
「死ななかったのね、私たち……」と優子が囁くように、そして穏やかな笑みを向けて言った。
「そうみたいだね」と僕は優子を見つめて答えた。「残念な気もするけど、こうして暖かいベッドの中で、優子と裸で抱き合って朝を迎える現世も悪くない」
「悪いわけないでしょ」と優子は子供を窘めるように言って僕の頬にふれた。「でもとても残念よね。昨夜ね、圭ちゃんに抱かれながら、自分を忘れそうだったけど、心の中でね、このまま圭ちゃんと一緒に死んでしまいますようにって、神様にお願いしていたの。でも、届かなかったみたい」
「きっといずれ届くよ。焦る必要はないよ」
「そうね、今夜もあるしね」と言って優子は、僕の首に唇をつけた。僕は裸のままの優子を抱きしめながら、星川さんはどんな夜を過ごし、どんなふうに眠り、どんな朝を迎えたのだろうか……と思ってしまった。そして僕のジャケットを抱きしめて眠ったのだろうか。そんなことあるわけないよな。ジョークの部類だよな。と僕は思った。
そんなことを思いながらも僕は、優子の柔らかく滑らかな身体を抱いているだけで気持ち良く安らかな気分になれることを実感していた。
僕たちが目覚めたのは、8時を過ぎ9時近かった。たぶん昨夜、眠りに就いたのは3時近かったと思われる。
昨夜僕たちは、裸で穏やかに抱き合い、緩やかに愛撫しながら、長いおしゃべりをし、それから時間をかけて濃密なセックスをした。だから、まだ眠りたらないように感じてもいた。
厚手のカーテンは、隙間なく閉じられたままで、カーテンの端から曖昧な白い明かりがぼんやり周辺に滲んでいた。感覚的には、部屋の中は早朝だ。
「何か、ベッドから出たくないな。気持ちいいままずっと抱き合っていたいな。こういうのって自堕落なのかしら?」と優子が腕の中で訊いた。
「休日は自堕落になるためにあるんだ。禁欲的に過ごす必要はないよ」
僕は腕枕をしたまま、優子のウエストの曲線にふれていた。
「圭ちゃんのジュニアは、自堕落とは言わないけど、休日に限らず毎朝、禁欲的とは言えない状態なんですけど」と言って優子は可笑しそうに微笑んだ。実際僕のペニスは朝の現象に加えて、性的にすでに昂揚状態にあり、優子の子宮の丘にふれていた。
「こんなふうに優子のエッチな身体を前にしていると、余計に禁欲的でなくなるよ」
「“優子のエッチな身体”は、褒め言葉なのよね。いっぱい称賛する言葉がありすぎて、いちいち言っていられないから、その短縮形として考えていいのよね?」
「昨夜説明したとおりだよ」
「そんなエッチな私の身体にふれていると朝からでもしたくなる?」と優子は訊いた。その言葉と表情に戯れと本意が交りっていた。
「とてもね」
「でも、こう続くと夜にできなくなってしまうの?」と優子は訊いた。
「できなくはないけど、僕の感度が減少する。精子工場のストックが少なくなるから」
「精子工場って言うと、紙を作る製紙工場や糸を紡ぐ製糸工場と紛らわしいわね。何かふさわしい名称はないかしら?」
優子の茶目っ気ぶりは、ベッドの中で発揮される傾向にある。
「精液工場では、生々しすぎるし、化学薬品工場みたいな感じもするし」
「命の素では、味の素みたいだしね」と優子は言った。「でも、圭ちゃん、よく考えてみると、精子工場と言えば、一般的に紙や糸の生産工場だと思うから、かえって精子工場と言った方が、差し障りなく、注目されないから便利じゃない?」
「確かな考察だと思う。精子工場と言うことに決めよう」と僕は言った。
「賛成!」と優子は言った。「ところで、ストックが少なくなるといい気持ちの時間が減っちゃうの?いい気持ちの深さも浅くなるとか?」
