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第一 捜査⑫ 被疑者の取調べ・被告人の取調べ

2005年01月29日 | 刑事訴訟法
一 被疑者の取調べ受認義務
1 問題の所在
  この問題も、捜査の構造の捉え方、逮捕・勾留の目的の捉え方と深く関っている。大雑把に言えば
  糺問的捜査観→逮捕・勾留は取調べも目的とする→逮捕・勾留されている被疑者には取調べ受忍義務があり、したがってこれらの者に対する取調べは強制捜査である。
  弾劾的捜査観→逮捕・勾留の目的は逃亡及び罪証隠滅の防止のみである→逮捕・勾留されている被疑者には取調べ受忍義務はなく、これらに対する取調べは任意捜査である。
 という図式になるが、中間的な見解や、新しい観点から被疑者の取調べを強制捜査と解する説もあり、必ずしもこの図式によって理解できない点が多いので、複雑で分かりにくいところである。結局は、自白獲得の必要性と、被疑者の人権保障とをいかに調整するかという問題に帰するが、各自、自分なりに考えをまとめておく必要がある。

2 逮捕・勾留中の被疑者に取調べ受忍義務はあるか
  身柄を拘束されてない被疑者に対しても取調べはできること、そしてそれが任意捜査にすぎないことについては争いがない。しかし、身柄拘束中の被疑者に対する取調べ受忍義務については説が分かれる。
(1) 肯定説A
   逮捕・勾留の目的の中には、取調べの目的も含まれる。逮捕・勾留が令状によって行われる以上、それは強制処分にほかならず、逮捕・勾留されている被疑者には(取調べ室への)出頭義務及び滞留義務が課されている。198条1項ただし書はこのことを規定したものである(実務の立場)。
(2) 肯定説B
   逮捕・勾留は取調べを目的として認められるものではないが、それらを利用して取調べをすることを禁ずるものではない。それらは取調べの可能性を予定した強制処分であり、したがって、逮捕・勾留されている被疑者にはある程度において出頭義務及び滞留義務がある。
(3) 否定説A
   出頭義務及び滞留義務を認めたのでは、供述の義務がないといっても、実質的には供述を強いるのと異ならない。198条1項ただし書は、出頭拒否・退去を認めることが、逮捕又は勾留の効力自体を否定するものでない趣旨を、注意的に明らかにしたにとどまる。したがって検察官は、拘置所の居房から取調べ室へ来るように強制することはできないし、一度取調べ室へ来ても、被疑者が取調べをやめ居房へ帰ることを求めたときは、これを許さなければならない。このように解するとき、取調べは完全な任意処分である(平野)。
(4) 否定説B
   憲法38条が被疑者に黙秘権を認めている以上、これを実質的に侵害することになる出頭義務及び滞留義務は、否定説Aと同様に認めるべきではない。しかし、取調べは弁護人の立会を排斥した秘密の尋問であり、その意味で一種の強制処分である。したがって、198条はこのような趣旨を規定したものと解すべきである。
(5) 検討
   肯定説Aは糺問的捜査観の立場であり、否定説A、Bは弾劾的捜査観の立場といえよう。そして、否定説A、Bが取調べ受忍義務をあくまでも否定する方向で実務を指導しようとするのに対し、肯定説Bは、取調べ受忍義務を一応認めたうえで、その内容を限定する方向で実務を指導しようとするのである。要に、否定説Bは、否定説Aが任意処分だと言い切ることにより生じる弊害(この説では取調べはあくまでも任意処分という建前に立つため余罪の取調べに関し、これを広く認めることになり、令状主義は全く問題とならないとか、あるいは被告人の取調べも制限なく許されるといった結論を導きかねない。)を回避するという実践的目的をもつほか、否定説Aのいうように取調べが完全な任意処分なら、197条のほかに、なぜ198条が要るのかという疑問に答えるという解釈論的目的をも持って提唱されたものといえよう。
 <受忍義務否定説の理由>
  ①身柄拘束中の者に対して、出頭義務や滞留義務を認めると、それが実際上は供述を強要することになり、これは供述義務を認めるのと実質的には変わりがないことになるので、憲法38条に保障された黙秘権の実効性を損なうことになる。
  ②弾劾的捜査観は、当事者主義の構造を基本と考えるのであり、被疑者も独立した一方当事者性を有する。したがって、逮捕・勾留の目的を超えて取調べ受忍義務を肯定することは、主体的な当事者の地位を無視するもので当事者主義の基本構造に反し、弾劾的捜査観をくずすことになる。
  ③198条1項ただし書の条文を文言的に解すると、取調べ受忍義務を認める方向へつながる。しかし、上記の黙秘権法理の実効化や、弾劾的捜査構造などの重要な原理が同条の解釈に反映されることになり、「逮捕又は勾留されている場合を除いては」とは、取調べ受忍義務のないことが、逮捕・勾留の効力自体を否定するものでない(自分の家にまで帰ってしまうことまで認めない)趣旨を明らかにしたものと解される。

