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第三 公判② 挙証責任

2005年01月29日 | 刑事訴訟法
一 実質的挙証責任
1 問題の所在
  要証事実について、証拠調べが終了したにもかかわらず、裁判所が確信を得るに至らなかった場合に、不利益な認定を受ける当事者の地位を実質的挙証責任という。当事者主義の公判は、検察官の告発事実を徹底的に審査するために、告発事実は根拠のないものと仮定する(無罪推定の原則)。社会が都市化すればするほど、被告人にとって有利な証拠を提出することが困難となる。したがって、有罪の仮定から出発したのでは、被告人にとって裁判を受ける意味がなくなる。無罪推定の原則は、憲法37条1項の裁判を受ける権利の内容をなすともいえる。無罪推定の原則から出発すれば、実質的挙証責任は、常に検察官側にあることになる。実質的挙証責任が検察官側にあることを前提として、第1に、違法性阻却事由、責任阻却事由の不存在についてすべての場合に検察側で立証する必要があるか、第2に、刑法230条の2の真実性の証明、児童福祉法の罰則規定(60条3項)のように、被告人側に挙証責任を負わせたかに見える規定をいかに解釈したらよいか(これらの規定は憲法37条1項に違反しないか)が、問題となる。

2 違法性阻却事由、責任阻却事由の不存在について
 ◇小野説
   違法性阻却事由、責任阻却事由の不存在については、被告人側に実質的挙証責任がある。ただし、証明の程度は、証明の優越の程度と解すべきである。
  批判:結局、被告人は犯罪を行ったかどうか不明であるのに処罰されることとなり、無罪仮定の原則に反する。
 ◇通説
   違法性阻却事由、責任阻却事由の不存在について、全ての場合に検察官側で挙証しなければならないとするのは、検察官に過重な負担を強いることになり妥当ではない。被告人側で阻却事由が存在するのではないかと疑わせる程度の証拠を出した場合に、初めて検察官がその不存在を証明しなければならない(証拠提出の責任)。

3 刑法230条の2の真実性の証明について
  検察官は「真実なることの証明」をするわけではないから、被告人にその証明が求められている。
 ◇松尾説
   被告人が挙証責任を負担する部分を除去して考えても、なお犯罪として相当の可罰性が認められるから、合憲である。
  ★ホームズの「大は小をかねる」の理論
   故意犯であろうが過失犯であろうが、同じように処罰する必要がある場合/主として行政犯)、故意と過失の構成要件をつくるかわりに、故意の構成要件と、故意のなかったことについて被告人に説得責任を負わせる規定をつくってもよいのではないか。
 ◇渥美説
  「真実性の証明」は、被告人が公判で真実性を立証しきれるほどの周到さを欠いた行為を名誉段損に当たるとする処罰の限界を定める記述的条件の一つである。この限界を言論・表現の自由とプライバシー保障の双方に配慮しつつ定めるに当たって、刑法230条の2は、自分が摘示した事実は公判で真実であることを立証できる背景と資料を伴っていると信じたときにだけ名誉段損の成立を否定するように記述しているのである。事実の摘示の段階で、摘示した事実は公判で立証しうる資料に裏付けられていると信ずるに当たって過失がなければ、のちに、新たな証拠が発見されたとか、証拠方法の消失、例えば証人が死亡したとかにより、公判で摘示した事実が証明されなくても、故意を欠き被告人は無罪となる。このように、処罰すべき行為と守られるべき法益とが相拮抗している場合に、挙証責任を被告人に課す程度の用意周到さを被告人に求める形で記述的な犯罪成立要件を定めているのであり、このことは、訴訟法上の原則たる無罪推定には反しない。

4 児童福祉法60条3項について(法律上の推定)

  34条1項 何人も、左の各号に掲げる行為をしてはならない。
  (児童を一定の形式で使用することを禁止する趣旨の規定)
  60条3項 児童を使用する者は、児童の年齢を知らないことを理由として、前2項の規定による処罰をまぬかれることができない。ただし、過失のないときは、この限りでない。