「残念ながら両方なんだ。ただでさえ、男は一瞬なのに、そのまた一瞬になってしまうから、寂しいものがある」
「男と女の生物的違い、性差の悲哀ね。何だか男の人って可愛そう……」と優子は言って言葉でも表情でも同情してくれた。そしてまだ硬直しているペニスにふれた。「優しく慰めてあげてもいいでしょ?」
「喜んでいると思う。目一杯感謝の気持ちを込めて」
「皮肉じゃないわよね?」
「もちろんだよ。皮肉なら萎んじゃうよ」
「そうよね。ところで、精子工場の生産高を上げ、ストックを増やすには、よく言われる精のつく物を食べるとかすればいいのかしら?」
「どうだろう。未体験だからよく分らないけど、精子は蛋白質だから、蛋白質の正しい補給は必要だろうね。ただ持続力抜群!滋養強壮を高める何とかみたいな、妖しい強壮剤は、遠慮したいな」
「ほんとね。それはもっと可愛そう過ぎるし酷いわよね。女の人が、セックスで疲れた男の人にさあ、これ飲んでもうひと頑張りよ。なんていうシーンを想像すると残酷にも思えるわ。
セックスにおいては、男の人が可愛そうな宿命なのかな……」
「どうだろう」と僕は言った。「僕は優子に酷い目に会ったことはないから」
「それはそうよ。こんなふうにいつも優しく慰めてあげているもん」と言って優子は僕の肩を吸った。「圭ちゃんの精子工場の生産高向上、ストック量増加のために、私も寄与できるように心がけるね。一緒に過ごす時は、なるべく身体に優しくて寄与できるものを食べて貰うように頑張るね」
「ありがとう。とても期待しているよ」と僕は言った。
「ねえ、圭ちゃん」と優子は顔を近づけて訊いた。その瞳は性的に潤んでいた。「今、したい?」
「したいけど、夜、いつものように時間をかけてした方がいいと思うけど」
「そうよね……」と優子は言った。「圭ちゃんが可愛そうよね」
「優子は満足できないかもしれないけど、緩やかで優しいセックスなら可能かもしれない」と僕は提案するように言った。どこかで読んだか、聞いたか記憶にないが、ポリネシアの島民たちのセックスは、挿入してから動かずに、抱き合ったまま双方オーガスムを迎えるという話だ。もちろん詳細は知らなかったが、試してみる価値はあると思った。でもたぶん僕はいくことはないと思った。たとえいかなくても、ひとつになって抱き合っているのも素敵なことだと僕は思った。
「どういうこと?」と優子は訊いた。
「優しく物静かな愛撫をたっぷりして、優子の泉が潤ったら僕が入る。でも僕も優子も動かない。そっと身体にふれ、ひとつになったまま優しい時間を過ごす。そんな感じだから達成感を得ることなく不満が残るかもしれない」
「でも、素敵じゃない?休日の朝にとても似合う、お洒落なセックスのように感じる。いかなくてもいい、ひとつになっていることただそれだけに幸せを感じるセックスって素敵じゃない」
「試してみる?」と僕は優子が興味を示し乗り気なので訊いてみた。
優子は潤んだ瞳で僕を見つめて静かに肯いた。優子はきっと受入れてくれるだろうと思っていた。僕たちは浅く優しいキスをした。そして静かな優しいセックスが始まった。
Keith JarrettNYC 1986-The Way You Look Tonight
僕のペニスは、優子の朝の挨拶がわりの愛撫で硬直が持続されていたし、敏感な優子の身体は、潤い始めていた泉をすぐに豊潤にさせた。
僕たちは横になったままのかたちで、優子の後ろで結ばれた。優子が生理で辛い日に、僕が横になった優子を後ろからそっと抱き、優子の子宮の丘に手をそっと置いている時と同じかたちでひとつになった。
