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名古屋にまつわりお話

名古屋に関係する記事を公開している日記。

漢達のメンズエステ体験記

メンズエステ通団

名古屋ドル紙幣ばら撒き事件

2011-04-17 10:15:07 | 日記
名古屋ドル紙幣ばら撒き事件とは、2003年12月23日に名古屋テレビ塔で起きた、デイトレーダーの男性が起こした事件。当時26歳の男性デイトレーダーが、株であまりに簡単に儲けられたため嫌気がさして、数千枚の1ドル紙幣と旧100円紙幣、総額約100万円をテレビ塔の屋上展望台から、撒き散らした事件である。彼はあしぎんフィナンシャルグループの株を1円と5円の時に約600万株を買って15円の時に売り抜けることで7000万~8000万円ほども儲けていたという。すぐに職員が取り押さえに行ったが、その際に男は、屋上の柵に身を乗り出し、「自分の金だから、好きにさせてくれ」と叫んだとされる。その後、職員に対し「株で大儲けした。クリスマスだから皆に還元したかった」と語ったという。ちなみに、ばら撒いた紙幣のうち約8割は通行人に持ち帰られた。2004年放映の『日経スペシャル ガイアの夜明け』でも紹介されるなど、デイトレードをしている者には認知されている事件である。現在のデイトレブームを世間に知らしめた事件の一つである。

名古屋フィルハーモニー交響楽団
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、名古屋市に本拠を置くプロのオーケストラ。略称は「名フィル(めいふぃる)」。日本オーケストラ連盟正会員。

歴史
1966年7月、愛知県内初のプロオーケストラとして発足し、同年10月に第1回演奏会を東海高等学校で行なった。
1971年4月、岩城宏之が初代音楽総監督に就任、1973年財団法人化。
1988年、初の海外公演としてヨーロッパツアー(広上淳一指揮)を、2000年には2度目の海外公演としてアジア8ヶ国ツアー(本名徹次指揮)を行なった。
2004年には、「プラハの春」国際音楽祭から招待され、3度目の海外公演ツアーを実施した。
2006年10月から11月にかけて、2度目のアジアツアー(下野竜也指揮)を行い、各地で好評を得た。
2008年、ティエリー・フィッシャーが常任指揮者に就任。2008年シーズンは「ツァラトゥストラ・シリーズ」と題する挑戦的なプログラムを選択し今後が期待されている。

名古屋マリオットアソシアホテル
名古屋マリオットアソシアホテルとは、名古屋駅に併設されているJRセントラルタワーズにある高級ホテルである。2000年(平成12年)5月にオープンした。

概要
東海旅客鉄道(JR東海)の子会社が運営するアソシアホテルズ&リゾーツの一つ、マリオット・インターナショナルブランドの一つになっている。ただし、JRホテルグループには加盟していない。(隣接する名古屋ターミナルビル内に所在した「ホテルアソシア名古屋ターミナル」が加盟していた。)ホテルフロントは商業区画(ジェイアール名古屋タカシマヤ)より上部の15階に位置し、計774室ある客室の平均面積は37平方メートルとゆとりを持った設定になっている。サービスの質を高めた特別なコンシエルジュフロアも35階~37階、47階、48階、49階に設定している。

施設
52F フレンチレストラン/スカイラウンジ
51F スカイバンケットルーム
20F~49F ゲストルーム(36Fビジネスセンター)
 35F~37F、47F、48F、49F コンシエルジュフロア
18F フィットネスクラブ/エステティックサロン/レストラン
17F 婚礼施設
16F・17F 宴会場
15F ロビー(JRセントラルタワーズスカイストリートに直通)  
1F・2F エントランス

名古屋モーターショー
名古屋モーターショーとは、東京モーターショー等とともに行われる日本国内5大モーターショーのひとつ。日本国内では東京モーターショーに次ぐ、2番目に歴史があるモーターショーとなっている。本家の東京モーターショーと同じく、1979年の第1回開催より2年に1度の開催となっている。1979年11月に中部経済新聞社と東海ラジオの共催により、吹上ホールにて前身の『ナゴヤモーターフェスティバル』が開催される(来場者数は74500人)。第2回開催の1981年からは、場所を現在も開催場所となっている名古屋市国際展示場に移す(来場者数は111900人)。その後、1991年の第3回開催より、名称を現在の『名古屋モーターショー』に変更する。 2009年開催の第16回開催では、その年の東京モーターショーには出展しなかったディーラーレベルではあるが、一部の欧米輸入車メーカーが出展し、ジャガー・XJ、シボレー・カマロ、ポルシェ・パナメーラなどがジャパンプレミアとなった。

名古屋ケーブルビジョン (NCV) は

2011-04-16 16:53:31 | 日記
愛知県名古屋市にある財団法人のケーブルテレビ局。

所在地
愛知県名古屋市北区大曽根三丁目4番12号
出捐金 = 1億6500万円

サービスエリア
愛知県名古屋市、春日井市、江南市、尾張旭市、北名古屋市、清須市、あま市、海部郡大治町の送電障害地区
岐阜県加茂郡七宗町全域

アドバ名古屋サイクロンズ
アドバ名古屋サイクロンズは、名古屋市を本拠地とするアメリカンフットボールのクラブチーム。Xリーグ西地区所属。
来歴
1970年に名古屋サイクロンズとして創部。Xリーグ発足以前には西日本1部でリーグ戦を戦っていた時期もあったが、1997年以降、長らく2部(X2リーグ)で戦い、上位争いを展開していた。2006年シーズンにX2西地区優勝を決め、入替戦でもイワタニサイドワインダーズを下して、念願のXリーグ昇格を決めた。 しかし、2007年シーズンは全敗に終わり、入替戦でも、Xに昇格経験のないアサヒプリテックゴールデンファイターズに10-7で敗退、わずか一年で再び2部に降格となる。2007年シーズンより、リクルーティング事業等を手がける株式会社アドバがスポンサーとなり、チーム名にもスポンサー名を冠してアドバ名古屋サイクロンズと改めている。

名古屋スポーツセンター
名古屋スポーツセンターは、愛知県名古屋市中区にあるスポーツ施設。昭和28年(1953年)9月に開業した。周辺地域が大須と呼ばれている事と通年営業のスケートリンクを擁する事から、地元では「大須スケート場」「大須スケートリンク」の別名で知られる。昭和59年(1984年)に住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)との共同事業で公団住宅を併設する現在の姿となった。一般向けのアイススケート場として利用されるだけでなく、ジュニアスクール(フィギュアスケート、アイスホッケー、スピードスケート)も開設されており、フィギュアに関しては山田満知子、門奈裕子など一流の指導者が揃っている事から、ここから伊藤みどり(世界選手権優勝)、恩田美栄(四大陸選手権2位)、安藤美姫(世界選手権優勝)、浅田真央(世界選手権優勝)、中野友加里など世界的なフィギュアスケート選手を多数輩出している。なお、大人向けの教室(アイスホッケー、スケートフォークダンス)の他に、クラシックバレエや社交ダンスなどの教室も開設されている。

名古屋タイムズ
名古屋タイムズとは、中日新聞社の関連企業であった社団法人名古屋タイムズ社が、かつて発行していた夕刊紙である。1946年5月創刊、後述のとおり2008年10月31日発行分をもって休刊した。略称「名タイ」(めいたい)。

概要
終戦間もない1946年5月21日に創刊。中部日本新聞(現・中日新聞)の用紙配給増加のため、中部日本新聞の僚紙的位置付けとして「名古屋タイムズ」は創刊された。日本新聞協会加盟社の中では唯一の都市型夕刊専門紙。名古屋市など愛知県と岐阜県、三重県(伊賀・東紀州地区は除く)及び静岡県西部(大井川以西)と滋賀県東部の一部(米原市など)で販売されている(原則として日曜日は休刊。祝日と年末年始は朝刊での発行)。東海旅客鉄道(JR東海)、名古屋市交通局、名古屋鉄道、近畿日本鉄道の各鉄道事業者の駅売店、コンビニエンスストア、中日新聞の販売店で購入する事ができた。出勤途中のサラリーマンらが車内で読んでいる光景をよく目にする事ができた。一般販売のほか、名タイ本社屋(中日会館)1階に、名タイ及び関連紙のレジャーニューズの一部紙面を貼る掲示板が設置されていた(休刊後は中日新聞関連のポスターなどが掲示されている)。テレビ・ラジオの番組表は、中日新聞社で製作されたものをそのまま掲載していた(テレビ欄は中日新聞夕刊愛知県版と同様の内容、ラジオ欄は同夕刊愛知・岐阜・三重県版と同様の内容でテレビ欄の表示カットは独自で製作。ラジオ欄の表示カットは中日新聞と同様の物を使用、テレビ番組解説記事は自社製作)。土曜発行分では、当日分と共に、休刊日の日曜のテレビ欄も掲載されていた。グループ企業の関係で、中日新聞社の書籍関連の広告も頻繁に掲載されていた。関連紙に週2回発行の「レジャーニューズ」(1963年に「レジャータイムズ」として創刊。プロレス・風俗情報を掲載。日本全国の駅売店・コンビニで販売)があった。

2008年10月31日付け・紙齢20834号を最後に休刊

2011-04-15 18:56:05 | 日記
社団法人は2009年3月31日に解散したが、完全子会社であった名古屋タイムズ印刷株式会社は経営を続ける。東海地方において新聞の休刊は近年例がなく、また本紙が地元密着の新聞であったことから、同紙の休刊当日は、関連企業の中日新聞夕刊での報道を始め、テレビ・ラジオでもこの件が伝えられた。

解説者(評論家)
中日ドラゴンズ関連記事
平光清(元セ・リーグ審判。「独断ジャッジ 平光一筆」を担当しているが、プロ野球シーズンオフの紙面構成等により11月下旬頃から2月上旬まで休載することもある)毎週金曜日にドラゴンズ全般について遠慮なく指摘する「覆面評論家 X氏が斬る」というコーナーがある。しかしコーナー名のとおり匿名での解説のため、毎週決まった人物が解説しているのか、または週替わりの解説者が担当しているのか、真相は不明。

名古屋グランパス関連記事
城山喜代次(中京大学体育学部講師。元中京大学サッカー部総監督・元中京大学附属中京高等学校サッカー部監督・東海ラジオ ワイルドサッカー解説)砂田浩克(中京大学サッカー部監督)など

歴史
1946(昭和21)年5月21日 - 「名古屋タイムズ」創刊
        同年9月19日 - 社団法人設立認可
1951(昭和26)年5月21日 - 名タイ少年少女賞制定
1963(昭和38)年4月12日 - 「レジャータイムズ(後のレジャーニューズ)」創刊
        同年9月24日 - 名古屋市中区西川端町(現在の大須4丁目、栄3丁目 ⇒ 久屋大通と若宮大通が交差する付近)から、名古屋市中区丸の内に移転
1973(昭和48)年7月1日 - 名古屋タイムズ印刷株式会社、株式会社総合広告を設立
2008(平成20)年10月31日 - 「名古屋タイムズ」「レジャーニューズ」休刊
2009(平成21)年3月31日 - 社団法人が解散

