goo blog サービス終了のお知らせ 

記憶の中の風景

忘れられない場所、忘れられない季節、忘れられない時間への旅
80%の事実と20%の創作……

Passage’83夏  夏の出来事―沖縄で(7)

2010年08月11日 | 小説:Passage

 残波岬から国道58号線に戻り、恩納村辺りを当てのないドライブを続けていた。クルマという限られた二人きりの空間で、異なる景色や、やや異質な風土と文化を感じながら生まれる会話に飽きることはなかった。伝統的な深い屋根とオレンジ色の瓦。門柱と屋根の上に鎮座する魔除けのシーサー。台風に万全を期すため味気ない鉄筋コンクリーリートで造られた、比較的新しい家並みと陸屋根に設けられた給水塔。特に興味を引いたのは、丘の中腹に並ぶ亀甲型や家型の異国的なニュアンスを含む立派なお墓だ。リゾート施設を除けば、視線に映るものでお墓以外に豪華さを感じるものは少なく、途切れがちな町並みや個々の家からは、どちらかと言えば貧しさを感じた。それはまるで脈絡のない別々の世界の風景のようだった。しかし僕たちは、限定的な空間の一部分の一瞬を見ているだけに過ぎず、すべてを見ることはできない。脈絡は永く深く流れ続けていることは間違いなく、瞬間を通過する儚い旅人が知らないだけのことだ。
 僕たちは通り沿いの、ハンバーガー・ショップで遅めのランチに取ることにした。那覇市を離れるに従って感じたことだが、食堂やレストランと民家の見分けが付け難く、看板がなければ見過ごして通り過ぎてしまうほど主張のない地味な造りと外観の店が多い。それが主張なのだ。と言われればそれまでなのだが。
いずれにしても店舗建築デザインをまったく無視しているようにも感じる。経営工学のプランが、遠い国の思想のように思えてくる。このハンバーガー・ショップも例外ではなく、看板がなければ、地域の集会所か何かしらの集団の寄り合い所と見間違われても致し方のないような外観だった。僕たちは不安を感じながら、ハンバーガー・ショップのガラスドアを開けた。
 駐車場にそれほど多くクルマが止まっていたわけではないので、客がまばらであることは、始めから承知していたが、飾りのない――目立つ装飾と言えば壁に掛けられた星条旗だけだった――店内にはどこか投げやりな雰囲気さえ漂っていた。アバの『ダンシング・ヒーロー』が流れていた。使い古されたどうでもいいおもちゃを押入れの奥から出してきたみたいに。
客は僕たちのみたいな観光客ばかりのようだ。窓際の若い女性グループは、日焼けした肌を強調する生地の少ない恰好で、自己完結的な会話を楽しんでいるみたいだ。聞きとれたとしてもおそらく僕たちには理解できないはずだ。壁際のテーブルのカップルは、たいていの若いカップルがそうであるように、男は女のペースに合わせてその場を構成している。疲労の痕跡が男の俄か作りの微笑みに浮かんでいる。それほど多くの種類の微笑みのカードを持ち合わせていないみたいだ。さまざまな人間関係があり、関係の色合いによる会話と雰囲気がある。しかし女同士という構成は見られるが、男同士の客はいない。沖縄の夏に男同士は鬱陶しすぎるのかもしれない。
 レジとオーダーを兼ねたカウンターで壁に掛けられた写真入りのメニューを見ながら注文する。皿に乗せられたハンバーガーの大きさとフライドポテトの量が、どうも半端ではなさそうに写真からうかがえる。僕たちはすでに食べている人のテーブルを見る。皿も大きい。ハンバーガーはマクドナルドの三倍くらいはありそうだ。フライドポテトは、ハンバーガーの隣りで皿からこぼれるほど盛られていた。(実際にこぼれていた)
優子はすべてを察したように言った。「完璧アメリカンサイズの本場ものね。ミディアムサイズで私は十分よ」
目鼻立ちの輪郭が明瞭なレジの若い女の子が言った。
「女性はミディアムサイズを注文する方が多いです。でもフライドポテトの量は変わりませんから」
マクドナルドやモスバーガーのスタッフのように人工的なマニュアルの対応でないことに僕は好感を持った。他のハンバーガー・ショップと交換不可能なオリジナルの対応。ハンバーガー・ショップで自然の笑顔を見たのは初めてのような気がする。わずかに手際の悪さを感じたが、それを差し引いても僕は交換不可能のオリジナルな対応を支持する。
 僕はラージサイズとも書いていない、マクドナルドのハンバーガーの三倍ほどのダブルチーズトマトバーガーを注文し、優子はミディアムサイズのチキンフィレバーガーを注文した。それにラージサイズのアイスコーヒー二つとミディアムサイズのアイスジャスミンティーをひとつ注文した。ハンバーガーの大きさとフライドポテトの量を考えると、このくらいの水分が必要だと感じたからだ。そしてそれは間違いではなかった。
 あらためてテーブルに運ばれた皿を並べてみると、ハンバーガーの大きさに驚く。(この店はセルフサービスではない)たぶん、ニューヨークの庶民が集まるダイナ(食堂)では、当たり前の大きさなのかな、と推察する。
「よかったね。ナイフがなかったら、圭ちゃんの小さな口ではとても食べれないわ」と言って優子は笑った。
優子の言葉にまったく異論はなかった。素直に受容した。とてもじゃないけれど、僕の口では噛り付ける大きさではない。ごく普通のサイズの口の人でもナイフが必要と思われる。
優子のハンバーガーの三分の一ほどと、僕のハンバーガーの四分の一ほどを交換して食べた。チキンフィレもハンバーグも悪くなかった。特にハンバーグの濃い肉汁に本物の味わいを感じた。僕も優子もハンバーガーは残さずに食べたが、フライドポテトはかなりの量が残されることになった。もったいないような気がしたが、無理して食べることは肥満に繋がる。しかし、店はこうした状況を想定済みなのか、フロアー係の女の子が「よろしかったらお持ち帰りになってください」と言って、テイクアウト用の紙の容器を二つテーブルの上に置いてくれた。
優子は「圭ちゃん、夜中にお腹が空くでしょ?」と言って、残ったフライドポテトを器に丁寧に入れた。優子の判断は正解だった。夜中を待たずにドライブの途中、フライドポテトは、南の島が与えてくれた僕の旺盛な食欲によって完璧に処理された。
 食べ終わり店を出ると、好感度の高い店として印象付けられた。ごく一般的な教訓としての「物事は、見かけだけで判断してはならない」という言葉をあらためて僕は噛みしめた。僕はクルマに乗る前にもう一度集会所のような外観の店を振り向き、できればもう一度訪れてみたいと思った。後ろ髪を引かれるほどではないにせよ。
 沖縄はこのような店が実に多く、その実態が観光客にまだ広く伝わっていない。しかし僕は、仕事に利用しようとは思わなかった。実際僕は、沖縄の企画を一度も書いたことがなかった。
 それから僕たちは、混み合う58号線をホテルを通り越して走り続けた。目に付いた『琉球ガラス館』に立ち寄り、作品が出来上がるまでの工程を眺めた。1200℃に熱せられた炉から空洞の長い金属棒の先でガラスの球を取り出して、吹きながら形を整え、器に仕上げていく様に、繊細な吹きガラスの職人技を感じた。それから僕たちは店内の商品を飽きることなく見ていた。優子は『やむちんの里』の陶磁器よりも、琉球ガラスに魅せられたようだ。潤いのある深い視線でガラス器の冴えた輝きを見つめ、その輝きを瞳に映していた。僕は透明なワイングラスをペアで、瑠璃色の大きめのボウルをひとつ、小さなボウルを二つ買った。優子は黒ガラスのコーヒーカップセットをペアで買った。それから、友達へのお土産だと言って干支デザインの小物をいくつか買ったようだ。