僕はなるべく優しく、そっと優子の繊細で滑らかな肌を撫でるように心掛けてふれた。それも時間をかけて。優子は静かに受入れ、後ろで優子を抱きしめる僕を手で探そうとし、髪にふれる。僕たちはそれ以上の動きを抑制する。ただひとつに結ばれていることを実感する。
ただ僕は、ひとつになっている優子の泉の周辺をそっとふれた。泉から溢れた愛液で濡れた泉の畔をそっとふれる。
やがて優子は敏感に、しかしいつもより静かに反応する。そして少しずつ高まりながら下半身を震わせ脚を硬直させた。そして弛緩……
「いっちゃったみたい……」と優子は手で僕を探して言う。
「それでいいんだ」と僕は言う。「かたちを変えてみようか?でも動かない」
僕は一旦身体を解いて、優子の上になるように優子を抱いた。オーガスムを迎え閉じた脚を優子は協力的に開いた。僕は開いた優子の脚の間に下半身を移して、潤い濡れて光る優子の泉の中に静かに入っていった。
僕は、性的に潤んだ優子の瞳を見つめ、優子は僕の首に手を回し僕を見つめる。僕は優子を見つめたまま優子の髪を梳く。頬にふれ耳にふれる。そして静かな優しいキスが重なる。
下半身は動かさない。いけたらそれでいいし、いけなくてもいい。ひとつになっていることが重要で、結果を求めない。かたちと一体感、融合感だけが僕たちのこの日の朝のセックスの課題だ。
僕は深く優子を抱きしめ、ひとつになったまま優子の身体に唇でふれる。舌は使わずに唇だけで優子の身体を愛しむ。うなじから肩へ。二の腕の内側へ。腋の下から乳房へ。そして乳輪と乳首を口に含む。
優子はかすかに声をあげ、かすかに熱い息を洩らし、僕の身体にふれる。すでに駈け上がりそうになっている。
深く抱き合ったまま、優子は身体を入れ換えることを求める。僕たちは協力しながら身体を入れ換える。ペニスと泉が結ばれたまま身体が入れ換わる。
深く結ばれたまま抱き合い、今度は上になった優子が僕の身体に唇を這わせる。僕は優子の背中から尻に手を這わせ、深く結ばれている泉の周辺にふれる。優子の身体の一部となっているような自分のペニスにもふれてみる。優子の柔らかな陰唇が僕のペニスを包んでいることが判る。
僕は潤い濡れた陰唇を優しくふれ続ける。
やがて優子は、下半身をしならせ震わせ、僕の身体にすべてを預けるように傾れる。僕は優子を強く抱きしめ、優子は僕の身体を離すまいとする。そして優子は崩れ、弛緩し僕の身体の上で果てた。
乱れた呼吸が吐息となり、吐息で優子は言葉を紡ごうとする。
「どうしてなの……またいっちゃったみたい」
「こういうセックスも可能なんだね」と僕は優子を抱きしめながら言った。感慨深いものを確かに感じた。
「でも、圭ちゃんはいけないんでしょ?」
「いきそうだったけど、堪えて増産とストック量の向上に努めたんだ」
「可愛そう……ごめんね」と優子は、悲しそうに言った。優子はとても純粋な女だった。
「謝ることじゃないし、憐憫の情も必要ないよ。僕はただ優子の中に入っているだけでもとても気持ちいいし、優子の身体にふれ、結ばれていることがとても素敵なんだ。だから気にしなくてもいいんだよ」
優子は僕の胸の上で肯いた。
「ただ、今夜は優子の泉の中に思い切り射精しちゃうけどいいよね?」
「もちろんよ、そうして……」と優子は言った。その言葉に優子の将来への希望が滲んでいると僕は感じた。
「何か、昨夜から感動ばかり。何だろう、また涙が出ちゃった」と優子は言った。確かに涙が目尻に伝わり僕の胸はかすかに濡れていた。