紙面構成
記事は名古屋の事件、事故、中日ドラゴンズ、メジャーリーグ、街ネタ、裏話、競馬や競艇などのギャンブル、性風俗関係の情報が中心。夕刊フジや日刊ゲンダイと似た趣を持つ夕刊紙である。多大に週刊誌的な要素が含まれている。休刊までは「市内版」と遠隔地向けの「E版」との2版体制で発行していた。

毎日連載
4コマ漫画「ホットくん」(平ひさし作。3面)
名タイスポーツ(主に中日ドラゴンズに関するニュース・話題。ドラゴンズに関しては番記者が担当)
Fishingレーダー(東海・北陸周辺の釣り場の釣果などを掲載)
各種コラム(毎日連載されているものもあれば、曜日限定連載のものもある)
「名タイ」にコラム等を寄稿する主な著名人
愛知県選出の国会議員(「政論紙上バトル」で不定期)
角谷浩一(不定期で2面に「角さんの永田町裏表」を連載)
志賀内泰弘(不定期で「志賀内氏がいく」を担当)
在名放送局のアナウンサー(「続ハマるアナ」で不定期)
大澤広樹(東海ラジオ放送スポーツアナウンサー。毎週水曜日の名タイスポーツ「名タイ紙面実況・竜(ドラ)のアナ」を担当)
過去
鳳啓助(晩年に「鳳啓助 元気じるし」を芸能面に週一で連載)
大川豊(2008年4月29日付けまで「大川興業の活字爆テロ」を週一で連載。全233回の長期にわたった。大川が活発に行っている様々な政治家との交流や、それを通じての世相批評が話題の中心だった)
安田拡了(2008年8月7日付けまで「格闘技インサイド 獅子たちの時代」を週一で連載。こちらも全548回の長期にわたった)

(休刊による)主な特集紙面・記事
10月8日 - 名古屋 夕刊復活の日 終戦翌年5月21日、名タイ産声(「名古屋金鯱物語」最終回に名タイの誕生当時の様子を写真とともに紹介)
10月14日 - 「名古屋の歴史の証人だった」名タイOB惜別ざっくばらん対談(名タイが誕生したころに入社したOB2人が思い出や現在の活字離れなどを対談)
サヨナラを言う前に(名タイと縁があった著名人にロングインタビューを実施)
10月15日 - 鈴木敏夫(スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。高校生まで名古屋に住んでいた際に父親が名タイを愛読。自身も石原慎太郎の「青春とはなんだ」などを読んでいた)
10月16日 - 林香里(東京大学・大学院情報学環准教授。高校生の時にロサンゼルスで交換留学生として滞在した様子を名タイ記者に語り、他の高校生とともに紙面を飾った)
10月17日 - 鈴木礼治(元・愛知県知事)
10月20日 - 岡田邦彦(現・名古屋商工会議所会頭、松坂屋会長)
10月21日 - 呉智英(評論家。名古屋市出身。1999年に父親の介護のため現在の清須市に戻ってくる)
10月21日 - 北村想(劇作家。時代が様変わりして夕刊紙の命運は尽きたのかもしれない、という持論を展開)
10月22日 - 岡本信也(野外活動研究会代表。雑誌編集者を経て1974年から路上観察をライフワークとする)
10月22日 - 諏訪哲史(小説家、2007年芥川賞受賞。名鉄電車の車掌などの社会人経験から夕刊紙のあり方を語る)
10月24日 - 矢野きよ実(タレント。生粋の名古屋人である自身及び父親と、名タイとの深い関わり合いを披露)
10月27日~10月30日 - 名タイ昭和写真館(全4回。2008年9月1日付けより毎週月曜日に連載してきた企画の特別編。1950~1960年代の名古屋市内を中心とした風俗を名タイ秘蔵の写真で振り返る。内容は順次「乗り物編」「空撮編」「娯楽編」「プロの技術と道具編」)
10月31日 - この日の全16ページから成る紙面には、通常の記事と共に、下記のとおり休刊関連の話題・特集が掲載された。
1面 - 金山駅の新聞売店にて、店主が名タイ休刊を知らせる張り紙を貼る写真。『歴史に幕』『ありがとう さようなら』という見出しを付けた休刊を知らせる記事。
3面 -名古屋タイムズ社屋のシンボル的存在だった屋上の航空灯関連の記事。1969年に本来の役目を終えたが、その後も街のシンボルとして1996年6月まで名タイが入居する中日会館屋上に設置されていたものである。
12面 - 「さようなら&ありがとう名タイ~読者編」(神田真秋現・愛知県知事、松原武久現・名古屋市長を筆頭とした、地元著名人及び一般人の名タイ読者・総勢63名のお別れメッセージを1ページで掲載。特に松原は「(市役所を)退庁する時に持って出る夕刊は名古屋タイムズだけ。ほかの夕刊は持っていかない」と、その強い思い入れを語った)
最終面(裏1面) - 中日ドラゴンズを代表して、チーム一の読者を自認する山本昌投手のインタビュー(写真として自身の200勝を伝える記事が載った名タイを読む姿)、元デスクと元ドラ番記者によるドラゴンズを取材しての思い出話。

「社団法人名古屋タイムズ社」について
本社所在地:名古屋市中区丸の内一丁目3番10号 ※本社屋は名タイ所有の社屋ではなく、関連企業の中日新聞社が所有する「中日会館」である。支社:東京(東京都中央区)、大阪(大阪市北区)取材拠点として愛知県庁・名古屋市役所・愛知県警のそれぞれの記者クラブがある。新聞社としては珍しく社団法人である。そのような理由から代表者の肩書きは理事社長となっている。社団法人の新聞社には徳島新聞社もある。なお、東京新聞も中日新聞社発行となるまで発行していた東京新聞社は社団法人であった(後に株式会社となった)。名古屋タイムズは設立の経緯などから歴代の理事社長や理事には、中日新聞社社員が出向し就任していたが、名古屋タイムズが社団法人であったため、直接的出資などはなく法人としての中日新聞社とは法令上の「親子会社」の関係ではなかった。

関連事業(子会社など)
名古屋タイムズ印刷株式会社(唯一の「会社法人」)
社団法人名古屋タイムズ社会事業団

「社団法人」となった経緯
新聞社としては珍しく社団法人となっている。理由としては初代理事社長・勝田重太郎(中部日本新聞社相談役)の「新聞は社会の公器である。いかなる権力や、資本の圧力に左右されないことが必要である」とする経営理念にもとづくものであった(中日新聞三十年史・関連企業編のページより引用及び参考)。

名古屋テレビ放送株式会社は

2011-04-14 10:58:58 | 日記
テレビ朝日 (EX) をキー局とするテレビ朝日系列 (ANN) のテレビジョン放送局である。通称は名古屋テレビ、メーテレ。

概略
名古屋テレビ放送のデータ
英名 Nagoya Broadcasting
Network Co.,Ltd.
放送対象地域 中京広域圏
(愛知県・岐阜県・三重県)
ニュース系列 ANN
番組供給系列 テレビ朝日ネットワーク
略称 NBN
愛称 メ〜テレ
呼出符号 JOLX-(D)TV
呼出名称 なごやテレビ
(デジタルテレビジョン)
開局日 1962年4月1日
本社 〒460-8311
名古屋市中区橘2-10-1
演奏所 本社と同じ
アナログ親局 名古屋 11ch
ガイドチャンネル 11ch
リモコンキーID 6
デジタル親局 名古屋 22ch
主なアナログ中継局 #チャンネル参照
主なデジタル中継局 #チャンネル参照
特記事項:
元日本テレビ系。
リモコンキーIDはANNでは、ABC、HTBと同じ6ch。
表・話・編・歴
中京広域圏(愛知県・岐阜県・三重県)を放送対象地域とするテレビ放送局。2003年4月より“メ〜テレ”という名を局の愛称として採用。以後、『ニュースステーション』(現・報道ステーション)や『ワイド!スクランブル』などテレビ朝日系列のニュース・情報番組での制作協力クレジットや報道記者のテロップ、および新聞のテレビ欄などで“メ〜テレ”と表記するようになる。現在はトヨタ自動車の持分法適用会社でもあり、朝日新聞グループとともに過半数の株を占めている。かつてのマスコミ出資は毎日新聞社と読売新聞社があり、殊に読売グループはテレ朝系完全移行後も相当数出資を続けていたが、現在でも比率を下げながら資本関係を維持している。独立UHF局のテレビ神奈川 (tvk) と友好協力関係協定を結んでいるが、テレビ神奈川は中日新聞が株主に入っている。テレビ神奈川の筆頭株主で社屋を共有している神奈川新聞社は、朝日新聞社の関連会社である。同局の関連会社として、久屋大通地下の栄セントラルパーク地下街などがある。

エピソード
現在の社屋敷地は、もともと読売新聞が名古屋進出を計画した際、中部本社の予定地として真宗大谷派名古屋別院(東本願寺名古屋別院、通称:東別院)から入手したもので、クロスネット局時代の名残りと言える。ここにはかつて名古屋テレビが経営する住宅展示場「住宅パーク東別院」が存在した。現在の社屋は、ドラマ『コーリュー』(江川達也原作・脚本)のラストシーンで出てくる(原作の設定同様建設中のビルだったため)。隣接する旧社屋(現在のメ〜テレアネックス)敷地も東別院からの借地である。なお、『あさ7時のニュース』を『読売新聞7時のニュース』として放送した開局当初はまだ読売は中部地区では発行しておらず、1975年に中部読売新聞として創刊した。当時の読売新聞中部進出の尖兵として活躍したのが、後に地産グループ(現在は倒産)を創業した読売OBの竹井博友であった。歴史的には、東別院周辺一帯は織田信秀の居城(古渡城)があった場所と云われ、社屋の北側には落城後に作庭した庭が、公園として今も当時の面影を残している。 最寄り駅である名古屋市営地下鉄名城線東別院駅の広告主で、同駅には“メ〜テレ前”の表記がある。開局時、無線局の免許申請者が9社も現れたが、郵政省(当時)の取りまとめにより、うち5社が合流して改めて免許申請を行い、開局の運びとなった。 開局当初、FMラジオ局を兼営する計画が立っており、社屋もその想定のもとで造られたが、エフエム愛知が開局したことにより断念。以前の社名“名古屋放送”も、FMラジオ局を兼営する含みで名付けられたもの。1987年に正式社名を変更した。2003年4月に“メ〜テレ”を局の愛称に採用・施行。以来、この愛称を放送対象エリア内のみならず全国的に使うようになった。同時に、正式社名である“名古屋テレビ”のロゴとマークも変更している。マークはこれまでの11やNとTを図案化したものから、稲妻を2つ並べたようなデザインに変更。“名古屋テレビ”のロゴは本社の玄関で見られるが、“メ〜テレ”の愛称をメインに使用しているため、放送番組などではほとんど使われていない(公式サイトでも一切表示していない)。これを機に、それまで放送してきた『Bella』シリーズや『Let's ドン・キホーテ』などの自社製作番組群を打ち切り、『メ〜テレワイド サンダー5』や『メ〜テレナイト 女子アナの穴』などメ〜テレの名を冠する新番組群を続々とスタートさせたが、そのほとんどが半年から1年ほどの間に終了している。

