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虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

ユニバーサルホームを作る函館の会・はこだての家日吉

2013-10-29 14:47:34 | みちえの活動日記
視覚に障がいがあっても、函館に住み続けたい。

聴覚に障がいがあっても、仲間と暮らしたい。

そんな願いが叶う場所。

手話ができる職員がいて、ガイドペルパーが出来て、代読や代筆もできたら・・・・。



そんな思いが集まったのが「はこだての家・日吉」。

盲者や、ろう者が入れる老人ホームはいっぱいあるさ。

でも、手話を知っている職員はいないし、仲間もそこにはいない。


ずっと不便で孤独な人のまま、命を終わらせてしまうのっていいんだろうか?


ずっと誰とも自由に会話が出来なくて、仕方がないって思ったままエンドロールっていいんだろうか?

ずっと、誰かに遠慮していきたいところに行けないまま、命がおしまいになるのって本当の姿なのかな?

ずっと、読みたいもの知りたい情報がわからないまま、仕方がないと思っているのって、いいんだろうか?


そんな疑問を持ちながら、私は生きてきた。

私自身のことも、ずっと事実を知らないままで生きていた方が楽だったかも?なんて思うくらい、いろんなことがあって

でも、私がこけたときに

視力の人が言った。

「私たちはゆっくりしか歩けない。三千恵さんは休憩して元気になったら全速力で走ってくればいい、すぐ追いつくさ」

ろうの人が言った。


「おまえって、どんなことがあっても、戻ってくるのはなぜだ?」

「通訳者の仕事を辞めたのは、残念でもあるけど、死なれたら困る。あのままだと死んじゃうって心配だった。だから生きてまた一緒に歩こう」



なんで戻ってくるかというと、手話の世界以外には、私が楽に呼吸ができる場所ってないんだよね~~~~。


手話の世界と言ってもろう者がいるのが前提だけどね。


ゴスペルのMSCに入ってから、ずっと歌っている「愛の光に包まれて」というKiKiさんの作った歌がある。

サビが


♪~ 倒れても、立ち上がり、また歩きだす

  何度も、何度も、また歩き出す~♪


という歌詞があって、歌うたびに「自分の事みたい」と思う。


だれしも、困難なことにぶち当たるけど、なんでこんなにたくさん降ってくるんだろう?と思っていたけど、

三浦綾子さんのように、自分は神様に愛されているから、たくさんの困難に恵まれているのかもしれない。(笑)

そう思えば、少しは自分の苦しみから解放されるかもしれないね~~~~~。



KiKi Gospel Live Vol.4 One Heart in Gospel



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2 コメント

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Unknown (ハッシー)
2013-10-31 21:06:55
月並みですが、
「神は乗り越えられる困難しか与えない」
らしい。

ブログを読んでそうかもなあ、、
と思いました。

日吉の家も建ったもんね。

これからがいよいよスタート!

わくわくしてます。





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ありがとう、いつも。 (みちえ)
2013-12-28 12:03:44
また一年が過ぎるね、ハッシーとは距離があっても、何でも話せる友達っていうか・・・なんだろう、お互いがお互いを必要としていて、ソウルメイトみたいな気になるよ。

ハッシーが来るころには、満室になってて、イベントもいっぱいで来て、わいわいな食堂を見せたいな。(笑)

そうなれるために、もうちょっと頑張ることにしたから、愚痴聴いてね(笑)
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