えっと...

身の回りの自然と猫と、思いついた時に撮った写真

6月、もう夏至です

2012年06月21日 06時50分20秒 | 
早いもので6月も下旬となりました。今日は日中が一番長い日で、やっとこれから日が短くなる、と少しホッと?!します。
スペインは日が暮れるのが遅すぎます。。。
先日タラソナという近郊の小さな街にオトウサンの仕事仲間の方にドライブに連れて行ってもらいました。
この街も歴史ある素敵な街でした。


昔の闘牛場跡。なんと昔の闘牛があった時代から人が住んでいるピソとなっているのでした。今も使われておりました。


ニャンコさんとの出会いもあってうれしかったです。


警戒して逃げられてしまい後ろ姿ばかり。


でも、一匹だけまだ赤ちゃんっぽさが残るニャンコさんは逃げなかったです☆嬉しかった☆


最近台風の影響もずいぶんある様子。あまり被害がないことを祈っています。

イタリア旅紀行(フェッラーラ1)

2010年08月05日 11時34分23秒 | 
1週間と一番長い滞在となったフェッラーラ。
ボローニャから鉄道の急行で約30分。
何が大変って、切符を買うのが大変でした。ボローニャ観光する前に下見で駅をのぞいたら、人でごったがえしていて「まあ、お昼頃はすいてるよね、きっと」と思ったのが甘かった。またそのとき、なぜかちょっと離れた場所にある自販機がすいていて、混んでてもあっちに並べばいいよね~と。

無事に着けたフェッラーラ駅。到着できないかと思いました。乗れる、乗れないではなく「切符が買えなくて」。結局すいてる自販機はタッチパネルがうまく動作せず30分並んで自分たちの番になったけれど、うまく選択出来ず断念。混んでる方へ行き、窓口と自販機に分かれて並び、ようやく自販機の方で Biglietto(チケット) Get!! 窓口部隊は3人分ぐらいしか進んでなかった。。。乗りたい電車の1時間前に行ったのにチケット買うのに1時間かかってしまって。次の電車となったのでした。教訓は「混んでいるのにすいてるところは理由がある」
こうやって苦労して手にいれたチケットなのに駅に改札はないし、車内の検札で1回見せたきり。どこで乗ってどこで降りた、というチェックはなく自己申告制なのでした。日本はキッチリしているので何とも慣れないシステムでした。個人の正直度にゆだねられているんですね。

ホテルはビルの中に入っていて清潔で快適でした。




私たちの泊まった部屋はちょうどガイドブックに載っていた部屋と同じで。各部屋の前や通路にはポスターが飾られていたのですが、私たちの部屋の前のポスターはこれでした。

猫好きには縁があるようでうれしかったです(^.^)

ホテル近くの(オトウサンの用事の場所でもあった)お城、エステンセ城。迷ったらこの城の尖塔を目印に戻っていました。

そして近くの朝の道路の様子です。


町中観光はまた次回に。

イタリア旅紀行(ボローニャ)

2010年08月02日 20時13分13秒 | 
先月半ばに久々の海外旅行にいってきました。
久々なので何をしてよいかわからず、とりあえずちょっとの英会話とこれまたほんのちょっとのイタリア語をやった??くらいで行ってきてしまいました。
あまりに何も予習をしていなかったため行きあったりばったりの旅となりましたが、それはそれで楽しかったです。
とはいえ、オトウサンにも後に言われましたがあまりに何も準備しなかったのが残念でならない次回の反省。

まずは初日到着地となったボローニャ。
宿泊はイル・グエルチーノ。



石造りの街、石造りでオシャレな内装のホテルでヨーロッパに来た、と実感しました。

2日目、今回の用事のあるフェッラーラへの移動までに時間があったので午前中はボローニャ観光を。
バスに乗りましたがチケットの買い方がわからず一苦労。親切なおば様からバスの中にある自販機で1ユーロコインを入れて買うのだと教えてもらいました。
そうしてなんとかたどり着いたのがここ。

古い斜塔がありまして、向かって右側の塔に登りました。ここから、なんとなく塔があれば登る旅となったのでした。


石の塔にすり減った木の階段。。。下を見るのは怖かった~


塔に登る醍醐味は風景の良さですよね。ボローニャのメインの観光地(と思われる)マッジョーレ広場の方向を眺めた写真です。
真ん中に見えている足場が組まれている長~い建物がサン・ペトロニオ聖堂でお堂の中を見せてもらいましたが広くて圧倒される教会でした。
いやいや今回の旅は今の日本同様、とにかく暑くて連日汗だくでした。
次回はフェッラーラを書こうと思います。

ちなみにチャイどんは、といえば、実家の母に我が家に来てもらって家ごと面倒を見てもらっておりました。週末は妹にも来てもらって。すごい甘えてしまいましたが、帰ってきたら私たちの事はすっかり忘れ、おばあちゃん子となっていたので、よほど居心地がよかったのだと思います