愛知万博(愛・地球博)では“メディア朝日”として、朝日新聞社、テレビ朝日、朝日放送とともに愛・地球広場の運営に携わった。後述の通り、1973年にテレビ朝日系列に一本化しているが、現在でも日本テレビが大株主に名を連ね、一方のメ〜テレもまた日本テレビの大株主に名を連ねている。本来は放送対象地域ではないが、岐阜県郡上中継局から共同受信施設で受信することにより福井県大野市東部(旧・和泉村域)でも同局の放送を視聴することができる。福井県の放送局福井放送は、ANNに加盟しているもののクロスネット局であり、テレビ朝日のフルネット系列局ではない。そのため、名古屋テレビは同地域の住民には貴重なフルネットの放送チャンネルとして扱われている(大野市東部でも個別で高性能アンテナによる直接受信も可能)。なお、再送信はアナログ放送のみで、民放連の方針や地元局の不同意により中京広域圏局の地上デジタル放送再送信は認められておらず、再送信は行われていない。2009年度上半期の決算で、開局以来初めての赤字(▲5億円)を計上した。岐阜県の中津川・郡上八幡の両地区ではメ~テレのアナログ放送が6chで放送されており、奇しくもデジタル放送のリモコンキーIDと一致した。 デジタル放送の受信機表示アイコンはリモコンキーIDの「6」の右に上記の稲妻マークを配したデザインとなっており、チャンネル番号「061」では青、「062」では赤、「063」ではオレンジ色で表示される(いずれも背景色は白)。

番組編成の特徴として

2011-04-13 20:00:48 | 日記
『機動戦士ガンダム』シリーズ3部作ほかサンライズ制作のテレビアニメを製作したテレビ局として、全国的にも知名度が高い。なお、1990年代に同局で放送した『機動戦士Vガンダム』 - 『機動新世紀ガンダムX』の4作はテレビ朝日の製作である。
在名民放テレビ局の中で最もアナウンサーに力を入れている局であり、女子アナウンサーを起用した番組をよく製作することで知られる。しかし、メ〜テレでは実務経験が求められるため、女子アナの多くは中途採用者で新卒者は少なく、加えて雇用面では契約社員という待遇であるため、フリーアナに転身する者も多い。岡山裕子や小島一宏らも、元はメ〜テレのアナウンサーである。自社製作番組に宮地佑紀生、矢野きよ実、伊藤秀志などの在名の地元タレントを起用することが多い。彼らは在名他局のラジオ番組などで長年活躍してきた者ばかりで東海圏では知名度が高いため、固定の視聴者層が付くことが望めるが、反面、彼らの起用は番組そのものが新鮮味に乏しくなるとの批判もある。以前は在名他局と同様に、自社製作番組に吉本興業のタレントたちを積極的に起用していた。2000年以降から関係が希薄になっていったものの、現在では高山トモヒロ、ロバート、キングコングらを番組のレギュラーに起用している。また、さまぁ〜ずや伊集院光、スピードワゴンなどを擁するホリプロ、ビビる大木などを擁するワタナベエンターテインメントなど東京のプロダクションとの関係も強めている。

改編期ごとに深夜番組の放送枠を茶飯事的に移動させており、付け焼刃的な編成と呆れられる面もある。特に放送期間の長い『タモリ倶楽部』や『探偵!ナイトスクープ』などでは顕著である。キー局であるテレビ朝日に対し従属的であるが、2010年現在、メ〜テレが与えられている全国ネットの自社製作枠は日曜朝7:00 - 7:30のアニメ枠のみであり、全国ネット番組の製作を複数任せている同じ非中日系列の中京テレビ (CTV) やテレビ愛知 (TVA) 、中日系列の中部日本放送 (CBC) とは対照的である。ただし、『キングコングのあるコトないコト』に関しては遅れネットが多数であるものの、全国放送に近い状態になっている。なお、中日系列の東海テレビ (THK) も、キー局から与えられている全国ネット製作枠は月 - 金曜13:30 - 14:00のテレビドラマ枠のみである。同じテレビ朝日系列局で隣接地域局でもある朝日放送 (ABC) とは友好関係にあり、朝日放送の番組を数多くネットしている。ANN系列局の中で、水曜どうでしょうClassicの放送がもっとも遅い(製作局であるHTBよりも201週6日遅い)。そのため自社ホームページのお問い合わせのカテゴリの中の上位に名を連ね、多くの意見が寄せられるという。古くからドラマを自社製作していたが、全国ネットではなく、あくまでもメ〜テレのみでの放送を前提としているものだった。ただ、それが全国的に話題になることも多かった。また、このようにドラマ製作の実績があることから、開局記念番組などで全国ネット放送のスペシャルドラマも数多く作っている。

他の在名局では深夜枠に多くの自社製作番組を制作・放映しているが、メーテレの場合平日はネオバラエティやナイトinナイトのネットに加え、外国ドラマの放映まで行っているため、深夜枠の自社製作番組が少ない(しかし内容のよいものが作られるため一部の製作番組は多くのネット局を持つ)。また、系列局番組ネットによる枠確保のために自社製作番組を終了させる、といった措置も少なくない(水曜どうでしょう放映の場合など)。ニュース速報のIDは、英略称「NBN」のモールス符号「-・ -・・・ -・」である。テレビ朝日系列に一本化して以降、テレビ愛知と同様に、長らく中日対巨人戦の中継を放送していなかった。ただし、テレビ朝日系列局製作のヤクルト・広島・阪神主催の対中日戦に関しては過去に時折放送し、実況をメ〜テレ側で差し替えることもあった。また、大洋 - 横浜・阪神主催の場合は独立UHF局製作の映像にメ〜テレ独自の実況を乗せて放送したこともあった。一方の中京テレビは、日本テレビ製作の巨人対中日戦を放送することができる。しかし、2006年4月29日にはテレビ朝日製作の東京ドーム巨人対中日戦の中継を放送した。クロスネット時代に日本テレビ製作の巨人対中日戦を中継して以来のことで、メ〜テレにとっては34年ぶりの生中継であった。2007年・2008年にもテレビ朝日製作の巨人対中日戦中継を放送している。また、近年は朝日放送製作の阪神対中日戦の中継をネットする場合もある。在名局の中で恒常的な終夜放送を一番早く開始したのはメ〜テレである。当初は気象情報に音楽を流すものであったが、徐々にその枠も減少し、現在では深夜番組が充実したためにあまり流さなくなった。ただし、プロ野球の日本シリーズやゴルフ中継など、延長放送を対応する番組が存在する放送日は、時間調整のクッション役としてその枠を多く取る。在名放送局のホームページの中で唯一FAQ(よくある問い合わせ)を定期的に更新しており、テレビ朝日の個別の番組についてネット受け可否や放送日時・時間を詳細に対応している。

沿革
1959年
11月24日 - 中京テレビ放送としてテレビジョン放送局免許を申請。
1961年
7月10日 - 競願者と申請を一本化し、改めて中京テレビ放送としてテレビジョン放送局免許申請。
7月14日 - 中京テレビ放送に予備免許交付(呼出符号:JOLX-TV)。
8月30日 - 中京テレビ放送株式会社、創立総会開催。
9月6日 - 中京テレビ放送株式会社(現在の同名局とは別)設立。
11月25日 - 第1回株主総会で名古屋放送株式会社に社名変更決定(略号はNBN、略称は“名古屋テレビ”)。
1962年
3月10日 - 試験電波発射開始。
3月13日 - 中京テレビ放送から名古屋放送に社名変更。
3月20日 - 名古屋放送に本免許交付(呼出符号:JOLX-TV VHF:11ch)。
3月25日 - サービス放送開始。
4月1日 - 本放送開始。日本テレビと日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)のクロスネットとしてスタート。
1966年
4月 - NNNに加盟(1973年3月まで)。
12月 - カラー放送開始。中京地方の局では3番目。
1969年
4月1日 - 中京ユー・エッチ・エフテレビ(現在の中京テレビ放送)が開局。この日から名古屋放送は日本テレビとNETテレビの人気番組をネットし、残った番組を中京テレビに割り振るという変則クロスネットを採用。
1970年
1月 - 中京テレビ放送とともにANNに加盟。
3月 - 全日本大学駅伝中継をNETテレビ系列で全国放送。
4月 - 日本テレビとの間で、ゴールデンタイムの枠固定を目的とした3年間の番組ネットに関する業務協定を締結。
1972年
中京テレビ放送とともにNNSに加盟し、1973年3月までNNS加盟局が二社体制となる。
9月 - 日本テレビとの協定を破り、10月編成で土曜19時30分-21時30分の2時間枠をNETテレビとの同時ネット番組とする事を発表。
9月26日 - 日本テレビが名古屋地裁に上記編成に対し契約保全の仮処分を申請。係争となる。
10月4日 - 名古屋地方裁判所が和解勧告を出し、翌日に日本テレビとの間で和解調書に調印。契約の有効性を認めながらも、土曜20時台はNETテレビの同時ネット番組を放送する事となった。
10月21日 - 例年、名古屋放送でネット受けしてきた「プロ野球日本シリーズ・巨人軍ホームゲーム」が、この日より中京テレビでの放送となる。
12月27日 - 日本テレビ社長の小林與三次、NETテレビ社長の横田武夫、名古屋放送副社長の川手泰二、中京テレビ社長の佐藤信之介のトップ会談で、東海圏のテレビネット一本化が決定。いわゆる「変則クロスネット」の解消。詳細はネットチェンジの項を参照。
1973年
4月1日 - NETテレビとの単独ネットとなる。
1986年
5月 - 音声多重放送(JOLX-TAM)開始。在名局での音声多重放送の開始は最後発。
1987年
4月1日 - 社名を正式に名古屋テレビ放送に変更。愛称を“NagoyaTV”とするが、後に“名古屋テレビ”に戻る。
1998年
4月1日 - 愛称をカタカナ表記の“ナゴヤテレビ”とする。
2003年
3月31日 - 愛称を“メ〜テレ”とする。同時にマスコットキャラクターも変更。
7月16日 - 独立UHF放送局のテレビ神奈川と友好協力関係協定を結ぶ。岐阜放送(ぎふチャン)とも友好協力関係があり、業務提携も行われている。
11月24日 - 旧社屋(現:メ〜テレアネックス)の隣に完成した新社屋マスター(東芝製アナログ・デジタル統合マスター)から放送開始。
12月1日 AM11時 (JST) - 地上デジタル放送 (JOLX-DTV) 開始。
2010年
2月5日 - CS放送事業を目的とする子会社の名古屋テレビネクスト株式会社を設立。同2月26日に株式会社USENから『シーエスGyaO』事業を譲受する。
6月1日 - 在名民放初のCSチャンネル『エンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ』が開局。

