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通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

Garbage-In-Garbage-Out 通訳者の容赦なきダメ出し

2015年10月13日 | 『毎日フォーラム』コラム

 複数言語が飛び交う国際会議、独語や仏語のできない私はいったん英語に訳されたものを日本語に、複数言語を扱える欧州の通訳者たちもさすがに日本人の発言は日英通訳者の英訳から互いにリレー通訳していた時の事。別言語の通訳者に We really appreciate a functional Japanese booth. と褒められて複雑な気分になった。つまり機能していないことが多々あるという容赦ない指摘だからだ。至らない点は素直に反省するがどうにもできないこともある。その状態を私たちは哀愁を込めて garbage-in-garbage-out と呼ぶ。

 大変残念なことだが日本人には話の上手な人がまだ少ない。先日も珍しく素晴らしい日本人発表者に拍手喝采しながら訳していたら、途中で講演者が交代して事態は一変。話題があちこち飛んでは戻り、文章には主語がない、あっても述語と呼応しない、はちゃめちゃな話しぶりで全く要領を得ない。ようやく最後のスライドまで来て何か言いかけた途端、一人目の発表者が「ということで」と被せ気味に引き取ってまとめに入った。話し上手な人は他人の話の巧拙も判断できる。ハラハラしながら聞いていたに違いない。

 10分間の持ち時間に85枚のスライドを持ち込んだ人もいた。全部使うと言い張り「何とかなるでしょう、ははは。」なるわけがない。持ち時間を10分超過し主催者から止められてようやく降壇したが、結論はまだはるか先。もちろん中身も見事にぐしゃぐしゃだ。下手な人ほど準備も練習もしない。だから一向に上達しないのだが本人にその自覚がないところが何とももどかしい。

 欧州在住の通訳者は日本の交渉担当者から「分からないところは分からないように英訳してください」と言われ途方に暮れたそうだ。他言語の通訳者から機能していないと批判されるのは、日英通訳者の実力不足だけが原因なのではないのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年10月号掲載)

パラレルの話

2015年09月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

昔IBMで主要なコンピュータやプロセッサの開発を手掛けたレジェンド的なエンジニアがいて、数年前に引退するまで時々講演のために来日していた。開発の裏話など聞けて楽しかったのだが、最後に会った時にはハードの性能が上がってもプロセッサのマルチコアを活用するための並列処理 parallelism のプログラミングがアプリケーションでされていない、ウィンドウズにゲームがついてくるのは遊んでいるコアを使わせるためだと嘆いていた。その後の改善には明るくないがPCの反応の遅さにいらっとして彼の言葉を思い出したので、今日はパラレルの話をしよう。

今年はNPT、TPP、沖縄の米軍基地移設問題、憲法解釈など、ずいぶん大型案件で「平行線」の議論が相次いだ印象がある。平行した2本の線はどこまで行っても交わることはないので、日本語では交渉が不調に終わる fail to narrow the differences ことを意味するが、英語では2本の線が仲良くどこまでも続く様子は似ていたり匹敵したり一致したりする時に使われる。そこで埒が明かない議論についつい Our arguments are parallel. なんて言ったら「考え方としては一緒だよ」と同意を示すことになる。もちろんそれが突破口 breakthrough を開くきっかけになる、なんていう棚ぼたもなくはなさそうだが、意図しないことは言わないに越したことはない。

ちなみにここで使った「~たり~たり~たり」という連続や「なくはなさそうだが~言わないに越したことはない」という二重否定の多重化は並列法という修辞法 rhetoric でこちらも英語では parallelism と言う。

最後に、日本語との発想の違いに驚くパラレルをもう一つ。まさかの縦列駐車 parallel-parking だ。車同士は一直線だが縁石 curb に対して平行に停めるから。対する並列駐車はやっぱり縁石に対して垂直なので perpendicular parking … やれやれ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年9月号掲載)

