milima父のブログ/トルコ・ヨルダン・その他

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メルハバ通信その18(2007年7月)

2012年05月28日 | メルハバ通信

メルハバ通信その18 

ここトルコでは本格的な夏に突入した。最近は40度前後の気温を記録することも多くある。先が思いやられるが、今週初めは暑さも一休み。4、5日おきに猛烈に暑くなったり、少し涼しくなったりを繰り返しながら季節が進んでいくようだ。

トルコの学校は6月から8月末まで、長い長い夏休みに入る。私達カマン3人組が日本語を教えているアーヒ大学でも、6月始めにすべての講義が終了した。そのお祝いなのであろうか、野外パーティーが催された。昼過ぎから学校へ呼ばれて行ってみる。

中庭で牛肉を焼き、パンにはさんで食べる。ドネルといって、トルコでは代表的な料理だ。私がカマンで摂る昼食はたいていチキンのドネルである。値段は100円から150円、アイラン(塩が入った飲むヨーグルト)を付けても200円までだ。家計も食料費が安いので大助かりである。

ドネルの後は恒例のダンス。これから延々とダンスが催されると思ったのだが、突然の強風と共に激しい夕立が我々を襲い、ダンスは中止。みんないそいそと校舎内に避難した。

《みんなでトルコダンス》

せっかくのお招きだったので、私はここで自慢?の日本茶(抹茶)のお手前と習字を学生や先生方に披露た。トルコ人はどうも苦いものが苦手で、ちょっと抹茶を飲むのは苦労しているようだった。お茶菓子としてロクム(りゅうひに近いもの)というトルコのお菓子を用意して行ったが、お茶も飲まずにぱくつく者もいる。トルコの代表的なお菓子であるバクラバ(パイに似たはちみつ漬け)、クッキーやケーキにドンドルマ(トルコ名物の伸びるアイスクリーム)。トルコ人は甘いものには眼がない。最初の頃はどれもこれも頭が痛くなるような甘さだったが、慣れると結構旨い。

習字ではみんなの名前を聞いて、適当な漢字を当てはめて書く。中には自分の腕に書いてほしいと腕まくりをする者が現れ、大盛況であった。ムゾウという名の男子学生がいて、宮本武蔵の武蔵をもじってムゾウ(武蔵)と書いてやった。日本で一番有名な侍だと説明した。彼も非常に気に入り、周りのみんなに自慢していた。これも立派な日本文化紹介になったと自負している。

6月はまた卒業式のシーズンである。欧米の学校と同様、新学期は9月から始まるので、6月で学年も終わりだ。

さて、アーヒ大学では授業の最後にテストがあり、それも無事に終わった6月半ばに卒業式が執り行われた。この大学は50km離れた隣町クルシェヒル(いわゆるクルシェヒル県の県庁所在地)に本校がある。本校は4年生ですが、ここカマンの分校は2年生の短期大学だ。私と同期のSさんも日本語の先生として卒業式に特別参加した。

《クルシェヒルでの卒業式》

私達が日本語を教えた教え子達もいる。卒業式用に学校で用意された学帽と制服が渡され、卒業生はそれに着替える。クルシェヒルにある一番大きなサッカー競技場を借り切って、卒業生や父兄それに友人や関係者など続々と集まってきた。

《卒業式に集まった人々》

トルコ国旗と初代大統領アタチュルクの旗の下、いつものようにトルコ国歌斉唱から始まり、卒業生全員の行進。アーヒ大学に就任する新学長の挨拶の後、用意された卒業証書が配られるものと思ったら、なんと大空にバラ撒かれ、あっと仰天!! 卒業生のみんながそれを奪い合う。変わった卒業証書の授与だと思ったのだが、ほんとの卒業証書は別にあるそうだ。納得。

《卒業式》

そして、またまたトルコ恒例のダンスに興じる学生もいて、分校ごとに先生の胴上げも始まっている。アーヒ大学の人気者、我らのエンギン・ホジャン(副校長)も、もちろん高く胴上げされた。そして、一、二、三の掛け声と共に、被っていた学帽を空高く放り投げる。何度も何度も繰り返す。みんなの熱気と共に、やがて卒業式も終了・・・。

