瞳さんのメッセージ
(このセラピーの考案者・井上祐宏はダンテス・ダイジ雨宮第二の弟子であった人)


日本サイ科学会で行われた赤松瞳さんの講演の記録

赤松瞳さんの知人の追悼
ヒーリングを求めてブラジルに来たと書かれています。

Remote Viewer Hitomi Akamatsu Tragically Murdered in Brazil

I couldn't sleep last night, so I watched a documentary about the exploration of consciousness, death and dying with Timothy Leary and Ram Das. I also added...

Clarity for Life with Cedar Rivers

 


ブラジルでの報道

ロイター

朝日新聞(英文)

AP通信
日本での原発事故を生き延びた後、皮膚がんの治療を求めてアバディアニアに来たとあります。

日経



小鳥原川橋梁を撮影して

2023-08-10 06:00:00 | 日記
さ小鳥原川はヒトトバラガワと読みます。
難読地名ですね。
こちらは第1小鳥原川橋梁です。
広島県庄原市JR芸備線にあります。

今は3月に起きた落石による脱線事故によって不通です。そろそろ復旧の時期になりますが…

ここは星景写真で星とディーゼル車の光跡を写した方の写真を見て知りました。
地元の広島県にこんな風景があるとは!驚くとともに従兄弟のエピソードを思い出しました。バイクで広島から島根に向かう中国山地の中でとても高い鉄橋を見て、後でその光景を探してみたが見つからなかったとか。
 
星景写真でここを知ってから、いつか訪ねてみたい場所となりました。


どうして小鳥をヒトトと読むのか?ネットの記事を検索すると古語でヒは「小さいこと」を意味し、トトは鳥を意味していたとありました。

次の写真から第2小鳥原川橋梁です。

ですが古語辞典でヒを引いても小さいという語義を見つけられませんでした。それで次にトトが鳥というのを見ても古語辞典に出ていません。ただ複合語で鳥を単にトという例はありました。

鳥網(トナミ)、鳥座・塒(トグラ)[鳥の巣、鳥小屋の意]




単音節の名詞を繰り返して同じ意味を表すのは、手テとオテテ、乳飲子のチとチチなど例があるので、鳥をトトと言ったとするのも理解できなくもないです。


それで再びヒに戻って考えてみると、小さくて鳥でヒというと雛ヒナが思い浮かびます。

それで雛で検索してみると鳥の雛ではなく雛人形のヒナについて、人形辞典の項目が出てきました。

ひな〔雛〕鳥の雛のごとく小さい人形の意。

古くはひひな、あるいはひいなといった。生まれたばかりの鳥の子がヒヒと鳴く、即ちヒヒナクのつまったのが語源という。昔から小さい物をあらわすのに、雛鳥、雛菊、雛型などという。


雛が「ヒヒと鳴く」のに違和感がありますが古語辞典で見るとヒヒメクで「ぴいぴいと声を立てて鳴く」とあります。

上古h音はp音であったとされますから、ヒヒの実際の発音はもともとピピ、ピィピィであったわけです。

するとヒヨコはピヨコ、ピヨピヨ鳴くからピヨコになったと想像がつきます。

ヒヒから始まる古語にヒヒラクで「べらべらしゃべりまくる」とあるのも面白い。もとの発音はピピラクで雛がピィピィ鳴くようにうるさい様子を形容したものと想像されます。


少し脱線しましたがヒトトのヒはもともと雛鳥の鳴き声のピィから来ていると考えると、音と漢字表記の小鳥原川がピッタリ一致してスッキリしました。

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ここまで書いて下書き保存していました。

写真を撮影したのは7/16で芸備線も既に復旧しているようです。


このあと古語についての考察をもう少しする予定でしたがここまでで投稿することにします。

色々考えてみたことを備忘録として記すと…

雛と同音の鄙は語源的には日無とされている。

光は古の発音がピカリ、光るはピカル

ヒカリの語源は擬態語に違いない

ヒメ・ヒコは日女・日子

日のピと光ピカリのピは関連あるはず。

東ピムガシは日向し、天照大御神のムカツヒメ、六甲は向のムコ etc.

ピヨコちゃんで鶴太郎のギャグを思い出して調べてみると元ネタのてんやわんやのレコードがYouTubeにありました。聞いてみると、あのねのねの赤とんぼの唄の本歌でもあると分かりたまげました。