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筆影山から海霧を望む

2022-11-29 02:09:00 | 日記
前回から一週間後、11月18日に再度撮影に
に向かいました。気温の予報は6℃です。
夜明け前の筆影山展望広場から望むと、
ん?今日は海霧出ているぽい!


日の出前の海霧はモノトーン。


日の出です。


赤く染まって来ました。


海霧が小佐木島を乗り越えてゆきます。






撮影時は漁船かなと思いましたが…


帰宅して拡大して見ると高速船でした。


日の出から30分ほどすると海がオレンジ色に輝きだします。
むかしこんな写真が撮りたかったと思っていた、そんな写真が撮れました。



瀬戸内海の夜明け

2022-11-27 12:46:00 | 日記
私の住んでいる三原市ではこの時期海霧が出ます。三原に住んでいるのだから一度は海霧を撮ってみたいと思い、11月11日に筆影山展望広場に向かいました。

予報気温10℃で暖かすぎたのか、山頂からは海霧確認できませんでした。中央に見えるのは因島大橋です。夜明け前です。

撮影時刻6:02、日の出は6:36です。

手前の小さな島が宿禰島、新藤兼人監督作品『裸の島』の舞台となったところです。

中央に細長い島がありますが、これが細島で、その手前に砂州があります。

この砂州は大潮の干潮の時だけ海上に姿を現します。

果たして潮の満ち引きを調べてみると11/10が大潮、11/11は中潮で、この時大潮と同じくらい潮が引いていたようです。

むかし筆影山から、この砂州に船で乗り付けた沢山の人々が潮干狩りをしているのを見て、驚いた記憶があります。



日が登って来ました。
撮影時刻6:47。


日の出から30分くらいすると、海上がオレンジに輝き出しました。
撮影時刻7:04。


日御碕神社から推恵神社、月読神社へ

2022-11-18 13:28:00 | 日記
日御碕神社遠景、現在の壮麗な社殿は江戸幕府三代将軍徳川家光の命により、当時の松江藩主であった京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させたもの。

楼門

日沈宮 天照大御神を祀っていますが、千木は外削ぎ、男神仕様

神の宮 神素盞嗚尊を祀りますが、こちらも千木は内削ぎ、女神仕様の逆千木です。

天照大御神と神素盞嗚尊を参拝した後、月読神社を目指します。日御碕神社は大好きで何度も参拝していますが、近くに月読神社があることは知りませんでした。
月読神社を目指して山道を進むと日御碕神社社家の奥津城がありました。

小さなお社が現れました。推恵神社です。


祭神は日御碕神社宮司であった小野検校隆俊とその妻。
小野検校隆俊は松江藩主松平綱隆の陰謀によって隠岐に流され、その地で没し、その妻は自害して果てました。
このことは小泉八雲の『日本の面影』の「日御碕にて」に脚色されて美しく恐ろしい物語になりました。
事実関係ははこちらのYouTubeで。
https://youtu.be/flhniwxLyNE

松平綱隆は徳川家光の命により現在の社殿を完成させた松平直政の後継です。

振り返ると月読神社への鳥居があり、180mと記された標識があります。

月読神社に着きました。これで伊邪那岐命の禊から生まれた三貴神の参拝コンプリートしました。






2022/11/10

2022-11-10 22:17:00 | 日記
命主社、神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)
出雲大社東側から5分も掛からないところにあります。
ムクノキの巨木に会いたくて行ってきましたが、お社の後ろに遺跡があるのは知りませんでした。あとで調べると寛文5年(1665)の出雲大社御造営にあたり、お社の裏の大石を石材として切り出したところ、下から銅戈と硬玉製勾玉が発見されたところです。

天地開闢の時に現れた造化三神の一柱、神皇産霊神(かみむすびのかみ)が御祭神です。
大国主命は八上姫との結婚を妬んだ兄弟に命を狙われ、命を落とします。
それを悲しんだ母神の刺国若姫は神皇産霊神に懇願し枳佐加比売(きさかひめ)・宇武賀比売(うむかひめ)の2柱が派遣され大国主命を蘇らせたという神話が出雲国風土記に伝えられています。
地元では子どもの成長を見守る神社として、「いのっつぁん」の愛称で親しまれ、子どもが生まれて100日目に親子揃って参拝するという風習があるそうで、NHKの番組で見た記憶があります。

島根県出雲市大社町杵築東
2022.11.04 参拝