「本当に、これでいいんだろうか」
そう思う
自信が無いわけじゃない
でも、自分が上手くいっているときにそう思う
自信過剰に溺れてしまうのを恐れたり、ツキが続いたあとのジリ貧に陥るのがイヤだったり
そういう杞憂とはちょっと違う
何かのトラウマか、潜在意識が働いているような気がして仕方が無い
物事が上手く行かなかった時
その辛さから逃れるために、その事が辛いことだという認識を摺り替えることを覚えたのかもしれない
上手く行かなくても、満足感を得られるように
だから、上手く行くと落ち着かないんじゃないだろうか
そして、途中で成功への道筋を放棄して、上手く行かないようにして
いつもの居場所へ戻ろうとする
上手く行ってない方が、落ち着くんじゃないだろうか
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ずっと、そんな文章を暖めていた
何かにしっくり来なくて
暖めていたままだった
今なら分かる
「自信が無かったんだ」と
周りの出来事に右往左往している自分を自覚し
即断即決は、根拠あってのことじゃなく、「当たるも八卦当たらぬも八卦」ということに過ぎないということを自覚していた
そんな自分に自信が無かったのだ
常に、根を張ったようにドッシリ構えて、正しい答えを導きだせる人間像を求めていたのだ
もっとも、今もそれらを手に入れたわけじゃない
相変わらず揺れているし、頻繁に間違ったことをやらかしている
変わったのは
揺れて、間違うことを弱いことだと考えなくなったということ
人間が根を持たず、導きだす結論がその時の感情に左右されるということを「納得した」のだ
まるで根が生えているかの様にブレず、最善の道筋を歩いていく
そうありたいと思うのは相変わらずだが
でも
今は、そんな自分じゃない
それを「理解した」のだ
自分の弱さを「認める」のに、37年もかかったということだ
まったく愚かな人間だとつくづく思わされる
誤解して欲しくないのだが
自分を卑下しているのではない
むしろ、自信を感じている
表は裏で、裏は表だ
いや
紙をテーブルの上に置いて、テーブルの高さに目線を置いてみる
10分の1mm幅くらいの線に見えるその部分だって表であり、裏だ
惑わされないということは、惑うからであり
クヨクヨしないということは、悩むからだ
それを教えてくれた人は
同時に、感情を吐き出すように慟哭することを教えてくれもした
教えることは、教わること
育てることは、育つということ
そして
生きるということは、生かされるということ
命が尽きるまで
振り返れば、数秒で頭を巡らせることができるだけの「思い出」のために
誰かに思いの全てを伝えようとしたら、一生かかっても難しいであろうその思い出のために
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たいした話じゃない
多分、飲み屋の酔っぱらいの話と大差ない
「自分自身にとって」以外には
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