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通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

愚痴るとディスるの共通点

2017年08月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

去年の日本シリーズ覇者の日ハムが絶不調で低迷する中、流行語大賞「神ってる」を受賞した広島カープは今年もすこぶる好調だ。この「神る」だが「神がかる」の短縮形と見るよりは「○○+る」という昔からある動詞化の一例と考える方が、軽くて今っぽい若者言葉というニュアンスの説明がつけやすい。告白するが「告る」拒否するが「拒否る」にはたった一音を惜しむなとも思うが中には「キョドる」のように挙動不審に振る舞うから大幅削減の強者も。

自由度の高い若者言葉から生まれることが多いが一般に定着すると辞書に収載されるものも出てくる。そもそも日本語の発展における「○○る」の歴史は江戸時代にさかのぼるほど古いのだそうだ。今では当たり前のように使われる「牛耳る」「皮肉る」「愚痴る」はいずれも「名詞+る」の形で大正時代に定着した当時の新語、「ダベ(駄弁)る」は明治時代の学生が使っていたという記録がある。

外来語やその略語から派生したものも多い。学生時代留年の意味で「ダブる」「ドッペる」と日本語の動詞のように使っていたのは英語の double とドイツ語の doppeln だし「ポシャる」はフランス語の chapeau 帽子の倒語だ。兜を脱ぐ、脱帽するから駄目になることを指すようになった。「タクる」や「ハモる」「トラブる」からは昭和感が漂うが今でも立派に通用する。

ここ20年くらいの新種も多い。検索するより「ググる」google の方が使用頻度が高くなっていないだろうか。話題になると「バズる」make a buzz, go viral、アプリの不具合は「バグる」be buggy、最近認知度急上昇中の「ディスる」は英語でも Are you dissing me?「俺のことディスってる?」とそのままだ。

ちなみに私たちのちょっと前の世代で盛んだった「アジる」は語源の agitate で良いが「サボる」の英語 sabotage は破壊活動のことなので、うっかり使って会社を操業不能に追い込んだものすごく過激な人になってしまわないようにしたい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年8月号掲載)

通訳者の受難と救いのグッズ

2017年07月19日 | 『毎日フォーラム』コラム

遠い遠いザンビアはリビングストン、ビクトリアの滝周辺の国立公園内に位置するリゾートホテルの会議会場で4か国語の通訳者たちを待っていたのは掘っ立て小屋のような通訳ブースと見慣れない装置だった。流石に国際会議慣れしている主催者のオーダーなので必要な数のブースと通訳音声チャネルは確保されているのだが、なぜか通訳者用ユニットは音量調節が出来ず、おまけにマイクごとの音量がばらばらでイヤホンを耳に押し付けるようにしないと(しても)聞こえなかったり逆に耳をつんざくような大声が入ってきたりとまあ大変。しかも当然あるはずの手元灯りがなくブースの中は薄暗い。

途上国では物理的な環境が整っていること自体望むべくもないとはいえ、これでは耳栓と目隠しをして通訳しろというようなもの。ドラえもんのような素敵なお友達がいれば四次元ポケットから必要なものを次々出してもらいたいところだがここはザンビアだ。まあ、日本にだってドラえもんはいないが頼りになるエンジニアさんがいる。

でも今はまず自力で資料の読めない暗さを何とかしよう。こんな時のためにラップトップのUSBスロットから電源のとれるLEDランプを常に持って歩いているのだがそれをパートナーのためにブース内に置きっぱなしにすると自分が自由にPCを使えない。そこでブース内に延長コードを引き、最近購入して今回初めて持参した海外電圧(240V)対応電源タップのUSBスロットにランプを直接差し込むことで灯りを確保。他言語ブースの同僚たちから称賛を浴びた。

次は音だ。ここで活躍したのがスマホにつないで手元で音量調節ができる長さ5㎝ほどの小型のアンプ。現地の装置とヘッドフォンの間に挟むことで音量がコントロール出来て音質も若干改善、完ぺきとはいえないまでも何とか凌げるレベルに。やれやれ、念のための備えはしておくものだ。私は今や、通訳業界のドラえもんと呼ばれている。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年6月号掲載)

