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多家神社(埃宮、多祁理宮)

2024-07-02 11:17:00 | 日記
神武天皇が東征の途上で七年滞在した多祁理宮、埃宮の跡に創祀されたといわれる多家神社。
出雲の富家伝承に基づくと第二次物部東征でやって来たのは日向のイクメ大王(第11代垂仁天皇)と宇佐ノ宮の姫巫女・豊玉姫で、宮島の埃宮で豊玉姫は亡くなったといいます。また宇佐神宮の社家の伝承では東征したのは神武天皇と菟狭津媛で、二人とも埃宮で亡くなったと伝えられています。
多家神社は二度参拝したことがありますが、これらの伝承を知って、もう一度参拝したいものだと思うようになりました。
それが先日、日本でカトリック神父として最初に禅に打ち込んだフーゴ・ラサールの日本名・愛宮(えのみや)真備の愛宮もこの埃宮から採られているというのに気がついて、これは何かのお知らせかと思い慌てて参拝してきました。
愛宮ラサールは幟町天主公教会で被曝して一命を取り留め、のちに世界平和記念聖堂の発起人となりました。
カトリック禅の流れはクラウス・リーゼンフーバーに受け継がれ、キリスト教と仏教の宗教間対話の流れの一つともなりました。

2024/06/28
広島県安芸郡府中町





























世羅町賀茂神社と八天堂

2024-06-17 00:56:00 | 日記
クリームパンで有名な三原の八天堂ですが、命名の由来になった御堂があるというので尋ねてみました。
クリームパンの方の八天堂が有名になり過ぎて、元の八天堂の情報が検索してもほとんど見当たりません。
八天堂に詳しい事情通の人にアドバイスを貰うと、世羅町の賀茂神社の近くだということで、まずはそちらを目指します。

少し道に迷いながらも賀茂神社に到着。


狛犬のお出迎えです。






鳥居前の通りに戻るともう八天堂らしきお堂が見えます。


前から見ると八天堂と揮毫された額が見えました。

下には小さめの五輪塔だったと思われる石が置いてあります。

仏教の天部の神様が祭られているのかと思っていたら、右手に五鈷杵を持った御姿は弘法大師ですね。
八天堂は大師堂でした。


由緒書きを読んでみると、

明治三十一年甲山河内間里道改修ニ際シ四辻之下白金嵜原間ニ石橋ヲ新架シ南方山八幡神社城府山天神社之頭字ヲ採リ八天橋ト称ス

仝四十二年天神社ヲ八幡神社ニ合併シ古材ヲ使用シ堂宇ヲ建立シ橋名ニ因ミ八天堂ト名ス…

最初に八幡神社と天神社があって、新しく作られた橋にそのお社の頭文字を採って八天橋と名付けられ、後に天神社が八幡神社に合祀されたときに出た古材で御堂を建立して、橋の名前に因んで八天堂と名付けられたということでした。



帰宅途中にコウノトリが田圃で餌取りしているのに遭遇しました。
足環で調べると世羅町で営巣している親鳥のオスのようです。


オタマジャクシかな?
鳥運が着いたのかも。


帰宅して賀茂神社の由緒書を読んで見ると、ここが旧八幡神社でした。貞観元年に石清水八幡宮勧請の船が御調郡永井浦に寄港したとき、村長の藤原清文が出迎えて村民安穏守護のを祈って社殿建立を勧請したのが始まりと記されています。


御調郡永井浦というと私の産土神社の糸碕神社が思い浮かびます。「万葉集」巻一五に「備後国水調郡長井浦船泊之夜作歌三首」とあって万葉故地とされます。

Wikipediaによると

「境内の東側には貢井(みつぎい)、又は御調井と呼ばれる井戸があるが、社伝によれば神功皇后が長井の浦に船を繋ぎ、この井戸の水を求めた事に因んでその水を長井の水と称し、当地を長井の浦と称すと伝わる。長井の浦は井戸崎(いどさき)ともいい、現地名の糸崎(いとさき)のはじめとされる。また、かつて広島県に存在した郡である御調郡も当神社の御調井が発祥であるという。」

万葉集に御調郡を水調郡と記しているのは、ミツギは「水注ぎ」の意か神功皇后伝説に基づいての当て字であった為でしょうか?





