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名古屋グランパスエイトを調べてみた。

2011-05-17 15:19:38 | 日記
名古屋グランパスエイトは、日本の愛知県名古屋市にホームを置く、日本プロサッカーリーグに加盟するプロサッカークラブ。2008年から「名古屋グランパス」を呼称とする。
クラブ概要
トップチームの母体となったのは、日本サッカーリーグに参加していたトヨタ自動車工業サッカー部(1939年に創部)のコーチ・選手だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロとして活動する選手を名古屋市を拠点として新設したグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時、東海社会人リーグ所属。1993年にジャパンフットボールリーグ2部に参加したが翌年に廃部)にそれぞれ移籍させた。チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の鯱(名古屋城の金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。公式にはこのチーム名は当時名古屋市長だった西尾武喜の命名としているが、「エイト」の部分はオーナーであった豊田章一郎が「トヨタ」のカタカナ字画数が「8」であることから命名したという。なお2008年シーズンより呼称に関してはチーム名から「エイト」が外され「名古屋グランパス」に変更された(日本協会登録チーム名と法人名、エンブレム、ロゴは「名古屋グランパスエイト」のまま)。これは、ファン、サポーターおよびマスコミに親しまれている呼称を採用することで、更に愛されるクラブづくりを目指してゆきたいとの理由からである。しかし、後にこの改称は親会社でメインスポンサーのトヨタ自動車からの指示でもあったことが明かされ、「Jリーグ創設の1993年から2007年までリーグ8位が5回もあったため、チーム名から『8』を外すようにと1度だけ指示した」という。サポーターの間ではロッソジャロ(イタリア語でロッソ=赤、ジャロ=黄)とも呼ばれることがある。ホームタウンは愛知県名古屋市。ホームスタジアムは名古屋市瑞穂公園陸上競技場であり、豊田スタジアムを準ホームスタジアムとしている。当初は豊田スタジアムは年4-5試合程度の開催だったが、ここ数年はリーグ戦のほぼ半数が開催されている。練習場は豊田市のトヨタスポーツセンター。スポンサーがトヨタ自動車であることからJリーグ屈指の資金力を持ち、日本人を含む各国代表クラスの有力選手を獲得することも多く、また若手を含む多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。2010年までに投じられた資金は200億を超えるとのこと。なお、トヨタ自動車(およびグループ)はクラブ経営に関して「支援(資金)は出すが口(指示)は出さない」としている(2010年時点、唯一の例外は先述の改称命令である)。運営は株式会社名古屋グランパスエイト(名古屋市中区)。

ホームスタジアム
1992年-1994年前期 瑞穂球技場。Jリーグ創設当初から瑞穂陸上競技場をホームスタジアムにする予定であったが、1994年のわかしゃち国体秋季大会開催に伴う改修工事のため隣接する瑞穂球技場を使用
1994年後期以後、瑞穂陸上競技場
2001年以前は岐阜メモリアルセンター長良川競技場も準ホームとして主催試合を開催。
2002年以降は長良川に代わって、この年に完成した豊田スタジアムで開催。

歴史
Jリーグ加盟までリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつだが、プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、チームの母体となるトヨタ自動車は、「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示し、1990年5月に不参加を決定した。それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、県協会を使っての署名活動や地元メディアと連携し、Jリーグ加盟を取り付けたという。トヨタの参加表明は不参加決定を発表してから7ヶ月後、同年12月のことだった。地域密着を理念とした加入条件に「チーム名に企業名を付けない」があったが、トヨタは「どうせやるならトヨタの“ト”の字も出すな。」とチームに企業色を全く出さなかったために、協会から「小さくてもいいから自社の証であるものをユニフォームに入れてくれないと広告宣伝費として認められない」と諭される。Jリーグ開幕前年の1992年には、チームの目玉として1986年メキシコワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーと契約した。なお、当初はディエゴ・マラドーナの獲得を目指して交渉しており契約目前だったそうだが、マラドーナの麻薬所持疑惑により白紙撤回され、スキャンダルのないクリーンなイメージのリネカーに白羽の矢が立ったという経緯がある。Jリーグのプレマッチとして行われたナビスコカップでは、司令塔ジョルジーニョのもとルーキーの小倉隆史、森山泰行、中西哲生らが活躍。中でも小倉は5得点を決め、チームも3位の成績をおさめた。

1993年 - 1994年
Jリーグ開幕戦のスタメンリネカー沢入ピッタジョルジーニョ浅野米倉小川藤川高本江川伊藤
1993年
開幕前から監督を務めていた平木隆三の下で開幕に臨んだ。戦力としては即戦力として期待された平野孝らが入団し、小倉はオランダ留学のため1年間チームを離れた。開幕直前の5月2日のプレシーズンマッチ・SSラツィオ戦では浅野哲也とリネカーのゴールによって2-1と、日本のクラブチームとしては初めてセリエAのチームに勝利した。しかし、リネカーは怪我のため試合出場は少なく、戦術もジョルジーニョ頼みのチームであった。2ndステージ開幕前にブラジル人のエリベウトンを獲得するも、リーグ戦では年間総合9位(12勝24敗)と下位に低迷した。
1994年
英国人(イングランド)のゴードン・ミルンを監督に迎えてシーズンに臨んだが、個人頼みの戦術は変わらず、サントリーシリーズは8位(9勝13敗)。ニコスシリーズへ向けての戦力補強として、7月にユーゴスラビア代表主将ドラガン・ストイコビッチとビニッチを獲得。Jリーグ有数の攻撃陣を擁してニコスシリーズに臨んだが、リネカーの怪我やストイコビッチの不調などにより最下位(6勝16敗)に低迷。11月には選手の信頼を失ったミルンが監督を更迭された。なお、この年を最後にリネカーは現役を引退した。年間総合でも11位(15勝29敗)と低迷。Jリーグ新加入のジュビロ磐田とベルマーレ平塚の両チームより下位で、昨年と同じ顔ぶれとなった名古屋を含む下位の4チーム(他の3チームは浦和レッドダイヤモンズとジェフユナイテッド市原、ガンバ大阪)には「Jリーグのお荷物」と呼ばれた。