「たぶん、僕たちは、自分たちのセックスに正直でストレートだからだよ。営みだけじゃなく、僕たちのセックスの会話も優子の“変なこと訊いていい?”シリーズでストレートだから。でもそれを可能にしているのは、優子が欠かさず基礎体温を測ってくれているからだよ。そのことを僕は一度も忘れたことはないよ」
「今朝は、測るの、忘れちゃったけど」と言って優子は僕の胸で笑った。
まだ僕たちは深く結ばれたままでいた。優子は顔を上げ、髪を肩にやり、僕に優しいキスをプレゼントしてくれた。たぶん、2度いったお礼だろう。
僕たちはそれから1時間ほど眠り、ようやくベッドから起き出し、優子は洗濯を始め、僕はコーヒーを淹れた。朝ご飯は、中途半端な時間なので食べないことにした。
洗濯は優子が、いつものように目についたものを――枕カバーや、上掛けのシーツ、バスタオル、キッチンやトイレ、洗面所のハンドタオルなどなど――片端から洗濯ネットに分類し洗濯機に入れた。洗濯機が回っている間に、洗濯済みの枕カバーとシーツを着け、ハンドタオルをそれぞれの場所に掛けた。そして、掃除を始めた。それほどサイズは大きくないが、掃除好きの優子のために買った電気掃除機をフル回転させ、僕は優子が掃除機をかけた後を追い、雑巾で拭いた。
その間には洗濯機が洗濯を終え、僕と優子は並んでベランダで洗濯物を干した。
空は冬晴れと言ってもいいくらい淀みなく晴れ、空気は凛としていた。僕は休日に、狭いアパートで行う都会暮らしの家事も悪くないと思った。
なぜなら、優子がとても楽しそうに家事に勤しんでいるからだ。優子は、きっといい奥さんになれると僕は確信した。もちろん、確信の中には、優子の資質、人格、知性、教養といったものも含まれるし、セックスの営みの資質と魅力も含まれていた。そして僕が認識できるだけではあるが、女性としての総合力も含まれる。
部屋を片付けながら、優子は洋服ダンスを開けた。たぶん掛けている服を整然と整えたかったのだろう。いつもそうしていたし、見慣れた光景だった。
僕は星川さんが貸してくれたカメラマンジャケットについて、何か訊かれるかどうか、不安な気持ちが湧き出ていることに気づいた。訊かれたら、嘘の言い訳をしなければならないことは、不本意ではあるが、通さなければならなかった。そんな痛みもあった。そして、案の定優子は訊いた。
「圭ちゃん、素敵なジャケット持っているのね。初めて見るわ。昨夜、気づかなかったみたい」
優子の言葉と表情のどこにも猜疑の色はなかった。ただのありふれた質問とも言えない、日常の会話のひとつに過ぎなかった。
「会社に置いておくジャケットなんだ。稀に急に都内でそれも外で取材することもあるから。昨日、ちょうどそんな取材を命じられていて、そのまま遅くにご帰宅というわけ」
「そう言えば、圭ちゃん土曜なのに昨夜も遅かったもんね。10時半頃、遅くなるからと伝えようと思って電話した時、まだ帰って来ていなかたもの」
「取材先の人と青山で飲んでいたからね。優子が帰る予定の11時までには何とかと思って切り上げたけど。あの業界の人間は、夜の時間を気にしないので困る」と僕は嘘を並べた、並べながら痛んだ。それも激しく痛み、痛みながら星川さんとの光景まで浮かんできてしまった。
優子は何も知らず、ただ純真に洋服ダンスを整理し、それ以上訊かなかった。それどころか僕の部屋に来るのが遅くなったことをまだ気にしていた。
「ごめんね。あれほど遅くまで付き合う予定じゃなかったの。でも、彼女、とても楽しそうにしていたから、なかなか言い出せなくて。今度から気をつけるね」と優子は言って洋服ダンスの扉を閉めた。
