「パソコンの父」という称号を得ているのは、スティーブ・ジョブズではなく、アラン・ケイです。アップルは、我々こそがパーソナルコンピューターを世に至らしめたと言いますが。
ジョブズが何かの父と呼ばれているのを自分は聞いたことがない、業界の垣根を超えた天才と呼ばれることはあったとしても。
ジョブズが天才と呼ばれるのは、発明者としてではないということです。
少し乱暴に例えてみましょう。
石ころを投げて、棒で打つという遊びを誰かが始めたとします。新しいムーブメントの発生です。誰かが、そこにルールを持ち込む。ベースを置くとか、アウトカウント3つで攻守を交替するとか。これをした者が野球の父です。
その道具を工夫して、改良する者も出てくる。これがジョブズか?いや、違うでしょう。これは普通の改良者。職人気質で、天才肌の者が、すごい形のバットを作り出すかも知れませんが、ジョブズがやることを例えるなら、多分、以下の方がしっくりくるでしょう。
ピッチャーは下手投げ限定、ベース間も短く、ボールももっと大きいのがいいだろう、こうすればもっと展開の違う競技になるだろう?という調子で、ルールを変えて、新しい何かを再発明する者。ジョブズとは、そういう人物だろうと思います。ジョブズ(アップル)は時にこれをやってきたのです。何か新しい発明をしたことがないわけではないのですが、アップル(ジョブズ)の神髄は再発明(リノベーション)にあるのは間違いないと思います。
だから、サムスンのような競合はアップルに取っては本当に厄介なわけです。アップルは、確固たる技術に立脚した会社というよりは、既にある技術を再構築することに価値を置いている会社ですから、方法論に大人と子どもくらいのレベルの差はあるにせよ、同様の手口を打ってくる会社が現れてしまったということです。サムスンと一緒にするなという声が聞こえてきそうなので、きちんと書いておきますが。決定的に違うのは、サムスンはまだ、ジョブズがやったような「再発明」までは出来てないということ。まだ、1+1=2のままなんですね。しかしながら、この、まだサムスンが留まっているステージというのは、ジョブズという傑出した才能(再発明者)を亡くしてしまった後のアップルが、陥ってしまうかもしれない所だったりもするわけです。少なくとも、ジョブズはそれを危惧していたんじゃないかと思えます、自分には。
だから、アップルとしては、何がどうでもサムスンの頭を叩いておきたいでしょう。彼らが、よもやの化け方をする前に。
自分は、アップル対サムスンの訴訟について、こんな見方をしています。現在のところ、アップルが優勢にゲームを進めているように見えますが、その結果がどうあれ、3年後も同じ情勢を維持しているとは限りません。次の再発明者がどこに出現するのかで、ゲームはひっくり返ってしまうのですから。この2社に限らず、業界は今、これまで以上に、その才能の発掘に眼を皿にしていることでしょう。