駅の年表

2011-05-16 21:27:23 | 日記
かつての外観
(2005年1月19日撮影)1938年(昭和13年)6月26日 - 関西急行電鉄のターミナルとして開業。当初の駅名は「関急名古屋駅」だった。開業時より地下駅であった。
1940年(昭和15年)1月1日 - 参宮急行電鉄が関西急行電鉄を合併。駅名を「参急名古屋駅」に改称。
1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し、関西急行鉄道に改称。駅名を再び「関急名古屋駅」に改称。
1941年(昭和16年)8月12日 - 名古屋鉄道が新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)に乗り入れ。地下連絡開始。
1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道が成立。駅名を「近畿日本名古屋駅」と改称。
1950年(昭和25年)8月4日 - 名古屋鉄道との団体臨時列車の相互直通運転実施(~1952年9月30日)。
1959年(昭和34年)11月27日 - 標準軌化工事完成。
1966年(昭和41年)11月 - 名古屋近鉄ビル完成。
1967年(昭和42年)12月1日 - 2面2線増の改良工事完成。
1969年(昭和44年)4月 - 国鉄連絡改札開設。
1970年(昭和45年)3月1日 - 駅名を「近鉄名古屋駅」に改称。
2006年(平成18年)3月23日 - 名古屋近鉄ビルが公示地価上昇率1位になる(前年比38%上昇)。
2006年(平成18年)10月14日 - 改札内精算所を移転。自動精算機が更新され、JR線連絡改札口付近にも1台増設された。
2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。同時にICOCAとも相互利用開始。

備考
きっぷ、カード、改札等について
自動改札機は日本信号製のものが設置されている(回数券カード対応)。
赤い筐体の自動改札機 (GX7) は2枚一括処理・PiTaPa、ICOCA対応である。スルッとKANSAIカードおよびJスルーカードはエリア外のため使用できない。 正式にアナウンスされてはいないが、新型タイプの自動券売機にスルッとKANSAIカードとJスルーカードを挿入することにより乗車券の購入が可能であり、実質的には利用することができる。また、パールカードはすべての自動券売機で使用可能である。JR連絡改札口では、近鉄線側でPiTaPaまたはICOCAを、そしてJR東海側でTOICAまたはSuicaを、2枚重ねでタッチすれば、入・出場が可能なシステムを導入している。ICOCAのみでJR連絡改札口を利用することはきない。当改札では、ICOCAは近鉄のPiTaPaエリアでの相互利用として認識されるものの、JR東海側のTOICA相互利用として認識されないためである。ICOCAを使用しJR東海と近鉄を乗り換える場合は、一旦出場する必要がある。この相互利用に関する問題は、桑名駅での乗り継ぎの際にも生じる。また当連絡改札口は、近鉄側からのPiTaPaによる乗り継ぎと、JR東海側からSuicaによる乗り継ぎもできない。この乗り継ぎの場合も、一旦出場する必要がある。名鉄連絡改札口には近鉄と名鉄の職員が交代で配置される。名鉄線用にトランパスが利用でき、普通乗車券と同様に2枚まとめて投入すれば正しく処理が行われる。近鉄線のPiTaPa・ICOCA取り扱い開始時から約8か月間はICカードに対応していなかったため一旦改札口を出る必要があったが、その後近鉄線のIC乗車カードにも対応するようになった。さらに2011年2月11日からの名鉄線へのmanacaの導入にも対応したことで、現在同改札口では、近鉄線のPiTaPa又はICOCAと名鉄線の磁気式乗車券の組み合わせ、および名鉄線のmanacaと近鉄線の磁気式乗車券の組み合わせで、乗り換えができるようになった。なお名鉄連絡改札口においては2011年2月現在、名鉄線のmanacaと、近鉄線のPiTaPa又はICOCAとのIC乗車カードの2枚同時使用による乗り継ぎはできないため、この乗り継ぎの場合、一旦出場する必要がある。自動精算機が設置される(回数券カード、PiTaPa、ICOCAに対応。ただしスルッとKANSAIカードおよびJスルーカードには非対応)。特急券および定期券の購入が可能である。上述の一般用改札口のほかに団体改札口が設置されている。JR名古屋駅広小路口の改札を出た通路を進んだ突き当たりにあり、当駅の正面改札口から各ホームを結ぶ通路に出られるようになっている。使用しないときは、シャッターで閉鎖されている。

到着・発車時の放送
特急アーバンライナーplus、およびアーバンライナーnextと22600系が到着する時の車内チャイムは、山田耕筰作曲の「この道」のアレンジが流れる。
特急の発車時(1分前)に限り、ウェストミンスターの鐘(チャイム)とヨシフ・イヴァノヴィチ作曲の「ドナウ川のさざ波」が発車メロディとして流れる。なお、普通、準急、急行、回送電車の発車時はアナウンスとブザーのみである。
自動構内放送は、2・4番のりばが男声、1・3・5番のりばが女声になっている。特急列車以外は到着列車の両数案内もされているが、乗車位置については自動構内放送では案内されていない(主に急行列車の到着前に駅員が乗車位置案内を行う事は多々ある)。なお、自動構内放送の更新に伴い、発車直前の次の停車駅案内はなくなっている。

その他
近鉄の駅では最東端かつ最北端に位置する駅である。
開業時からあるホームの柱は丸型で、拡幅されて建設されたホームには角型の柱である。駅構内および1階改札口にあるコンビニニエンスストア「K PLAT」では、買い物の決済手段として、PiTaPaとiDが利用可能である。名古屋地区でPiTaPaが使用できる数少ない店舗である。都心の主要駅としては南海難波駅・京急横浜駅などと並び、2010年現在も反転フラップ式案内表示機(ソラリー)が使用されている。ただし正面改札口の発車案内はブラウン管ディスプレイ式である(液晶式には更新されていない)。
伊勢神宮参拝などで要人が利用することがあるため、貴賓室が設置されている。2009年3月20日に阪神なんば線が開業したことで山陽網干駅もしくは山陽姫路駅から当駅まで標準軌私鉄の路線が繋がった。しかし、4社通しの切符は現在のところ発売されていない(ICOCA・PiTaPa利用なら4社通しで乗車可能)。

近鉄名古屋駅は

2011-05-15 19:25:19 | 日記
愛知県名古屋市中村区名駅一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。正式には名古屋線の終着駅であるが、列車運行上は当駅が起点となっている。近鉄の前身となる大軌グループの東方進出の区切りとなった駅でもあった。歴史も参照。東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋市営地下鉄・あおなみ線の名古屋駅や、名古屋鉄道(名鉄)の名鉄名古屋駅と隣接している。

