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通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

「思います」を考える

2016年10月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

デビュー間もない通訳者が「彼はわが社にとって価値ある財産となってくれると思います」という発言を同時通訳していて He will be a valuable asset to the company, I think. とやってしまった。文末の「思います」に引きずられたのだ。聞こえたものはとにかく全部訳すように教えられた若手がやりがちな間違いだ。さらに言えば通訳という作業を「訳す」作業だと思い込んでいるとやりがちな誤りでもある。「思います」をそのまま後付けしたら「自信はないけど、たぶんね」という何とも心もとない応援になり下がる。

通訳とは「訳す」仕事であると思われがちだが実はそうではない。「伝える」仕事なのだ。通訳学校の生徒たちにもかつては文脈に合わせて意図が伝わるように訳しなさいと指導していたが、どうやらそれでは不十分だったらしく、無理やり訳してものすごく不自然な英語をひねり出すケースが目に余るようになってきたので、最近は「日本語で言わんとしていることと意味的に等価な表現を英語から探しなさい」と教えることにしている。

そのように考えると日本語の「思います」はトリッキーだ。その思いは英語の think よりも幅が広い。「彼女は怒っていたんだと思います」ならば他人の気持ちの推測なので I think she was mad at me. で大丈夫そうだが「出馬しようと思います!」と力強く言ったはずなのに I think I’ll run in the election. としてしまったら「出馬することになりそう」と、何だか腰砕け。日本語ではよくある決意表明の「思います!」に think は禁物なのだ。

「これから皆さんのご協力をいただきながらこの分野に力を入れていこうと思います」という通訳者の日本語訳にちょっとだけ日本語のできるアメリカ人がクレームをつけた。「思ってるんじゃなくてやるんだよ!」……やれやれ、「思います」= I think と思い込んでいるのは日本人だけではないように思います。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年8月号掲載)

山田さんの災難

2016年07月25日 | 『毎日フォーラム』コラム

TV会議でプレゼンを一段落したアメリカ人スティーブの Yamada-san, I see you are scratching your head. というコメントに山田さんはパニックした。「両手でキーボードをたたきながら内容をメモしてたから頭なんて掻けないけど?」 Oh, it’s a figure of speech. と更なる難関が。「え、どの数字?それとも何かの図?」 Apparently you weren’t buying what I was saying. と畳みかけられた山田さんはとうとうギブアップして、通訳音声を聞くためにイヤホンをつけた。

自分の仕事に直結することならばかなり専門的な内容でも英語でこなせるが、逆に普通の会話が苦手という日本人は割と多い。しかも文化的にしぐさの意味が異なったりすると分かりにくさは倍増する。日本語の「頭を掻く」は「えへへ、ぽりぽり」と照れている様子を表すが、英語では相手の言葉に納得できず当惑する、つまり「首をかしげる」という意味になる。文字通り頭を掻いていたわけではないので「言葉の綾だよ」と相手は説明し「僕の話が腑に落ちていない様子だったから」と続けたのだ。

「上手く行くよう祈ってるから」をジェスチャー付きで言いたい時、日本人女性の多くが両手を胸の前で組むのではないかと思うが、欧米人の多くは人差し指に同じ手の中指を重ねて I’ll keep my fingers crossed. と言う。元々はキリスト教の十字架の象徴、魔よけの意味があった。言葉のみで Good luck! の代わりに言う事もあるのでこのしぐさを知らないと戸惑うかもしれないが、決して両手の人差し指を交差させる居酒屋での「お勘定!」を想像してはいけない。

後日フォローアップのTV会議に現れたスティーブはなぜか無精ひげがぼうぼう。こちらのプレゼンを聞きながら文字通り頭を掻いている。You’re scratching your head this time. と突っ込む山田さんに I’ve been too busy bug-fixing to sleep, shave or shampoo! 「寝る間も惜しんでプログラムの修正にかかりっきりで髭も剃れない、髪も洗えない」…… 単に痒かったらしい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年7月号掲載)