スマホの時代の壁の花

2015年08月19日 | 『毎日フォーラム』コラム

スマートフォンの世帯普及率が日本でも6割を超えたらしいのだが、それよりも驚いたことがある。なんと固定電話の普及率がいつの間にか8割を切っているようなのだ。つまり5件に1件、電話回線がつながっていない家がある。子供の頃にはどの家庭にもあった黒電話の時代からずいぶん遠くまできたものだ。電話はその後コードレスとなり、さらにモバイルへと進化し私たちの自由度を広げてきた。

私の学生時代にはダンパなるものがあった。学生のサークルが開催するダンスパーティーのことだ。シャイで内向的な子たち introverts はなかなか誰かを誘ってフロアに出ることができず壁際で肩を寄せ合って所在無げにしていたものだが、そんな様子を表現した「壁の花」がもともと英語の wallflowers の直訳だと知った時も少し意外な気がしたものだ。

そんな若者文化も忘却のかなたとなった今日、壁際に並ぶ人々にはどうやら別の事情があるらしい。壁の花ならぬ wall huggers 「壁にしがみつく人々」とは、コンセントを求めて壁際にずらり並んだり座り込んだりする iPhone ユーザーたちを皮肉った言葉だ。ブラックベリーのCEOが口にしたのにサムスンが乗っかり、空港で時間をつぶす乗客たちが電源を求めて壁際に張り付く様子をちょっと笑えるCMに仕立てて話題を呼んだ。

ワンセグやお財布携帯がなかろうが互換性に限りがあろうが、使い勝手の良さや独自のアプリの豊富さがそうした欠点を補って余りあるものとしてスタイリッシュな端末を愛し続けてきたコアな loyal アップルファンまで、思わず「あるよね」と苦笑したらしい。薄くて軽いスマホが搭載できるバッテリーにはどうしたって限りがある。

現代版「壁の花」は壁からコードで繋がったデバイスを握りしめ、ダンスフロアならぬ社会・世界とつながりを保とうとしている。固定電話から自由になったのは何のためだったのだろう?

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年8月号掲載)

イギリスで冷たいビールを飲む方法

2015年07月20日 | 『毎日フォーラム』コラム

 そろそろ夏本番、あちこちでビアガーデンがオープンする季節だ。蒸し暑い日本の夏をやり過ごすのに、キンキンに冷えたビールは欠かせないが、海外ではあの冷たさにはなかなか出会わない。ビール大国ドイツで飲むビールもとても美味しいがやはりキンキンではない。冷やしすぎると逆に味が分からなくなるから、とはビールをこよなく愛する国民らしい。陶器製のビアマグで飲む印象が強いが、銘柄ごとにブランド名の入った形の異なるグラスもたくさんあって楽しかった。

 ドイツと並ぶビール大国チェコはピルスナー発祥の国でもある。店によってはステムの付いた丸いグラスの台座にブランド名が記された丸い紙を被せて出す。Budweiser というブランドのビールがあるが、あの薄いビールとは全く別物、しっかりとした苦味の飲みごたえのあるビールだ。チェコ人は「僕らがアメリカ人に作り方を教えたんだ」と主張していたが、ドイツ系アメリカ人が勝手に名産地の名前を使って商標登録してしまったというのが真相らしい。

 昔ロンドンで3日間ほど泊まった B&B は1階に小さなバーが併設されていた。ビールを頼むと冷蔵庫の一番手前から瓶を取り出してついでくれるのだが、それが「今冷蔵庫に入れたばかりだよね」と突っ込みたくなるようなぬるさ。うだるような暑さから帰ってきたのでどうしても冷たいビールが飲みたくて Can I have an ice-cold beer? と頼んだら、明らかに移民で英語の怪しいバーテンダーが、やっぱり一番手前の瓶を取り出し、グラスに注ぐとそこに氷をひとかけら放り込んで出してきた。そう来るか…。

 もともとイギリスではビールはそんなに冷やすものではなく、エールと呼ばれるアルコール度数が高めなのをちびちび飲むのが一般的なのだそうだ。冷たいビールが飲みたいときはちゃんとしたパブでラガービールを注文しなさい、と後から教わった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年7月号掲載)