足と脚

2017年04月25日 | 『毎日フォーラム』コラム

付く、出る、遠のく、地に着かないなど足は慣用句の多い体の一部だが、英語でも便利な表現が多い。She’s got cold feet. は冷え性なのではない。大事なところで怖気づいてしまった、足が竦んでしまったのだ。何かを成し遂げたい時の第一歩は a foot in the door と言う。訪問販売のセールスマンがドアを閉められないように片足を挟む様から来ているので語源的には押し売りっぽく思えるが negative connotation マイナスのイメージなく使える。

Put one foot in front of the other という芸人さんのネタのような成句もある。歩くという動作をわざと分解して歩を進めることを励ます時や順序通りに物事を進めることを強調したい時に使う。最初のボタンを掛け違うと最後に齟齬が生じるがそんな最初の一歩が start off on the wrong foot だ。高いところから落ちた猫が上手に着地する様子からの発想で land on both feet
は首尾よく難を逃れることを言う。

何故足なのか、しかも動詞なのかちょっと不思議なイディオムが to foot the bill だ。勘定を踏み倒すのではない。支払うことだ。It used to be customary for the bride’s parents to foot the bill for the wedding. ちょっと前までは娘を嫁に出すのも大変だったらしい。

「足を棒にして歩く」時の足は I walked my legs off. で feet ではない。脚が中空だったらさぞやたくさん飲み食いしても平気だろうと、うわばみやフードファイターのような人のことを She has hollow legs. また話や訴えに根拠が皆無でとても議論や裁判に勝てそうもないことを not have a leg to stand on と言う。

「彼は足を痛めていて走れなかった」はとてもシンプルな文章だが同通ブースの中で通訳者は悩む。英語は単数複数に厳格なので両足なのか片足なのかという問題もあるが、それ以上に怪我をしたのが足首から下なのか上なのかで単語が異なるのでもう少し情報が入って来ることを祈りながら
He couldn’t run because of his injury.とぼかしてその場をしのぐのである。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年4月号掲載)

幅広い「マネージする」

2017年03月22日 | 『毎日フォーラム』コラム

世界のあちこちで想定外のことが起こり地震、事故、テロ等の脅威が高まる昨今、preparedness 万が一への備えが欠かせない。リスクマネジメント・ワークショップで講演者と通訳者の打ち合わせに同席したセキュリティ関連会社の専門家は「risk management は訳せない」と力説していた。「リスクはマネージするもの、管理と言ったとたんに範囲が狭くなる。某大学が立ち上げた危機管理学部なんて日本語にしてしまった時点で本質を分かっていない証拠」なのだそう。危機管理とは事後対応、一方リスクは未然に軽減策を取った上で起こってしまったら対応すべきものだ。

「うちのマネージャー」も背景を知らないと何をマネージする人なのかが分からない。芸能人や作家のスケジュール管理をしてくれる人かもしれないし、会社の部課長かもしれない。カントリー・マネージャーだったら外資系企業の日本社社長だ。マネージメントとなれば企業の経営陣のこともある。

動詞としてもちょっと面白い。「手伝おうか」と気遣う同僚に「自分で何とかできると思う」とやんわり断る I think I’ll manage, thank you. とか「最後にもう一杯くらいどう?」 Can you manage another beer? とかちょっとしたニュアンスを出せるのが便利だ。He messed up. と失敗の事実を述べるよりありえないほどのへまをした He managed to mess up. の方があきれた感が伝わる。

職業を茶化す cliché 的なジョークの中に有名な教師ネタがある。Those who can, do, those who can’t, teach. 才能がない人が教える側に回る。どうやらバーナード・ショーが出所らしいがウッディ・アレンがさらに Those who can’t teach, teach gym. 教えることもできない人は体育教師になる、と追い打ちをかけたこともある。MBAを取得するためのビジネス・スクール版のもじりでは Those who can, manage, those who can’t manage, teach. と言うそうだ。なるほど経営の才覚があるのならのんびり教えている場合ではない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年3月号掲載)