テレビの時刻出し、天気ループ表示では

2011-04-12 14:03:39 | 日記
時刻
通常表示は白色で、フォントはアナログではFixedSys(Windowsのテキストエディタ『メモ帳』で使われるフォント)の半角の黒縁(以前は興和フォント、Times New Roman似の時計文字であった)。デジタルでは平成丸ゴシックの半角の黒縁。『脱アナ大作戦(平日早朝)』『やじうまテレビ!』『ドデスカ!』『スーパーモーニング』ではカスタム表示(CM中は通常表示)。カスタムフォントは赤色に白色の縁で、アナログ放送(FixedSys切り替わりはクロスカット)とデジタル放送(平成丸ゴシック切り替わりは横回転)では、フォントが異なる。2008年4月からデジタル放送での表示位置は16:9(HD画面)の位置になっている。それまで(2008年3月まで)は4:3(SD画面)の位置となっていた。

平日 4:50 - 9:54
2009年3月27日までは4:25分から行っていたが「やじうまプラス」短縮に伴い、「脱アナ大作戦」放送開始の4:50へ変更した。過去には16:50-18:53に表示していたが、2002年4月から現在の単体での天気ループに変更している。ただし、CM中と『スーパーJチャンネル』放送時は表示しなかった。
土曜 4:50 - 9:28
日曜 4:35 - 9:57
主に『KID'S NEWS』放送開始時刻から時刻表示を開始。

天気ループ表示
名古屋テレビでは、『ANNニュース』(昼・全日)と『スーパーJチャンネル』(週末版も含む)にて天気ループを画面の左上に表示をしている。ただし、CM中や提供テロップ表示中、天気予報は除く(CM中以外はいずれも一部表示あり)。地名表示パターンは朝・昼・夕方共通で、中京圏(名古屋・豊田・豊橋・岐阜・中津川・高山・津・鳥羽・尾鷲)と東京・大阪を表示する。

朝(時刻出しと併記)
今日の天気、今日の最高気温、今日の降水確率、洗濯情報、花粉情報(3月 - 4月)および紫外線情報(6月 - 8月)の順。

やじうまテレビ!(月曜 - 金曜 4:55 - 5:50)
ANNニュース(朝)(月曜 - 金曜 5:50 - 5:58)
ドデスカ!(月曜 - 金曜 6:00 - 7:57、土曜 6:30 - 7:55)
スーパーモーニング(月曜 - 金曜 8:00 - 9:54) - 2007年1月22日から。
ただ、スーパーモーニングにおいては4:3(SD画面)の位置の場合、一部の画面右上のテロップが天気ループと重なったこともあったため、前述どおりデジタル放送では16:9(HD画面)の位置に変更した。
昼(画面左上表示)
今日の天気・最高気温 → 降水確率(午後 / 今夜)、洗濯情報、花粉情報(3月 - 4月)および紫外線情報(6月 - 8月)の順。

ANNニュース(昼)(月曜 - 金曜 11:45 - 11:59、土曜 11:45 - 11:57、日曜 11:50 - 11:57)
夕方(画面左上表示)
今夜の天気・降水確率、翌日の天気・最高 / 最低気温 → 降水確率(午後 / 今夜)、洗濯情報、花粉情報(3月 - 4月)および紫外線情報(6月 - 8月)の順。

スーパーJチャンネル(月曜 - 金曜 16:54 - 18:17、土曜-日曜 17:30 - 17:53)
UP!(月曜 - 金曜 18:17 - 19:00) - 『ヤン坊マー坊天気予報』の直前のCM前まで表示。
元々平日の夕方は時刻を表示していたが現在の単体での天気ループに変更してからは、これまで『スーパーJチャンネル』放送時でも表示するようになり、週末版でも表示するようになった。以前まで、週末版では画面左上のテロップと重なっていたが(テレビ朝日では時刻表示を行っていないため)、テレビ朝日側の考慮により最近ではほとんど解消している。

テレビアニメに関して
ウィキプロジェクト アニメ

ポータル アニメ
「テレビ朝日系アニメ」および「テレビアニメ」も参照
メ〜テレは、旧・名古屋放送(日本テレビ系列)時代の1969年に在名局としては初の自社製作アニメ『六法やぶれクン』を製作して以来、2010年現在放送中の『バトルスピリッツ ブレイヴ』に至るまで30作品以上を製作している(30分アニメのみ)。この30作品以上のうち、サンライズ(旧:日本サンライズ)の作品は全体の9割近くを占めている。
1980年代および1990年代における製作作品はロボットアニメが殆どで、富野由悠季が原作・総監督を務めた初期の『ガンダムシリーズ』3部作や、1990年から1997年まで放送した『勇者シリーズ』により名古屋テレビは全国区で名を馳せた。しかし、『勇者シリーズ』の視聴率低迷により、一時はキー局のテレビ朝日より枠の消滅を示唆した。これに従い、名古屋テレビはロボットアニメの製作をやめることで何とか放送枠を維持することができたという話である。
なお、土曜17:30枠で名古屋テレビのアニメが系列局で放送していた時代、朝日放送は同枠で『部長刑事』を放送していた関係で、金曜17:00からの先行放送を行っていた。また、九州朝日放送 (KBC) も同枠でテレビ東京系『ヤンヤン歌うスタジオ』を放送していたため、『重戦機エルガイム』までは朝日放送と同時の先行放送を行っていた。この2局には名古屋テレビが同時に裏送りを実施していたものと思われる(メ〜テレ アニメ史)。
『勇者シリーズ』の終了後、同局のアニメは日曜7:00枠へ移動し、以来、この枠でロボットアニメ以外の子供向けアニメ全般を製作・放送するようになった。これは、メ〜テレの名を用いるようになった現在でも同様である。
同局に限らず在名局全てにおいて言えることだが、在名局製作アニメで放送対象エリアの生活文化(八丁味噌やひつまぶしなどの名産品、名古屋弁や三河弁などの方言)を扱った作品は、テレビ愛知で放送した『やっとかめ探偵団』以外には存在せず、むしろ無国籍風の作品が多い。最も日本の生活文化が描写していた同局製作の『無敵ロボトライダーG7』においても、舞台は(はっきりと示してはいないが)東京の下町風であった。対して在阪局製作アニメでは、大阪西成区を舞台にした毎日放送製作の『じゃりン子チエ』が有名なように、放送対象エリア内を舞台にした作品が幾つかあるのとは対照的である。
自社製作ではないが、1973年に日本テレビ系列局で半年間放送したバージョンの『ドラえもん』は、この地方では当初名古屋放送で放送する予定だった。しかし、放送開始直前になって中京テレビとの変則クロスネットが解消し、名古屋放送はNETテレビ系に、中京テレビは日本テレビ系に一本化したため、中京テレビで放送することになった。

『鎧伝サムライトルーパー』二重放映事件
『鎧伝サムライトルーパー』1988年9月3日放送分(第18話・恐怖の妖邪帝王)が、スタッフの人為的ミスにより先週放送済の放送分(第17話・明かされた鎧伝説)を2週続けて放送するという放送事故が起きた。放送直後より全国の視聴者から苦情が殺到し、翌日、各新聞でもこの騒動が取り上げられると言う騒ぎにまで発展した。このことにより全国に宣伝になったかどうかは定かでないが、騒ぎとは逆に番組の視聴率は上昇した模様。翌週、お詫びの放送とともに無事「第18話・恐怖の妖邪帝王」を放送し、取りあえず騒動は収まった。しかし、この件が響いて全40話を放送する予定が1話減り、全39話という形で番組は放送を終了した。
なお、朝日放送は同枠で前述の『部長刑事』を放送していた関係上、『サムライトルーパー』は金曜17:00枠で先行放送していた。そのため、関西地区では予定通り第18話を放送し、翌週の放送分は別のアニメの再放送で穴埋めした。この先行放送も送り出しは名古屋テレビが行っていたため、二重放送の遠因となったと考えられる。1998年春の番組改編では現在の日曜7:00枠へ移行して以来、朝日放送も同時ネットで放送するようになった。
当事件についての詳細は、以下の参考リンクを参照。
参考リンク: 『鎧伝サムライトルーパー』第17話の二重放映事件

深夜アニメ・UHFアニメに関する事情
自社製作の深夜アニメ作品に関しては、在名局ではCBCテレビが圧倒的に強いためその陰に隠れるようになっているが、実はそのCBCテレビに先駆けて、先述の『六法やぶれクン』が在名局のみならず、在京キー局以外で製作した史上初の深夜アニメである。それから約30年後の2000年に、テレビ朝日との共同で『Sci-Fi HARRY』を製作している。2010年現在、在名局で深夜アニメの製作実績があるのはメ〜テレとCBCテレビのみである。 2006年10月からは、朝日放送との共同製作UHFアニメ『銀色のオリンシス』を1クール放送していた(テレビ朝日には逆ネットせず、UHFアニメとして放送)。そして2007年4月からは、メ〜テレとしては38年ぶりの単独製作深夜アニメとなる『ウエルベールの物語 〜Sisters of Wellber〜』を製作した(東京都域独立UHF局のTOKYO MXと朝日放送にネットのため、UHFアニメに分類される)。それ以後も2008年3月まで新作深夜アニメを製作・放映していた(アニフリを参照)。UHFアニメ草創期から、中京広域圏の総世帯数の約93%が視聴可能と言われるテレビ愛知で放送する作品が多かった。しかし、テレビ愛知はテレビ東京系の深夜アニメもネットしている関係で枠が逼迫している事情もあり、中京広域局でのネット局としてメ〜テレを選択する例も目立つようになった。メ〜テレのUHFアニメ参入は2002年8月放送開始の『プリンセスチュチュ 卵の章』からで、在名広域局としてはCBCテレビに次いで2番目である。ちなみに、中京・関西両地区で広域局にてUHFアニメを放送する場合には同一系列局のセットになる例が殆どだが(県・府域放送局であれば、テレビ愛知とテレビ大阪(TVO)の組み合わせもある)、メ〜テレと朝日放送の組み合わせは、先述の『銀色のオリンシス』で初めて実現した。また、『ヤミと帽子と本の旅人』及び『グレネーダー ほほえみの閃士(せんし)』地上波版において、かつてクロスネット関係であったMBSとのセットになった事がある。テレビ朝日製作の深夜アニメは関東ローカルの作品が多い一方で、メ〜テレの深夜アニメ枠が「テレビ朝日製作もしくは系列局製作の深夜アニメよりUHFアニメの放送本数の方が多い、もしくはキー局よりUHFアニメを含む深夜アニメの放送本数が多い」という現象が度々見られた。

