6,400余人の方々の中の、多くの人の命日なんですね。
あの日、神戸に住む叔母となかなか連絡が取れず、夜になってやっと無事が確認できたのを思い出します。道一本を挟んで、叔母のマンションは大きな被害がなくて済みましたが、道向かいのマンションは壊れてしまったそうです。別の叔母の連れあいの妹さんは、神戸の酒蔵で働いていて、梁の下敷きになって亡くなりました。
命の明暗はほんの少しの偶然で左右されるのかも知れません。
奈良の我が家では、タンスや鏡台ががたがた揺れて、蒲団から起きあがれないほどの揺れでしたが、皆無事でした。当時小学校1年生だった息子は何も知らずにすやすや眠っていたものです。
あれから14年。
我が家では、父が亡くなり、祖母が亡くなり、息子は二十歳になりました。
でも、この災害は、決して忘れてしまうことのできないものですし、忘れてはならないことでしょう。地震の被害など全くなかった我が家でも、家族を失う悲しみを思い、災害への備えを考える日として、ずっと心に留め置きたいものです。
合掌。(-人-)
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