当駅からの接続路線
東海旅客鉄道(JR東海) - 名古屋駅(連絡改札口あり)
東海道新幹線
東海道本線
中央本線
関西本線
名古屋鉄道(名鉄) - 名鉄名古屋駅(連絡改札口あり)
名古屋本線
名古屋市営地下鉄 - 名古屋駅
東山線
桜通線
名古屋臨海高速鉄道 - 名古屋駅
西名古屋港線(あおなみ線)

2 - 4番線は乗車側と反対側を降車ホームとしているが、朝ラッシュ時は両側をすぐに開き乗車側からも降車できるようにしている。ただし、1番のりばのホーム長さが4両分であるため、2番線の5両編成は乗車側(3番のりば側)のみ開閉する。名古屋線の普通列車は最大で3両であるため、1番のりばのホーム端1両分は電車が停車しない。3番線の乗車位置は青の位置1-24だが、5200系使用時は乗車位置が異なるため、米野寄り4両分は赤1-12、後ろ2両は青17-24になる。現在、土休日のみ18時04分着の急行は5番線に入線する(到着後は回送になる)。特急については主に名伊特急が4番のりばを、名阪特急が5番のりばを使用する。当駅発着の特急はほとんどが米野駅(富吉検車区米野車庫)または富吉駅(富吉検車区富吉車庫)との間で回送されるが、一部列車は運用とダイヤの都合上、ホームで折返し整備を行う(車内清掃が完了するまで乗車することはできない)。当駅自体が比較的浅い地下にあり次の米野駅も地平のため、同駅方トンネル坑口付近の勾配は25‰で距離も短い。

利用状況
2008年(平成20年)11月18日の調査結果によると、1日の利用客は108,792人(前回2005年11月8日の調査では110,144人)であり、近鉄の全調査対象駅(287駅)中4位(1位・大阪阿部野橋駅、2位・鶴橋駅、3位・大阪難波駅に次いで)名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中では最多(以下、近鉄四日市駅、津駅、桑名駅と続く)愛知県内の近鉄の駅(11駅)の中では最多。当駅の利用状況の変遷を下表に示す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。輸送実績(乗車人員)の単位は人/年度である。乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事などの要因によって変動が大きいので、年度間の比較には注意を要する。

歴史
近鉄名古屋線の前身の一つとなる伊勢電気鉄道が名古屋進出を計画した当初は、現在の名古屋駅のかなり南方の地点に設ける予定であった。しかし、国鉄との連絡のため、鉄道省の用地を利用して桜通側に地下ループ線(方向転換を要しない構造)を建設し、その上に駅ビルを建設する計画に変更された。その後、伊勢電気鉄道は伊勢進出で体力を使い切って経営に行き詰まり、大阪電気軌道(大軌)傘下の参宮急行電鉄(参急)に合併され、名古屋進出は大軌・参急などが出資した新設会社の関西急行電鉄(関急)によって果たされる。この時に通常の折り返しターミナル構造に変更されている。当駅の開業により、大軌グループによって大阪から名古屋に至るまでの路線が完成した。特に、名古屋 - 伊勢間の輸送では鉄道省の運営する参宮線(当時は亀山駅 - 鳥羽駅間)の乗客が7割も減るほどの影響を与えた。なお、予算の都合から1面1線の配線にする計画も存在したが、結局は将来の発展を見込んで3面3線となった。しかし、それでも戦後の輸送量増加には対応できず、1967年に4面5線への拡幅改造が行われている。また、1938年の開業後、1941年に隣接して名古屋鉄道(名鉄)の新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)が開業したが、この当時は近鉄名古屋線も狭軌(1067mm)を採用していたため、戦中・戦後を通じて名鉄と線路が接続され、戦後の一時期には、団体専用列車に限って相互直通運転が実施されていた。詳しくは名鉄名古屋駅を参照。

全日空では

2011-05-14 15:18:48 | 日記
中部国際空港発着の快速特急・特急と福岡空港・新千歳空港発着の便との接続を便利にした「Door to ANA」という新ダイヤを発表した。このプロモーションのため2005年1月から2月まで、2・3番ホームと中央改札口の柱や壁が全て「Door to ANA」の広告になった(同様のプロモーションは金山駅でも行われた)。また同時期に全日空の自動チェックイン機が中央改札口の精算所の隣りに設置された(金山駅も西改札口内に設置されたが2008年に撤去)。 名鉄百貨店の全館一体改装工事にあわせ、改修工事が行われた。2002年4月から閉鎖されていたメルサ側の改札口(豊橋方面入口専用)は2005年9月27日から再開され、百貨店売り場と混在していた駅施設の一部移動や、ホームと車両との段差をなくすためレール面を低くするバリアフリー化工事を行った。2006年春には地下鉄改札口から中央改札口へと向かう通路の幅を広くする工事が完了した。 名鉄名古屋駅から特急電車で名鉄岐阜駅へ輸送された新聞中央ホームでは、今も夕刊に限り新聞発送の荷物取扱業務を行っており、新聞を各方面行きの列車に積み込む様子が見られる。

1番線にはサークルK、4番線にはファミリーマートがある。24時間営業ではなく電車の運行時間帯のみの営業である。以前はサンクスがあり、店舗名には旧駅名が使用されていた。NEWDAYSなどの駅売店系を除いた一般的なチェーンによるコンビニは全国的にも少ない。以前は1番線にはなく改札口付近にあったが、その後閉店して1番線に移転。閉店後の跡地はトイレに改装された。ミュージックホーン搭載車両の進入時にミュージックホーンを吹笛する列車が他の駅に比べて多いため、鉄道ファンにとっては人気が高いポイントであったが、2009年2月頃より利用客から「案内放送が聞こえない」というクレームを受け、ホーム進入後の吹鳴が禁止された(ただしトンネル内は吹鳴可)。また、それ以外の列車は進入時に警笛を鳴らす。 JRセントラルタワーズ側にあるタクシーのりばは、名鉄交通など名鉄グループのタクシーに加え、近鉄グループの名古屋近鉄タクシーも発着し、「名鉄・近鉄タクシーのりば」と表記されている。名鉄グループのタクシーはJR名古屋駅から乗ることができない。豊橋・中部国際空港方面のホームには京阪電気鉄道が展開するおけいはんの広告がある。列車に遮られなければ特別車・降車ホームや岐阜・犬山方面のホームからも見ることは可能である。
トランパスで当駅を利用すると、「名名」と印字される(駅名改称前は「新名」。これは既に名古屋市営地下鉄の名古屋駅が「名古」を使っていたため)。