諺の鳥や虫

2017年02月20日 | 『毎日フォーラム』コラム

諺を外国語に訳すのは難しい。ぴったりはまる表現があれば定番として使うことが多いのだが、それでも「早起きは三文の徳」を The early bird catches the worm. と訳して「わしは鳥なんぞと言っておらん」といわれのないお叱りを受けた通訳者も存在する。どうやらバードは聞き取れてもワームは分からなかったらしいのだが、いずれにせよこの後の話の展開で「得」ではなく「徳」である理由を掘り下げられても面倒なことになるので最近は時間が許せば直訳 Getting up early is 3 cents worth of virtue. も紹介したりする。文化的背景の違いが垣間見えて面白いと割と好評だ。

「出る杭は打たれる」も The nail that sticks out gets hammered down. というほぼ直訳で十分に通じる。ちなみに同じようなことをオーストラリアでは tall poppy syndrome と言うそうだ。花畑で他よりも長く茎をのばしてしまったポピーはその首をちょん切られるのだそうで、どちらも痛そうだ。

鶏口牛後には色々とバリエーションがあって Better to be the head of a dog than the tail of a lion. 以外にも蟻とライオンの組み合わせで大小の違いを強調するものやロバと馬のように敢えてちょっと近い二者を並べるものもある。イタリア語では猫対ライオンとなかなかロジカルだ。そこで a roosterとan ox で代替しても全く問題なく通じるわけだ。

「一寸の虫にも五分の魂」には Even a worm will turn. という、芋虫・ミミズの類でも踏まれれば怒って反撃に出ると言うぴったりの成句があるのだが、私がそれを使ったのを聞いていた後輩が「そっちの虫だったんですね」と言い出したことがある。何となく蠅とかテントウムシとか脚のある方 insects を想像していたらしい。でもね、一寸は3センチくらいだから昆虫だとするとカブトムシやクワガタの雌とかスズメバチ、ゴキブリ……、まで来たあたりで言い出しっぺが悲鳴を上げた。初めてその大きさに思い至って急に気持ちが悪くなったらしい。一寸の昆虫はけっこうでかい。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年2月号掲載)



酉年と鶏

2017年01月13日 | 『毎日フォーラム』コラム

「トリドシのトリってどんな漢字だったっけ?」という問いに「サンズイのない酒」と答えて大受けしたのは普段から酒豪で名を馳せる同業者♀だった。そう言えば年賀状では当たり前のように使っているが、十二支の漢字は読み方の動物とは関係なさそうなのによくまあこれだけ定着したものだと感心する。酉はそもそも中国の暦法では「ゆう」と読んで方位であれば西を表し酒を入れる壺のような容器を表す文字だと言われても、もう奥が深すぎて訳が分からない。鶏の要素がどこにもないのは庶民に普及させるために動物を後付けしたからだそうだが、これは残りの十一支も同様。

酉年を英語で言うなら year of the rooster と伊藤若冲が描いたような堂々としたとさかと尾羽をもった雄鶏にする。というのも chicken には臆病者という意味があるからだ。チキンレース play chicken も負けた方を腰抜けと揶揄したネーミングだ。「おどおどしない!」とちょっと厳しく励ましたい時には Don't be a chicken! と言ったりする。

ところで日本では鶏と言えば過ぎた話で申し訳ないがクリスマスの定番。I had chicken for Christmas. とこの場合は無冠詞。うっかり a chicken としてしまうと羽も頭もつきっぱなしの「一羽の鶏」にかぶりついているおぞましい様子をイメージされかねない。

どうしてこの日にチキン?と常々不思議に思っていたら、あのKFCのマーケティング戦略だったと聞いた。バレンタインのチョコレートと同じで私たちはこういうのに乗っかるのを楽しむ国民のようだ。

本家欧米のクリスマスにも伝統的な料理はあるがチキンよりはターキーが主流だ。七面鳥は北米原産だがアメリカでは11月最後の木曜日の Thanks Giving Day に焼く家庭も多い。一方英国では8割の家庭がターキーなしのクリスマスなんて考えられないと思っている!と、先日仕事をしたイギリス人が力説していた。なるほど、食の文化は家禽には飛び越えられない太平洋や大西洋をやすやすと超えてその姿を変えるのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2017年1月号掲載)