喫煙はだれを殺すか

2015年06月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

海外出張から帰国の便に乗る前に免税店をうろうろしていたら煙草のカートンが目についた。でかでかと Smoking Kills と書かれている。健康を損なう恐れが、とか、心筋梗塞や脳卒中の危険性を高める、なんていう生易しいものではない。喫煙は死を招くという実にダイレクトな警告だ。それでも手に取っていく人が後を絶たないところを見るとどんなに物騒な言葉にも人は慣れてしまうという事なのだろう。

ちなみに世界各国で煙草の箱に書かれた警告の文言はいろいろだが英語の表示では kills 以外に clogs the arteries 血管を詰まらせる、causes… ~の原因になるなど、容赦なく言い切るものが多い。

煙草の健康被害は医療費への負担になる。そこでオーストラリアでは2012年から plain package というパッケージの一律デザインを制度化して喫煙率を下げようとしている。ブランドごとの特徴は一切なし、若者が友達に見られたくなくて思わず隠してしまうような色と説明される冴えない色が使われ drab dark brown くすんだ濃茶と呼ばれている。もともとくすんだ緑 olive green だったのだが、オリーブ協会からクレームがつき色の名称のみ変更したらしい。欧州でも英国とアイルランドが立法化、来年あたりから制度化していく予定だ。

ところで本当に煙草で殺されそうな気持になるのは非喫煙者だ。外国人と日本の顧客を訪問した後小さなエレベーターに乗っていたら、途中階から乗ってきた二人の男性がとんでもない匂いを放っている。ぎょっとして息を止めていたら They must've been smoking. 「吸ってたんだね」と囁かれたので思わず They must’ve been being smoked. 「燻されてたんじゃないかしら」と答えたらむせるように大笑いされて、降りた後 That didn’t help.「あれはだめだよ」と叱られた。ふる方が悪い、と思ったが、とりあえず高層ビルでなかったのは不幸中の幸いだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年6月号掲載)

クルミのイメージ

2015年05月27日 | 『毎日フォーラム』コラム

 この原稿を書いている私は今ノルウェーにいて、仕事のあとの休暇中だ。連日快晴が続きこの時期の北欧にしては暖かい。しかしそれでもがっちりダウンジャケットでの重装備を必要とするのがフィヨルドの間を縫って船で行くツアーだ。断崖絶壁のところどころにまだ雪が残り、船が動いているのでデッキでは風が刺すように冷たい。100万年前にはがちがちに凍り付いていた氷河が1万年ほど前に海に向けて後退し始め、大地をえぐり複雑な海岸線を作った。ダイナミックな自然の造形は一見の価値がある。

 ところで今回のフィヨルドツアーだが Norway in a Nutshell という。ノルウェーの特徴的な見どころをクルミの硬い殻の中にぎゅっと凝縮した、という意味だ。Norway を取ってしまえば、In a nutshell, what I’m trying to say is… 要約すると、とか In a nutshell, he’s incompetent. 手っ取り早く言えば奴は無能だ、という感じで会話でも便利な表現だ。最近では I’m in a nutshell. にっちもさっちもいかないの、という使われ方もあるのだと聞いた。凝縮したというより閉じ込められたイメージだ。

 そういえばいつぞや隣国で、ナッツリターン事件が世間の失笑を誘ったことがあったが、英語では nut rage と呼ばれ当然のことながら She’s nuts about good service. 「サービスへの思い入れが強すぎ」と見出しにも書かれた。何故か nuts は crazy と同じ意味の形容詞で使われるのだ。彼と話をしているといらいらして頭がおかしくなりそう He drives me nuts! などは会話の頻出表現だ。

 名詞では、手におえない難問や何を言ってもけんもほろろの堅物をなかなか割れないクルミにたとえて a hard nut to crack と称する。また nuts and bolts と言えば木の実ではなく留めねじのナットの方で、ボルトと合わせることで物事のいろは、勘所や運営の実務など、地に足の着いた要諦を意味する。単純なひとつの単語がいつの間にか多様なイメージを纏っている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年5月号掲載)

ベアと弩級、何の略?

