ぴころじあ

のんびりまったり。たまにぐでっと。

緊急搬送から1年

2018-10-05 01:03:51 | 日記
10/2が過ぎました
緊急搬送されてからもう1年が経つんだなぁと

その後に買い物に行くつもり98%
もしかしたら…が2%

そんな気持ちで病院に行きました


でもというかやはりというか、母として、動物の本能としての2%が覆る訳ないんですよね

入院になっても第1子の生まれた産院でだと思っていたので
あの時は意気揚々、何かあっても先生や助産師さんがいてくれるし…って安心しきっていました

それがウテメリンの点滴をしてすぐに緊急搬送

どこの病院に行くのかも胎児の状態がどうなのかも分からない不安の中
ただひたすら救急車の荒い揺れに耐えていたのを覚えています


病院についてすぐウテメリン点滴でフラフラへろへろの状態であっちに行けこっちに行けと言われ
付き添いの先生が救急隊員や搬送先看護師に
うちの患者に無理をさせないでくれ
何でそんなに乱暴な扱いをするんだ
と怒りながらなるべく負担がかからないように指示をして下さっていました

本当は、顔も怖いし全然笑わないし、ちょっと苦手な先生でした


でも、あの時は本当に心強かった

正直点滴をしながらの移動はお腹も痛いし重いし足にも力が入らないし
息は上がるし動悸やら目眩やら吐き気やらに襲われてとにかく辛かった

それでも、笑わなきゃ笑わなきゃって思ってたし
これからの不安で本当に、今から死刑台の上に行くんじゃないかって言うくらいどうしようもなく怖かった

あそこで先生が必死になってくれたのがとにかく嬉しかったし、あー、自分は1人じゃない、赤ちゃんのために頑張らなきゃって、冷静になれたんです



検査が終わり部屋に行くと
今度は挨拶も何も無くただどさ!っとベッド脇の机に書類を置かれ

これすぐにサインしといてください
15分したら取りに来るので

って顔も見ずに言われまた胸がズキり

その間にやっと主人と第1子も到着して話をしようとしたら
その間もほぼなく別の看護師さんが部屋に来て
小さなお子さんがいるなら直ぐに出ていってください
院内に小さな子は入れないので病院に来るならどこかに預けるか出産して退院するまでの2ヶ月間は面会禁止ですから、と


いやー

あの時は、本当に、心が折れかけました



この病院の看護師さん達はとにかくキツくて
とにかく安静にして早く退院する!
そして第1子産院で産む!
ってことを目標に頑張ろうとしか思えない時に
出産までうちの病院から出れないでしょ?
排便と食事(←ベッドの上で寝ながらする)を慣れないと自分が辛くなるけど?
と言われたり

どこもそうだと思うけど、普通は面会に来た家族が必要な物やサインした書類を持ってきてくれて
それを患者が看護師さんが来た時に渡すっていう流れなので
その度に嫌そうな顔をされたり

出産当日も、2分間隔でMAXレベルの陣痛が来ているのに
10時間の間に看護師さんが様子を見に来た回数はたったの3回
しかも滞在時間はほんの2.3分



まぁ、今となっては、いい思い出、と思うしかない、ですね

そんなこんなで何度も辛いことがあるなか生まれてきた第2子


1年前はなんで、どうしてって、自分を責めたし
何よりこれから先どうしよう、障害があったら、命に関わる病気があったらって毎日すごく怖かった

今あの時の自分に声がかけられるなら、本当に今ますぐ戻って
もっと気楽に構えてて大丈夫だよー!っておしえてあげたいくらいw


でもきっと、ああやって辛い思いをしたからこそ今があるだなって思うんです

勿論確たる証拠がある訳では無いんですが


よく言うじゃないですか
その時お茶を買うかジュースを買うかとか
そんな些細な分岐が沢山あって
その些細な分岐でどっちを選んだかでその後の人生が大きく変わっていたかもしれないって

だから、あの日もし看護師さんに優しい言葉をかけられていたら
もし両親が来てくれていたら
もしきっと大丈夫って楽天的になっていたら

今とは違う結果になっていたかもしれない

あの時両親が第1子を預かってくれて
あの時主人がたまたま一本前の電車に乗れていなかったら
発作に気付いてナースコールを押してくれなかったかもしれない

あの時いたのがあの先生じゃなかったら
発作を抑えられなかったかもしれない
(結局今でも何で起きた発作なのか不明という…)

あの時もし意識が戻らなかったら
あの時もし血圧が上がらなかったら
あの時もし2度目の発作が起きたら


そんなたくさんのもしもを、全て奇跡的にクリアして今ここに私達家族4人がいる

でも、今までのどこかで違う分岐を選んだ私は
もっと辛い悲しい思いをしているかもしれない、させているかもしれない


そう思うと今まで経験した辛いことの全てに意味があったと思えるし感謝しようと思える



あの日小さく生まれた第2子も
今では第1子と大喧嘩しながらつかまり立ちに携帯いじりに日々たくましく成長中です

第1子産院で産むことは出来なかったけれど
あの日1%のもしももあってはいけないからと
緊急搬送を選択してくれた院長には本当に感謝しています

あと1日遅ければ、マグセントを使えないまま29w6d,30w0dで生まれていたであろう第2子が
32wギリギリまでお腹で過ごせたのは院長の決断のおかげです


産んでくれた両親、義両親にも感謝
いつも支えてくれる主人にも感謝

たくさんの笑いや幸せ、誰かに感謝することを教えてくれた子供たちにも感謝


私の周りに居る人達にも、私の不幸を背負ってしまったかもしれない知らない私にも恥じることないように

親として妻として、これからも毎日精一杯頑張っていきます

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