ガラスの天井

2016年12月18日 | 『毎日フォーラム』コラム

最も高くて硬い glass ceiling をヒラリー・クリントン氏は再び割り損ねた。民主党の指名を得られず少なくとも1千8百万のひびは入ったと支持者に感謝して以来8年越しの思いは、米国民の格差への不満という壁を突破することができなかった。

女性の昇進を阻むシンボルとしてガラスの天井と言う言葉が初めて使われたのは1984年、その2年後には Wall Street Journal でも取り上げられるなどして浸透していったようだ。その存在に気付かずに出世の階段 corporate ladder を登り続け、ある日それ以上進めなくなる。すぐそこに見えている次のポジションにどうしても手が届かないもどかしさが良く出ている。

日本の現政権は一億総活躍社会を唱えて女性の社会参画を後押ししたいとしているが、夫婦別姓やLGBT権利擁護への与党に根強い反対論には伝統的な男性観・女性観に縛られている感がありありで、女は腰掛け mommy track でいいじゃないのとの本心が透けて見える。一方民間では企業の社会的責任CSRの一環として diversity を標榜する動きが広がっている。外資系ではLGBTサポーターバッジを配布したり、日本企業でもインクルージョンやワークライフバランスなどをサイトで前面に押し出しているところも出てきた。

そんな会社でもいざ役員会の通訳で駆り出されてみると会場はネクタイとスーツで真っ黒けっけで「看板に偽りありじゃん」 Hey! Walk your talk! と突っ込みたくなることもしばしばなのだが、そもそも女性活用 women’s empowerment 大国である北欧諸国だって実は上層部の女性はまだまだ少ない。世界に先駆けて国会議員に次いで企業の役員にもクォータ制を導入したノルウェーでさえ大企業の女性CEOの割合は5%に達しない。一朝一夕に変わるものではないことが良く分かる。

ただし役員全体に占める女性の割合は35%を超え日本の3.4%とはケタ違いであることだけはノルウェーの名誉のために付け加えておこう。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年12月号掲載)

通訳業界テクタム

2016年11月25日 | 『毎日フォーラム』コラム

ある芸術祭の開会式で海外から参加している過去の受賞者が一言ずつ挨拶をするというので、日本語はパナガイドという簡易装置を用いた同時通訳で英語に、英語の発言は逐次通訳で日本語にすることになった。「同通はパナでぇ、逐通はこちらのマイクでぇお願いしまぁす」と言うイベントディレクターに分かりましたと頷きながらも違和感を禁じえなかったのは彼の話し方ではなく「逐通」という聞き覚えのない略語だ。私たちも同時通訳は確かに同通と略すが、逐次通訳のことは「逐次」と言うので、業界の外の人が不自然な略語をぶつけてきたことに引っかかったのだ。

どのような現場でも通訳者が信頼を得る第一歩はお客様と同じ言葉を使うことだ。マテハンを material handling、マイコンを micro controller と顔色も変えずに訳せると喜んでもらえる。でも参加者の誰もがカタカナで言っている corporate governance を妙なこだわりで「企業統治」と言い続けると浮いてしまうし、いかに短くて言い易くて便利だからといっても製薬、化学薬品以外の業界で market launch に「上市」を使ってはいけない。勝手に略語を作るなど論外なのだ。

ちなみに通訳業界にも特有の表現が存在する。中でも「耳」の使い方は飛びぬけて変だ。パネルディスカッションを控えた通訳ブースの中では通訳者同士がこんな会話をしていたりする。「彼の手元に耳ある?」「無い。耳の用意遅い。」「あ、耳来た。でもてこずってる。だれか耳のつけ方教えてあげて。」通訳音声を聞くイヤホンのことだと知らなければ異様な会話だ。

エージェントからの通訳業務依頼書には「生耳」「耳なし同通」「パナ同通、耳あります」などと書かれていることがある。この場合は通訳者がイヤホンで講演者の声を直接もらえるアンプなどの機材があるかどうかを指している。なので、通訳者が「耳の取れる現場ですか?」と尋ねたり、現場で「あぁ~!耳欲しい!」と嘆息したりしていても、猟奇的な話ではないので心配はいらない。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年11月号掲載)