エスタニスラウ神父と押田成人2

2024-06-10 09:44:00 | 日記

どこにしまったのか行方不明になった本を探して、衣装ケースを開けてみたら押田成人神父の本が2冊入っていました。

エスタニスラウ神父を日本に招いたのが押田神父と知って、彼の本は手に入れられるうちに買っておこうと思い、手に入れた本です。

その中の『孕みと音』をパラパラっとめくっていると、「水と風」に 「イエルザレム」の章がありました。

-----引用開始

ある日、私の病床に一人の若い女隠者が訪ねてきました。この人は、一人の病弱な隠者が、洞窟で飢え死に寸前のところを発見して以来、時たま洞窟を覗いて隠者の世話をしてきた人でした。私が当分動けそうもないことを知ると、ある雨の日、この隠者を連れて、また私を訪ねてくれたのです。

ベッドの上に対座して、隠者は話しはじめました。

「『在る』ことが大切だと思います。キリストは『在る』もので、『在る』ものと一つになることを探しています。『在る』よろこびは、聖霊です」しばらくじっと私を見てから言葉をつなぎました。

「人間の心は宇宙より広い。全てを愛し得ます。その心に洞窟があります。それは神の心と一つです。神と一つになることは、人々にとって最も効果あるかかわりあいです」

神と一つになる道筋としての頭と心、のことを彼が話した時、私が腹も、とつけ加えると、うん、と一度うなずいてから「腹には、心(心臓)と腎臓とが入ります。ヨガをやるこの頃の若い人は、下腹のエネルギーだけ発達させているから危険です。そういう人々には、心(心臓)に注意をすることをやり直させていいと思います」といいました。

それから、彼は、私が前にめぐりあったインドのヒンズー教の行者が、彼をスペインのカタローニュ地方の洞窟に訪ねたときの話をしてくれました。行者について、その後いろいろの噂をきいていましたが、隠者はいいました、「私にとって彼はきわめて単純でした。

私が彼に向かって、いたずらっぽく

「あなたはキリスト者ですか」

とたずねたら、彼は私を抱擁して、

「私は、あなたであるのに、どうしてキリスト者でないわけにゆくでしょう」

といいました。彼は洞窟を辞して、山を下りながら、道の途中で若い者を隠者のもとに遣わして、こう伝えました。

「あなたが私を、キリスト者と見つけたように、私は、あなたをヒンズー教徒と見つけました」と。

隠者がインドに行く、という噂をきいていたので「インドに行くか」ときいたら、「もし、かりにインドに行くとしても、それは、あちこち訪ねるためではなく、ただそこで消えるためです」と答えました。

それから、おのずから人類の歴史への展望に移ったとき、彼は次のようなことをいいました。

「私たちは、悲観主義者であることは出来ません。人類の危機には必らず、生まれ出るものがあります。

初代キリスト者は、現在の無神論者たちと同じことをしました。つまり、教えとか社会的に与えられるものとかではなく、生きている『存在』、『絶対』、『在るもの』を追求した。

彼らにとって、キリストとは、それだったのです。現在の無神論者は、初代キリスト者と同じ道を辿っています」

私は、その時、カフカの言葉を思い出しました。

「人間、というものは、自らの内なる、何か不滅なものへの、永続的信頼がなければ、生きてゆけないものなのだ」

-----引用終わり

隠者はエスタニスラウ神父、ヒンズー教の行者はラマナ・マハルシの直弟子パパジと呼ばれるプンジャジですね。(パパジ、プンジャジのジは尊称です)

若い女隠遁者はスペイン・カタルーニャのモンセラート修道院からエスタニスラウ神父に付き添ってきたミリアムさんしかいないと思いますから、 事実誤認か、あるいは事実とは異なりますが彼女がそのように伝えたのかもしれません。

ミリアムさんの修道名はエスタニスラウ神父がつけたもので正式にはMiriam Ma Ananda。

モンセラート修道院はマリア信仰の厚いところなので修道名の真ん中にMariaが入って略してMaと表記します。サンスクリットだとMāは母親や女性聖者の呼び名に使います。ここでは掛けことばになっています。Ma Anandaで至福の母マリアという感じでしょうか?

Miriam Ma Ananda というと「Ma Anandaて何?」ときかれるので普段はミリアムで通しているそうです。ミリアムはよくある修道女名でマリアのヘブライ語風表記で俗名は Maria Cruz Calvo Ariño と聞きました。

この「イエルザレム」の章は『押田成人著作選集2』に収録されています。


押田成人神父についてはこちらを参照して下さい。

エスタニスラウ神父と押田成人 - Nothing is Everything!