Pat Metheny Group - Have you heard


 まだ陽は高く、時間はたっぷりあったが、僕たちはそれ以上の移動と見学を求めなかった。万座毛の巨大リゾートホテルのカフェテラスでアイスティーを飲みながら、海を見つめ優しい時間を過ごした。海は空の碧さを映し、境目のない碧い風景にまるで遠近感が消えてしまったようにどこまでも拡がっていた。碧い風景は僕たちをリラックスさせ、ゆっくりと時の下流に運んでくれた。静かな会話が続いた。
「優子は、僕がペアで陶器やグラスを買ったことをどう思う?抵抗を感じたりしない?」
「なぜ、そんなふうに思うの?」と優子は首を少し傾け緩やかに訊いた。「圭ちゃんが、言わんとしていることは分かるような気がするけれど」
「ペアの物が目の前にあると、人によっては束縛されているように感じることがあるかもしれない。窮屈に感じるかもしれない。不快とまでは言わないにしても」
「あるいは……」と優子と言ってわずかな時間を置く。そこに優しい風が流れる。「喜びを感じる人もいる。私は明らかに後者よ。圭ちゃんが揃えてくれたものに関しては、という限定つきだけど。だから、私も黒ガラスのコーヒーカップをペアで買ったの。圭ちゃんと、目覚めのコーヒーを飲むために。圭ちゃんが買ったワイングラスで美味しいワインを飲んで、素敵な夜を過ごし、幸せが持続する素敵な朝を迎えられるようにね」
「ありがとう」と僕は言った。「今夜は、ルームサービスでワインを取って、部屋で飲もう。真新しいワイングラスで」
「素敵なプラン」と優子は口元に仄かに喜びを浮かべて言った。「だから宅急便でワイングラスだけを送らなかったのね。さすがね。でも私はコーヒーカップを送っちゃった。まだまだ経験が足りないな」
「そんなことはないよ。とりあえずまとめて僕のアパートへ送ったわけだから、まず使うのは僕と優子に限定される。ひとりで使ったりしないよ。それから、来年の春、優子が卒業して、ひとり暮らしを始めるまで、僕に預からせてくれないかな。だめかな?」と言って優子を見つめた。
「来年の春までと言わず、ずっと圭ちゃんに持っていて欲しいな。そう思って買ったの。だめかな?」と言って優子は僕を静かに見つめた。視線が中間で交り合い、緩やかに融けていった。微笑みも融け、青い風景の中にささやかに含まれていった。
「もちろん」と僕は言った。優子は目で「ありがとう」と言った。アイスティーは、仄かに甘く、潤いを与えてくれた。