かつてレールのつながっていた近鉄
現在でも名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅は壁一枚隔てて地下で隣接しており、近鉄名古屋線が改軌される前の狭軌であった時代である1954年までは連絡線が設置されていて、1950年(昭和25年)8月4日から1952年(昭和27年)9月30日までの間、団体列車に限り名鉄・近鉄の相互で直通運転を行っていた。名鉄からは伊勢(中川止まり山田線連絡)・養老へ、近鉄からは豊川稲荷(当時は伊奈から小坂井支線を経由して国鉄豊川駅へ乗り入れていた)・犬山へ列車が運転されていた。名鉄ビル(現名鉄百貨店)工事にともない廃止。現在、連絡線の跡は壁が設置され塞がれている。ただし、岐阜・犬山方面から近鉄線へ向かうための渡り線が通っていたところに支柱は現在もない。一方、近鉄名古屋駅1番のりばより大阪・伊勢方面に出てすぐの向かって左側の箇所に連絡線跡の隔壁部分(窪んだ空間)を確認することが出来る。また、現在も下り岐阜・犬山・津島方面ホームと近鉄名古屋駅ホームは繋がっており、両社境界に設けられた乗換え改札を通るだけで近鉄名古屋駅ホームに出ることができる。

「しなやかな風」
中央コンコースで流れる曲は、「しなやかな風」といい、つのだ☆ひろ・大橋純子が歌う、名古屋鉄道のイメージソング。現在も主要駅で流されるほか、1994年(平成6年)からしばらく、1000系車両に特別塗装をほどこした「ブルーライナー」のミュージックホーンとなったこともある。ちなみに、この曲は毎日7:00から20:30までの毎時28分と58分に主要駅で流し、続いて「駅構内は全面禁煙」であるとのアナウンスが流れる。

隣の駅
名古屋鉄道
名古屋本線
□ミュースカイ・□快速特急
金山駅 - 名鉄名古屋駅 - 国府宮駅
金山駅 - 名鉄名古屋駅 (- 犬山線岩倉駅)
■特急
金山駅 - 名鉄名古屋駅 - (一部須ヶ口駅) - 国府宮駅
金山駅 - 名鉄名古屋駅 - 須ヶ口駅 (- 津島駅方面)
金山駅 - 名鉄名古屋駅 (- 犬山線岩倉駅)
□快速急行
金山駅 - 名鉄名古屋駅 - 須ヶ口駅
金山駅 - 名鉄名古屋駅 (- 犬山線上小田井駅)
■急行・■準急
金山駅 - 名鉄名古屋駅 - 栄生駅
■普通
山王駅 - 名鉄名古屋駅 - 栄生駅

乗車位置番号は他駅では

2011-05-13 23:17:08 | 日記
基本的に2扉対応(8両対応ホームの場合、1~16番。ただし瀬戸線は3扉、小牧線と豊田線は4扉対応、最近では「3扉車の中間扉」という表示もついている駅も存在)であるが、当駅では3扉対応(ほとんどは1~24番・犬山方面普通は1~27番、東岡崎方面普通は1~28番)になっている。さらに、同じ乗車位置番号でも車両の運転室に近い扉については2扉車と3扉車とで若干ずらしており(2扉車ではその扉が構造上車両中心方向に約1.8m寄っているため:現在唯一の2扉一般車5700系・5300系の場合。運転室の奥行き分または側窓1つ分)、同じ番号の乗車位置が2つ存在するところもある。そのため、次の列車が2扉なのか3扉なのかによって、乗車位置の増減だけでなく一部の乗車位置そのものも変更される(次に来るのが2扉車か3扉車かは乗車位置が表示されるまでわからない)。よって、例えば3扉車の特急を見送って2扉車の急行に乗車する場合、各車両に1つずつ乗車位置が減るほかに、列車の最前部・最後部では(2扉車の列車が2+2や4+2などの編成である場合は中間連結部も)それまで点灯していた乗車位置がいくらか横にずれる(そのずれ幅にも差があり、場合によってはずれ幅の間に別の乗車位置が存在し列が並んでいる場合もある)ため、十分注意が必要である。なお、2扉車、3扉車の案内は、駅での表示は乗車位置看板の点灯が変わるだけでアナウンスもない。

駅周辺
東海旅客鉄道(JR東海)・名古屋臨海高速鉄道・名古屋市営地下鉄の名古屋駅、近畿日本鉄道の近鉄名古屋駅と隣接しており、改札内・改札外に連絡通路が何本かある。近鉄については隣接していることから、直接ホームへ行ける連絡改札口が1番線にある。現在は自動化されたが、かつては近鉄名古屋駅の駅員と共同で改札を行っていた(出札は名鉄が担当)。なおJRやあおなみ線への乗り換えは北改札口または西改札口、地下鉄桜通線への乗り換えは北改札口、地下鉄東山線への乗り換えは中央改札口が便利。また、2007年4月1日に近鉄線でPiTaPa・ICOCAの取扱が開始されたが、約8ヶ月間は対応しておらず、一旦名鉄の改札口を出て改めて近鉄改札口に向かう必要があった。現在では、名鉄乗車券またはトランパス+近鉄ICカードでの乗換が出来る。名鉄線側に設置されている近鉄線自動券売機(高額紙幣対応タッチパネル式)もICカードに対応している。さらに2011年2月11日のmanacaの導入にあわせて、近鉄乗車券+名鉄のmanacaでの組み合わせでも乗り換えができるようになった。ただし名鉄のmanacaと近鉄のPiTaPa又はICOCAとの、IC乗車カードの2枚同時使用による乗り換えはできないため、この場合は、一旦通常の改札口を出場の上、改めて乗り換え先の通常の改札口から入場しなければならない。名鉄バスセンターも駅と隣接しており、南改札口が便利。