二 被告人の取調べ
1 問題の所在
  この問題も捜査の構造の捉え方、取調べの法的性質(強制処分か任意処分か)等と密接に関係する論点である。しかも厄介なことは、全く異なった考え方から出発して同一の結論が出ており、更にそれに対し、異なった立場から修正が試みられている。したがって勉強するに際してはよほど注意深く本を読む必要があるように思う。理解のポイントとしては、積極説・消極説のいすれも197条、198条の解釈論と、捜査段階と公判段階における被疑者・被告人の立場の相違とを二大論拠としており、それぞれが交差している点に留意することである。

2 被告人の取調べは許されるか
(1) 積極説A
  理由:①(捜査の必要性)旧法に比べ拘束期間を制限し、令状主義を採用するなど捜査が抑制された現行法の下では、起訴後の取調べもやむを得ない場合がある。
  ②(197条、198条の解釈)197条は捜査官の任意捜査については、何らの制限を置いてない。したがって198条の「被疑者」の文字に拘りなく起訴後においても捜査官は197条により取調べができる。198条は、被疑者の取調べを正面から認めた点に意義があると共に、198条1項により、逮捕・勾留されている被疑者に、出頭義務・滞留義務を課した点に意義がある。
  ③(被疑者と被告人の立場の相違)確かに被舎人は被疑者と異なり当事者たる地位を有しており、被疑者の場合とは異なった配慮が必要であるが、かといって捜査の必要がある場合に一切の取調べができないとするのも行き過ぎである。
(2) 積極説B
  理由:①(197、198条の解釈)被疑者は包括的黙秘権をもつので、取調べ受忍義務を負わず、したがって198条の取調べは完全な任意処分である。198条1項は、出頭拒否・退去を認めることが、逮捕・勾留の効力自体を否定するものではない趣旨を明らかにしたに止まる。したがって、198条は197条の単なる注意規定にすぎす、被告人の取調べも197条で許されることになる。
  ②(被疑者と被告人の立場の相違)捜査構造は被疑者と捜査機関とを対立当事者とする弾劾構造と捉えるべきであり、このように捉えるならば、捜査段階と公判段階とにおいて、被疑者の立場は基本的に変わらないはずである。したがって被疑者に対する取調べが完全な任意処分として許されるのなら、同様に被告人に対する取調べも完全な任意処分として許される。「被告人の当事者としての地位」を強調して、被告人の取調べを消極的に解する見解は、裏を返せば、被疑者には当事者的地位はないということに通じる。
(3) 消極説A
  理由:①(197、198条の解釈)198条は「被疑者」と書かれており、公訴提起前に限るのがその趣旨である。197条は一般的な取調べ権限を認めた規定にすぎず、被疑者の取調べ権限は198条によって初めて認められたものである。被疑者の取調べは一般の取調べと性格を異にしており、198条1項ただし書で逮捕・勾留された被疑者に取調べ受忍義務が認められるのもそのためである。
  ②(被疑者と被告人の立場の相違)被疑者段階と被告人段階とではその立場を異にする。起訴の後には、被告人は検察官と対立する一方の当事者としての地位に立つのであり、その被告人を捜査機関が取り調べるというのは当事者主義の訴訟構造と矛盾する。
(4) 消極説B
  理由:①(197、198条の解釈)198条1項ただし書の解釈としては、積極説Bと同様に取調べ受忍義務を認めたものとは認められないが、被疑者の取調べは、弁護人の立会を排斥した秘密の尋問であり、その意味で一種の強制処分である。それは、捜査の必要を理由に198条によって被疑者についてだけ認められたものであり、197条によって被告人にも許されると解すべきでない。
  ②(被疑者と被告人の立場の相違)捜査の構造は弾劾的捜査観によって捉えられるべきであり、被疑者と被告人とは、いずれも一方当事者であるという意味で基本的に同一である。