2007年4月以降、テレビ朝日の深夜アニメは不定期的な放送となり、メ〜テレでも2010年1月期には深夜アニメそのもの放送本数が0本となっていた。ただし、同時期のUHFアニメの総本数自体が激減している影響もあり、他の広域局でも中京テレビとCBCテレビの2009年10月改編時に始まった作品が2クールであったために辛うじて1本維持している状態であり、2010年4月改編では広域4局全てでUHFアニメが無い状態となっていた。2010年7月より『セキレイ 〜Pure Engagement〜』が放送されたが、2010年10月以降は再び0本となっている。その他、週によって放送時間が変わることがよくある。先述の金曜深夜枠で放送してきたUHFアニメは、『女子高生 GIRL'S-HIGH』までは月最終週の『朝まで生テレビ!』放送時は放送時間が重なる関係で放送休止になっていた。その上、他の曜日や時間帯への振替も行われなかったため、一時期は他地域よりも1か月以上の遅れを伴って放送していたが、『コヨーテ ラグタイムショー』以降は時間変更の対応が行われていることから、遅れの拡大はなくなり、辛うじて1か月以内に縮小した。これは、全12話の作品が殆どのため、他地域では改編時期に1週間の空きが出来るが、メ〜テレではこれに該当しないためである。ちなみに、毎日放送の『アニメシャワー』枠放送作品でも、ほぼ同様の理由で似たような状況がしばしば発生する。

オープニング・クロージングを調べてみた。

2011-04-11 23:05:15 | 日記
オープニング
開局 - 1969年
犬二匹が並び「ワンワン」→「11」の文字を形成する。局のチャンネル『11』に引っ掛けた内容のモノクロアニメーション。
1969年 - 1980年
名古屋市内の空撮映像。
名古屋テレビが建設し名古屋市に寄贈した噴水・希望の泉の映像。
希望の泉にある女性像の映像が、名古屋テレビ本社前にある同じ像の映像に変わる。
局舎全景をバックにロゴマークを表示。その後、グレーバックにライオンのイラストを表示。その横には各地のチャンネルを表示していた。
なお、BGMはクロージングのものよりも明るい曲調のバージョンがを使用していた。
1981年 - 1987年
当時のマスコットキャラクター、宇宙坊やが当時の名古屋テレビのマークが書いてある玉に乗り、宇宙から虹を通って名古屋の町へと動き回り去ってゆく。最後にマークとともに「名古屋テレビ」と表示して終了。音声多重放送開始後は、宇宙坊やが去る直前にコールサインを表示するようになった。
1987年 - 1991年
ミーアキャットがテレビの周りに集まる。そのテレビの画面に「Nagoya TV」というテロップが映り、最後に「きょうもお元気でお過ごしください」「JOLX-TV・JOLX-TAM 音声多重放送」という表示が出て終了。BGMはオフコースが歌う『僕等の時代』のバージョン違い。
1991年 - 2001年
長良川の様子や、そこに生息する魚などを映し出す。その後、「名古屋テレビです」のアナウンスとともに名古屋テレビのマークが出て終了。BGMは、明日香というアーティストが歌う曲『長良川』を使用。この歌は長良川河口堰建設反対のために歌われたものであったが、その後、長良川河口堰が建設されてしまった。1995年からは、歌詞が「流れを明日へ」から「流れを止めないで」に変更していた。映像やBGMは、同じものを使用。
2001年 - 2003年3月
穂高連峰と思われる山岳に朝日が昇る様子が映り、名古屋テレビという表示とコールサインが出て終了。BGMは、エリック・クラプトンの『ティアーズ・イン・ヘヴン』をグレゴリアンがカバーしたものを使用。撮影地点は奥穂高岳山頂。このバージョンからハイビジョン撮影になった。
2003年4月 - 2009年3月
アナログ放送 - マスコットキャラクターのウルフィが星に乗って宇宙などで動き回り(途中で数回吠える)、横にウルフィーがいる状態で「メ〜テレ JOLX-TV・JOLX-TAM」という表示が出て終了。過去には、さらにその後「JOLX-TDM」という表示もあった。ちなみに、BGMは映画『E.T.』のテーマ曲である。
デジタル放送 - 羊の鳴き声で目が覚めたウルフィ。羊を狙いに行こうとすると牧羊犬が現れ、羊を追っていく。羊の大群がウルフィのいる方に向かって突進、慌てて逃げるもウルフィはその流れに呑み込まれてしまう。憤慨したウルフィは牧羊犬に体当たりをして吹き飛ばし、「名古屋テレビ メ〜テレ JOLX-DTV」の表示とアナウンスが流れて終了。BGMはない(版権上、アナログ放送のオープニングを使えなかった可能性がある)。
2008年7月24日からは、地上アナログ放送終了告知画面(30秒、BGM、ナレーション付き)を放送している。ただし、他局のようにオープニングとクロージングの前後では放送せず、オープニング放送後最初のCM冒頭でアナログ放送のみ告知画面に切り替える形で放送している。例として、2009年3月までの平日『やじうまプラス』最初のCM冒頭がある。
2009年4月 - 現在
デジタル・アナログほぼ共通 - 滑車状で回転しながら徐々に変化する街を歩くウルフィ。メ〜テレ社屋と思われる建物も出てくるほか、一周し終わる頃にさり気なくデジタルチャンネルの「6」(ウォーターマークに使用しているもの)が登場する。その後、以前のデジタル放送用に使用していた局名告知とほぼ同じカットが登場し「名古屋テレビ メ〜テレ JOLX-DTV(アナログ放送は、JOLX-TV JOLX-TAM)」を表示する。
ナレーション担当者は星恭博で、BGMは無い。デジタル版では「JOLX-DTV、名古屋テレビデジタルテレビジョンです」、アナログ版では「名古屋テレビ、アナログ放送です」とそれぞれ入る。

クロージング
開局 - 1969年
詳細不明。
1969年 - 1980年
グレーバックにライオンのイラスト(時期によっては立体的な図形の組み合わせ)を表示。その横には各地のチャンネルを表示していた。
夕暮れの栄の街角(栄交差点付近)と名古屋市電の映像。
希望の泉の映像。
名古屋テレビ塔をバックに夜景が映し出す。
ロゴマークを表示。
1981年 - 1987年
オープニングとほぼ同様だが、クロージングではコールサインの表示がなかった。
1987年 - 1991年
オープニングとほぼ同様だが、「きょうもお元気でお過ごしください」の表示がクロージングでは「明日もいい1日でありますように…」に変えられていた。
例外として、昭和天皇が崩御した翌日の1989年1月8日付の放送終了時にもこの映像を放送していたが、上述の表記は1月9日付の早朝放送の案内の1枚画(「明日は午前6時のモーニングセンサーから通常放送をお送りします」)に差し替えられていた。
1991年 - 2003年3月
オープニングと同様。映像の一部差し替え等もなし。
2003年4月 - 2009年3月
アナログ放送 - オープニングと同様のものが使用しているが、「Goodmorning」の表示がクロージングでは「Goodnight」に変えられている。
デジタル放送 - 共通。
2009年4月 - 現在
デジタル放送・アナログ放送共通

番組冒頭のテロップ他
番組の種類などによって細かく決められている様子。

ハイビジョン制作
自社製作番組用と、時差ネット用に2種類用意していた。しかし、2008年7月24日より「ハイビジョン制作」に変わり「アナログ」の表示に切り替わったため、基本的に表示しなくなった。

自社製作
テレビ朝日のものとは異なりHI-VISIONの英語表記はない上、全体的にサイズが小さい。そして、テレビ朝日同様縁取りは行われていない。字幕テロップを同時に表示する場合や『どですか!』では下記の時差ネット用のものを使用していた。

時差ネット用
製作局と比べて、数分・数時間ではなく、数日遅く(早く)時差ネットをする番組や、他局製作番組の再放送では、テレビ朝日のものを黒縁取りしたものが使われている(例えば『相棒』の再放送)。これは、11月12日放送の自社製作特番『芸能人おなかの悩み告白しちゃいますSP』で使用してから、それ以降時差ネットの番組や再放送の番組に使用していた。

字幕
2007年10月ごろまで「文字放送 字幕」と表記しており独自のデザインだったが、2007年11月初めからテレビ朝日と同様の「字幕」と書かれた“ひよこ”のデザインに変更になった。さらにテレビ朝日とは異なり、大きさはやや小さく、黒縁取りをしている。しかし、11月に一度ミスなのか、独自のデザインで表示した日がある。

データ放送
テレビ朝日同様、2007年10月下旬から『相棒』『おいしいごはん』などで表示している。こちらも黒縁取りあり。

二ヶ国語放送
「((二ヶ国語))」と表記している。こちらも黒縁取りあり。2008年10月以降はテレビ朝日からのネット番組のみテレビ朝日側からのテロップ出しに変更した。

ウォーターマーク
地上デジタル放送では、画面右端に「メ〜テレ6」と書かれたウォーターマークがCM中を除き常時表示している。表示開始当初はテレビ朝日系全国同時ネット番組(ローカル扱いの番組は除く)放送時は表示せず、自社製作番組や時差ネット番組、および全国ネット番組でも深夜0時以降放送の番組に限りウォーターマークを表示していたが、2008年10月からは全国同時ネット番組でも常時表示するようになった。

名古屋テレビ塔は

2011-04-10 12:08:48 | 日記
愛知県名古屋市中区栄の久屋大通公園に立つ、日本で最初に完成した集約電波塔。名古屋テレビ塔株式会社(Nagoya TV Tower Corporation)が保有・運営している。1953年(昭和28年)9月19日着工、昼夜を通して工事が行われ、1954年(昭和29年)6月19日竣工、翌日には開業・電波の発射を開始した。高さ180m。設計者は内藤多仲。名古屋市中心部のシンボルとして親しまれている。現在はNHK名古屋放送局(総合・教育)、中部日本放送(CBC)、東海テレビ放送(THK)、名古屋テレビ放送 (NBN)のVHF4局がここから地上波アナログテレビの電波を送信している。名古屋市内の繁華街ということなどもあり、一部放送局の中にはお天気カメラを設置しているところもある。