《美女に囲まれたエンギン先生

《市役所の年寄り連中も晴れの卒業》

《僕だって卒業生?》

《仲良し二人組》

卒業式の終わった後は、仲の良い友人同士でクルシェヒルの街に繰り出す者も入れば、家族で夕飯を食べたり、クルシェヒルの街は夜通し賑わいそうだ。

しかし、我々はカマンに戻らなければならない。非常に名残惜しい気もあったが、エンギン・ホジャンの車に乗り込んだ。

カマンのカレホユック遺跡の発掘作業が6月中旬から始まった。雨や雪除けのトタン屋根が取り払われ、9ヶ月ぶりに発掘現場が顔を出す。みんな生き生きとした顔で作業に当たっている。しかし、夏のうだる様な暑さの下、大変な作業が待っているのだ。発掘作業は考えていた以上に厳しい肉体労働である。日本庭園での仕事は結構木陰があるのだが、発掘現場にはテントや日除けのあずまや以外は直射日光の照り返しで非常に暑くなります。50度前後になることもしょっちゅう。暑さには強いこの私でさえ、炎天下での発掘作業は御免こうむりたい。

《発掘作業が始まった》

《日本庭園の名物犬であるボンジュック(トルコ語で“宝石”)》

て、私本来の活動であるが、以前から依頼されていたカイマカン(郡庁)前庭の図面が完成し、カイマカンに提出した。少し日本風に設計した。まあ、予算もあまり無いとのこと。ほんとに実行に移されるのか微妙である。

しかし、工事に取り掛かれば、建物が市役所の目の前にあるので、アドバイスに行かなくてはならないだろう。私がトルコに居る間に着工すればいいのだが・・・。

日本庭園ではアンカラで購入した草刈機のエンジンが掛からなくなった。エンジンオイルを多く入れすぎていたようだ。動かないので、しばらく手で刈っていたが、研究所のコックさんのムスタファが修理してくれた。彼は機械マニアでもあり、半ば諦めかけていた草刈機が調子良く復活。草刈機は調子良くなったのだが、今度は消耗部品であるナイロン紐(遠心力を利用して、この紐で雑草等を刈る)が直ぐに無くなった。カマンではこの紐を手に入れることができなかったが、先日やっと手に入り、久し振りに思う存分雑草を刈り払った。

庭も見違えるように綺麗になってきたが、一部分が綺麗になると今まで目立たなかった部分のあらが見えてきてしまう。庭の手入れに終わりはない。より美しく、それだけを考えて作業に精を出している。

研究所の宿泊棟の予算が確保できて、やっと工事に入る。それに伴い、研究所から宿泊棟裏庭の造園プランを依頼された。ここは冬場に水が湧き出し、池になってしまう。その水を利用した庭園を考えるつもりである。

春からのカモガヤ(イネ科の雑草)の花粉症がひどくて、自転車に乗れない。日本庭園にはバスで通っていた。ようやく花粉も峠を越し、先週初めから本来の自転車通勤を始めた。道沿いの草花が夏の花を咲かせている。日本では見られないような変わった花々も多く、ついつい自転車を止めてしまう。

ついこの前植えられたヒマワリの苗も次々と花を咲かせてきた。咲き競う花々を見ていると季節の移り変わりを強く感じる。麦も黄色く枯れて、収穫の時を迎えている。この時期はあちらこちらから、出稼ぎの労働者が手伝いにやってくる。

《サクランボの実がたわわに実った》

《自転車の道中で》

さて、この前の水曜日(水曜日は市役所及びビリセムの学校の両方で作業している)に、役所の仲間であるムラットから、ヒルファンル湖にあるサブジュルという所へ泳ぎに行こうと誘いがあった。もちろん我々が断る訳も無く、仕事が終わった5時から、Sさんと二人で出かけた。今は夏時間で、8時過ぎでも明るく仕事後でも結構遊べる。 

ここサブジュルはカマン近郊にしてはなかなか整備された所で、久し振りに泳ぎを堪能することができた。泳いだ後は砂浜でバーベキュー。鶏やトマトを焼き、冷えたビールで乾杯! といくはずだったのだが、ここはイスラムの国、コーラで乾杯した。最後はムラット自慢の炭火で作ったチャイ(トルコ紅茶)で閉めた。

《湖での海水浴》

《鶏でバーベキュー》

《締めはムラットのチャイで》

カマンで毎水曜日に催されるパザール(青空市場)では今が旬の果物が豊富に出回っている。サクランボに葡萄、スモモや杏に桃、メロンにスイカ。驚くほど安い。しかし、思わず買い過ぎてお腹が一杯になってしまう。日本に帰った時にきっと困るだろう。(お金がもたない)

特にスイカは乾いたトルコの大地にとっては恵みの果物ともいえる存在だ。1kgが40円から50円で、丸ごと買って毎日たらふく食べている。少々体重が増えてきた。果物ぶとりである。

そして、日本庭園での仕事の時、研究所でよばれる名コック、ムスタファの昼食が拍車を掛けて私を襲ってくる。ちょっとセーブしなくては・・・。この頃痛切に考えている。


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