歴史
合併による歴史的な経緯から名古屋市内で東西に分断されていた名古屋鉄道の2大幹線(西部線・東部線)を地下線で直結し、国鉄名古屋駅に接続するターミナル駅として建設された。
1941年(昭和16年)8月12日 - 名岐線(現・名古屋本線岐阜方面。西部線とも)の終点として2面3線にて開業。1番線は到着ホーム、2・3番線は乗車ホームであった。
1944年(昭和19年)9月1日 - 東西連絡線 神宮前 - 新名古屋間が開業。神宮前まで西部線車両が直通し、東部線に連絡。
1945年(昭和20年)3月12日 - アメリカ軍の焼夷弾による空襲で駅舎火災。
1946年(昭和21年)12月12日 - 漏電が原因で駅舎が焼失。
1948年(昭和23年)5月16日 - 西部線を1500Vに昇圧し、東西直通運転を開始。線名を名古屋本線と改称。
1950年(昭和25年)4月 - 暫定駅舎が完成。
1953年(昭和28年) - 名鉄百貨店を含む名鉄ビルの建設が開始。
1954年(昭和29年)
11月25日 - 構内の配線変更を行い、3面2線の現在の形になった。2・3番ホームが比較的広いのは中線を廃止した名残りである。
12月1日 - 駅構造が地上2階・地下1階となった。名鉄百貨店開店。
1957年(昭和32年)7月27日 - 地上10階・地下3階の名鉄新名古屋駅・名鉄百貨店全館が完成。
1964年(昭和39年)3月29日 - 駅構内の新岐阜(現・名鉄岐阜)方面ホームにて電車追突事故発生。負傷者143名。
1975年(昭和50年) - ホームを延長。
1976年(昭和51年) - 北口を新設。
1986年(昭和61年)秋 - 全面改装工事を実施。
1999年(平成11年) - 発車標をブラウン管モニタ方式から現行のプラズマディスプレイ方式に更新。
2004年(平成16年)半ば - 中部国際空港の開港や愛知万博の開催に伴うバリアフリー化に向けてエレベーターを設置。また西改札口を新設した。
2005年(平成17年)
1月29日 - 駅名を新名古屋駅から、名鉄名古屋駅に変更。
9月27日 - 名鉄百貨店メルサ館(現・メンズ館)から4番ホームへ連絡する改札口を新南口として再開。同時に中央改札口のリニューアル工事、駅ホームのバリアフリー化工事を開始。
11月16日 - 中央改札口のリニューアル、駅ホームのバリアフリー化工事が完了。

北改札に限り、各乗り場ごとの特急専用の列車案内もある

2011-05-12 10:15:19 | 日記
これは中央改札にもあったが、改札口の改修に伴い一旦撤去、後に6つくらい先までの特急の空席案内として復活した。行先の多さから、色で区別をしている。モニターには各方面ごとの3つ先までの列車が左から種別、行先、時刻、備考、両数の順に表示されている。種別は略文字(例:特急→特、快速急行→快急)でバックは列車側面の方向幕と同じ色。ミュースカイは省略しない。行先は文字を方面ごとの色で囲ませている(後述)。備考は特別車や特別停車の案内などを表示(臨時停車は表示しない)。 また先発のみ停車駅を表示(多い場合スクロール)。ただしミュースカイ(全車特別車)の場合(のりばは、2/3番ホーム)と表示し、普通列車や、途中から普通電車にかわるなどで停車駅が多い場合は「鳴海から終点まで各駅に停車します」などと一部省略される。また、臨時停車駅は最後に「中京競馬場前に臨時に停車いたします。」と表示される。

ホーム
4番線岐阜方から見たホーム。手前側が乗降に使用していない部分。1番線金山方から見たホーム。津島線直通列車は手前側(ホーム後方)に停車する。1番線案内放送ブース。画像左側のホーム天井上に位置する。4番線案内放送ブース。こちらはホーム上の一段高いところに設置。相対式ホームは乗車用に、島式ホームは降車およびミュースカイ・快速特急・特急「特別車」の乗降用に使用し、行先ごとに列車の停車位置を変えて乗客の行列位置を変えるなど、限られたスペースの狭小な駅設備を効率的に使用する工夫がされている。地下の西側を近畿日本鉄道の近鉄名古屋駅、東側と下側を名古屋市営地下鉄の名古屋駅に各々挟まれているため線増どころかホームの新たな増設・拡張もほぼ不可能な状態であり、半ばアクロバティックな運用で列車頻発に対処しているのが実情である。当駅止まりの列車は誤乗を避けるため、2・3番ホーム側のみドアが開く。また多方面への多彩な種別の列車が1~3分ごとに発着するため、構内放送を自動化しきれず、駅員の肉声による放送(1番線のホーム岐阜方先端付近の屋根上、4番線の豊橋方停車位置付近に案内放送ブースが設けられている)を行っているのも当駅の特徴である。なお中部国際空港行きの列車が到着するときは、駅員の肉声による英語放送も行われることもある。ただし「足元にご注意下さい」の自動放送は全列車で流れる。ホーム部分はカーブしていて列車との間に隙間が生じるため、ドア扱い中はホーム下に取り付けられている黄色い回転灯が点灯して注意を促すようになっている。

ちなみに、当駅の発車ベル(ブザー)は上りと下りで音の高さが違う。豊橋方面が低音、岐阜方面が高音である。またブザーを止めた後に再度流れる2回目のブザーは車掌に「ドアを閉めても良い」という合図であり、担当ホーム係員が全て赤色旗を揚げたのをブザー操作の放送係員が確認し、下りは短1回、上りは短2回鳴らすことになっている。さらに上り降車ホームでは自動車のホーンに似た合図もある。これは4両以上の列車で降車完了を車掌に知らせるための合図である。こちらはホーム係員がホーム柱に設置されたスイッチで操作する。駅構内では放送や看板で乗車位置に2列で並ぶよう常に呼びかけているが、ホームの狭隘さゆえに一宮・岐阜方面・犬山線方面、東岡崎・豊橋方面や常滑線方面など利用の多い種別や系統では2列でも並びきれず、横にはみ出してしまうことが多い(特にホームが狭い場所でよく発生する)。1番線の中央階段付近は非常に長い列になることもある。また複数の行先に分けているが、通常ダイヤでは河和行き特急の4分後に中部国際空港行き準急がやって来るなどといったこともある(つまり同じ色の乗車位置の列車が1~2本後に来ることがある)。乗車位置のランプは共に常滑線方面で同じため、次の準急に乗る客も並んでいる。そこへ特急がやってきても準急待ちの客が乗り込まないため、2列の行列が崩れてしまう。さらに看板は先発の列車の案内であり、次発では乗車位置が変わることもある(両数や2ドア車と3ドア車の変更。ドア数は表示ではされない)ため、乗車位置の変更はアナウンスはあるものの、場合により移動を余儀なくされることがある。降車ホームの豊橋寄りには、新聞輸送用のシューター等の設備が設けられており、夕刊輸送の荷役に使用される(このとき積み込み量が多いと遅延することがある)。

