
今週は、個人再生の最終支払いがあったり、健康診断の再検査があったり、送別会お別れ会が3つもあったりで、なんか人生の折り返し、分かれ道を予感させる週。
今日は総合病院での精密検査の第一段。
長い待ち時間を利用して、ずっと気になっていて、とうとう買ってしまった『困ってるひと』を読んでいる。
ビルマ難民をテーマに研究にいそしんでいた大学院に通う女の子が突然重篤な難病にかかり、生活が一変。ブックカバー帯に書いてある「難病女子による、エンタメ闘病記!」というフレーズに表れているように、おもしろく、読みやすい。
いろんな目に会いつつも、人生に絶望せず出来事を楽しんでいこうという著者大野更紗さんの姿勢に学んで、私も自分をどこかで客観視しながら、歩んで行こうと思います。

連れ合いの多重人格には、今まで泣かされてきた部分、腹立たしい思いをしてきた部分が多く、単身赴任中に立てたカテゴリーだが、函館に戻ってからはそばにいてあまりに生々しいので、多重人格のことは触れずにきた。
けれど、最近よく見ていたら、彼女にプラスに働いていることもあるように思えてきた。それにほかにも多重人格の人と付き合って、クルクル目まぐるしく変わる態度に困っている人の一助になるかもしれないと思い、差し障りない程度に書こうと思い直した。
最近NPO(取得予定)の活動に忙しいカスミさん、昨日も夜遅くに息絶え絶え半分モウロウ状態でどんより暗く戻ってきて、翌日も朝早く出るというから、(これは明日も朝からご機嫌が悪いのだろうなあ)と思っていたら、翌朝はいつもに増してハイテンション饒舌なので、(あ!これは昨夜とは違う人だな!)と思い、「昨日は死にそうなくらい疲れていて、今日は大丈夫かなあと思っていたら、今日は昨日とは違う人でお出ましだね。カスミさんの多重人格は、まるでアンパンマンの顔を変えるのみたいだね〜。」と感心して言うと、本人大笑いで、「どうりで体だけ疲れるわけだ!」だって。
そのあと二人で「アンパンマン!新しい顔よ!」タタララリララ〜とアンパンマンの真似に興じたのでありました。
先日のNHK Eテレの『性暴力被害第3段-家族からの性暴力』を見ていて思ったのだけれど、性被害を受けた人の多くが、うつ病になったり、被害を誰にも打ち明けられずに、生きづらさを かかえて生きている。
番組を見て、改めてわが連れ合いカスミさんのことを考えてみると、うつ病だし、多重人格で約束したことも「知らないよ。」なんて言って、まわりをあわてさせたりするけれど、もしカスミさんが多重人格でなかったら、いつも性虐待の幻影に怯えていなければいなかっただろうし、「多重人格」は、一つの「生き方」として、彼女を守ってきたのじゃないかと、思えた。
様々な虐待を受けてきたけれど、いつも人のために自分の損得を勘定に入れずに生きてきたカスミさん。
よくもここまで快復の階段をのぼってきたよね。
これからも、自分を勘定に入れず、活躍してください。
私も娘ほどではないけれど、だいぶ慣れてきたよ、多重人格。
誕生日おめでとう。カスミさん。
先週、月曜日火曜日とNHK Eテレ『ハートをつなごう』で「性暴力被害第3段 家族からの被害」を取り上げていた。
こちらでも何度か取りあげた性暴力被害を実名で告発し、被害者の支援活動をしている小林美佳さんらが出ていた。
「加害者である父を許そうとする自分と絶対許したくない自分がいて、葛藤する。」という性暴力被害者の発言に、「許せないものですか?」と尋ねた進行役に、コメンテーターの精神科医 小西聖子さんが、「許す、許せないは当事者が決めること。『絶対許さない。殺してやりたい。』と思っている人は大勢います。『もう許してあげたら…』なんて、まわりの人は絶対言ってはいけません。」とはっきり発言しておられて、「あぁ、やっとうれしい言葉が聞けた。やっとこの番組もここまできたんだなあ。」と、思った。
また、今回は当事者の人たちから「被害を受けた私たちだからこそできる活動をしていきたい。」との発言もあり、本当にうれしくなり、もっともっと応援したくなった。
毎回、『性暴力被害』という難しい問題に取り組む姿勢には最大限の賛辞を持ちつつも、その内容には少し物足りなさを感じていたが、”最終回”近くなって、共感多く見終えることができた。
『愛と勇気と笑涯と』ージャック モウズさん
の記事にYouTubeのアドレスを追加しました。
みなさん見てください。
2月の函館中島れんばい横丁は、2月24日(金)25日(土)です。
たぶんジャック モウズさんも参加すると思うので、ぜひ会いにきてください。
昨日の語る会。最後に、司会者が「どなたかフロアから質問は?」と参加者に問いかけた。