 ◇松尾説
   要証事実のうち検察官が証明する部分から、被告人が挙証責任を負担する部分への推認がある程度の合理性を持っていることから是認しうる。
 ◇渥美説
   推定規定の趣旨は、不当に処罰範囲を広げることなく検察官の立証の困難を救済するために、被告人に証明上の負担を求めるものである。だが、「児童の年齢の不知につき過失がなかったこと」について、被告人に実質的挙証責任があると解することは、有罪の仮定に基づく裁判となって許されない。そこで、被告人の負担する責任は、推定事実が存在しないのではないかと留意させる程度の証拠を提出する責任と解する。そして、被告人は、反証すべき事実を示す証拠に接近し、その立証が容易なはずなのに、証拠提出の責任も果たせないと、その事情を一つの情況証拠として推定事実を合理的な推論に基づいて認定することは可能となる(ただし、具体的事件にあっては、推定事実について十分な心証が得られない場合もあるから、命令的推定ではなく、許容的椎定と解しなければならない)。推定規定は、このような構造のものとして解釈すべきであろう。
   だとすると、椎定規定の合憲性の基準は、第1に、前提事実が存在すれば推定事実が存在するとの一般的な蓋然性があること、第2に、被告人が反証すべき事実を示す証拠に接近し、かつ、その立証が容易であることが類型的に保障されていること、第3に、被告人の負担する責任は、事実認定者に推定事実が存在しないのではないかと留意させる程度の実質証拠を提出すれば足りること(証拠提出の責任)、第4に、被告人がこの反証に成功すれば通常の証明構造に戻ること、第5に、被告人に反証の機会を与えても、反証が十分でないときには必ず有罪と認定しなければならない(命令的推定)とする趣旨でないことである。
   児童福祉法60条3項は、以上の条件を満たすように解釈運用されるならば合憲である。
 ★カードーゾの「便宜較量説」
   刑事訴訟では、原則として法廷で取り調べられた証拠によってのみ、犯罪事実は立証されねばならず、証拠不提出を一つの情況証拠とすることは原則として許されないが、例外として推定規定がある。すなわち、一応の立証がなされた後、訴追者にとっては困難であり、被告人にとっては容易である証拠の提出を要求し、その不提出をもって、合理的な疑いをいれない程度の心証に達するための画竜点晴とする。

二 形式的挙証責任
1 意義
  実質的挙証責任が、形成された実体に着目する概念であるのに対して、形式的挙証責任は、実体を形成する行為に着目している。この概念は、二つの意味で用いられている。
  第1は、「挙証の必要」という意味での形式的挙証責任であり、裁判所の心証の動きに対応して、当事者がどの程度立証する必要があるかの問題である。不利な心証を抱かれた者は積極的に証拠を提出する必要かあるという訴訟の実体をいったものである。
  第2は、当事者の訴訟追行上の責任をいう。裁判所との関係で、当事者がどの程度に証拠を探して提出する責任を負うか、当事者が証拠を提出しない場合に審理を終えても、裁判所は訴訟追行上の責任を問われないか、の問題である。結局、裁判所の職権証拠調べ(298条2項)が義務的となるのは、したがって、その義務を怠ったとき訴訟手続の法令違反として上訴理由となるのはどのような場合かが論じられることになる。

2 当事者の訴訟追行上の責任としての形式的挙証責任
  徹底した当事者主義のもとでは、当事者だけが訴訟追行上の責任を負い、裁判所は当事者が提出した証拠だけに基づいて判断すればよい。逆に、徹底した職権主義のもとでは、裁判所だけが証拠収集の責任を負うことになる。現行法は当事者主義の訴訟構造に立つが、298条2項で職権証拠調べを認めており、どのような場合に職権証拠調べが義務的となるかが問題となる。被告人に対しては、裁判所は後見的な役割をも果たさなければならないから、訴訟の状況上、被告人に有利な特定の証拠の存在することが明らかで、しかも、無知・錯誤などにより被告人がこれを提出することがでないときは、裁判所に職権証拠調べの義務がある。逆に、検察官に対しては、訴追者ではなく、公平な審判者としての外観を保つことが必要なことから、せいぜい証拠の提出を促す義務を認めうるにすぎない(例えば、検察官の不注意が明白な場合)。