「そうみたいだね」と僕は優子を見つめて答えた。「残念な気もするけど、こうして暖かいベッドの中で、優子と裸で抱き合って朝を迎える現世も悪くない」
「悪いわけないでしょ」と優子は子供を窘めるように言って僕の頬にふれた。「でもとても残念よね。昨夜ね、圭ちゃんに抱かれながら、自分を忘れそうだったけど、心の中でね、このまま圭ちゃんと一緒に死んでしまいますようにって、神様にお願いしていたの。でも、届かなかったみたい」
「きっといずれ届くよ。焦る必要はないよ」
「そうね、今夜もあるしね」と言って優子は、僕の首に唇をつけた。僕は裸のままの優子を抱きしめながら、星川さんはどんな夜を過ごし、どんなふうに眠り、どんな朝を迎えたのだろうか……と思ってしまった。そして僕のジャケットを抱きしめて眠ったのだろうか。そんなことあるわけないよな。ジョークの部類だよな。と僕は思った。
そんなことを思いながらも僕は、優子の柔らかく滑らかな身体を抱いているだけで気持ち良く安らかな気分になれることを実感していた。
僕たちが目覚めたのは、8時を過ぎ9時近かった。たぶん昨夜、眠りに就いたのは3時近かったと思われる。
昨夜僕たちは、裸で穏やかに抱き合い、緩やかに愛撫しながら、長いおしゃべりをし、それから時間をかけて濃密なセックスをした。だから、まだ眠りたらないように感じてもいた。
厚手のカーテンは、隙間なく閉じられたままで、カーテンの端から曖昧な白い明かりがぼんやり周辺に滲んでいた。感覚的には、部屋の中は早朝だ。
「何か、ベッドから出たくないな。気持ちいいままずっと抱き合っていたいな。こういうのって自堕落なのかしら?」と優子が腕の中で訊いた。
「休日は自堕落になるためにあるんだ。禁欲的に過ごす必要はないよ」
僕は腕枕をしたまま、優子のウエストの曲線にふれていた。
「圭ちゃんのジュニアは、自堕落とは言わないけど、休日に限らず毎朝、禁欲的とは言えない状態なんですけど」と言って優子は可笑しそうに微笑んだ。実際僕のペニスは朝の現象に加えて、性的にすでに昂揚状態にあり、優子の子宮の丘にふれていた。
「こんなふうに優子のエッチな身体を前にしていると、余計に禁欲的でなくなるよ」
「“優子のエッチな身体”は、褒め言葉なのよね。いっぱい称賛する言葉がありすぎて、いちいち言っていられないから、その短縮形として考えていいのよね?」
「昨夜説明したとおりだよ」
「そんなエッチな私の身体にふれていると朝からでもしたくなる?」と優子は訊いた。その言葉と表情に戯れと本意が交りっていた。
「とてもね」
「でも、こう続くと夜にできなくなってしまうの?」と優子は訊いた。
「できなくはないけど、僕の感度が減少する。精子工場のストックが少なくなるから」
「精子工場って言うと、紙を作る製紙工場や糸を紡ぐ製糸工場と紛らわしいわね。何かふさわしい名称はないかしら?」
優子の茶目っ気ぶりは、ベッドの中で発揮される傾向にある。
「精液工場では、生々しすぎるし、化学薬品工場みたいな感じもするし」
「命の素では、味の素みたいだしね」と優子は言った。「でも、圭ちゃん、よく考えてみると、精子工場と言えば、一般的に紙や糸の生産工場だと思うから、かえって精子工場と言った方が、差し障りなく、注目されないから便利じゃない?」
「確かな考察だと思う。精子工場と言うことに決めよう」と僕は言った。
「賛成!」と優子は言った。「ところで、ストックが少なくなるといい気持ちの時間が減っちゃうの?いい気持ちの深さも浅くなるとか?」