手放しで喜べない「可愛い」

2016年06月24日 | 『毎日フォーラム』コラム

 最近の若い人は何でも「可愛い」なのね、と米寿を迎えた母が笑う。確かに赤ん坊も子犬もひらひらのチュニックもシックなドレスも凝った盛り付けのスイーツも本物と見紛う食品サンプルも、下手をしたら髑髏のマークまで可愛いと評される時代だ。使い手の表現力の欠如とも言えるが、好ましいものはどうやら全て可愛いらしい。

 国際語にもなっている。私が初めて遭遇したのは10年ほど前で、仕事帰りのパリで手芸用品店をのぞいていたら Kawaii というタイトルの本が売られていて驚いた。フランス語で書かれた手芸本だった。今でこそ英語の辞書にも収載されて日本文化の一端を説明する単語としてそこそこ存在感を発揮しているが、当時はまだそれほどではなかった気がするので、著者はなかなかの日本通だったのだろう。

 英語にするときには文脈に合わせて使い分ける必要があるが小さな子供に使う時は adorable か cute あたりが一般的。ただし褒めたいならば心を込めて So/How cute! と言わなくてはいけない。モノトナスな That’s cute. は自慢話などにうんざりした時の不快感を表し「大したもんだ」という皮肉になる。

 アメリカのテレビで若い女優さんがチャリティ活動についてインタビューされて子供の頃から両親に Pretty is as pretty does. と教えられて育ったと答えていた。行いが善い人こそ真の美人と言うわけで、 pretty は cute よりも綺麗側に寄った名詞もしくは形容詞、手放しで褒める言葉だ。

 面白いことに同じ形で副詞としても使うのだが、問題はどの程度を指しているのかだ。 How are you? に答えて Pretty good. はどのくらい元気なのか。 Your English is pretty good. はどのくらい上手いと思われているのか。実は前者は「まあまあだよ」、後者は「思ったよりも上手いじゃん」の可能性が pretty high 意外と高かったりするので、どんなトーンで言われているのか、しっかり耳を澄まそう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年6月号掲載)

金と金色

2016年05月23日 | 『毎日フォーラム』コラム

高校時代に留学したアメリカの高校には2色のスクールカラーがあり green & gold と説明されたのが緑と山吹色だった。子供の頃から慣れ親しんだ折り紙セットに入っている金ぴかがゴールドだと思っていたのでこの色感覚の違いには軽いカルチャーショックを感じたのを覚えている。

学生時代に学んだ英語にシェークスピア由来の All that glitters is not gold. があったが、トールキンは「指輪物語」でこれを逆説的に使い All that is gold does not glitter. 「すべての金が光るとは限らない」と書いている。才能・人徳・真の価値などを内に秘めている人がいる一方でうわべだけ取り繕われた物もある。どちらも普遍の真理だろう。

金そのものに対して golden は金色あるいは金のような大きな価値を持つことを表す形容詞で、千載一遇のチャンス golden opportunity とか金の(卵を産む)ガチョウ golden goose あたりがおなじみかと思う。沈黙は金 silence is golden も早くに習った覚えがあるが若干説教臭い。ユーモアを交えておしゃべりをたしなめたい時には金とは関係ないが You have two ears and one mouth for a reason. というギリシャ時代のストア派 Stoic 哲学者エピクテトスまで遡る表現がある。これを two years and one month と聞き違えて何が2年と1か月なのかと目を白黒させている人を見たことがあるが「口が一つなのに耳が二つなのには訳がある」という意味だ。

企業の社長や重役クラスが退職するときの多額の退職金やその他手厚い手当を含む retirement package は golden parachute と呼ばれる。日本特有の天下りがしばしば parachuting と説明されるので、不祥事の責任を取って辞めたはずの日本の会社幹部が天下りしていたことが明らかになると海外メディアで盛んに見出しに使われる。金のパラシュートを背負わせてもらう人には中身も金であってほしいものだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年5月号掲載)

