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記憶の中の風景

忘れられない場所、忘れられない季節、忘れられない時間への旅
80%の事実と20%の創作……

Passage ‘85冬(55)星川香織 北国街道の取材で 帰京

2014年01月03日 | 小説:Passage
 「ねえ、今夜はポリネシアン・セックスみたいに優しく抱きあって過ごす夜にしない?お話ししながら抱きあったまま優しく眠るの」と星川さんは優しい微笑みを湛えて言った。
「それでもいいけど自信がないな。明言できない。ただ柔らかくでも拒否されたらたちどころに大人しくなるよ。無理強いだけはしたくないから。その習性は出来上がっているし無理強いしたことは一度もない。だから安心して拒否権を発動したらいい。素直に従うし、根に持たない」
「拒否はしないわよ、これは提案よ」と星川さんは僕の頬に手を当てて優しく言った。
「いいけど、受け入れるけど、いつどこで変貌するか判らないし、それを抑制できるという確信はないよ。その時は優しく拒否権発動でいいと思う」
「だから拒否じゃないの」
「解っているよ。確信が持てないからその時は、という話だよ」と僕は言って僕の頬にふれている星川さんの腕を撫でた。
「はいはい、その時はその時で考えるから。私だって自信ないもの。ただね、そんな夜の過ごし方も素敵だろうなって思うの。それに圭ちゃん、疲れてしまうわよ。ウィークデイは私と、そして週末は優子さんとだものそれは疲れるわよ」と星川さんは言って仄かに笑った。「傷ついた?」
「香織に言われても傷つかないよ。それに状況はあるがままの現実だもの」
「あるがままの現実だからお休みの日も必要なの。お休みも素敵な夜のために必要でしょ?素敵なセックスのためにも。ほらよく言うじゃない。精根尽き果てたって。精力と気力の充実は、休養が大きなウェイトを占めているのよ」
「精根尽き果ててないけど、香織の思いやりを汲むことにするよ」と言って僕は星川さんの背中をそっと撫でた。
「このくらいはいいよね?」
「もちろんよ。優しくいっぱいふれて」と星川さんは言って腕に載せた顔を近づけて目を静かに閉じた。「精根尽き果ててないのは判るの。お腹にふれているジュニア君、元気よね。それでも休養は必要よ」
「養生訓でも読むとしよう」と僕は言った。
「そうよ。とても良い心掛けだと思うわ」と星川さんは目を閉じたまま微笑み僕を褒めた。
 僕は身体を解いて星川さんをそっと仰向けにし、星川さんの首の下に入れた肘をベッドにつき、少しだけ上体を起こして、乳房から脇腹、腹部から子宮の丘、太腿の側線から内側をそっと撫でた。
「これならいいよね。却下の対象に入らないよね?」と僕は目を閉じている星川さんを見つめて言った。
「いいわよ……とても気持ちいい」と星川さんはかすかに首を反らせ、僕の身体と反対側の膝を立てて言った。僕はその行為を繰り返した。キスもしなかったし、オアシスにふれることは無論なく、乳房にふれるにしても、乳首を意識的にふれたり、揉むようなことはしなかった。すべてしなやかな曲面に沿って、手をそっと滑らせるようにふれて流れていくというふれ方を心がけた。
 星川さんの裸体を上から見つめるのは素敵だった。表情はもちろんセクシーな曲面を、爪先まで見ることができた。立てた膝に閉ざされたオアシスの手前の薄い陰毛の翳りが仄かに優しく感じた。
肌理細かな肌にふれる手の感触は、まるでシルクにふれているようにさえ感じた。主観ではなくある種の客観として。体験による比較の感覚として。
 ふれ続けていくうちに、星川さんの立てた脚が内側に静かに倒れ、あるいは静かに伸びたり、また立たせたり定まらなくなり、首を反らせる回数も増えた。悩ましい吐息が漏れ続け、僕の腕を湿らせた。背中に手を入れて撫でると、手を入れた側の腕を僕の首に回し、身体を寄せた。背中からヒップラインの半分以上が弓なりにベッドから悩ましく離れた。僕はそのラインに手を静かに滑らせる。それを繰り返す。
星川さんは、熱く湿った吐息を言葉として紡ぐ。
 「身体に火がついてしまいそうよ……もう、圭ちゃんは意地悪なんだから」
「香織の身体が魅力的過ぎるから仕方ないんだよ。でも無理強いしてない」
星川さんは目を閉じたまま頷き、両手を僕の首に回し僕を抱きしめるように身体を密着させ、脚が絡まるように重なった。僕は静かに背中からピップラインを撫で続けた。
 それから僕は、火がついてしまいそうな星川さんの身体を鎮静することに心掛けた。しかしすぐに止めてはいけないと思った。もっとゆっくり静かにふれながら少しずつ鎮静に導くことに心掛ける。確信はなかったが、セックスが終わった後の物静かな愛撫に倣えばいい。そう思いながらふれた。
やがて功を奏したのか、首が反ることはなくなり、立てた膝も静かに伸ばされ、首に回した手が解けた。そして僕に身体を向けて目を開け、その瞳はいつものように涼しく聡明だった。
 「ごめん、苛めるつもりも悪気もなかったんだ。中途半端に火をつけてしまったようで不満が残るだろうけど許して欲しい」と僕は言って星川さんの髪を梳いた。
「そんなことないわよ……新しい体験よ。未知の世界だったの。気持良かった……」と星川さんは首を振って言った。「優しい快感が果てしなく続いているようで、時間的な感覚が失われて、実際どのくらい時間が経ったのかしら?」
僕はナイトテーブルに嵌め込まれたデジタル時計を振り返って「1時間ぐらいだね」と答えた。
「1時間もふれ続けてくれたの?」と星川さんは驚いたように言った。
「いつもと同じだよ、1時間はふれているよ。その間には香織もふれてくれるけど」
「そうなの……ごめんなさい。気が付かなかったわ」
「いいんだよ。気がつかないくらい気持ちいい方が僕は嬉しい」
 僕はそう言って、静かに唇を重ねた。とても静かなキスが、静かな抱擁の中で長く続いた。やがて僕たちに優しい眠りが訪れた。