 その夜、僕たちは琉球舞踏を見ながら沖縄料理の夕食を食べた。わずかな追加料金が発生したが、料金の割にはとても充実した舞台と料理だった。
かつての琉球王朝の宮廷舞踊の“四つ竹”の舞は、奥ゆかしくも上質に艶やかで、鮮やかな伝統的衣装が流麗にしかも静謐に舞う。手に挟んだ四つ竹の高貴な音が、神々の囁きのように厳かに魂に伝わる。琉球文化に初めてふれ、日本の一地方の文化として納まりきらない、独自性と豊饒性を感じた。それは琉球国が日本と――とりわけ薩摩の――中国の強い影響下にありながらも、確固たる自主独立の気概を持って国造り勤しんでいたからに他ならないと思う。
海を隔てた強国の権力に、虐げられた哀調も感じる。哀しみと怒りと忍耐は、しなやかさに変化する。豊かな自然の恵みと美しい風土が、しなやかさを育み支えてきたとことを感じさせる。
三線の音色は、感情を多様に表現し、舞はこれまでの沖縄の歴史をすべてを含んだしなやかさを表現する。歴史に刻まれたこの島の人々の記憶の積層を表現している。そんなふうに思う。そして僕は深い吸引力を感じた。とてもしなやかに。

 シャワーを浴びた終えた僕たちは、カーテンを開放し四人掛けのソファーに並んで座っている。ソファー横のスタンドとベッドのライトだけを灯している。テーブルの上には、ルームサービスで取った赤ワインがアイスペールに入っている。『琉球ガラス館』で買ったグラスにワインが満たされている。沖縄で三日目の優しい夜を迎えようとしている。
「ねえ、圭ちゃん」と言って優子はワイングラスを手にする。「圭ちゃんが沖縄に私を連れてきてくれた理由のひとつは、南の島への憧憬と憧憬の島で一緒にリラックスすること。二つ目は、二人の卒論のために、沖縄の米軍基地を見ること……でいいかしら?」
「そうだよ」と僕は答えた。「他に理由は見当たらないな」
「了解」と言って優子はワインを口にした。ゆっくり含みゆっくり流す。それが優子のワインの飲み方の流儀だ。
「それはそれとして、圭ちゃん風に言えば、憧憬には種類がある。多様な憧憬が含まれているわけでしょ。藍より碧い藍色の海と瑠璃色の空。境界線さえ明確ではない碧い世界。碧い海と空に浄化された純度の高い碧い風。ゆっくりと流れる沖縄の時間。艶やかで流麗な舞踊。力強いエイサー。独自性の高い味わいの料理とオリオンビール……。こんなふうに圭ちゃん語録から、圭ちゃんの沖縄への憧憬を感じたわけだけど、他にあったら教えて?」
「何だろう……。難しいね。そう言えば、優子も知っているとおり、フルーツでいちばん好きなのはパイナップルだから……って言うのは、少し貧困だよね」
「それも含めてあげよう」と言って優子は、愛嬌の微笑み浮かべた。「でも、他に心を動かされたエピソードはないの?私は圭ちゃんの傍にいて感じるの。もっと他にもあるはずだって。もっと深いずっと底の方から生まれた現象みたいなものに惹かれているんじゃないかな。なかなかふれることができないものに惹かれているんじゃないかな。そんなふうに感じているんだけれど」
僕は優子の言葉を咀嚼し含みながらワインを半分ほど飲んだ。
「分かってしまうんだね。優子は」と僕は言った。「でも話すと長くなるし、ふれられるものではないし、見ることもできないと思う。でも、直接的ではないにせよ、感じることはできる。それを感じたかったのもひとつの理由かもしれない」
「話すと長くなる?ミドルバージョンやショートバージョンはない話なのね?」
「僕の直接体験によるものじゃないからね」と言って僕は、ある人の沖縄の体験物語を想い出した。「ある人の話を聞いて、その話の核心にとても惹かれたんだ。だからその人の話を再現しないことには、説明できないんだ」
「夜は深く長いわよ」と優子は言って僕のグラスに飲んだ分だけのワインを注いでくれた。優子の顔が近づき僕を見つめた。長い髪が僕の腕にふれた。
「聞いてくれるの?」
「もちろんよ」と優子は言ってもう一度深い瞳で僕を見つめた。
僕は注いでくれたばかりのワインを少し口に含み、優子のようにゆっくり流して話し始めた。




