赤の女王

「「科学技術インタープリター養成プログラム(STITP)」勝手に提携サイト」提携サイト」byフルタニ

科学技術ライティング実習I(10月11日5-6限目)講義記録1-3(フルタニ)

2005-10-24 23:47:03 | Weblog
最後に川端先生の講義です。

1.作品の紹介
調査捕鯨に同行取材したときのものや、休暇を利用して取材して書いたもの、アメリカの動物園革命の話、sense of place、古生物学、インターネットやハッカー、ロケットサイエンティストがつくる金融工学など。
2.文理のはざま、小説とノンフィクションのはざま
境界はどこにあるのか?文理ではなく、理解するものと理解しないものという対立関係。文学者などから見れば理系だけれど、コアな理学系の学者からみれば文系と見られるわけで、立ち位置によって自分の見られ方が変わるということ。
3.疫学の話
疫学は純粋な理学・生物学や実験医学などとは異なり、社会集団の中に因果関係を見出すもの。すぐに政策などに反映されやすい反面、誤った因果関係を簡単に作ることができます。「禁煙ファシズムと戦う」という本は疫学的にまったくおかしいとのこと。
4.fictionとnonfictionの使い分け
fictionにするにはもったいないと思えるほど特別な体験などはnonfictionにするけれど、ハードコアなサイエンスねたはフィクションにするとのこと。
--感想-----------------------------------------------------
まず、先生の作品はちょっとあらすじを聞いただけでどれも面白そうです。着想(着眼?)がすばらしいから、一言紹介だけでこれほど面白そうに思わせられるのだと思います。また、文理のはざまの話はまったくその通りだと思いました。私はずっと、理系というよりは生物系なので、物理や数学の面では現在のところほぼ完全な素人です。なので、理系文系と分けるよりは、理解できるかできないか、玄人か素人かという分け方のほうが妥当だろうと思っていました。
ただ、理系の世界にずっといて、理系な(その定義がそもそもあいまいではありますが)先生や先輩につっこみまくられて訓練され続けると、物事を考えるときに経る筋道が理系「風」になるとは感じます。「理系な考え方」は理系の人と理系の言葉使いで議論を戦わせられる環境にいればこそ鍛えられるものだと思いますので、思考のしかたで理系・文系と分けることは可能だと思います。
ところで、海外にも、日本で一般的に分けているのと同じような理系・文系という区別はあるのでしょうか?私がアメリカの高校にいた頃には生徒がそういう区別をされることはありませんでしたし、日本で若者が言うようなニュアンスで自分は理系だ、文系だというような話を友人としたこともありません。理系文系という区分の仕方はひょっとすると日本だけなのではないか、しかも日本の高校でなぜか文理の区別をするから、それが一般社会にまで広がっているだけなのではないかという風に思っています。
疫学は興味深い分野だと思います。縦軸も横軸も無限通りあるような中から、本当に意味のある相関関係を導き出すというのは非常に困難で緻密な思考が要求されると思います。身近にいる疫学や統計を扱っている人の話を聞くと大変面白く、その思考の深さに感心します。
川端先生の疫学本を楽しみにしています(なにやらファンレターのような感想になってしまって申し訳ありません)。