2015年04月18日 | 『毎日フォーラム』コラム

大手企業でベアの高額回答が相次いだ。結構なことだ。物価ばかり上がって賃金がそれに追いつかないのでは庶民はたまったものではない。アベノミクスよりもいっそベアノミクスの方が(そんな言葉はないけれど)景気回復を実感できるかもしれない。

それにしてもベアとは思い切った省略をしたものだ。その正体がベースアップという和製英語であることを知った時にはかなり驚いた覚えがある。でも考えてみると昔からモボとかモガとか日本にはどうやらそういう伝統があったらしい。プロ野球も両リーグ合わせるとセパだ。昔はレーヨンをスフと呼んだそうだがその元となったステープル・ファイバー staple fiber は人工繊維に限らず、例えば綿でも短く切りそろえられた糸の総称だった。

これらはある意味日本語版の頭字語 acronym だが、2つの単語の最初の1音節だけを取ってつなげた例はあまり多くない。同じ2文字でもデモやデマ、スト、オペ等は元の言葉の頭だけを残した短縮形の略語 abbreviation だ。3文字以上になるとデフレ、インフレ、リストラ、アクセルなども同様だが、頭の文字を1~2個ずつつなげた例も多くなり、スマホ、コスパ、ハンスト、インパネ、ファミレスなどがある。しかも略されるのは一般的な言葉だけではない。マック、ミスド、ブラピ、キムタク、ドラクエなど固有名詞まであって、おそらく略称で定着すれば人気者という事なのだろう。

漢字の略称は政党名や省庁名、法律名など枚挙にいとまがないが、漢字とカタカナの組み合わせはちょっと面白い。まずは一世を風靡したアナ雪がそうだ。連ドラ、筋トレ、塩ビ、マル経などは元の言葉が容易に想像できるが、さて、ド級、超ド級はどうだろう。近代史ファンでもない限り、イギリス海軍の軍艦ドレッドノート Dreadnaught クラス(級)を略した言葉がこれほど独り歩きをしていることにはなかなか気づかないのではないだろうか。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年4月号掲載)

あんなチェンジ、こんなチェンジ

2015年03月22日 | 『毎日フォーラム』コラム

 日本人は総じて読み書きそろばんが身についているのでつり銭 change として返ってくる硬貨の数を減らそうと、860円の買い物に1010円出すくらいのことは誰でも自然にやっていると思う。アメリカで同じ発想で9ドル77セントの会計に10ドル札と2セントを差し出したらものすごくいぶかしがられたことがある。構わずレジで計算してもらうとおつりはきれいに25セント quarter 硬貨が1枚、店員さんの驚いた表情に逆にこちらがびっくりした。

 日本のおつりは札から返されその後小銭というパターンが多いが、アメリカでは逆に5ドル23セントの買い物に10ドル札を出すとまず2セント返して「5ドル25セント」と宣言し、そこにクオーターを3 枚加えて6ドル、最後に1ドル札を一枚一枚 seven, eight, nine, ten と数えながら渡して終了となる。どうやら引き算するという発想がないらしい。最近はもっぱらクレジットカードで支払うので気が付かなかったが、ヨーロッパも同様と聞いた。

 小銭の話から入ったが change と言えば変化・変革の方が一般的か。オバマ大統領の例を待つまでもなくリーダーが変わろうと呼びかけても大体抵抗にあうので The only one that cries for a change is a wet baby. 変えて欲しいと泣くのはおむつを濡らした赤ん坊だけという one-liner 一行ジョークがあったりする。

 ある外国企業のパートナー会社の担当専務は日本語と英語を行ったり来たりするので通訳者は気を抜けないが、挨拶は大体英語なのでのんびり構えていたら Did you hear that our president changed? おっと、いきなり仕事だ。虚を突かれた様子のCEOに They have a new president. 社長が交代したの、と囁いて納得してもらった。経営陣 management なら change で構わないのだが、our president が変わったと言うと「人が変わって別人のようになってしまった」ことになるのだ。ご用心。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年3月号掲載)