構造
地上90mにスカイデッキ、100mに金網で囲まれたスカイバルコニーがあり、名古屋市街や御嶽山などの眺望が楽しめる(展望階は有料)。3階にはレストランの他、娯楽コーナーや土産を売るショップもある。夜間にはライトアップが毎日、日没30分前-26時に行われており、ライトアップの中でもセントラルパークからのレーザー光は特に目立つ。なお、地上デジタルテレビジョン放送はNHK、民放5局ともに瀬戸市幡中町に新たに建設した瀬戸デジタルタワーを電波塔として利用している。その理由は、既存の名古屋テレビ塔及び東山タワー(中京テレビ放送(CTV)本社敷地内にあるUHF・FM鉄塔)が築50年及び30年以上経過しており、これらにデジタルテレビ用の送信アンテナを設置するには強度不足と判断されたためで、名古屋テレビ塔は2011年をもって電波塔としての役目を終える予定である(東京タワーと違い、ラジオ局や業務無線のアンテナは設置されていない)。また、航空法51条および51条の2により地上60メートル以上の塔や煙突は赤白塗装(昼間障害標識)が義務付けられているが、テレビ塔は同51条の制定(1960年航空法改正時に追加された)前に完成されたことから赤白塗装にする義務はない。そのため完成当初から銀色塗装となっている。テレビ塔は約7年おきに塗装の塗り替えを行っている。2006年(平成18年)に行われた大改装により、3階に設置されていたレストラン、娯楽コーナーや土産を売るショップは無くなり、現在はレストランが入っている。4階にはギャラリーが設置され、30mの高さからの景色は見られなくなってしまっている。最上階展望スペース(100メートル地点)からエレベーターホール(30メートル地点)までは外側に設置された階段で昇降できるようになっており、「スカイウォーキング」として毎月決まった日に一般に開放されている(2006年の改装以前は常時開放されていた)。階段は落下防止用の金網で囲まれているが、風除け等の措置はされておらず、風の弱い日でも階段上ではかなりの風を感じる。加えて直接地上が見える状態であるため、高所が苦手な人は注意を要する。

歴史
久屋大通公園からライトアップされたテレビ塔を望む。1954年
6月20日 開業。当時はテレビ塔を超える高層建築物はどこにも無かった。
8月22日 NHK名古屋放送局が総合テレビジョンの放送をVHF3chで開始。
1956年 展望階段を使ったクライミング競争を開催。
12月1日 中部日本放送がVHF5chで本放送開始。
1958年12月25日 東海テレビ放送がVHF1chで本放送開始。
1962年
3月27日 NHK教育テレビジョンの放送をVHF9chで開始。
4月1日 名古屋放送(現在の名古屋テレビ放送)がVHF11chで本放送開始。
1964年 入塔者1,000万人達成。
1968年 地上100メートルの展望バルコン完成。
1973年 ナイフ男が現れ、3人が重軽傷を負う騒ぎが発生。
1989年 ライトアップ開始。
1998年 入塔者3,000万人達成。
2003年 デイトレードで儲けた男性がテレビ塔の展望台から紙幣をばら撒く事件が発生。(名古屋ドル紙幣ばら撒き事件)
2005年 文部科学大臣により「国土の景観に寄与しているもの」として国の登録有形文化財に登録。
2006年 レストランや土産売場があったフロアを改装し、名古屋を基盤としたレストラン「ゼットン」が入居。名古屋の名所や放送文化を紹介するコーナーも設置。
2008年 NPO法人地域活性化支援センターが主催する恋人の聖地に認定される。
2011年
7月24日 アナログ放送終了予定。

他のテレビ塔との比較
名古屋テレビ塔(1954年竣工、高さ180メートル)
さっぽろテレビ塔(1957年竣工、高さ147.2メートル)
東京タワー(1958年竣工、高さ333メートル)
東京スカイツリー(2012年竣工予定、高さ634メートルを予定)

名古屋テレビ塔が登場する作品
モスラ対ゴジラ - 四日市から出現したゴジラが誤って尻尾を塔に引っかけてしまい、そのまま崩壊させる。
ゴジラvsモスラ - 市街地に侵入したバトラが角の力で破壊する。
モスラ3 キングギドラ来襲 - 上空に飛来したキングギドラが翼を激突させ破壊する。
大日本人

名古屋デジタル工科専門学校は

2011-04-09 16:11:07 | 日記
愛知県名古屋市中村区椿町にある私立専修学校。学校法人都築俊英学園が設置する。1991年(平成3年)に名古屋工業専門学校として開校。機械・自動車・CG・ゲーム・建築・バイオ分野に関する専門知識・技術を習得することができる。なお同校舎には姉妹校の名古屋デジタル・アート専門学校も入っている。

沿革
1991年(平成3年) - 名古屋工業専門学校を開校
2009年(平成21年) - 名古屋デジタル工科専門学校に改称
建学の精神
人間はその人でなくてはならない何か優れた特性を持っている。それを第一義的な特性と呼び、その特性を伸ばし育てて、社会が要求する人材として育成する。

設置学科
機械・自動車工学科(昼間2年)
機械工学分野
機械設計分野
自動車整備分野
メカトロニクス分野
CG・ゲーム学科(昼間2年)
CG分野
ゲームクリエイター分野
Web分野
デジタルアニメーション分野
建築デザイン学科(昼間2年)
建築士学科分野
建築設計製図分野
建築CAD分野
建築施工管理分野
インテリアデザイン分野
バイオ工学科(昼間2年)
遺伝子工学分野
食品分析分野
環境公害分野

資格取得
機械設計技術者試験
CAD利用技術者試験
CATIA認定技術者試験
危険物取扱者試験
フォークリフト運転者
CGエンジニア検定
CGクリエイター検定
webクリエイター能力認定試験
建築CAD検定試験
福祉住環境コーディネーター検定試験
2級建築士試験
2級建築施工管理技士
バイオ技術者認定試験
毒物劇物取扱責任者試験
公害防止管理者試験

交通
R東海名古屋駅太閤通口から徒歩2分
名古屋市営地下鉄名古屋駅、名鉄名古屋駅、近鉄名古屋駅から徒歩6分

施設
製図室
CAD実習室
就職指導室
CG・ゲーム実習室
自動車実習室
CATIA実習室
自動車整備実習場

主な系列校
横浜薬科大学
日本薬科大学
第一薬科大学
日本経済大学
第一工業大学
近畿医療福祉大学
福岡こども短期大学
第一幼児教育短期大学
第一薬科大学付属高等学校
福岡第一高等学校
鹿児島第一高等学校
鹿児島第一中学校
リンデンホール小学校
リンデンホールスクール中高学部

名古屋ルーセントタワーは

2011-04-08 13:20:43 | 日記
愛知県名古屋市西区にある牛島市街地再開発組合(名古屋鉄道、中部電力、トヨタ自動車、住友生命保険、大成建設、ほか個人1名)のオフィスビル兼商業施設である。

概要
東面は全面ガラスの緩やかなカーブを描いており、通常全方位から見られることを意識して作られる高層ビルとしては非対称形という特徴を持つ。名古屋駅周辺の線路側にはこのビルの特徴であるカーブ面が見えにくいため、列車の乗客にとっては一般的なガラスウォールの方形高層ビルに見える。また、地下道「ルーセントアベニュー」によって、地下鉄東山線名古屋駅から徒歩約5分で結ばれている。線路側には窓がほとんどないが、これは日の照る線路側からの日光をさえぎり、空調の効き目を良くするためである。

エレベータ基数  26基(非常用含む)
駐車場台数  372台  
環境アセスメント委託先  玉野総合コンサルタント

名古屋中国総領事館の国家公務員宿舎跡地移転問題
名古屋中国総領事館の国家公務員宿舎跡地移転問題とは、愛知県名古屋市にある中華人民共和国駐名古屋総領事館が、同市北区名城3丁目にある国家公務員宿舎跡地に移転・拡張する計画について、その是非が問われている問題である。名古屋市は反対しているが、国有地を所管する財務省の野田佳彦財務大臣が了承を出すに至っている。外務省側で本件を担当する伴野豊外務副大臣は現在のところ取材には答えていないため問題の解決が図られるかは明らかにされていない。

関連年表
1971年(昭和46年)
2月、アメリカ合衆国と中華人民共和国との代理戦争とも言われたベトナム戦争において、南ベトナム軍とアメリカ軍がラオスに侵攻。
3月28日から4月7日まで、名古屋市で第31回世界卓球選手権が開催。その裏で米中のピンポン外交が行われた。
1972年(昭和47年)
2月21日、リチャード・ニクソン米大統領が中華人民共和国を訪問(参照)。
9月29日、日中国交正常化
2005年(平成17年)
3月25日から9月25日まで、愛知万博が開催された。
9月26日、中国駐名古屋領事館が愛知県名古屋市中区栄1-3-3にあるヒルトン名古屋内(地図)に開設。
9月下旬、中国が、日中中間線から4kmほど中国側の位置でガス田の生産を開始(参照)
2006年(平成18年)
4月25日、中国駐名古屋領事館が愛知県名古屋市東区東桜2-8-37(地図)に移転。
2007年(平成19年)
8月20日、王毅在日本中国大使が、中国駐名古屋領事館を総領事館に昇格したと発表
2009年(平成21年)
4月、名城住宅に入居している国家公務員とその家族が新公務員宿舎の城北住宅に転居する。
2010年(平成22年)
4月15日から7月14日まで、東海財務局は取得希望の受付と審査を行った。
5月1日、上海万博が開幕。
6月、日本政府は中国政府に、売却出来るのは南向きの31,000m²の区画の北側と飛び地だけであると伝えた。
8月、中国は南向きの31,000m²の区画の南北全てを要求する。
9月7日、尖閣諸島中国漁船衝突事件が発生。
9月27日、政務三役会議にて野田佳彦大臣に経緯が報告され、外務省の判断を待つこととなった。
10月31日、上海万博が閉幕。
12月19日、1万人の反対署名が提出されるなどしたために東海財務局が審査を無期限延期としたと産経新聞は報じた。

移設に対する意見
名古屋市
河村たかし名古屋市長は「国有地払い下げの権限は国にあるんです。土地利用計画の決定権は地方自治体にありますが、国がどうしても売るといったら、最後まで反対出来んでしょう。尖閣の領海侵犯事件の後で、市の一等地を中国に渡すなど市民県民は許しませんよ。慎重のうえにも慎重にしてほしいと、民主党に申し入れ、凍結してもらいました」として反対を表明するとともに凍結されたとしている。しかし、財務省東海財務局国有財産調整官は凍結されていないとしており、河村たかし名古屋市長の発言を否定していたが、その後の市民による反対活動を受けて審査を無期限延期となった。名古屋市民によって中国への払い下げに反対するデモや署名活動が行われ1万人の反対署名が提出された。
「中国領事館問題を考える市民の会」が名古屋市民によって設立されるとともに、市民からは「なぜこんなに好い土地を中国に売り渡すのであろうか?中国はこんなに広い総領事館が必要なのか?」といった疑問の声が出されている。

