
子ども時代の波乱万丈人生を鑑みれば、いまの私にとっての波乱万丈はそんなに大変でもなく、苦しいと思わないで暮らせるくらい。
12月いろんな変化の中で、「家族の絆」ってこういうものなのだと実感できたのは娘一番、夫二番。
娘が生まれた時、「愛おしくて、かわいくて、食べちゃいたいくらい」だった。
それはいまでも変わらない。
そして同時に「どうして私の母は、そうならなかったか?」というう疑問がわいた。
そして、私は2003年に虐待の連鎖を切るという課題を神様から頂いた。
結構それは頑張ったし勉強したけれど、生活習慣で身につけてしまったものから娘を苦しめたのは否めない。
けど、「愛おしくて、かわいくて、食べちゃいたいくらい」の気持ちは消えなかった。
苦しかった中学校時代から娘の命を守るのは私。
そう思っていた。
当時の娘の気持ちには寄り添っていないこともあったかもしれないけれど、
学校とは戦った。
ケンカじゃなくて、命の戦争。
じゃないと、「うちの子死んじゃうかもしれない」。
本気でそう思った。
この年末、「お金がもったいないから帰らないで春休みにゆっくり帰る」と帰省しないことになった。
それを親不幸と考える人もいるだろう、けれど、娘が言うには「いつでも帰れると思う場所があるから、今年は帰らないで(期間も短いし)過ごしてみる」
春休みは長いから、ゆっくり帰ってそして充電して、新学期をむかえる。
そういう結論だった。
私は障がいを持っていても頑張るとか、虐待を受けていても頑張るとか、そういう言葉って上から目線で嫌だと思っている。
娘も登校拒否をしてきても頑張ってるなんて言われたら激怒するだろう。
何を言いたいかというと、
その他大勢の人とは違う経験を持ったからこそ、出逢えるものがあって、その一つ、一つが、宝物になっているんだということ。
好きで虐待を受けたわけではないけれど、だからこそ私にしかできないこともある。
私にしか出会えない縁がある。
病気をしたからこそ、わかることもある。
・・・・・でも、…出来るではなくて、・・・・だからこそ発信できる、そんなポジティブで来年は過ごしたいなぁ。
メンタルの病院に通っているからこそわかる。
日本人って我慢し過ぎ、
それでイライラして八つ当たりするなら、通院してみてよ。
とか、
眠れないって思っている人は食生活変えてみたらいいかも?とか。
薬のんで眠る習慣をつけたらいいかも?とか。
体の温度を一度上げたら、楽になるかも?とか。
湯たんぽ、大事かも?とか。
家族の絆ってこんなに大切なんだって気づかせてくれた愛しいのまーちん、今年もいっぱいの愛をありがとう。
春なったら、逢えるんだね。
楽しみだよ、また少しお姉さんになって帰ってくるのかな?
関わってくれた全ての人へ。
また新しい一年、よろしくお願いします。
来年は53になります(笑)