・ダーク色もそもそと干す冬日かな
暗い雰囲気しか書いていない句なのだけど、先生の評価を聞きたくて敢えて投句してみた。そして、真っ暗ではないけど、暗さで攻めたい時があって、それは自分らしさに繋がるのだろうか?と考えているところだったので。
11人での句会だったが、この句は零点。
先生からは、「例えば、この句のダーク色の部分が具体的な何かーモモヒキとかーだったとして、敢えて曖昧さを狙うということはあるが、果たしてダーク色というのが俳句に馴染むかというとそうではないように思う。はっきりさせたほうがよかったかも。もそもそと干す冬日かな、は問題ない」ということだった。
実際のところは、私の冬物の服が、黒やグレーなど、気がつけば暗い色味のものばかりで、洗濯を干しながらそのことに気づいた、そしてそれはその時の気分に妙にしっくりきた、という話。少し考えてそれらの色をまとめて「ダーク色」とするのは、それ以外に表現方法がない、とも思ったし、ちょっと面白いかなとも思ったのだけど、やはり何か自分でも「面白いのか面白くないのか」わからなさがあったのだと思う。評を聞けてよかった。
・窓の外冬雲ぢっと覗きをり
これは、以前作っていた「カーテンの外に動かぬ冬の雲」を直したもの。視点を雲の方に持っていって、こっちのほうが面白いだろう、と。
こちらも零点。
俳句じゃなくても言えることだと思うけど、「感動」として共感を得るのは、(そもそも時期としても新年だし)目出度いとか、明るさ、希望を感じるもののほうが多いと思う。
今更ながらに、思春期の感傷的なものが出ているのかと少しだけ客観視できた。
先生からは、視点が窓の内側の自分なのか、外の雲なのかはっきりしないということだった。経緯を説明したところ、それなら、「窓の外」ではなく、「窓の中」でもよかったのでは、とのこと。
・胃袋にもて余す餅我を知る
こちらは、一点。その方には共感いただけたようで、特選にしてくれた。
先生からは、「我を知る」が胃弱な自分を知るということ?と言われたが、「年齢です」と説明したら、点を入れてくれた方が激しく頷いてくれた。
去年の4月から何度か句会に参加したけれど、今回はいろんな意味で過去最低の結果だった。点数が入らないのもそうだし、先生から点が全くもらえなかったのも初めてかも。
句会が終了したあと、先生と少し話をした。
事務手続きについての話が終わると、「お家は落ち着きましたか?」と、先生。去年一昨年から母の介護でごたごたしていたのだ。
「今は落ち着いています。やっと、一夜漬けじゃなくて、普段から句を作ろうという気持ちのスタートラインに立てました」と報告させていただいた。すると、「俳句はね、2、3年してちょっとわかってきた頃に一回伸び悩むから。そこを我慢して続けてください」とおっしゃってくださった。
内心、今日の出来を見て、このアドバイスを思いついたのかな、と深読みしてしまった。
もしそうだとしても、先生が先生でいてくれることがやっと実感として伝わってきて、心にほんわかと灯火が点ったようだった。
実は、ここ数年、別に打ち込んでいる趣味がある。ひとつのことを極める奥深さは少しはわかっているつもり。
そして信頼できる師と出会う難しさも。
俳句は今のところ、全力投球よりも「長くやる」ことが目標。
まだまだ暗闇で手探りしているような感覚だけれど、多分わかってくるともっと面白くなるのだろうな。
点をもらえなかったのは地味に寂しくて、初鴉の句を出せばよかったと後悔している。ほんの少しだけど。
次回は「マスク」。