えっと...

身の回りの自然と猫と、思いついた時に撮った写真

震災を経験して

2011年03月13日 19時29分17秒 | その他
たくさんの方に心配をしていただき、心から祈ってくださっていること、本当に感謝いたします。
地震のとき、郡山の職場におりました。最初同僚の携帯に緊急地震速報が入りました。最初はさほどでもなかったのがどんどん強くなり長く横に揺れました。書棚等が床をすべり、最初に開けておいたドアもしまってしまい、パソコンは落ちて。数日前の地震があったので宮城県沖だろうと頭によぎり、それで郡山でこの強さでは。。。仙台の母は。。。と無事であって欲しいと思いつつ多少覚悟もしなくては、と机の下で思っていました。揺れがおさまる頃電気が落ち、非常ベルが鳴り屋外退避となりました。携帯だけもって外に出たら吹雪。。。同僚や近くにいた人たちと職場の隣の公園に避難。そんな中、夫、外に出ていて無事だった母、会社にいた妹から順次無事のメールが入りホッとしました。天井から何か落ちていたりガラスがわれていたので寒さの中約2時間半待ち、余震の合間をぬって、順番にヘルメットをかぶって屋内に入り私物を持って外に出て順次帰宅しました。私は夫が市内の職場にこの日はたまたま電車ではなく車で出勤していたので、職場の同僚の帰路の途中近い所まで車に乗せてもらいました。歩いている途中道路が割れてるところや余震がまた強くきたりして怖かったです。
夫と合流して鏡石へ戻りました。途中まで順調でしたが鏡石に近づくにつれ道路の割れや陥没がひどく、暗くなって様子もわかりにくくなり、中学校の側に車は駐車して歩いて帰りました。家についたらチャイの無事にふたりでとにかくホッとしました。家の中はめちゃくちゃでしたが、見事に引き出しに「100点満点」の着地をしていた電子レンジに二人で笑いました。こんなときでも笑えたのは家族の無事があってこそ。チャイは掘りごたつ式になってる食卓の下で夜までじっとしていましたが、少しウェットを食べ、水を飲んだらやっと落ち着いたのか2階のトイレに行けようになりました。いつもはひとりで押し入れの中で寝るけれど地震後は夫と私の間の布団の上で寝ています。




翌日、日が出て外に出てみると、哀れな温水器の状態が。いま上に見えてる面はほんとはブロック塀を向いて立っていた訳で180度回転して倒れたわけです。水も入って重いけれど、思いだけに揺さぶられると足がしっかりしていないとダメな訳ですね。次回設置の時にはしっかりした足場をくんでもらいます。いつになるかわかりませんが。。。風呂なし生活は長くなりそうです。どちらにしても電気はきていますが、水はまだ復旧していません。


水は復旧していませんがご近所の井戸水をつかっているお宅からわけてもらっているため、なんとか不自由ながら水は飲め、衛生を考え1日一回トイレを流すことができています。

町は地盤があちこちで陥没、割れてます。そのため電信柱もかなりななめってます。


ブロック塀の破損も大きいです。もっとひどい家が潰れる、瓦が落ちて丸裸になっている屋根などの家もあります。カメラをむけるには気の毒で出来ませんでしたが。。。


仙台の母、妹は初日は近くの小学校へ避難、かなり寒かったようです。二日目は母と妹の家(ともにマンション、9階、6階)を見に行き、実家は住める状態ではなく妹の家はそれよりはマシ、という状況だったようです。余震も多いので夜は実家のマンションの1階にみんなでいたそうです。電気はきていないけど小学校よりは暖かいから、とメールをくれました。そして今日は妹の家は電気、水道復旧、ガスはまだ、住める位に片付けられたようです。夜は余震が心配なので実家の1階に戻る、とメールが入りました。
昨日からこちらはメールは半日位たってから着信できたりします。こちらからはメールも電話も出来ない状態です。同じ県内でも大丈夫な人もいるようです。

いまのチャイです。私のひざの上にいます。お互いのぬくもりに安心します。私の仕事は連絡があるまで自宅待機となりました。

たくさんの犠牲になった方々にご冥福をささげます。
そしてまだまだ続くであろう不自由な生活に気持ちで負けないように、暮らしていきたいです。