もう50年を超えるであろうか、物心ついてから毎朝見ていた新聞
をやめた。実際まだ今は配達されているが、期限がくれば完了。
戦前前後通じての5大新聞の1社から地方紙へ代えた。もちろん、
仕事の手前他の5大新聞は読むが、毎朝手にするものが変わる。
政治的な事は正直書きたくない。色々あるが、己のブログに書く意
味が分からないので書かない。ブログは毎日の出来事から感じた
事を不特定多数に書きながら、実は見知った顔を想い書く事が
常である。自分の見知った人と政治の話をすることは、まずない。
なぜやめたかを書くと長くなり、政治的なことになるので、やめる。
しかし、1885年に福沢諭吉が「脱亜論」を書いたのも5大新聞の
1社であったという。よく脱亜入欧と言われるが、それは福沢論と
真逆の話であり、彼のアジアに対する思いは正に今論ずべきかも。
何度もアジアの国々を行き来する立場からすれば、なぜこれほど
互いの意見にギャップがあるのか分からない。もちろん新聞記事に
自分の周りの事が記されるのはまれで、広島の災害についても、
神戸の地震と同様、他所からすれば他所事。しかし現実である。
だが新聞は記事に責任を持ち、誤りがあればTOPが謝り襟を正
すのがまともな大人であろう。アジアの事を想う話を脱亜入欧に変
えてアジア蔑視を助長し戦争に向かった戦前と、老人の戯言を記事
にして子供が大人になった頃に訂正する今。何も変わっていない。
国を変えようと幕府を滅ぼし、更に東北の雄を根こそぎ滅ぼし、
100年経って仲直りしようと言った県が「100年で忘れるか」と、
やられた県議会全員一致で拒絶されたのは、もう30年程前か。
事ほど左様にやった方は忘れ、やられた方は決して忘れない。
その意味では日本がアジアで何をして、そしてこれからすべき事
を論じる時であろう。恐らく新聞は既に賞味期限が切れ、政治と
事件の後付け若者の活躍の切売の為のチラシと化し、便所紙の
代用にもならない。「ペンは刀より強し」やはり死語に違いない。
三神工房