最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
心の五感 (C-moon)
2010-08-14 11:38:07
沙織さん♪>

午後に迎え盆をしました。盆の3日間涼しく感じるということ……
たしかに言えますね。仰るようにご先祖様の霊を迎えてという厳かな気持ちがそうさせているのしょうか。体温や湿度に関わりなく、心の五感の働きによるものだと思います。

お盆中は、虫や魚を捕ってはいけない。静かに行儀よくしていなければいけない……
そんな戒めもありました。

そして終わるとお供え物を食べる許可が下ります♪
むずむずして待っていました!

沖縄の宗教観の描写ですが、さすが読みが深いですね。準備万端OK!です。
今日、アップしちゃおうかな……長い語りですよ♪前置きも長いですけど(笑)

実は、沖縄の風景描写、街並み描写がとても不足していると思っています。足りないですよね。甘ったるい描写ばかりで……困ったものです。

旅の謙虚さ……そんなところまで見ていただき感謝です。旅人は、たしかに金を落とす客ですけど、そこで暮らしている人たちにとって、時には迷惑な存在でもあるわけです。
それが正当だと感じる場面に何度も出会っているし、旅人は我儘者でもある……
そこで暮らしている人たちが、長い歴史の中で創り上げてきたものを損ねることも多い。

こんなふうに思っているからなのかな……

いつもコメントありがとうございます。


返信する
旅の謙虚さ (沙織)
2010-08-13 18:01:42
迎え盆は済まされましたか?
幼い頃から、お盆はさり気なく厳粛で謙虚で物静かな雰囲気が漂っていて好きです。蒸し暑さが送り盆までの3日間は、何となく抑えられているようなそんな感じさえしました。
大きなスイカや桃が仏壇の前に供えられていましたしね(微笑)

さて、沖縄の田舎の街並みと沖縄独自のお墓の対比ですが、たしかにC-moonさんが書かれたとおり
<それはまるで脈絡のない別々の世界の風景のようだった>

沖縄では、結婚と葬儀に関しては、盛大にという表現が葬儀にはふさわしくないかもしれませんが、相当大きな催しになるそうですね。
それは新聞の死亡広告欄を見れば分かるとか。
先祖霊を本土では考えられないくらい大切にしている証しでしょうか。結婚は先祖の生成の核ですし(少し変な言い方ですが)。
ぜひ沖縄の宗教観にも触れていただきたいなと思います。
こうしたことを描写していくことで内容は深まると思います。
ひょっとして、もう準備万端ですか?(微笑)

旅は一過性のもの、そうした限界を知りながら、優しく沖縄を見つめている若いカップルに共感しています。

<しかし僕たちは、限定的な空間の一部分の一瞬を見ているだけに過ぎず、すべてを見ることはできない。脈絡は永く深く流れ続けていることは間違いなく、瞬間を通過する儚い旅人が知らないだけのことだ。>

旅には謙虚さが必要だと思います。その謙虚さぶりは、これまでの圭さんの言動からも伺えますね。
旅雑誌の制作をしているにも関わらず、訪れた素敵な風景を利用しない。欲がないな~と思いますが、いずれ別の場面で謙虚さが活かされると思います。

それにしてもラブラブカップルの会話は甘く素敵ですね。もう虫歯になりそうです(笑)

さて、本日のベストセンテンスです!

<「夜は深く長いわよ」と優子は言って僕のグラスに飲んだ分だけのワインを注いでくれた。優子の顔が近づき僕を見つめた。長い髪が僕の腕にふれた。>

赤ワインの色にも夜の深まりが滲みこんでいそうな優子さんのひと言がいいな。

次回にすごく期待です!

返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。