Alicia de Larrocha plays Granados - The Maiden and the Nightingale ("Goyescas") [live,2001]


 松代の取材も撮影も順調だった。城下町として栄え、宿場町としても栄えた松代は、狭い土地に史跡と武家屋敷、商家、民家が現存し、通りは江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気で、じっくり撮影しても小気味良いリズムが保たれ、予定よりもずっと早く進み、3時には撮影を終え帰り支度を始めた。駅前のレンタカー営業所にクルマを返し、4時前の『特急あさま』に乗ることができた。
 僕たちは、椅子を回転させ向き合わせ、僕と星川さんが並んで座り、窓側の僕の正面には原口さんが座り、廊下側に星川さんと細野が向き合って座る。
この配置は、横川駅で今度こそ『峠の釜めし』を逃さずに買う布陣だった。と言っても細野に任せず、窓を開けて手を振れば難なく買える。そのために僕と原口さんが窓側に座ったというだけの意味合いに過ぎないが、原口さんと星川さんにとっては、二度とあってはならない過失の防護策だった。
 電車がホームを出て落ち着くと、原口さんが駅のホームの売店で買った缶ビールがそれぞれに渡り、お疲れ様の言葉をそれぞれ交しビールを口にした。真冬でも冷たいビールは美味い、と僕は思った。
 「竹中には急遽来て貰って助かったよ。おかげで予定よりも進めることができた。感謝する」と原口さんが言った。
「ドライバーを果たしただけに過ぎないし、仕事ですから」と僕は言った。
原口さんは謙遜する僕に手を振り「竹中と星ちゃんは、今日は直帰でいいからな。星ちゃんは明日からも忙しいが、無理をしない程度に仕事を進めてくれればいい。正月明けのこのシリーズの取材から、バリ取材と続き、休む間もなくまた今回の取材だから、身体も大変だと思う。せめて今夜はゆっくりして欲しい」
 原口さんの取材の終わりは、これまでも直帰だったので、確信はしていたが直帰という言葉に僕は安堵した。それは星川さんも同じだったと思う。僕たちは東京に帰り、千駄ヶ谷のマンションの星川さんの部屋で夜を迎え、朝まで一緒に過ごすことになっている。
 また原口さんの星川さんへの労いの言葉には、僕のバリの取材と原口さんの取材が、重ならないように相談した時に日程配分の根拠にもなった星川さんの生理日を原口さんが認識している様子が窺えた。僕と原口さんは、カレンダーを見ながら、星川さんに教えてもらった生理日を僕が示し、取材の日程を決めた。星川さんの生理は、たぶん明日にもやってくる。僕との関係で避妊のためにピルを飲み始める。そのこと考えると星川さんへの想いが膨らむのが実感できる。そこまで原口さんは知っているわけではないが、原口さんの言葉と計らいは、女性の身体を思いやった言葉に受け取れた。
 「細野は直帰というわけにはいかんな」と原口さんは言った。「俺と一緒に会社に帰り、編集長に取材の報告をしてもらうことになる。勝見さんもいれば、4人でカンファレンスルームで話し合うことになる。今回の取材だけではなく、前回の取材もこのシリーズの取材の今後のことも含めて行われるから、含んでおくように」