当駅から発車する方面は大きく5方面に別けられ、さらに列車種別によりそれぞれ乗車位置が定められている。詳細は後述する。

発車標(ホーム)
対面ホーム上方にある3色LEDの発車標。その下に点灯しているのが乗車位置目標の看板。プラズマディスプレイのものと3色LEDのものの2種類がある。ディスプレイのフォーマットは改札口にあるものと同等である。ただし乗り場ごとの案内であり方向別ではないため、こちらは豊橋行きと中部国際空港行きが同じ画面に出る。2番線設置のものは、当駅終着列車が到着するときに「当駅止り・ご乗車できません」という表示が大きく出る。3色LEDは一般車ホームの先発列車の停車駅のみ表示される(但し、全車特別車のミュースカイは停車駅を表示しない)。表示は上、左、右の3つの部分に分かれる。上に列車の種別と行先。右に当駅を基準に停車駅を左へ順に表示する。一駅の表示できる文字は4文字まで(従って中部国際空港→中部空港、尾張横須賀→[尾]横須賀、中京競馬場前→中京競馬と略表示)。また、駅数にも限りが有り、普通列車や長距離列車は区切りの駅までを表示。左は備考欄で、特別停車や右の停車駅表示に入りきれない部分をスクロールで案内。長距離の普通列車の場合は「終点の○○まで各駅に停車します」と表示。また特別通過があった頃は「○○は通過。」と表示されていた。これに似たような表示機が名鉄一宮駅の名古屋方面ホームにも設置されている。

乗車位置
各線列車の乗車位置は下記の通りである。列車到着の前に、後述の4・5色に分けられた各方面の先発列車の乗車位置が中央ホーム上部にある同色の乗車位置表示ボード(看板)の点灯で表示され、さらに次の1番線/4番線の列車の乗車位置である時はその表示上部にあるランプが点滅する。床にはテープで整列位置が示されている(ランプとテープの色が異なる場合もある)。しかし、普段当駅を利用しない人にとっては、系統ごとに乗車位置が異なること(そもそもの系統の多さ)を知らなかったり、この看板自体が何を意味するものなのか分からないということも考えられるため、結局は乗る電車が停車してから列に並ぶ、という状況になりやすい(看板には「乗車位置」の記述がない)。対面ホーム上にあるため、列車がやってくるとLEDの停車駅案内と共に大部分は隠れてしまう。名鉄の車両の一部は側面に行き先表示がないものもあるため(一部の6000系・6500系など)、乗車には注意が必要である。各乗車位置看板の色と、改札口・ホームにある列車案内モニターの行き先の文字を囲む色とは対応している。ただし全車特別車のミュースカイは方面にかかわらず赤。この場合先発列車の停車駅表示はされず、「のりばは、(2/3)番ホーム」と案内されている。しかし実際は一般車ホーム側もドアを開けている(2001年に廃止となった北アルプス号は、特別車ホームのみ開けていた)。

名鉄名古屋駅を調べた

2011-05-11 19:12:46 | 日記
名鉄名古屋駅は、愛知県名古屋市中村区名駅一丁目にある、名古屋鉄道名古屋本線の駅である。

概要
1941年(昭和16年)の開業当初からの地下駅(正確には新名古屋地下トンネルの中にある)。名古屋に出来た新しい名古屋駅ということで、開業以来長らく新名古屋駅(しんなごやえき)という駅名であったが、2005年(平成17年)の中部国際空港開港を前にした同年1月29日、国内外からの乗客にわかりやすい駅名とする目的で現在の駅名に改称された。また、隣接する金山駅・神宮前駅と同様に案内板も日本語の他に英語・簡体中国語・朝鮮語・ポルトガル語(ブラジルポルトガル語)の5言語表記である。行き先の表示・駅や車内での放送では単に「名古屋 (For Nagoya)」と略記される(新名古屋駅時代から「名古屋」という省略型行き先表示が存在した)。当駅の所属は名古屋本線であるが、同線と並ぶ名鉄の基幹線区である犬山線・津島線・常滑線・空港線・河和線系統の大部分の列車も発着する。さらには両系統に接続する支線区への直通列車もあり、名古屋鉄道の拠点ともいえる駅である。隣接して名古屋市最大のバスターミナル「名鉄バスセンター」が設置されている。

駅構造
いわゆる通過型ターミナルで、毎時2・3本程度の特急(昼間は河和始発の特急と中部国際空港始発のミュースカイ)を除くほとんどの列車は、当駅を越えて運転される(何らかの理由で須ヶ口以遠が不通になったときは特急を中心に当駅止まりになる)。上下線間の渡り線や引き上げ線が無いため、当駅終着の下り列車は折り返しはせず、次の栄生や枇杷島分岐点(砂入=すいり信号所)などへ回送される。かつて運転されていた当駅終着の上り列車(2001年(平成13年)に廃止となった北アルプスなど)は金山や神宮前まで回送されるか、行先を変えて運転を続行する形態をとっていた。回送列車や団体専用列車、試運転列車は当駅で一旦停車することは無く、通過していく。

線路
プラットホームの配置を示す
実際の線路は「~」の字型に曲がっている一般の建築物に換算するとコンコース・中央改札出口・南改札・北改札が地下0.5階、中央改札入口・西改札・新南改札が地下1階、線路・ホーム・東改札・近鉄連絡改札が地下1.5階という比較的浅い地下に設置されている。しかし地下という立地条件もあり、わずかに上下各1線、相対式ホーム上下各1面と島式ホーム1面で、1日当たり上下合わせて800本以上、早朝深夜を除き2 - 3分間隔(最短1分40秒間隔)で発着するすべての列車を捌いている。そのために上下線ともホームの中間点にも場内信号機を備えており、1・2番線が第4場内、3・4番線が第3場内である。なお、先に発車した列車の最後尾がこの信号機より更に先まで行かないとホーム手前の場内信号機が変わらないため、たとえ編成が短くても2本の列車が信号機を境に同時に停車しての客扱いはできない。また、列車は発車したら通常は速やかに走り去るため、先発列車と後続列車が極めて接近し、双方がホームに掛かっているという場面も見られない。ホームの有効長は19m車10両分(1・4番線が189m、2・3番線が194m)であるが、岐阜方の約2両分(北改札口階段付近)は乗降には使用しておらず、利用客が通らない部分は柵で仕切られているか、一般客立入禁止として新聞輸送用カートなどの置き場となっている。