SIMフリーの意味

2016年04月13日 | 『毎日フォーラム』コラム

お得意様の米国本社から開発担当者が来日して日本社の営業担当者と関西の代理店やユーザーを訪問するのに同行することになった。新幹線の中で年頃の娘さんと嬉しそうに LINE をしている営業部長さんが時々目をこすっては「画面が小さくて読みにくい」とこぼしている。まだ reading glasses 老眼鏡は意地でも使いたくないお年頃なのだそうだ。画面が大きなスマホにしないのも胸ポケットに入らないから。なるほど男性には男性の事情がある。娘さんとのツーショットを待ち受けにしているのが目に入ったので自撮り selfie かとからかったら娘さんが撮ってパパに送ってくれたものらしい。仲のいい親子だ。

通路の向こうでは別の社員さんが出張してきたエンジニアにガラケー feature phone から買い替えたばかりのスマホを見せながら It’s SIM-free! と宣言して驚かれている。それって新しい規格?という疑問も当然、smoke-free が煙のない、つまり禁煙(自由に煙草を吸って良いという意味ではない)だったり nuclear-free が非核(自由に持ち込んで良いという意味ではない)だったりするように「この携帯 SIM が要らないんだ!」と言っちゃったのだから。本当は SIM ロックが解かれていると言いたいので This phone is unlocked. と言う。

ところで携帯がらみでは思わず不要な心配をしてしまう表現がある。電話の向こうの相手が You’re breaking up. と言っても慌てる必要はない。「君は壊れかけている」でも「彼女と別れるんだね」でもない、電波が悪くて声が途切れがちになっているのだ。同じ理由で The reception is bad. と言いながら会場を足早に出ていく人がいてもレセプションの主催者として不安になることはない。受信状態が良い場所を探しているだけだ。

I got cut off. も勘当されたわけではなく電話が切れてしまっただけ。でも My phone got cut off. は料金が払えなくなってサービス停止されてしまったという事なので、これは少し心配した方がいい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年4月号掲載)

The Horn Went Off - クルマのボキャブラリー -

2016年04月03日 | 『毎日フォーラム』コラム

海外でレンタカーを借りて故障したり事故にあったりすると、お巡りさんや電話の向こうの業者に色々と説明をしなくてはならず思いのほか苦労すると聞いた。確かに車のあちこちを表す言葉にはカタカナがとても多いが、実は和製英語の宝庫でもある。

運転席から近いものから行くとまずフロントガラスが windshield、バックミラーは rear view mirror だ。ハンドルは steering wheel、そこで behind the wheel で運転しているという意味になる。ホイールというと車輪のタイヤの内側部分 rim もそうなのでちょっと紛らわしいが、車輪の裏側に入るのは整備士さんくらいなので文脈から判断もつくだろう。

エンストはエンジンストップだと思われがちだがストはストでも stall の方だ。ドライバーの自発的意思で止めることもできる場合は stop だが、何せ勝手に止まってしまうものなので engine/car stall と言う。エンストした時に開けるボンネット bonnet はイギリス英語でアメリカでは hood、そこでのぞき込むのが underhood エンジンルームとなるわけだ。

パンクは puncture を日本人お得意の短縮技で縮めたもので flat/punctured tire だ。アクセルが gas pedal だと聞くとどうしてガス?と首をかしげたくなるが実はガソリンのことなのでガソリンスタンドも gas station と呼ばれる。他にも license plate がナンバープレートだったり blinker/indicator がウィンカーだったり、日本語の自動車用語はなかなか想像力豊かに作られている。ちょっと違ってまごつくかもしれないのが head restraint ヘッドレストや safety belt シートベルト。着用を促す時は Let’s buckle up! と言おう。

週末にドライブに行った友人が旅先でのハプニングを面白おかしく報告している。 “The horn went off and wouldn’t stop!” 鹿の角が次々に落ちる衝撃の現場を目撃したわけではない。この horn は車のクラクションのこと、何かの拍子に止まらなくなってしまったという話なので、笑いながら同情するのが正解だ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年3月号掲載)