「残念ながら両方なんだ。ただでさえ、男は一瞬なのに、そのまた一瞬になってしまうから、寂しいものがある」
「男と女の生物的違い、性差の悲哀ね。何だか男の人って可愛そう……」と優子は言って言葉でも表情でも同情してくれた。そしてまだ硬直しているペニスにふれた。「優しく慰めてあげてもいいでしょ?」
「喜んでいると思う。目一杯感謝の気持ちを込めて」
「皮肉じゃないわよね?」
「もちろんだよ。皮肉なら萎んじゃうよ」
「そうよね。ところで、精子工場の生産高を上げ、ストックを増やすには、よく言われる精のつく物を食べるとかすればいいのかしら?」
「どうだろう。未体験だからよく分らないけど、精子は蛋白質だから、蛋白質の正しい補給は必要だろうね。ただ持続力抜群!滋養強壮を高める何とかみたいな、妖しい強壮剤は、遠慮したいな」
「ほんとね。それはもっと可愛そう過ぎるし酷いわよね。女の人が、セックスで疲れた男の人にさあ、これ飲んでもうひと頑張りよ。なんていうシーンを想像すると残酷にも思えるわ。
セックスにおいては、男の人が可愛そうな宿命なのかな……」
「どうだろう」と僕は言った。「僕は優子に酷い目に会ったことはないから」
「それはそうよ。こんなふうにいつも優しく慰めてあげているもん」と言って優子は僕の肩を吸った。「圭ちゃんの精子工場の生産高向上、ストック量増加のために、私も寄与できるように心がけるね。一緒に過ごす時は、なるべく身体に優しくて寄与できるものを食べて貰うように頑張るね」
「ありがとう。とても期待しているよ」と僕は言った。
「ねえ、圭ちゃん」と優子は顔を近づけて訊いた。その瞳は性的に潤んでいた。「今、したい?」
「したいけど、夜、いつものように時間をかけてした方がいいと思うけど」
「そうよね……」と優子は言った。「圭ちゃんが可愛そうよね」
「優子は満足できないかもしれないけど、緩やかで優しいセックスなら可能かもしれない」と僕は提案するように言った。どこかで読んだか、聞いたか記憶にないが、ポリネシアの島民たちのセックスは、挿入してから動かずに、抱き合ったまま双方オーガスムを迎えるという話だ。もちろん詳細は知らなかったが、試してみる価値はあると思った。でもたぶん僕はいくことはないと思った。たとえいかなくても、ひとつになって抱き合っているのも素敵なことだと僕は思った。
「どういうこと?」と優子は訊いた。
「優しく物静かな愛撫をたっぷりして、優子の泉が潤ったら僕が入る。でも僕も優子も動かない。そっと身体にふれ、ひとつになったまま優しい時間を過ごす。そんな感じだから達成感を得ることなく不満が残るかもしれない」
「でも、素敵じゃない?休日の朝にとても似合う、お洒落なセックスのように感じる。いかなくてもいい、ひとつになっていることただそれだけに幸せを感じるセックスって素敵じゃない」
「試してみる?」と僕は優子が興味を示し乗り気なので訊いてみた。
優子は潤んだ瞳で僕を見つめて静かに肯いた。優子はきっと受入れてくれるだろうと思っていた。僕たちは浅く優しいキスをした。そして静かな優しいセックスが始まった。
Keith JarrettNYC 1986-The Way You Look Tonight
僕のペニスは、優子の朝の挨拶がわりの愛撫で硬直が持続されていたし、敏感な優子の身体は、潤い始めていた泉をすぐに豊潤にさせた。
僕たちは横になったままのかたちで、優子の後ろで結ばれた。優子が生理で辛い日に、僕が横になった優子を後ろからそっと抱き、優子の子宮の丘に手をそっと置いている時と同じかたちでひとつになった。