バラストが撤去され低くなった線路と、ホーム下の電光式停止位置目標2005年(平成17年)にバリアフリー対策として、レール面を下げることにより電車床面とホームとの段差を縮小した。翌年にはそれまでのバラスト道床からコンクリート道床に改修されている。これはバラストを除去の上PCマクラギの間にコンクリートを充填したもので、最初からコンクリート構体に敷設する直結軌道とはやや異なる。軌条は50kgNを使用している。山王方のトンネル坑口は短距離ですぐに高架線へつながるため、35‰という名鉄最急勾配である。逆に栄生方のトンネルは坑口まで約1kmと長い。また運転士の確認用の列車種別表示灯が当駅ホーム直前のトンネル内に設置されており(LED式縦書き表示。例えば名古屋本線へ向かう6両の急行や特急の場合、「特急 6」と表示されるが、犬山方面など4両と8両が同じ停止位置のときは、「犬急84」)、これはホーム上や線路脇のホーム下にある電光式の停止位置目標(画像参照)と連動している。分岐器は無いが曲線や勾配の関係から、通過列車の制限速度は1・2番線が駅の前後に亘って45km/h、3・4番線が進入時のみ35km/hといずれも低い。そのため先行列車との間隔が空いた場合は、場内信号機・出発信号機とも進行現示に変わる。

改札口
中央改札口。方面別の発車標が並ぶ。改札口は地下鉄東山線に近い中央改札口(入口と出口は別)、中央口の真向かいで目の前の階段を下りると近鉄の改札、ホームからの階段を上り左に行くとJRの広小路口に行ける西改札口(有人窓口はないが駅長室の近くにあるため駅員が立って案内をしていることがある)、精算所の真向かいに無人の南改札口がある。なおこれら3か所の改札口はすべて同じ場所にある(中央改札の向かいが西改札、左90°方向側が南改札)。つまりどの改札からも同じ場所に着く。また、JR桜通中央口や地下鉄桜通線に近い北改札口があり、これは別の場所(ホーム岐阜方先端の階段を上った場所)にある。さらに4番線への入口専用改札が2か所(東改札(地下宝くじ売り場の側に階段がある)・新南改札(通称「メルサ口」。名鉄百貨店地下食品売り場の奥にある)。どちらもあまり目立たないところにある)。そして1番線と近鉄との間に近鉄連絡改札口の合計7か所である。自動改札機は、以下のメーカー製のものが設置されている。

中央改札口(入口専用)・西改札口・近鉄連絡改札口は、日本信号製GX7。
中央改札口(出口専用)は、東芝製EG-2000。
北改札口・南改札口は、オムロン製U-PG。
全てバーレス機であり、複数枚対応機であるが、近鉄と違い他社線との連絡改札口以外、複数枚の処理はできない。

駅、車内の案内放送、メロディに関する情報

2011-05-10 19:07:55 | 日記
2007年3月19日より、上飯田線と上小田井駅を除く全駅で接近チャイムに代わって列車到着時のアナウンス前にメロディサインが導入された。これに先立って試験的に2005年より名城線・名港線において東日本旅客鉄道(JR東日本)で採用されている発車メロディを接近メロディとして導入した。2008年現在、各路線で使われているものはすべて名古屋市立大学芸術工学部助教授(現准教授)の水野みか子が作曲したもので、各路線・方面別にメロディが異なる。 列車が駅を発車する前のドア閉めの際、上飯田線では直通する名鉄小牧線同様のもの(名鉄2000系から導入された名鉄の一般的な)車載の乗降促進メロディが、それ以外の路線では車載の乗降促進ブザー(鶴舞線の3000形のみ音が異なる)が鳴る。 上飯田線を除く地下鉄全線の日本語の車内アナウンスは1989年から透千保が担当し、地下鉄のほか直通先の名鉄犬山線と豊田線の車内アナウンスも担当する。地下鉄の英語アナウンスはコリアン・パーサが担当している。2008年現在はアナウンスのみ流れるが、1991年まではアナウンスの前に4打音、1992年から1999年までは1打音のチャイムが鳴っていた。また鶴舞線の直通先の名鉄豊田線・犬山線内でのみ2打音のチャイムが鳴っている。細かい話だが、地下鉄線内では「次は○○」なのに対し、名鉄線内に入ると「次は○○です」とアナウンスする。「お出口は左(右)側です」の案内や、英語での復唱も名鉄では行わない。乗換駅や始発駅、主要駅を発車した時は、「本日は市営地下鉄××線をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は○○方面◇◇ゆきです。次は△△…」というアナウンスになる。車内放において駅名アナウンスは通常2回流れるが、東山線の地上区間では1回しか流れない。上社 - 藤が丘間と西行きの上社発車直後(「次は一社。」という具合になる)。

地下鉄駅ホームの行先案内アナウンスは、全線・下りが石原玲、上りが有限会社キャストプロ所属の坪井宏憲の声で担当している。 駅での案内放送の順番は、接近メロディ⇒「(◆番ホームに(島式ホームのみ))○○方面、◇◇ゆきが参ります。白線の内側でお待ちください。」⇒列車が到着⇒「この電車は◇◇ゆきです(△△線は乗り換えです)」⇒「扉にご注意ください」⇒乗降促進ブザー⇒扉が閉まる⇒発車となる。ただし、名城線栄駅、同じく名城線久屋大通駅は接近放送が「白線の内側でお待ちください。○○方面、名城線○回りが参ります。」と駅間の距離の関係を考えた放送となる。また、早朝、深夜は名港線が金山駅・名古屋港駅間折り返し運転となり、左回りの接近放送の最後に「名古屋港方面は、金山でお乗り換えください。」という放送が入る。なお、使用している接近メロディは東山線が「ドリーム」「イエローライン」、名城線が「ランディング」「サークル・ポイント」、名港線が「ハッピータイム」「海」、桜通線が「オーバル」「チェリー」、鶴舞線が「サンライト」「ファンタジー」であり、上飯田線は導入していない。接近メロディを導入する前は2打音のチャイムが鳴り、現在と同じアナウンスが流れていた。また、1989年頃まではアナウンスのみで、「毎度、ご利用、ありがとうございます。まもなく1番ホームに◇◇ゆきが参ります。白線まで下がってお待ち願います。(当時は行き先のみであったが、東山線高畑方面だけは名古屋方面高畑ゆきとアナウンスしていた)⇒列車が到着⇒「(駅名を連呼)、ご乗車ありがとうございます。(△△線は乗り換えです)。」⇒「◇◇ゆき、扉が閉まりますからご注意ください。」⇒乗降促進ブザー⇒扉が閉まる⇒発車という流れであった。しかし鶴舞線の下り、赤池方面のアナウンスは、男性の声だが他の路線とは異なる声となっている。