牡蠣の秘密アサリの謎

2016年02月15日 | 『毎日フォーラム』コラム

The world is your/my oyster. 何とも不思議な表現だ。直訳しても意味が分からない。「この世は君/私の意のままだ」と聞いてもどうしてそうなるのかさっぱりぴんとこない。オイスターって、牡蠣だよね、酢牡蛎とか土手鍋とかの……、とついつい食べ物ばかりが思い浮かぶが、実は真珠を作るアコヤ貝や黒蝶貝などは pearl oyster と総称される。つまり上手に開ければ宝物が手に入るかもしれないのが oyster なのだ。

原典はシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」だ。最初は剣でこじ開けるという乱暴な要素が入っていたが、今は「時間も金もあるんだから、何だってできる!」的な、いたって平和かつ楽観的な励ましなどに使われることが多い。

牡蠣に並んでポピュラーな二枚貝がハマグリやアサリの clam だろう。ニューイングランドあたりを発祥とするチャウダーが有名だ。貝のように口を閉ざすことを shut up like a clam とか、動詞として使って clam up と言うのはユニバーサルな発想だと納得がいくが、ちょっと妙なのが as happy as a clam だ。押し黙った二枚貝なら不機嫌そうなものだが文字通り嬉しくてたまらない様子を指す。

長めのバージョンでこの後に in high tide が付くとちょっと分かりやすくなる。浅瀬で潜っている時と違って満潮の水の中は潮干狩りの熊手にすくわれる心配がなくてハッピーなのだそうだ。少し開いたアサリの口がスマイルの形に見えるから、と言う少々穿った説明も聞いたことがある。

ある時 shellfish たっぷりと書かれたパスタをボンゴレっぽいものと思いこんで注文したらエビ・カニたっぷりでびっくりしたことがある。うかつだったが shell は殻のことなので貝ばかりでなく甲殻類 crustaceans も含まれるし、どうやらウニもそうらしい。そもそも fish と言いながら魚ではない、なんともざっくりとした言葉なのだった。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年2月号掲載)

猿は愚かか賢いか

2016年01月24日 | 『毎日フォーラム』コラム

今年の干支、動物園の人気者で物語の主役や脇役でも大活躍、姿かたちが人間に似ているお猿さんは諺や慣用句にも頻繁に登場する。晴れた空から降る雨を南アフリカでは狐の嫁入りならぬ monkey’s wedding と呼び、ポーランドでは自分には関係ない It’s none of my business. を Not my circus, not my monkeys. と言うそうだ。檻から逃げ出し好き放題に暴れまわる猿たちの姿が想像できて面白い。

日本語では猿知恵、猿芝居など愚かさの象徴みたいに使われる事が多くてなんだか可哀想だと思っていたら英語にも a monkey in silk と言うスペイン語圏発祥の表現を見つけた。表面をどう取り繕っても所詮猿に烏帽子という事だ。猿まねに当たる英語もある。 Monkey see, monkey do. 文法的に変である。あえて正しく言おうとすれば What a monkey sees, it does. とでもなろうか。でもこれではオリジナルの持つリズムやちょっと可愛らしいたどたどしさが台無しだ。

このブロークンイングリッシュは Pidgin ピジン語と言って、アメリカの先住民や欧州に貿易にやってきた中国人との意思疎通を容易にするために簡略化して作り出された言葉だ。中国人の発音で business が pidgin に聞こえたのでそう呼ばれるようになったという説がある。他にも long time no see 「久しぶり」はおなじみだと思うし no can do 「絶対無理」 no go 「取りやめ」など、スタンダードな英語の中に溶け込んでちょっとしたスパイスになっている。

最後に今年の主役をもう少し立てておこう。定番の見ざる聞かざる言わざる see no evil, hear no evil, say no evil の三猿は日光東照宮の彫刻があまりにも有名なので日本独自のものかと思われがちだが、実はアンコールワットや古代エジプト起源説まであって発祥は不詳。いろいろな文化圏で用いられるモチーフで英語では3匹合わせて three wise monkeys と呼ばれ、ちゃんと知恵があることになっている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年1月号掲載)