市場移転問題と通訳ブース

2016年10月23日 | 『毎日フォーラム』コラム

毎日のようにマスコミが築地市場の移転先、豊洲の盛り土問題で大騒ぎ having a field day していた頃、通訳者たちはもうちょっと遡り「マグロが切れない」問題を身につまされる思いで眺めていた。会議通訳者が同時通訳を行うブースにはホテルの宴会場などに持ち込める仮設と会議施設に作り付けの常設とがあって、後者は何やら立派に聞こえるが実は使えないものがとても多いのが私たちの頭痛の種となっているのだ。

いわゆる箱もの行政で作られたコンベンション・センターなどの常設ブースには時に想像を絶するものがある。通訳者は仕事中、講演者の顔と壇上のスクリーンに投影されるスライドがどうしても見たいのだが、それができないブースは思いの他多い。会議場の上の階から見下ろすように設置するのは良いとして、それがスクリーンの真上だったら、見えるのは講演者ではなく別に見たくもない聴衆だ。斜めに見下ろす位置のブースでは角度がついてスライドが読みにくい。さらに窓が妙なガラスで読みにくさ倍増の現場もある。ちなみにそこは出窓に通訳用の装置が載せられていてデスクがないので資料を広げられるスペースもせまいし、そもそも膝が入らないので体勢的に実に苦しい。通訳者という人間が使うスペースであることを前提に作られていないのが明らかだ。

複数言語用のブースがずらり並んだ施設で、奥のブースに入るには手前のブースをいくつも通り抜けなくてはならない現場もある。通訳中の同僚の邪魔にならないよう、その後ろを壁にびったりくっついて音もたてずに通らなくてはならないとなると会議中の移動がとてつもなく限られるわけで不便なことこの上ない。通訳ブースにはISO規格が存在し、アクセス、音響、空調、通訳者からの視野などが規定されているのに、そんなことも知らずに設計されているわけだ。そんな使えないものを作っておきながら実績表にはどこぞの国際会議場を設計しました、と偉そうに書いている人がいると思うと実に腹立たしい。

空間だけ作っておけば良いわけではないのだ。使える functional 施設を作ろうとするならば、まずユーザーであるマグロの仲卸や通訳者、通訳設備のエンジニアにどんな機能が必要なのか聞いてほしい。知らないことは知らないと認め、知っている人に尋ねるのが本当のプロだと思う。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年10月号掲載)

「思いました」を考えてみた

2016年10月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

「その時ね、思ったんだよ。俺、富士山に登りたいって!」と、熱血漢の彼は言いたかった。でも残念なことにそれを英語にした途端、その熱いメッセージは大きな変貌を遂げた。 At that time, I thought I wanted to climb Mt. Fuji. 「その時の自分は富士山に登りたいのだと思っていた(のだけれど、実は違った)」つまり、今思うと、別にそれほど登りたかったわけではなかった気がする、と言ってしまったわけで、その場には微妙な空気が流れた。

日本語で強い決意を意味する「思います」は英語の I think … とは程遠いという話を前回はしたのだが、過去形になるとその程遠さ加減がさらに半端でなくなる。 I thought I wanted to win a gold medal. は「金メダルを取りたいと思いました」ではない。「その時の自分は金メダルを取りたいのだと思っていた(のだけれど、実はそうではなかった)」じゃあ、何がしたかったの?となってしまう。

Aren’t you getting a promotion? 「昇進するはずじゃなかったの?」 I thought so. 「そう思った(んだけど、思い込み?)」と思惑が外れた時にも頻出する。こんな具合に think の過去形 thought には過去においてそう思ったことが事実ではなかった、間違いだったという意味が付きまとう。そこで Did you think I was lying to you? 「私が嘘をついているとでも思ったの?」への答えは I thought so. と過去形にした方が無難だ。 I think so. だと今もそう思っている事になる。

もちろん別の意味もある。プリンタが故障してどうやら単なる紙詰まりではないらしい。「メンテに来てもらわないとダメみたいだ」 I guess I have to call for service. という同僚に「だよね」「そうだと思った」と自分の考えも交えて答えるときに便利なのが I thought so. だが、ちょっと間違えると自分はとっくに分かっていたよ、という嫌味に聞こえることもあるので言い方には少し注意が必要だ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2016年9月号掲載)