「解りました」と細野は小さな声で俯いて言った。
 僕は、細野はこの取材には使われないのではないかと思った。会社が会社を運営していくために見積もる細野の人件費と経費を使えば、タクシーもクルマ持ち込みのプロのドライバーも雇うことができる。会社が見積もる人件費と経費は、僕たちに実際手渡される年収の倍以上を見積もっていると言われている。そこに会社の利益が生まれる。何の不思議も矛盾もない。
細野を人件費と経費にゆとりのある別の企画に入れば、会社とすればそれほどの痛手はない。少なくとも原口さんの企画は救済されることになる。
たとえば勝見さんの仕事は、枝野さんと二人で行われているが、僕が入ることは差し支えなく、細野も以前手伝っていたこともある。細野は勝見さんの元へ戻されるように思った。記事は書けないにしても資料の整理くらいはできる。しかし、編集者が専門にやる仕事ではなく、アルバイトでも可能な仕事だ。記事はほとんど枝野さんが書き、編集は勝見さんを主体に枝野さんも参加するが、嘱託の枝野さんの勤務時間もあり、勝見さんによるところが多い。そこに補助的に細野は当てられるかもしれない。
 ただ旅雑誌の性格上、現地で取材できるかが大切な要素で、そのためのアシタントとして教育的配慮がされている。だから取材アシスタント失格の烙印が早くも押されることになると細野の立場が危うくなることも否めない。入社から数ヶ月、アシスタントとしてスタッフに満遍なく就かされる時期を除き、これまで細野は、斎藤さんのアシスタントも森尾さんにも、山崎さんにも就いたことがある。少なくとも、斎藤さんと原口さんのアシスタントしか務めたことがない僕よりも、アシスタントとしての経験は豊富なのではないかと思われたが、そこでの評価について僕は知らなかった。
いずれにせよ、仕事という意味合いにおいて、僕にとってあまり後味の良い取材とは言えなかった。

 横川駅で予定どおり釜めしを買った。軽井沢駅を発車して僕が代金を徴収しようとすると、原口さんが千円札を4枚僕に差出し「いいから、いいから、みんなへの御苦労さま弁当だと思って食べてくれ」と言った。僕は、「それでは」と遠慮したが、原口さんの性格をある程度理解していたので、星川さんと細野をそれぞれ見て「ありがたく頂戴しようか」と言って受け取りお礼を言った。原口さんは「女房の分も入れて5つ頼むよ」と言った。星川さんが、「奥さん思いですね。幸せそう」とにこやかに言った。僕はお釣りの500円を手渡しながら「仲が良さそうでなによりです」と言った。
 何時に終わるか判らない、編集長と勝見さんと細野との話し合いを前にしながら、帰ってから奥さんと一緒に食べる原口さんは、確かに奥さん思いだった。
僕も星川さんと一緒に食べようと思い手を付けなかった。星川さんも同じだった。細野は僕たちが手を付けないので遠慮していたものの、高崎駅を過ぎる頃「いただきます」と言って釜めしを食べ始めた。原口さんは僕と星川さんにも食べるよう薦めたが、家に帰ってからじっくり味わいます。と言った。それに仕事をしている時は、まだ腹が空く時間ではなかった。習慣というものはそういうものだ。