不出来な家電とドッグフードの試食

2015年12月24日 | 『毎日フォーラム』コラム

今住んでいるマンションには入居時から備え付けだった家電がいくつかあって、あちこち不満があるのだが貧乏性なので我慢しながらついつい使い続けてしまっている。例えば洗濯機は注水前にぐるぐると回って洗濯物量を測り適量の水で洗うというのだが、私にはその量が分からないので投入する洗剤や柔軟剤の量が適当なことこの上ない。測った結果をなぜ教えない?と思うし、食洗機はどんな食器を対象にしたものか、我が家の食器がどうも上手く収まらない。

ガス式のオーブンは火力も申し分ないし電子レンジとの同時調理ができたりして料理をする分には楽しく使えるのだが問題は後片付けだ。スペアリブを焼いた後のすのこは洗いやすくするために少し水につけておきたい。一緒に洗う天板に水を張ってすのこをひっくり返してつけ置きするのが一番理に適っていると思うのだが、すのこの面積を広げることを重視したのかすっぽり入らない。やれやれ。

そんなうちの家電たちもそろそろガタが出始め買い替え時を迎えつつある。最近はソーシャルメディアでのつぶやきを集めて解析したり、不満サイトに集まった声を買い取ったりと製品開発に消費者の意見を反映させる動きが盛んになっているので今度こそ意に沿うものを、と期待が高まる。

元々IT業界で使われていた Dogfooding も他の業界にじわりと浸透し始めているらしい。製品をまず自社に導入したり社員が使ったりすることだ。何故ドッグフード?と思ったらペットフード・メーカーの役員が自社製品を自分の犬に与えるばかりか自ら試食までしていたことに由来するのだとか。そういえばいつか読んだ記事でキャットフードの味はだれが決めるのかと聞かれた担当者の答え、冗談かと思ったがそうではなかったということか。曰く「限りなく猫に近い味覚の社員が……。」

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年12月号掲載)

二つのクラウドと現代の神

2015年11月14日 | 『毎日フォーラム』コラム

クラウドとは手元のPCにアプリケーションをインストールしたりデータをため込む代わりに、インターネット上のリソースを共有して使うというコンセプトだが、その歴史は意外と古く90年代初頭に WWW によるインターネットの一般への普及が始まった頃から既に存在する。Cloud computing という言葉自体は2006年に Google の CEO が使ったことで広まったそうだが、当時のITベンダー各社はそれが企業や官公庁のIT環境にとって何を意味するのかを上手に説明するのに四苦八苦していた。データが手元にないことによる不安やセキュリティ上の懸念に産業界が及び腰でいるうちに、個人向けのeメールなどが SaaS Software-as-a-Service としてどんどん普及し結果的に今のビジネスでの用途拡大をけん引したようだ。

クラウド・ソーシングやクラウド・ファンディングは cloud ではなく crowd だ。こちらはインターネット上のある場所にアクセスした大勢の人々がアイディアを共有したり、少額ずつの資金を出し合って事業の実現を後押ししたりするプラットフォームだ。

どちらのクラウドもインターネットの発展なしには語れない。その利用者数は世界人口の約半分、ネット上のウェブページの数は500億に迫るといわれるがそんな数字よりも日々の生活の中でどれだけ依存しているか考えてみるとその影響力が良く分かる。私もネット以前の生活に戻ることなど想像もできない。

初の汎用コンピュータ ENIAC が発表される1946年前後からSF作家たちは想像をたくましくして未来のコンピュータの姿を描いた。フレドリック・ブラウンの1954年の短編「回答」Answer は地球上のみならず960億の惑星上すべての計算機を接続したスーパーコンピュータに「神は存在するか」と問う話だ。厳かな声が答える。Yes, now there is a God. まるでインターネットを指しているようでちょっと怖い。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2015年11月号掲載)