エスタニスラウ神父伝記拾い読み2 - Nothing is Everything!




春を呼ぶ青龍の色は…

2024-05-25 17:43:00 | 日記

私は青龍というと青から感じるものもあって、怖いイメージがありました。

次のイラストは中国の星宿・星座のことを調べて見ていた『星空帝国 古代中国星宿揭秘』に載っていたものです。



古代中国では春の宵の星空はこんなふうに見えていたのか…

星の位置は正確に描かれていて、柳に重なって縦に北斗七星、左角がうしかい座のアークトゥルス、右角におとめ座のスピカ、この2つの星と青龍の頭の左にあるしし座のデネボラ(獅子の尾を意味します)で春の大三角形になります。

スピカは角宿の距星で、角宿の角は青龍のツノでした。
私はてっきり牛だろうと思っていたのですが。

アークトゥルスは中国の星名で大角、大きなツノです。角宿には属していませんが、やはり青龍にちなんだ名前がつけられていました。

次のイラストは東方青龍に属する七つの星宿全体に星座絵を重ねたもの


こちらの絵図では角宿だけで左右の角を表現しています。亢宿はのど、氐宿は爪、心宿は心臓、尾宿は尻尾に見立てられていました。箕宿は穀物の殻・ごみなどを除く道具、箕青龍の糞ともみなされました。ここでは尾の鰭に描かれています。

先日、香椎宮で春分の観測をしていた記事を読んでいて、香椎宮のカシはおとめ座のスピカを示しているとの説を見かけました。

「橿日宮(かしいぐう)の社伝によれば、“かし”とはスピカの古語で、春分秋分の象徴としてこれを祀る祠が古宮、即ち日振宮(ひふりのみや)であった。」
(真鍋大覚『灘の国の星 拾遺』)

香椎宮 (Ⅱ) 古宮とスピカ | ひもろぎ逍遥

香椎宮 (Ⅱ) 福岡県福岡市東区古宮はスピカを祀る日振宮(ひふりのみや)だった そんな社伝に魅かれて  二か月前に、古宮か...

ひもろぎ逍遥

 



仲哀天皇が橿日宮にいたAD199年春分の日の夕景の東の星空をSkySafariで再現した図です。

春分の日、太陽は真東から昇り、スピカは秋分点の近くにあって、太陽と180度反対の方向に位置するので、太陽が真西に沈むタイミングで東の地平線から昇ってきて、そのときはうしかい座のアークトゥルスも地平線から少し上で輝いています。

古代中国人はこの二星に春を呼ぶ青龍の姿を重ね合わせて季節の変化を読み取ったのでしょう。

青龍は怖いものと思っていましたが、春に芽吹き花開かせる命の活性化を司る霊獣でした。とすると青龍の青はブルーじゃなくて…

春を呼ぶ青龍の色は緑色









吉原文音の俳句の話アラカルト

2024-05-18 00:26:00 | 日記
小・中・高校と同窓生だった吉原文音さんから『吉原文音の俳句の話アラカルト』をいただきました。
高校3年の時の担任の国語教師S先生と卒業後も俳句の会でお付き合いがあったはずなので、同窓会でその後の動向を尋ねたら、大病を乗り越えて今も元気にされているとのこと。
先生の俳句の会は「フェニックス」という名前で、会員の方からも「フェニックスみたい」と言われているということでした。
受験生のころS先生から励ましていただいたことが思い出され、思わず涙が溢れそうになりました。
あとでどんな活躍をされているのか気になって調べてみようと思いましたが旧姓しか知りません。名前が一致する吉原文音さんが彼女らしいと見当を付けて、略歴を見ていたら、平成19年「竜を探して」(俳句紀行文)にて第二十八回新風舎出版賞ノンフィクション部門奨励賞受賞というのが気になります。
友人を通して読んでみたいと連絡を取ってもらったら、この本に「竜を尋ねて」に改題して入っているとのこと。
本を受け取ってまずは目次を一瞥、収録されているインタビュー記事の相手を見ると沢木耕太郎、渡辺和子、谷川俊太郎、梅原猛、中西進と錚々たるメンバーに驚きました。
みんなどんどん立派になっていくなぁ。
「竜を尋ねて」は高橋克彦の小説に触発されて始まった旅のちょっと不思議な俳句紀行文でした。
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2024/05/29 S先生の訃報がありました🥲