 7時少し前に上野駅に着き、神田駅で原口さんと細野と別れた。僕と星川さんはオレンジ色の快速ホームへ行き、原口さんと細野は黄色い電車の各駅停車のホームへ行った。
星川さんは混み合うホームで「また二人きりになれたわね」と言った。「でも四ツ谷駅で乗り換えるのが心配かしら?ちょうど帰宅時間よね。心配なら四谷から丸ノ内線に乗って赤坂見附で銀座線に乗り換えて、外苑前からお買い物をしながら歩いていく?マンションまで1kmくらいよ。そうしましょう」
「そこまでしなくても大丈夫だよ。確か今日は、9時から5時までだからもう部屋に帰っていると思う」
「行ってあげなくていいの?」と星川さんは僕を見つめて訊いた。余分なことを言わなければよかったと思った。星川さんに余分な気を遣わせ、そのことで僕も対応し、気を遣わなければならない。しかし、これからも続くことを考えると億劫に思っているわけにはいかなかった。
「昨夜言ったように、求めているものの種類が違うんだ。自分勝手だけど、今夜は香織と一緒にいたいんだよ」
「解っているわよ。でもちょっと気にかかったの」と言って星川さんは僕を見て微笑んだ。
 混み合っている電車では、荷物が大きいのと量があるのは、思いの他辛いものがある。コンパクトなサイズとはいえ、キャリーケースを持ち、ショルダーバッグを肩に掛け、カメラバッグがあった。カメラバッグは僕のキャリーケースの上に置くように僕が肩に掛けていた。しかし、ひと駅我慢すればよかったことは幸いと思った。そう思うほど混んでいた。しかし四谷駅で乗り換えた各駅停車でもそれは同じで、今度はふた駅耐えることになった。やれやれだった。
基本的に僕も星川さんも満員電車に慣れていない。出勤が遅く帰りも遅い仕事柄、空いている時間帯しかほとんど利用しない。だから、千駄ヶ谷駅に着き電車を降りた時は、僕も星川さんも溜息をついたほどだ。
 僕たちは荷物を部屋に置いてから買い物に行くことにした。星川さんが言うとおり部屋は様相を異にしていた。リビングには3人掛けのソファーと1人掛けソファーとリビングテーブルが置かれ、まだ本が1冊もまだ入っていないカットガラスの扉が付いた豪華な本棚があり、ダイニングスペースには、小さいながらダイニングテーブルも置かれていた。リビングに続く和室には、座卓も置かれ生活感が生まれていた。
 「どれもこれも必要ないんだけど、物置に置いて埃が被っていたらもったいないでしょ。だから持って来たの。私が必要だった生活品は冷蔵庫と洗濯機とベッドマットだけで、あとはどうでもいいものばかりだけど、使ってあげてね」と星川さんは言った。「父が本を書く時は、毎日ではないけど数ヶ月も暮らしていたこともあるの。だからみんな揃えたみたい。でもほとんど使っていないから新品と同じよ。父は本と机があればそれでいい人だったから揃え過ぎたのね。言ってみれば私への先行投資かしら。そう思えばいいの。両親にそう言って慰めてきたから遠慮なくどうぞ」

 買い物は、千駄ヶ谷唯一のスーパーのコープへ行った。原宿まで行けば、東急ストアや丸大ピーコックがあると星川さんは少し残念そうに言った。
僕たちは、マグロとホタテとブリの刺身と豆腐とレタスとトマトと明日の朝食べるパンとベーコンとバターとヨーグルトを買った。もちろんビールも買った。卵はこの前カツ丼を作った時に買ったものが冷蔵庫にあり、また余分になりそうなものや、日持ちしないものは買い控えた。結局星川さんがアパートまで持っていく羽目になる。できれば卵も早く食べて貰いたいと言った。卵のパックを捨ててしまったから、アパートに持って行きようがないのだという。
 買い物を済ませ、マンションの部屋に帰る気分は、何となくくすぐられるものがあったが同時に落ち着かなかった。分不相応という気持ちを貧乏人根性が起こさせたのかもしれないし、僕と星川さんは馴れているようで馴れていなかったからかもしれない。いずれにせよ、東京で初めて一緒に夜を通して過ごす始まりを迎えた。



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