神武天皇が東征の途上で七年滞在した多祁理宮、埃宮の跡に創祀されたといわれる多家神社。
出雲の富家伝承に基づくと第二次物部東征でやって来たのは日向のイクメ大王(第11代垂仁天皇)と宇佐ノ宮の姫巫女・豊玉姫で、宮島の埃宮で豊玉姫は亡くなったといいます。また宇佐神宮の社家の伝承では東征したのは神武天皇と菟狭津媛で、二人とも埃宮で亡くなったと伝えられています。
多家神社は二度参拝したことがありますが、これらの伝承を知って、もう一度参拝したいものだと思うようになりました。
それが先日、日本でカトリック神父として最初に禅に打ち込んだフーゴ・ラサールの日本名・愛宮(えのみや)真備の愛宮もこの埃宮から採られているというのに気がついて、これは何かのお知らせかと思い慌てて参拝してきました。
愛宮ラサールは幟町天主公教会で被曝して一命を取り留め、のちに世界平和記念聖堂の発起人となりました。
カトリック禅の流れはクラウス・リーゼンフーバーに受け継がれ、キリスト教と仏教の宗教間対話の流れの一つともなりました。
2024/06/28
広島県安芸郡府中町
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます