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皆さん、 ご存知ですか?
癌になって亡くなるのではなく
場合によっては癌になった後に
抗がん剤やホルモン剤の副作用で
命を落とすのです
もっと寿命があるにもかかわらず…
抗がん剤=副作用
と、言う認識はあっても
ホルモン剤=副作用は、認識はないのです
それだけホルモン剤は厄介です
私の叔母は3年ほど前に乳癌の初期
(と、言っても本当は癌もどき)
で、手術⇨放射線の治療をしました
後に、抗がん剤説明室やらに呼ばれて
医師(医師ではなく 抗がん剤を勧める担当の人)
治療として抗がん剤を進められましたが
叔母は 私の母の時、抗がん剤の怖さを目の当たりにして
母(叔母の妹)が教えてくれた…
絶対に抗がん剤はしない‼︎と
心に強く決めていました
最初は穏やかに感じよくニコニコしながら
80歳を越えた叔母に抗がん剤を勧める その担当者
叔母 「 抗がん剤はしません 」
担当者「なんで嫌なん?」
叔母 「 副作用が嫌なんで 」
担当者 「 Aが嫌なら副作用の少ないBもあるよ 」
叔母 「 … 」
担当者 「 じゃあC もあるよ 」
まるで白いセールスマン
叔母 「 一切抗がん剤は やめときます」
( バッサリ )
さっきまでの ニコニコ白衣が
強張った 鬼顔に豹変したそうです
その手にはのらず 叔母はしっかり
自分をもっていました
「 どうせもう歳なんやし
残りの人生 わざわざしんどい思いして
生きやんでも 」
と言ってました
そして、ホルモン剤を出されても
叔母は一切飲まずに捨ててました(笑)
さすがです
相手は諦めません
それから2年くらい経ったでしょうか
その後の経過検診に行った時のこと
「 限りなくグレーに近い影がある」と
曖昧な思わせぶりな嫌な言い方をされ
その日のうちに有無を言わさず
ホルモン剤を腰椎に打たれ
さすがの叔母も マジックにかかり
何回か打ってしまったそうです
ちょっと久しぶりに叔母の家に行き
その話を初めて聞きました
倦怠感でヘロヘロに衰弱した叔母が
病院で貰ったホルモン剤のしおりを私に見せて
そこにはいくつもの恐ろしい副作用が書いてあり どれも当てはまる叔母がいました
直ぐに止めた方がいいよ ‼︎ と言うと
叔母も 止めて貰おと思って…
と、いつもの元気な叔母ではなく
心も体も副作用で弱ってしまった気弱になった叔母でした
父が亡くなる数ヶ月前の事でした
その時まだ父は元気で叔母を見舞いに来ていたそうです
吐き気、下痢、めまい、のぼせ、倦怠感、しびれ、発熱、食欲不振など
いくつもの恐ろしい副作用で
食事の用意はもちろん出来る状態ではなく、 食事も食べられず
激ヤセし 今まで普通に何でも出来ていた
生活が ホルモン剤の副作用によって
一切出来なくなり 厳しい状態まで来ていました
直ぐに相方に連絡をとり 一連の流れを
話しました
そして後日、来て貰い
2人でヒーリングとデトックスをしました
相方は、どこも悪くないし
キツイ薬さえ出きってしまえば
絶対大丈夫 ‼︎
『病は気から
で、あかんあかん…私はガンやと思いこまされているだけ、大丈夫です、どこも悪くありません』
と、叔母に言って くれました
相方は
叔母にヒーリングをしたら
どんどんエナジーが入っていって
大丈夫って思えたのだそうです
体に良いものを食べて良い水を飲んで
エッセンス(フォレストエナジーエッセンス)と蓬莱仙寿茶でデトックスしたら大丈夫
病気ではないので出来るだけ起きて徐々に体を動かして
ガンやと思うから体が動かないだけと
それから 暫くは キツいキツいホルモン剤
の副作用 " デトックス生活 " が始まりました
体に全身に入ってしまった
想像以上にキツいホルモン剤は
直ぐには出っきりません
その間、父が亡くなった時
叔母はまだ デトックスの復活劇途中
父の葬儀に出られなかった事が
今でも悔やまれると言ってました
一次は気弱になった叔母の復活劇
徐々に溜まった薬も抜け
今では家事もし食欲も普通に戻り
娘と庭仕事したり
ミシン抜いまで出来るほど
服も簡単にリメイクしてしまいます
先日も 私達お気に入りの ボロボロになったパンツを 見事に再生してくれました
(笑)
得意の料理も完全復活
横浜で中華の料理人の息子も叔母譲り
そんな、健やかな日々を送っています
もし、あのまま ホルモン剤を続けていたら間違いなく父より先に逝っていたと思います
あの一回だけのヒーリング
相方の言葉
宇宙のエナジーは 心と体に響きました
叔母は何よりそれを信じて
実践しました
小さい頃からよくして貰い
今では母親代わりでもある叔母
来年米寿を迎えます
kosumosu
叔母の家の庭に咲く秋桜
今年も可憐に 風に揺れてました
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