愛知学院
愛知学院は南向きの31,000m²の区画の南側を購入しようとしているが中国が取得しようとする区画に含まれているため問題となっている。
その他の意見
ジャーナリストの櫻井よしこは、日本の在中国公館は全て賃貸であるのに対して中国公館は現在買収を行おうとしている名古屋と新潟以外はすでに土地建物を取得しているので相互主義という点に疑問を呈している。
領土議連事務局長の松原仁代議士は「国際的規範も守らない。我々とは全く異なる価値観を持つ国に土地を売るのは極めて慎重であるべきです。」として慎重であるべきとしている

名古屋中小企業投資育成株式会社は

2011-04-07 17:25:21 | 日記
愛知県名古屋市中村区に本社を置くベンチャーキャピタルである。中小企業投資育成株式会社法に基づき設立された特殊会社であり、姉妹会社として東京中小企業投資育成と大阪中小企業投資育成がある。営業範囲は東海三県と富山県・石川県であり、エリアより東側は東京中小企業投資育成が。西側は大阪中小企業投資育成が担当している。

沿革
1963年(昭和38年)11月18日 - 中小企業投資育成株式会社法に基づき設立。
1994年(平成6年) - 株式会社投資育成総合研究所を設立。
2005年(平成17年) - 名古屋投資育成第1号投資事業有限責任組合を組成。
2006年(平成18年) - 名古屋投資育成第2号投資事業有限責任組合を組成。

名古屋丸の内三郵便局
名古屋丸の内三郵便局は、愛知県名古屋市中区丸の内にある郵便局である。民営化前の分類では無集配特定郵便局であった。

概要
住所:〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-2-5
日本郵政グループ名古屋ビル(旧日本郵政公社東海支社社屋、旧郵政省(郵政事業庁)東海郵政局庁舎)1階に設置されている。
入居する建物は2007年(平成19年)10月1日の民営化後、郵便局株式会社が「日本郵政グループ名古屋ビル」として所有、当郵便局のほか郵便局株式会社東海支社、郵便事業株式会社東海支社、かんぽ生命保険名古屋支店、日本郵政株式会社中部ファシリティセンターが入居している。なお、ゆうちょ銀行名古屋支店は中区大須の名古屋中郵便局に併設されている。

沿革
事実上の前身である、名古屋中央郵便局郵政局内分室の沿革については名古屋中央郵便局#沿革を参照。
1996年(平成8年)4月1日 - 名古屋中央郵便局郵政局内分室を廃止。跡地に無集配特定郵便局である東海郵政局内郵便局を開局[1]。
2003年(平成15年)4月1日 - 公社化(日本郵政公社東海支社の発足)に伴い、名古屋丸の内三郵便局に改称。
2007年(平成19年)10月1日 - 民営化。

名古屋保育・福祉専門学校
名古屋保育・福祉専門学校(なごやほいく・ふくしせんもんがっこう)は、愛知県名古屋市昭和区にある私立専修学校。

沿革
1958年 - 文部大臣より幼稚園教員養成所の指定を受ける
1959年 - 厚生大臣より保母養成所の指定を受ける
1973年 - 名古屋保育専門学校と改称する
1977年 - 専修学校に認可される
1999年 - 厚生大臣より介護福祉士養成施設の指定を受け、名古屋保育・福祉専門学校に改称する

名古屋先進量子医療研究所
名古屋先進量子医療研究所は愛知県名古屋市に本社を置く医療系ベンチャー企業。日本で初の民間出資による重粒子線がん治療の開始を目的として設立された医療系ベンチャー。2010年(平成22年)、愛知県大府市に名古屋高度先進医療センターを開業予定であったが資金難により2度にわたり着工が延期されている。

沿革
2004年(平成16年)6月18日 - 設立。
2010年(平成22年) - 愛知県大府市に名古屋高度先進医療センターを開業(予定)。

関連事項
名古屋市も同年、市内北区に現在計画中のクオリティライフ21城北内の(仮称)西部医療センター中央病院に同様の施設を設置予定である。名古屋高度先進医療センターは炭素線を使用し、名古屋市が計画中の施設は陽子線を使用する。

名古屋区検察庁は

2011-04-06 11:28:23 | 日記
愛知県名古屋市中区にある日本の区検察庁の1つであり、名古屋簡易裁判所管内の案件を担当する区検察庁である。名古屋区検(なごやくけん)と略称されることもある。中区に本庁のほか、交通分室が設けられている。

所在地
本庁 - 愛知県名古屋市中区三の丸1丁目7番1号
名城線市役所駅(1番出口)から徒歩5分。
名古屋市営バス「市役所」バス停から徒歩5分
交通分室
鶴舞線・桜通線丸の内駅(1番出口)から北東へ徒歩5分
名城線市役所駅(5番出口)から西へ徒歩11分

愛知県内の区検察庁
春日井区検察庁
所在地:愛知県名古屋市中区三の丸4丁目3番1号
管轄:春日井市、小牧市
瀬戸区検察庁
所在地:愛知県名古屋市中区三の丸4丁目3番1号
管轄:瀬戸市、尾張旭市、愛知郡長久手町
津島区検察庁
所在地:愛知県名古屋市中区三の丸4丁目3番1号
管轄:津島市、愛西市、弥富市、あま市、海部郡大治町、海部郡蟹江町、海部郡飛島村
半田区検察庁
所在地:愛知県半田市宮路町200番地の1
管轄:半田市、常滑市、東海市、大府市、知多市、知多郡阿久比町、知多郡東浦町、知多郡南知多町、知多郡美浜町、知多郡武豊町
一宮区検察庁
所在地:愛知県一宮市公園通4丁目17番地の3
管轄:一宮市、稲沢市
犬山区検察庁
所在地:愛知県一宮市公園通4丁目17番地の3
管轄:犬山市、江南市、岩倉市、丹羽郡大口町、丹羽郡扶桑町
岡崎区検察庁
所在地:愛知県岡崎市羽根町字北乾地50番地1
管轄:岡崎市、額田郡幸田町
安城区検察庁
所在地:愛知県安城市横山町毛賀知24番地の1
管轄:安城市、碧南市、刈谷市、西尾市、知立市、高浜市、幡豆郡一色町、幡豆郡吉良町、幡豆郡幡豆町
豊田区検察庁
所在地:愛知県豊田市常盤町1丁目105番地3
管轄:豊田市、みよし市
豊橋区検察庁
所在地:愛知県豊橋市大国町111番地
管轄:豊橋市、豊川市、蒲郡市、田原市
新城区検察庁
所在地:愛知県豊橋市大国町111番地
管轄:新城市、北設楽郡設楽町、北設楽郡東栄町、北設楽郡豊根村

名古屋医療情報専門学校
名古屋医療情報専門学校は、愛知県名古屋市熱田区にある私立専門学校。旧称は名古屋情報経理専門学校。北海道情報大学のほか全国に10校の専門学校を有する電子開発学園 (EDC) グループの一校。

学科医療情報管理学科 医療情報コース
医療事務学科 医療事務コース
医療秘書学科 医療秘書コース
ビジネス情報学科 情報経理コース
ビジネス情報学科 ITビジネスコース

名古屋南貨物駅
名古屋南貨物駅は、愛知県東海市元浜町50にある名古屋臨海鉄道南港線の貨物駅である。

取扱貨物
コンテナ貨物 - JR規格12ftコンテナ、JR規格20ft・30ft大型コンテナ、20ft・40ftISO規格海上コンテナ、新日本製鐵専用線発着コンテナを取り扱う。
専用線発着車扱貨物

駅構造
新日鐵への専用線分岐部。石灰石は鉄鉱石の製錬過程で不純物を取り除くために使用される(2009年1月)2面2線のコンテナホームを有する地上駅。かつては操車場と1面1線の有蓋車用貨物ホームを有する駅であったが、1985年ごろにコンテナホームが設置されたため撤去された。駅北側1kmほどの地点で、本線から新日本製鐵名古屋製鐵所へ続く専用線が分岐している。この路線はコンテナや石灰石の受け入れ時に使用されている。石灰石は西濃鉄道乙女坂駅から発送されている。

名古屋南郵便局は

2011-04-05 09:31:40 | 日記
愛知県名古屋市南区にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。

概要
住所:〒457-8799 愛知県名古屋市南区松城町2-29
併設施設
郵便事業名古屋南支店
沿革
1969年(昭和44年)6月23日 - 名古屋南郵便局として、開局。
1975年(昭和50年)10月10日 - 名古屋笠寺駅前郵便局の廃止に伴い、取扱事務を承継。
1994年(平成6年)7月1日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。
2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業名古屋南支店に一部業務を移管。

取扱内容
名古屋南郵便局
郵便、印紙、ゆうパック、内容証明
貯金、為替、振替、振込、国際送金、外貨両替・トラベラーズチェック、国債、投資信託
生命保険、バイク自賠責保険、自動車保険、がん保険、引受条件緩和型医療保険
地方公共団体事務(名古屋市敬老パスの交付)
ゆうちょ銀行ATM
郵便事業名古屋南支店
名古屋市南区内の集配業務
ゆうゆう窓口

名古屋商科大学大学院
名古屋商科大学大学院は、愛知県日進市米野木町三ヶ峯に本部を置く日本の私立大学である。1990年に設置された。大学の略称は名商(めいしょう)、名商大、商大、英略称は「NUCB」。

教育の特徴
学校法人栗本学園が設置する大学院。名古屋伏見に事務局および教室を設置し、東京都千代田区と大阪市北区にサテライトキャンパスがある。日本国内においては文部科学省からの大学院設置基準に基づく認可を受け、国際的なマネジメント教育の権威とされるAACSBおよびAMBAによるMBA国際認証を受けた国内で初の大学院。社会人を対象とした週末集中型(土日)のMBAプログラムWeekend MBAを開催し、在籍者数は350人を超え国内最大規模のビジネススクールとなる。教育手法としては豊富なオリジナルケースをベースにした独自のケースメソッドを展開しており、文部科学省による「特色ある大学教育支援プログラム」にも採択される等の実績を有している。「eduniversal」による世界MBAランキング2008において「Top Business School」にランクインするなど、国際色を強く打ち出している。

設置研究科
マネジメント研究科(MBA)
会計ファイナンス研究科(M.Sc)

海外提携
海外提携ビジネススクールとの国際交流も活発に行われており、カナダの「アルバータ大学」やタイ王国の「タマサート大学」、フランスの「グルノーブル・エコール・ド・マネジメント」など世界各国48校の協定校への留学制度があり、留学先での修得単位は修了要件単位として認定される。また、「マサチューセッツ工科大学(MIT)」スローンスクールへの留学制度「エグゼクティブISL集中プログラム」があり、学校推薦を行い同プログラムを修了した者には単位互換を行う