ろうあ者が数人手を挙げ質問した。聞こえる手話関係の方も大勢いたのだけれど、発言者はみな、聞こえる人も自分で手話をしながら発言していたから、手話の力が自分では「まだまだ」と思っている人は「自分なんかが不十分な手話で場違いな発言をしたら恥ずかしい。」と思ったのか、聞こえる立場からの発言はなく、歴史を語った元会長さんはちょっとがっかりしていた。
その様子を見ていて、前日の「中島廉売横丁」での出来事を思い出した。
その日は、私はろうあ者たちと他愛ない雑談に興じたり、ちょっとした手話通訳をしたりして過ごしていた。
9時半を過ぎ人がポツリポツリと帰り始めたころ、娘がそばにやってきて「シマタロウがけんじさんは今日は来てないのかって聞いていたよ。」と言う。
私は、「シマタロウさんおかしなことを言うなあ。いくらフロアが騒がしくても声くらい聞こえているだろうに」と思って、シマタロウさんが上手に生牡蠣を食べるのを見ていた。
それからしばらくたって、シマタロウさんが頼んだ帰りのタクシーがやってきて、シマタロウさんが席から立ち上がったので、私は「シマタロウさん、お疲れ様です!」と声をかけた。
すると彼は嬉しそうに「やっとけんじさんの声がきけたね。」と言って、白杖を伸ばした。
私はちょっと恥ずかしくなり、「ハハハ」と照れ笑いをした。
その時間まで私は彼と同じ場所にいて、一緒にゲストを見送ったりしていたつもりだった。自分としては、シマタロウさんと”共にいる”と思っていた。けれど、近くにあるその声の持ち主が私だとシマタロウさんには認識されていなかったのだ。
「シマタロウさんこんばんは、けんじです。」という表明があって初めて、視力しょうがいのシマタロウさんに、私という人間がその場にはっきりと像を結ぶんだなあと思い、自分の配慮のなさに恥ずかしくなった。
ふりかえって、ろうあ者と共にいる場を考えてみると、聞こえる人は黙って座っていても、「ろうあ者と一緒にいる」と思っているが、手話を使わないで黙って座っている時、ろうあ者たちからは、ただの、一般の、コミュニケーションに壁のある「健聴者」と変わらない存在にしか映っていないのかもしれない。
その聞こえる人が手話で話して、あるいは手話通訳を介して発言して初めて、"ろうあ者と共にいる"と、ろうあ者には認識されるのかもしれないなあと、シマタロウさんとのことを思い出しながら、感じていた。
※写真は、「中島れんばい横丁」での一こま。
函館のろうあ者運動を牽引してきた歴代の会長さんたち4人による『語る会』が開かれた。4人とも70代、それぞれに、会長を退いてからもさまざまな形でろうあ者運動や聴覚しょうがい者協会の活動に携わってきた方々だ。
よくろうあ者の運動と手話通訳者の運動は"車の両輪"と言われるが、手話をやる者は出入りが激しい。
ろうあ者にしてみれば、「やっと日常会話が手話でできるようになって、さあこれから手話通訳として、私たちろうあ者を支えてくれるだろう。」と思っていると、姿が見えなくなって、サークルにも来なくなってしまう。
ろうあ者の立場では、ものすごくガッカリし、失望することだろう。
けれども、だからといって「もう手話を教えるなんてまっぴらだ!」と指導をやめるわけにもいかない。
誰かが手話を教え続けなければ、ろうあ者の暮らしも変わっていかないのだから。
歴代の会長さんたち4人のお話を聞きながら、「いったいこの人たちは、生涯でどれほどの人数の聞こえる人たちに手話を教えてきたのだろう。」と感慨深く思った。
たぶんのべにすれば数万人。
その中で、手話通訳として残っていくのは、ほんの一握りで、ろうあ者のみなさんが求めている成果にはほど遠いのだけれど、手話を学んだ聞こえる人たちの人生や考え方には、「手話を学んだこと」や「聞こえない人たちがいるということ」、「自分たちにはわからない、立場の違う人がこの地域に住んでいるということ」がしっかりと入っていて、その後の人生に少なからず影響を与えていることだろうと思う。
そして、それは目には見えないけれど、誰にも評価されないけれど、ろうあ者がおこなっている大きな『社会貢献』なのだと私は敬意をはらい、思っている。
こっちは誰と話すのでもなく、"勝手"手話通訳をかって出たり、毎回来てくれるお馴染みのろうあ者たちと他愛ない話をしたりして過ごしています。
全国を行脚した盲目のカメラマン「おぉちゃん」の立ち上げたNPO(予定)ふらっとほーむの出店「おぉちゃんの旅グルメ」のコック長タッカさん。
札幌のレストラン&ファームでの経験を生かし、カレーライス、メンチカツ、恵方巻などを出している。

中でもお薦めは中島廉売のパン屋さんの特製パンを使ったメンチカツバーガー。卵を使わずに揚げたサクサクの北海道産ポークのメンチカツに、自家製マヨネーズ、こだわりのキャベツがきいています。
明日土曜日も函館中島廉売横丁は、1時から開いています。
一日限定10食はちと控え目?