3 検討
  積極説Aと消極説Aとは、被告人の当事者としての地位を強調する点において共通である。裏を返せば、被疑者には当事者的地位はないということになる。この点において、弾劾的捜査観に立って、被疑者にも当事者としての地位を認める結果、被疑者と被告人の地位が基本的に同一であるとする積極説B、消極説Bと根本的に異なる。
  積極説Aと消極説Aとが異なる点は、198条を限定解釈するか否かにあるが、その背景としては、積極説Aが被告人の当事者的地位に対して取調べの必要性が勝る場面があることを認めるのに対し、消極説Aは、被告人の当事者としての地位を重視することにより、全ての取調べの必要性を排する。消極説Bは、積極説Bと根本的立場を同一とするが、積極説Bがあくまでも論理の一貫を求める結果。現実的には問題の多い被告人の取調べを認める結果となる欠陥を回避せんとして主張されたものである。
  以上により、各説に対する批判=整理すると、
 ・積極説Aに対する批判
  ①取調べの必要性に重点を置きすぎる。
  ②198条は限定的に解釈すべきである。
 ・積極説A、消極説Aに対する批判
  被告人の当事者としての地位を強調することは、被疑者の当事者としての地位を否定することにつながるが、被疑者もまた一方当事者と把握すべきである(弾劾的捜査観)。
 ・消極説A、Bに対する批判
  現実には取調べの必要がある場合がありこの要請を無視しすぎる。
 ・積極説Bに対する批判
  結局は問題の多い被告人の取調べを無制限に認める結果となり現実にそぐわない。
 ・積極説B、消極説Bに対する批判
  ①被疑者段階と被告人段階とでは、その立場に明らかな差がある。
  ②弾劾的捜査観は捜査の必要性を余りにも軽視するものであるばかりか、現行法の立場にもそぐわないものである。

4 中間説
(1) 中間説A
  基本的には積極説Aの立場に立ちながら、取調べの必要性と被告人の当事者的地位との調整の妥協点として、第一回公判期日までであれば、被告人の取調べも許されるとする見解。
  理由:①公訴提起前は198条により取調べができ、第一回公判期日以降は法廷で被告人質問をすることができるが、起訴後第一回公判期日まではそのどちらもできなくなる。したがって、この期間だけは被告人にも197条の取調べを認めるべき。
  ②訴訟が本格的な争訟形式になるのは第一回公判期日以降であり、それまでの間においては被告人の取調べは許される。
  批判:公訴提起後第一回公判期日までの期間は、被告人側にとって、訴因の提示を受けて、それに対する攻撃・防禦の準備のための重要な期間であることを看過している。
(2) 中間説B
   基本的には消極説Bの立場に立ちながら、起訴後に被告人を補充的に取り調べることがやむを得ないと認められる場合も皆無とは言えないであろうから、そのような例外的な場合には、弁護人立会の下に被告人の取調べを認めるとの見解も示されている

5 判例
  最決S36.11.21は、基本的には積極説Aの立場に立っている。事案が起訴後第一回公判期日までの間における被告人の取調べであったところから、中間説の立場に立った判例であるとの解釈も可能と思われる。