意外な放送禁止用語

2015年02月14日 | 『毎日フォーラム』コラム

 私はよく通訳者は「季節労働者で日雇い労働者、おまけに体力勝負の肉体労働者」だと説明するのだが、ある時「日雇い」はいわゆる放送禁止用語だと教えてくれた人がいる。放送業界の自主規制により「自由労働者」と言い換えるのだそうだ。会議通訳者はほとんどがフリーランスなので間違いではないのだが、なんだかちょっと違う。化粧室 lady’s room や「亡くなった」 passed away のような婉曲表現 euphemism はどの言語にもあるし、あからさまな差別用語や悪口は聞かされるほうも不快だからある程度規制するというのも分かるが「共稼ぎ」がだめで「共働き」なら良いというのもどうもピンとこない。

 PC politically correct を目指すのはどうやら近代人の常らしく、ごみ収集作業員 garbage man がいつの間にか sanitation workers になっているし、遡って第二次世界大戦中にもイギリス議会が rat catchers ネズミ捕りを rodent officers げっ歯類担当官に変更したりしている。しかしいかに他者への配慮でも行き過ぎると反発も生まれる。身体障碍者 people with disabilities が言い換えられて physically-challenged が提唱された頃から、そんな風潮を揶揄する用例が生まれ始めた。例えば vertically-challenged 縦方向にハンディを負った = short 背が低い、逆に横方向であれば fat などが良く使われていたが、中にはわざと医学用語っぽく作られた follicularly-challenged 毛根にハンディ = bald のようなものもあった。

 放送禁止用語がピー音で消されることを bleep censor と言い、four-letter words など、dirty words が対象となることが多いが1920年代に初めて適用されたのは「避妊」だったそうだ。性格の悪い最低男を指す asshole もピーが被せられるが、最近消費者向けの開発が終了したといわれる Google Glass のユーザーガイドには Don’t be a Glasshole. という注意書きがあって、果たしてこれはテレビで言うと消されてしまうのか、ちょっと気になる。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年2月号掲載)

羊を巡る片言の冒険

2015年01月22日 | 『毎日フォーラム』コラム

 ある時パリからの帰国便に搭乗すると揃いのジャージ姿で細マッチョのお兄さんがうようよしている。みんな背が高くてかっこいいので隣の席はどんな人かと楽しみに向ったら、お腹まわりがどう見てもアスリートではないおじさんが同じジャージを着て座っていた。彼の片言の英語によるとこの一団はサッカーのパラグアイ代表チームでご本人はチームドクター。なるほど、ひっきりなしに選手たちがやってきてはびっくりするほど大きな錠剤を受け取って行く。ドルミールと言いながら重ねた両手を頬に当てて首をかしげて(おじさんが!)見せてくれたので、どうやら睡眠導入剤のような物らしい。

 食事のメニューの一つを指さしてこれは何だ?と聞くので見ると lamb 子羊と書いてある。Baby sheep だと答えると What is sheep? … ああ、そこからか。手元にブランケットがあったので、これはウールで出来ている、ウールは羊から取れる、と説明すると、ああ、あのベ~と鳴く奴ね、と納得してくれた。ちなみに英語圏では羊や山羊はメ~ではなくバ~だ。

 眠れないときに羊を数える count sheep to sleep という話と一緒に one sheep, two sheep… と、単複同形であることを教わった人も多いと思う。子羊のほうは one lamb, two lambs と普通に複数形の s がつく。食用に供される羊肉は子羊なら不可算名詞の lamb、生後12か月を超えると mutton と、何とも不規則なことだ。

 南米でも羊を数えるのか聞いてみた。相手の片言英語とさらに片言の私のスペイン語、あとはユニバーサル言語のおねむジェスチャーとメ~、グ~など擬音の勝負だ。”Uno sheep, dos sheep, tres sheep …, zzz…?” ”Si,si,si! ベ~、ベ~、ベ~、Zzz…” 傍から見ていたら爆笑ものだったに違いない。幸いなことに周りのサッカー選手たちはドクターの薬のおかげで羊の助けを借りることもなく、深い夢の中 fast asleep だった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年1月号掲載)