無職婆

この度仕事を辞めて無職になりました
色々と投稿していきたいです

紫式部と清少納言2

2023-12-08 18:32:02 | 日記

以前、平安時代の和泉式部を書いた漫画があって、かなりよく調べられていたんですが、その中に藤原の道長が紫式部に手を出そうとして、嫌がる紫式部を自室へ連れて行こうとしたのですが、その時に色恋に長けていた和泉式部が救ったという話があります

もちろんこれは創作ですが、そういう事があってもおかしくありませんね

 

紫式部は実は同性愛者なんじゃないかという声もあります

これはまあむしろ納得するというか、そうなんだという感じです

日本でも西洋でも作家が同性愛者というのは結構あるし、むしろそういう人のほうが恋愛小説が得意だったりします

おそらく、男女の恋愛を客観的に見れるからでしょう

紫式部は宮仕えをしていましたが、彼女は宮仕えしている間、誰とも恋愛をしていません

これは非常に珍しい事で宮仕えというのは男性と顔を合わせる機会が多い職業ですから(この時代女性は基本的に顔を男性とは合わせない)そういった男性からの秋波というか、そういった欲望を何とかかわしたり、あるいは受け止めたりしなければいけない職業で、そういった中で泳いでいかなければならない

その中で誰とも恋仲にならないというのはかなり強固な意志がないとできない

ある青年貴族が「こちらに若紫はいらっしゃるか」と言って紫式部のいる部屋に入ってきたらしい

その時紫式部は「光源氏でもないのにそんなこと言わないでください」と突っぱねている

これは当時非常に珍しい事でそもそも断るにしてもこんなにはっきりと拒絶するのは風情がないし、反発の的になる(男女ともに)

彼女はなぜここまで男性を拒否したのだろうか?

 

もちろん彼女が男嫌いで実は同性愛者の毛があるのも一因だが、それだけではない気がする

つまり彼女は男性と恋愛することによって、他の女房達の嫉妬やうわさ話の的になることを恐れていたのではないだろうか

つまりその辺が歌人として有名だった父を持った清少納言と違い、後ろ盾がない彼女がねたまれずにやっていく処世術だったと思う

つまり宮中における力のなさ加減が清少納言と紫式部の性格の違いとして現れた気がする


紫式部と清少納言1

2023-12-08 18:29:33 | 日記

私はYouTubeが好きでよく見るのですが、「光る君へ」という紫式部の生涯が大河ドラマになるみたいで、色々と出ています

私は自分の持論があるのですが、それをちょっと書いてみたいと思います

 

まず、よく言われるのですが、紫式部と清少納言の関係です

 

まず紫式部の事ですが、最初は「紫式部」では無く、藤式部と言われていました

紫式部の苗字が藤原だったからです

藤原の家と言ってもこの時代は藤原だらけで藤原同士で争っていました

この時期一番勢力があったのは藤原道長であり、これも自分の親戚を追い落として手に入れた権力です

藤式部の家はおそらく貧しく、貴族と言っても良い地位についていないと思います

そういう貴族がこの時期にはたくさんいたのではないでしょうか

日本は一夫一婦制ではなく、天皇は多くの女御を持っていて、いくらでも子供を産めるので、貴族もたくさんいて、勢力争いに負けた貴族は落ちていくしかありませんでした

 

藤式部から紫式部替えた経緯は分かりませんが、そういう事です

 

一方清少納言は苗字が「清原」なので、清少納言になったそうです

彼女が仕えた定子がきれいな名前なので付けたそうです

 

清少納言は元々歌人の家に生まれ、お父さんも優れた歌人であったと言います

そんな彼女が中宮の定子に使えるのは当たり前だったのでしょう

清少納言の家もそれほど裕福ではなかったと考えます

 

清少納言も紫式部も大まかに言えば中流貴族だったと思います

ただこれは大まかな分類で裕福さや貧しさという点では同じであったとしても、清少納言には父親の名声もあるし、ある意味中宮に使えるのも、当たり前だったかもしれません

 

しかし紫式部は自身が聡明であったとはいえ、ほとんど自分の能力だけで召し抱えられたのですから宮中において肩身が狭かったと思います

それが二人の性格の違いを決定づけたような気がします