沿革
1935年 栗本祐一、名古屋鉄道学校創立。
1953年 名古屋商科大学(商学部商学科)開学。
1990年 大学院(全国で初の経営情報学研究科)開設
2000年 全国で初の一年制大学院・情報技術コース開設
2000年 名古屋駅前にサテライトキャンパスを開設。
2001年 地下鉄伏見駅前に大学院名古屋伏見キャンパス開設。
2002年 大学院グローバル・ビジネスコミュニケーション研究科開設。
2003年 土日型MBAプログラム「Weekend MBA」を開始
2004年 会計ファイナンス学部開設、大学院マネジメント研究科開設。
2005年 東京丸の内ビルディングでMBAプログラムを開始。
2006年 国際的な大学評価機関「AACSB」より国内2番目の正式認証を受ける。
2006年 文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」にWeekend MBAが認定される。
2007年 大阪梅田キャンパスでMBAプログラムを開始。
2008年 国際的な大学評価機関「AMBA」から国内初の正式認証を受ける。

名古屋国際女子マラソンは

2011-04-04 18:34:00 | 日記
毎年3月に愛知県名古屋市を舞台に繰り広げられるマラソン大会である。

概要
1980年に20kmロードレース大会としてスタート。東海テレビによると、当初は豊橋市で行われ、名古屋に移ったのは1982年(名称が『中日名古屋スピードマラソン』に変更される)であるという。その後、1984年にフルマラソン大会へと格上げされ、同時に名称を『国際招待名古屋女子マラソン』に変更されるが、翌1985年から現在の名称が使用される。コースは瑞穂陸上競技場を発着地として名古屋城を周回する42.195kmで争われ、横浜国際女子マラソンや大阪国際女子マラソンと同様に市内の名所を通る。代表的な場所はナゴヤドームや久屋大通公園そして折り返し地点となる名古屋城等が挙げられる。2000年のシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子(2009年は引退レースとして一般参加)、2004年のアテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきは共にこの大会の優勝者として名が刻まれている。名古屋から4大会連続でオリンピック女子マラソン代表(1996年真木和、2000年高橋尚子、2004年土佐礼子、2008年中村友梨香)を輩出している。また、2000年大会以降は日本の選手が優勝しているほか、大阪と異なり、通算で3回以上優勝した選手がいない。その年にオリンピック・世界陸上選手権・アジア競技大会が行われる場合、その女子マラソンの最終代表選考会として位置づけられている。1994年にびわ湖毎日マラソンと当大会の日程が入れ替わってからは、当大会がスケジュール的に男女を通じてマラソンの最後の選考会となるため、当大会の翌日に男女揃って代表選手が発表されることが多い。 2011年は東北地方太平洋地震のため、中止となった。2012年からは「マラソンフェスティバルナゴヤ・愛知」(仮称)としてハーフマラソンの名古屋シティマラソンとの同時開催になり、女子のエリート選手と市民ランナーによるフルマラソン競技として実施される予定。フルマラソンの部は、名古屋ウィメンズマラソンとなり、1万5000人の参加者を募る予定である。

主催 日本陸上競技連盟、中日新聞社(名古屋本社)
主管 愛知陸上競技協会
後援 愛知県、名古屋市、愛知県教育委員会、名古屋市教育委員会、東海テレビ放送、AIMS
協賛 日本メナード化粧品
メナード化粧品は、テレビ中継のメインスポンサーにもなっている地元企業である。

テレビ・ラジオによる中継体制
テレビ
東海テレビをキーステーションにFNS系列28局ネットで全国放送する。
中継は看板スポーツアナを中心とした東海テレビのアナウンサーが担当する。メイン実況は森脇淳(2004年から)。かつては吉村功が定年退職後も2005年(2004年・2005年は競技場実況)まで務め、2006年からは吉村が担当していた競技場実況を小田島卓生にバトンタッチした。
ちなみに大会当日は、中京競馬場で中央競馬が開催され、東海テレビでは自社制作している。以前は東海テレビもアナウンサー4人体制だったが、マラソン中継などのあおりを受け、現在は斉藤誠征・加藤晃の2人体制となった。テレビ中継では毎年第1放送車として東海テレビの移動中継車が、第2放送車はフジテレビの移動中継車が使われているが、2006年は全編ハイビジョンで放送するため、第1放送車がフジテレビ、第2放送車が関西テレビの移動中継車が使われ、同局の大橋雄介が実況を担当した。2008年からはフジテレビの竹下陽平が第2移動車の実況を担当。又、2002年には第2放送車として福島テレビの移動中継車(東日本女子駅伝中継で使用)が使われた。かつては第2放送車の実況にフジテレビから福井謙二、関西テレビから馬場鉄志が助っ人として担当していたことがあった。1990年代中頃(詳細時期失念)にはNNN・NNS系列の青森放送でも後日ハイライトとして放送していたことがあった(現在は行われていない)。

ラジオ
1984年のフルマラソン格上げ時より東海ラジオで放送開始。但し1996年大会はSTVラジオに、2008年まではニッポン放送でもネットされていた。またオリンピック選考予選と重なった場合や,代表が大阪で決まらない場合など全国的に注目されると急遽ネット局が増える場合がある。東海ラジオ本社スタジオを「放送センター」として使用・放送の中心とし、中継車2台・瑞穂陸上競技場からの実況やレポートを交えて放送を進める(以前はコース中の数ヶ所にもアナウンサーを配置・実況を行っていた)。 近年は元ニッポン放送スポーツアナウンサーでフリーアナウンサーの深山計が実況スタッフとして加わっている。 また解説は、大阪体育大学の豊岡示朗や元ダイエー陸上部所属でマラソン選手だった山本佳子が担当している。 ラジオ放送ということもあり、マラソン中継中随時、東海ラジオのみコース周辺の車両規制情報等を本社スタジオから伝えている。 中継で放送されるジングルのひとつに、当大会の英語表記名を男性外国人がしゃべったバージョンがある。

名古屋城は

2011-04-03 10:36:29 | 日記
尾張国愛知郡名古屋にあった城郭である。通称、「金鯱城」、「金城」とも呼ばれた。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。

概要
名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われている。大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。大小天守や櫓、御殿の一部は昭和初期まで現存していたが名古屋大空襲(1945年)によって天守群と御殿を焼失し、戦後に天守などが復元され、現在城跡は名城公園として整備されている。

戦国時代
16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いたとされる柳ノ丸が名古屋城の起源とされる。この城は、のちの名古屋城二の丸一帯にあったと考えられている。1532年(天文元年)、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名された。信秀は一時期この城に居住し、彼の嫡男織田信長はこの城で生まれたといわれている。のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となったが、1555年(弘治元年)、信長が清須城(清洲城)に本拠を移したため、廃城とされた。

江戸時代
清洲城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の合戦以降の政治情勢や、水害に弱い清洲の地形の問題などから、徳川家康は1609年(慶長14年)に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定。1610年(慶長15年)、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始した。現代にみる清洲越しの距離感。清洲城模擬天守からみた名古屋城(写真中央部)。2009年2月。普請奉行は滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。縄張は牧野助右衛門[1]。石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。天守は作事奉行の小堀政一、大工頭には中井正清と伝えられ(大工棟梁に中井正清で、岡部又右衛門が大工頭であったとの説もある)、1612年(慶長17年)までに大天守が完成する。清洲からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した1612年(慶長17年)頃から徳川義直が名古屋城に移った1616年(元和2年)の間に行われたと思われる。この移住は清洲越しと称され、家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移るという徹底的なものであった。1634年(寛永11年)には、徳川家光が上洛の途中で立ち寄っている。

近代
明治維新後、14代藩主の徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出た。しかしドイツの公使マックス・フォン・ブラントと陸軍第四局長代理の中村重遠工兵大佐の訴えにより、山縣有朋が城郭の保存を決定。このとき、天守は本丸御殿とともに保存された。1872年(明治5年)東京鎮台第三分営が城内に置かれた。1873年(明治6年)には名古屋鎮台となり、1888年(明治21年)に第三師団に改組され、終戦まで続いた。離宮時代の名残、本丸隅櫓に残された菊花紋瓦保存された本丸は、1891年(明治24年)に、濃尾大地震により、本丸の西南隅櫓や多聞櫓の一部が倒壊したが、天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。1893年(明治26年)、本丸は陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮と称する。その後、名古屋離宮は1930年(昭和5年)に廃止されることになり、宮内省から名古屋市に下賜された。名古屋市は恩賜元離宮として名古屋城を市民に一般公開し、また建造物や障壁画は国宝(旧国宝)に指定された。1937年(昭和12年)1月7日、天守閣の金の鯱の鱗が58枚が盗難に遭う。この鱗の金の価格は当時の価格で40万円ほど。犯人は大阪の貴金属店にこの鱗を売ろうとして警察に発覚し1月28日に逮捕された。太平洋戦争時には空襲から金鯱を守るために地上へ下ろしたり、障壁画を疎開させるなどしていたが、1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて大火災を起こし焼失した。

現代
この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。戦後、三の丸を除く城址は、北東にあった低湿地跡と併せ名城公園とされた。園内には、戦災を免れた3つの櫓と3つの門、二の丸庭園の一部が保存された。また、一部の堀が埋め立てられるなど改変も受けているが、土塁・堀・門の桝形などは三の丸を含めて比較的よく残されている。天守は、地元商店街の尽力や全国からの寄付により1959年(昭和34年)に再建されて、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなった。天守に続いて本丸御殿の復元が計画されたが、実現の道のりは遠く、バブル崩壊などの資金難で一時は中止の危機に瀕したこともあった。雪が積もる本丸御殿跡と天守。雪のため御殿跡の配石がわかりやすくなっている。2008年2月10日市民ボランティア団体「本丸御殿フォーラム」が1994年(平成6年)5月14日に設立され、2002年(平成14年)から再建基金の寄付を募った。2007年(平成19年)に、文化庁より本丸御殿の復元工事が許可され、2008年(平成20年)に再建工事が着工された。2010年(平成22年)における第一期工事のうちの玄関部分の復元が計画されている。またこれにあわせて、戦災を免れた障壁画の復元模写も同時に進められる予定である。2022年(平成34年)の完成を目指して総工費150億円が投じられて復元される。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(44番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。2009年(平成21年)名古屋市の河村たかし市長は8月10日の定例記者会見で、名古屋城天守閣を現在のコンクリート造から木造に建て直すことを本格的に検討すると発表した。計画を考えるプロジェクトチームを8月24日に発足させ、2010年度予算案に調査費を盛り込む考え。