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三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

震災

2011-04-01 | 旅行記

1995年1月、振替休日の翌朝だった。もし休み明けでなかったら、
東門あたりで朝まで飲んでいたら(めったになかったが、たまに‥)、
どうなっていたことか。

船に乗っていると思った。二十代の半ばのころである。勤めていた
造船所で艤装を終えた船で紀伊半島を回った。瀬戸内の造船所で
クレーンを搭載する為だった。あいにくの低気圧。会社は引渡しを
焦り、出港を強行した。結果、船は傾斜計を振切り、目当ての造船
所へ着いた時は、まるで難破船だった。途中、左右40度以上の揺
れが続いた。夜が明けて、横の丸窓には青空と真っ青な海面が交
互に見えた。傾斜55度の梯子は水平になった。それは昔のこと。

天井を見ながら、布団の上で横を見た。家人が寝ていた。なんや、
と思う間もなく上からものが落ちてきた。家人をかばう際に額を切っ
た。時計が当たった。あとから家人は、男のくせに縋ったと言った。

揺れが収まり、玄関へ走った。とまた揺れた。家族の顔がボケる
ほど揺れた。外へ出ようとノブを回した。でも開かなかった。外から
助けてくれと声が聞こえた。肩から玄関のドアに体当たりした。で、
やっと外に出られた。大勢が団地の前に出てきて空を見上げた。

助かった、と思ったが、それからが長かった。とてつもなく。

我慢も、限界を超えると人間が痛む。痛むほど無理をしない方が
いいと分かっている。しかし無理をする。だから仲間がいる。ただ
黙っているだけでもいい。傍に仲間がいる。

大切なことは、忘れないこと。

なにか出来ればいいが、なにも出来ない。

台湾の人は総額で100億を越えて寄付を続けているという。そう、
仲間はいる。痛みを知った仲間がいる。現金でも、元気がでる。

私も、私の出来ることをやっていこう。

三神工房


上海旧市街

2011-03-18 | 旅行記

この週末は上海にいる。

この街はすごい。歴史の中に輝き、そして今も若者の街である。
一度博物館へ行ったことがある。なんと4000年前の遺物の中に、
とっくりとおちょこの様なものがあった。白磁のような、それでいて
艶のないシンプルなものだった。4000年前の酒盛り。想像した
だけでも楽しくなる。

街はにぎやかである。音の悪いコンポのリズムに合わせて、中年
のカップルが踊る社交ダンス。その周りをまるで社交とは程遠い
町の衆が囲む。まるで政治談議を聞くように、顔は真剣。音もなく、
じっと見守る。その横をまるで遊園地の乗り物よろしく、軽自動車
の半分ほどの幅の乗り合いバス?が、三両も繋いで練り歩く。

ブランドものの派手なショウウインドウがあるかと思えば、三畳一
間ほどの、どこか胡散臭い食堂。赤ちょうちんに拉麺!?中を
除けば日本式の居酒屋。驚いたことに上海の人々が屯し、皆の
テーブルの上にはとっくりが並ぶ。明らかに中国人と思える若者
が、右ひじを張っておちょこを口へ運ぶ。どこかで見た風景である。

日本と中国、いろいろある。しかし、切っても切れない仲だというこ
とは市井の人々を見たら分かる。おにぎり的な日本人と、炒飯的
は中国人と評するらしい。だが、それそれ米であることに違いない。

4000年後、おそらくこの風景は、さほど変わっていないかも知れ
ない。たとえ景色は違っても、お酒の飲み方だけはきっと同じだ。

上海、人間にとっては、やはり魅力的な街に違いない。

三神工房

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Singapore

2011-02-06 | 旅行記

10年ぶり!?のシンガポールである。

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真新しい第3ターミナルへ到着しTaxiで市内へ。
午後5時、気温30℃。

車が発進するや否や、機関銃のような運転手の
問いかけ。シンガポールは初めてか?から始まり、
彼の職歴やら家族構成やらなにやら。ひとくさり
話をすると、あとはだんまり。

走ること15分、予約したホテルへ到着。チッフを渡し、
大きな鞄を取り出してもらいバイバイ。あとはホテル
のボーイが引き継ぎフロンドで。カウンターの手前で
順番を待っていると、May I help you!と、笑顔の
美人が声を掛け、空いたカウンターへ誘ってくれた。

順調な滑り出し。しかし途中携帯へ電話をくれた
会社のスタッフはロビーで待っていると言ったにもか
かわらず姿なし。ちょっと???

PCと睨めっこしていた美人スタッフが、「!」とばかり
に再度予約のメイルコピーのLetter Headを示して、
違うホテルと!同名・同系列だが異なるホテルだった。

思い返せば、今を去る30年前、初めて降り立った
JFK空港からNYへ。ホテルのアドレスを見せて乗った
イエローキャブ。びくびくしながら連れていかれたホテルで、
おのぼりさんらしき客の列にならび順番待ち。やっ
とCHECKINと思いきや、黒糖の様な顔面の奥の
瞳がキラッと光ったと思うや否や、違う!の一言。
そして瞳と長い指はもう私の後ろの人を指していた。

「Go away!」とは言われなかったが、石持て追われ
る私に見かねた外の客が、通りを右に出て歩いて
いけばと私のホテルを教えてくれた。それから重い
荷物を持って歩いた、そんな思い出が蘇っていた。

だがS'poreは、いや綺麗な彼女は、私の苦い思い
出を見事に払拭してくれた。「私が先方のホテルに
電話して、あなたの予約を確認してあげる。」と言っ
て電話を取ると、流暢な英語で(当たり前だが)す
ばやく確認を済ませるとカウンターを出て私の手を誘い
(そんな歳ではないのだが)もと来た1階のベルボーイ
の所へ。そこで預けたバッグをボーイに出させると、正
面玄関へ。そして別のボーイに手際よくTaxiを手配。
車の到着を待たず「もう大丈夫。私は他のお客さん
が待っているので!」と、片目でウインク。(両目はない
よね)

さすが観光立国S'pore。正しいホテルへ向かう車の
中で運転手から同じ名前のホテルがいっぱいあって、
間違い易いと同僚!?を庇う言い訳を聞きながらも、
すでに迷惑を被ったのであろう件の運転手に対し、
「すばらしい出会いをありがとう!」と、感謝していた。

沿道の緑の美しさも人工なら、人の教育も人工に
は違いない。だがそこには洗練という自然の偶力
が発生し、えもいわれぬものが生まれる。粋な仕事
とは、こうあらねばならない。

それはかつて、日本の十八番であった筈だが。

三神工房


銀河丸

2011-01-23 | 旅行記

1月22日(土)長崎港へ入港中の銀河丸。

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日本晴れの空の下、やはり長崎には白い船体が似合う。

船上では黄色いヘルメットを被った研修生が大勢働いていた。

歩きながら、横にいるカンボジアからの研修生のことを思い、

いつか彼が幹部となって大勢の若者を育ててくれることを願い、

共にグラバー園への坂を登った。

三神工房


長崎もクリスマス模様

2010-12-05 | 旅行記

12月2日に長崎入り。駅前は、龍馬伝からクリスマス?模様へ。

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龍馬伝も終わり、ちょっと寂しい中、世の中は師走へ。

ゆく年くる年、今年もあと26日あまり。

さあ、頑張って今年を締めくくり、いざ来年へ。

三神工房