僕はなるべく優しく、そっと優子の繊細で滑らかな肌を撫でるように心掛けてふれた。それも時間をかけて。優子は静かに受入れ、後ろで優子を抱きしめる僕を手で探そうとし、髪にふれる。僕たちはそれ以上の動きを抑制する。ただひとつに結ばれていることを実感する。
ただ僕は、ひとつになっている優子の泉の周辺をそっとふれた。泉から溢れた愛液で濡れた泉の畔をそっとふれる。
やがて優子は敏感に、しかしいつもより静かに反応する。そして少しずつ高まりながら下半身を震わせ脚を硬直させた。そして弛緩……
「いっちゃったみたい……」と優子は手で僕を探して言う。
「それでいいんだ」と僕は言う。「かたちを変えてみようか?でも動かない」
僕は一旦身体を解いて、優子の上になるように優子を抱いた。オーガスムを迎え閉じた脚を優子は協力的に開いた。僕は開いた優子の脚の間に下半身を移して、潤い濡れて光る優子の泉の中に静かに入っていった。
僕は、性的に潤んだ優子の瞳を見つめ、優子は僕の首に手を回し僕を見つめる。僕は優子を見つめたまま優子の髪を梳く。頬にふれ耳にふれる。そして静かな優しいキスが重なる。
下半身は動かさない。いけたらそれでいいし、いけなくてもいい。ひとつになっていることが重要で、結果を求めない。かたちと一体感、融合感だけが僕たちのこの日の朝のセックスの課題だ。
僕は深く優子を抱きしめ、ひとつになったまま優子の身体に唇でふれる。舌は使わずに唇だけで優子の身体を愛しむ。うなじから肩へ。二の腕の内側へ。腋の下から乳房へ。そして乳輪と乳首を口に含む。
優子はかすかに声をあげ、かすかに熱い息を洩らし、僕の身体にふれる。すでに駈け上がりそうになっている。
深く抱き合ったまま、優子は身体を入れ換えることを求める。僕たちは協力しながら身体を入れ換える。ペニスと泉が結ばれたまま身体が入れ換わる。
深く結ばれたまま抱き合い、今度は上になった優子が僕の身体に唇を這わせる。僕は優子の背中から尻に手を這わせ、深く結ばれている泉の周辺にふれる。優子の身体の一部となっているような自分のペニスにもふれてみる。優子の柔らかな陰唇が僕のペニスを包んでいることが判る。
僕は潤い濡れた陰唇を優しくふれ続ける。
やがて優子は、下半身をしならせ震わせ、僕の身体にすべてを預けるように傾れる。僕は優子を強く抱きしめ、優子は僕の身体を離すまいとする。そして優子は崩れ、弛緩し僕の身体の上で果てた。
乱れた呼吸が吐息となり、吐息で優子は言葉を紡ごうとする。
「どうしてなの……またいっちゃったみたい」
「こういうセックスも可能なんだね」と僕は優子を抱きしめながら言った。感慨深いものを確かに感じた。
「でも、圭ちゃんはいけないんでしょ?」
「いきそうだったけど、堪えて増産とストック量の向上に努めたんだ」
「可愛そう……ごめんね」と優子は、悲しそうに言った。優子はとても純粋な女だった。
「謝ることじゃないし、憐憫の情も必要ないよ。僕はただ優子の中に入っているだけでもとても気持ちいいし、優子の身体にふれ、結ばれていることがとても素敵なんだ。だから気にしなくてもいいんだよ」
優子は僕の胸の上で肯いた。
「ただ、今夜は優子の泉の中に思い切り射精しちゃうけどいいよね?」
「もちろんよ、そうして……」と優子は言った。その言葉に優子の将来への希望が滲んでいると僕は感じた。
「何か、昨夜から感動ばかり。何だろう、また涙が出ちゃった」と優子は言った。確かに涙が目尻に伝わり僕の胸はかすかに濡れていた。
