太極・無極

宇宙を意味する「太極・無極」のなかに、「人」は生きています。限りある「人生」を有意義に生き抜いていきたい。

気 の 季 節 第1号(1994.8.10)

2006-09-21 17:13:56 | 太極拳
気・  節・  (気 の 季 節)
                              第1号(1994.8.10)
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太・極・拳・ 第・一・歩・

 立・つ・と・い・う・こ・と・ (・立・禅・)・

 気功太極拳の第一歩として、文字通り歩みだす前に、まず「立つということ」に

 ついて考えてみましょう。太極拳は動きながら心身の統一を求める動く禅(動禅)

 といわれています。太極拳に入る前の心の準備が大切です。座禅に対する「立禅」と

 いう日本人にわかりやすい言葉で表現されています。座ってやれば座禅、立ってやれば

 立禅というのはとても親しみがもてます。さしずめ(動禅)に対しては(静禅)とでも

 いいましょうか。

  静かに立ってみましょう。

 まず、足を肩幅に開きます。足先は平行にまっすぐにします。足先を八の字に少し

 開いても構わないでしょう。

 「気をつけ」を全部逆にすることです。膝をわずかに緩め、尾骨を垂らして、お尻を突

 き出さず、腰をそらさず緩むようにして、胸をはらず緩ませる。

 こうすると、背骨がまっすぐになり、からだのどこにも余分の力をいれずに立つことが

 できます。

 膝を曲げすぎると、緊張するので、曲がっているようで曲がっていないぐらいに

 緩めるのです。

  肩に力が入らないようにして、肘の力は抜き、両手を自然に両脇にたらします。

 頭は曲げたりしないで真っ直ぐに保ち、あごはやや引きます。あごが上がると、全体の

 バランスが崩れるので注意してください。頭のてっぺんを風船についた糸で軽く上へ

 持ち上げているような気持ちにします。自然にたらした手は親指と人さし指を大腿部の

 横(ズボンの継ぎ目)につけます。

  両足にかたよらずに重心をかけます。いつもより、少し前つまり足の指の方へ重心を

 移動します。こうして足指と踵(かかと)で床をつかむようにします。

 「立つ」ということの中で主に「形(姿勢)」について話してきました。まだまだ話し

 足りない気分です。他に「心」と「呼吸」についても話したいのです。禅宗の教えから

 表現を借りて、この三つを三調(調身、調息、調心)といっています。「気功」は三調

 が大事であるといわれています。きょうは主に調身について話したことになります。

 調息、調心についてもいつか話しましょう。


生・き・て・い・る・証・(あかし)が・欲・し・い・

 人は何のために生きているのか? どこからやってきてどこへ行こうとしているのか?

少し暗い話で始まって恐縮です。私と太極拳との出会いの原点に父の死があります。父は

65才で亡くなりました。胃癌でした。その詳細について語るにはまだ余りにも心の整理

がついていません。いつかまた何かの役にたつとか考えることが出来たらこのことを話し

ましょう。父の亡くなった時、私は三十代の最後の歳でした。毎日、毎日厳しい勤務に

明け暮れていました。忙しかったのです。ポッカリと心に穴があきました。その年の秋に

太極拳と出会いました。こじつけと言われるかもしれませんが、これが私と太極拳の

出会いの原風景です。

 太極拳は四つの面から語る事が出来ます。即ち「健康法」と「武術」と「芸術性」と

「哲学」です。太極拳の魅力は、この四つがどれも欠けることなく深い所で溶け合ってい

る事にあります。人がその生涯をかけて太極拳を学ぶ事は、人生そのものを学ぶ事である

と私は思っています。まさに太極拳はその人、その人の生きざまそのものです。この事は

ある年齢に達した方の、無我無心の演武をみる時、理屈抜きに感ぜられるあの感動が教え

てくれています。この四つの魅力についてもまたいつか考えてみましょう。

 私は、学校時代に運動がどちらかというと苦手でした。こんな私が、永い間続けてこら

れたことを素直に皆さんに感謝しています。「皆さん」とは文字通り一緒に練習している

仲間です。(以下、割愛)



今から、十年以上前、愚生がある教室で太極拳を指導しはじめた頃の、生徒向けの

文章です。内部向けですが、その一部をここに公開します。





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