「たぶん、僕たちは、自分たちのセックスに正直でストレートだからだよ。営みだけじゃなく、僕たちのセックスの会話も優子の“変なこと訊いていい?”シリーズでストレートだから。でもそれを可能にしているのは、優子が欠かさず基礎体温を測ってくれているからだよ。そのことを僕は一度も忘れたことはないよ」
「今朝は、測るの、忘れちゃったけど」と言って優子は僕の胸で笑った。
まだ僕たちは深く結ばれたままでいた。優子は顔を上げ、髪を肩にやり、僕に優しいキスをプレゼントしてくれた。たぶん、2度いったお礼だろう。
僕たちはそれから1時間ほど眠り、ようやくベッドから起き出し、優子は洗濯を始め、僕はコーヒーを淹れた。朝ご飯は、中途半端な時間なので食べないことにした。
洗濯は優子が、いつものように目についたものを――枕カバーや、上掛けのシーツ、バスタオル、キッチンやトイレ、洗面所のハンドタオルなどなど――片端から洗濯ネットに分類し洗濯機に入れた。洗濯機が回っている間に、洗濯済みの枕カバーとシーツを着け、ハンドタオルをそれぞれの場所に掛けた。そして、掃除を始めた。それほどサイズは大きくないが、掃除好きの優子のために買った電気掃除機をフル回転させ、僕は優子が掃除機をかけた後を追い、雑巾で拭いた。
その間には洗濯機が洗濯を終え、僕と優子は並んでベランダで洗濯物を干した。
空は冬晴れと言ってもいいくらい淀みなく晴れ、空気は凛としていた。僕は休日に、狭いアパートで行う都会暮らしの家事も悪くないと思った。
なぜなら、優子がとても楽しそうに家事に勤しんでいるからだ。優子は、きっといい奥さんになれると僕は確信した。もちろん、確信の中には、優子の資質、人格、知性、教養といったものも含まれるし、セックスの営みの資質と魅力も含まれていた。そして僕が認識できるだけではあるが、女性としての総合力も含まれる。
部屋を片付けながら、優子は洋服ダンスを開けた。たぶん掛けている服を整然と整えたかったのだろう。いつもそうしていたし、見慣れた光景だった。
僕は星川さんが貸してくれたカメラマンジャケットについて、何か訊かれるかどうか、不安な気持ちが湧き出ていることに気づいた。訊かれたら、嘘の言い訳をしなければならないことは、不本意ではあるが、通さなければならなかった。そんな痛みもあった。そして、案の定優子は訊いた。
「圭ちゃん、素敵なジャケット持っているのね。初めて見るわ。昨夜、気づかなかったみたい」
優子の言葉と表情のどこにも猜疑の色はなかった。ただのありふれた質問とも言えない、日常の会話のひとつに過ぎなかった。
「会社に置いておくジャケットなんだ。稀に急に都内でそれも外で取材することもあるから。昨日、ちょうどそんな取材を命じられていて、そのまま遅くにご帰宅というわけ」
「そう言えば、圭ちゃん土曜なのに昨夜も遅かったもんね。10時半頃、遅くなるからと伝えようと思って電話した時、まだ帰って来ていなかたもの」
「取材先の人と青山で飲んでいたからね。優子が帰る予定の11時までには何とかと思って切り上げたけど。あの業界の人間は、夜の時間を気にしないので困る」と僕は嘘を並べた、並べながら痛んだ。それも激しく痛み、痛みながら星川さんとの光景まで浮かんできてしまった。
優子は何も知らず、ただ純真に洋服ダンスを整理し、それ以上訊かなかった。それどころか僕の部屋に来るのが遅くなったことをまだ気にしていた。
「ごめんね。あれほど遅くまで付き合う予定じゃなかったの。でも、彼女、とても楽しそうにしていたから、なかなか言い出せなくて。今度から気をつけるね」と優子は言って洋服ダンスの扉を閉めた。