運行時間
名古屋市営地下鉄の営業列車による運行時間は、午前5:30から翌日午前0:30までの19時間に限られている。これは、夜間に施設の保守時間を確保するためである。このために、基本的に区間運転を行わない同地下鉄でも、初電・終電は途中駅発着の列車がある(名城線では終日見られる)。

関連商品
名古屋市交通局では、「とことん地下鉄!!大名古屋」という名古屋市営地下鉄版トレインシミュレータゲームをレトロでんしゃ館などで販売している。

名古屋章
名古屋 章は、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)九段出身の日本の俳優、声優。旧制九段中学卒業。NHK東京放送劇団、文学座、劇団雲を経て、1975年以降はフリー。1950年代から半世紀に渡り、数多くの舞台、映画、ドラマ、ラジオに出演、ナレーターなどもこなした。

来歴・人物
1949年に旧制中学を卒業すると、NHK東京放送劇団養成所に3期生として入所。同期には後に声優として活躍する勝田久、高橋和枝らがいた。1952年にはラジオドラマ『ぼたもち』に主演し、その年の芸術祭賞を獲得。ラジオドラマにはその他、『一丁目一番地』など。1959年に文学座へ入団。1963年に劇団雲の創立に参加、1975年には雲の解散により以後はフリーで活動し、地人会、こまつ座などの舞台にも出演した演劇人でもあった。1971年には『釘』で第6回紀伊国屋演劇賞個人賞を、1983年に『雨』で芸術祭演劇部門大賞を受賞している。ラジオドラマ時代はその美声により二枚目を担当し、数多の女性ファンを獲得した。ラジオドラマには晩年まで出演したが、映画への出演ではくせのある敵役や悪役でならし、テレビ時代に入り何十年間に渡りバイプレイヤーとして、その風貌を活かし人情味ある庶民の役をこなした。またドラマでは、刑事役で出演する事が多かった。特撮分野では『帰ってきたウルトラマン』のナレーター、『ウルトラマンタロウ』のZATの隊長役が知られる。また、NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョ役を藤村有弘から引継ぎ、1991年から2代目の声の担当を務めた。2003年6月24日、肺炎のため死去。享年72。同年3月には脳腫瘍で手術を受けリハビリをしながらも、3ヶ月後の9月まで仕事のスケジュールが入っており、現役の俳優として迎えた死だった。亡くなる13日前に収録したNHK教育テレビの番組『ピタゴラスイッチ』の声優の仕事が遺作となった。死去時の追悼番組として放送されたのは、ホテルの料理長を演じたテレビドラマ『HOTEL』である。DVD版『ウルトラマンタロウ』にも現存するインタビュー映像が追悼収録された。趣味は鉄道模型。

2009年度は1日平均の利用者数は

2011-05-09 21:02:28 | 日記
約115万人(2008年度:117万人)。収入は809億円(対前年24億円の減)、支出は765億円(対前年50億円の減)。収支は44億円の黒字で、前年度に比べ26億円の改善となるが、依然として3,145億円もの累積欠損金を抱えるとともに実質資金不足額は2,418億円となるなど、厳しい状況である(2009年度決算)。また、経営の健全化を図るため、2009年度から2016年度までを計画期間とする「市営交通事業経営健全化計画」を2010年3月に策定している。以上のように、経常損益においては、東山線、鶴舞線が黒字で、他は赤字である。累積欠損金については、2008年(平成20年)度において、単年度の収支均衡が見込めることから、2039年(平成51年)度において、解消されるとの評価がなされている

シンボルマーク
地下鉄車両などに掲出されているシンボルマークは、画家の杉本健吉がデザインしたもので、名古屋市の市章である「○」の中に「八」を基に、トンネルの中を通る線路に見えるようアレンジした図案である。なお開業当初は「○」部分が破線になっていた。

名古屋市において、守山区以外の各区内に駅がある。2011年度を目標に、全駅でバリアフリーのための整備を行っている。自動券売機発売の磁気券は、券紙を回数券発行に使用しないため裏面が茶色の低保磁券を採用している。韓国・大邱都市鉄道公社での放火による火災によって、反対路線に停車した列車に延焼したことを受けて、対向式ホーム中央の柱間にガラスならびに鉄製の防火壁の取り付けが順次行われている。各路線の起点駅から順に、全駅に駅番号が割り振られている。名城線と名港線は金山駅を01番としており、名城線では栄、大曽根方面に向かって右回りの順に付けられている。名城線では、現在の右回りが「上り」、左回りが「下り」となっている。これは2号線の起点が大曽根駅であることに由来する。名城線全通によって金山駅が駅番号の起点駅となったが、「上り」「下り」の表記は変更されていない。「上り」「下り」の表記は一般乗客向けには使われないが、関係者の間でしばしば使われる。上小田井駅と上飯田駅を除いた駅の出入口にある駅名サインは現在以下の3種類が存在する。写真は各駅の記事を参照。昔から使われている白地に青文字のもの。縦書きが多いが横書きのものもある(鶴舞駅・千種駅など)。最初から駅名には英語表記(全部大文字)もされている。出入口番号は併記されておらず、別にプレートを掲示して表示する。現在かなり少なくなったが、一部の駅ではまだ使われている。黒地に白抜き文字。桜通線開業時より広まった。ほとんどが横書きだが、縦書きのものも僅かに存在する(本陣駅など)。この型のものより駅を表す「Sta.」の英語と出入口番号が追加された。赤池駅ではこのタイプが使われており、名鉄の文字も加わっている。

青地に白抜き文字。名城線が名古屋大学まで開通した頃より各線に拡大。この種類のみ地下鉄のマークは小さいものになっており一般的な電車のピクトグラムが追加されている。東山公園駅3番出入口頭上にある駅名サインは例外で、地下鉄のマークや英字表記、ピクトグラムはなく、漢字のみの表示となっている(出入口の外にある駅名サインは地下鉄のマークやピクトグラムが入った他の駅と同じタイプ)。ホームの駅名標も数種類存在する。黒地に白抜き文字のもの(駅ナンバリング併記済み。一部ラインカラーが入っているものもあり。1989年の世界デザイン博開催に合わせて導入)、白地に黒文字で壁のラインカラーと一体化したもの(漢字表記と平仮名表記を交互に設置。桜通線や名城線の2000年以降に開業した区間など、比較的新しい路線で見られる)、黒字に白抜き文字だが枠の形は両端が丸くなっており、進行方向を表す矢印が赤いもの(鶴舞線の相対式ホームでのみ見られる)などがある。乗換駅での乗り換え案内表示にあるラインカラーは、車両の路線表示と同じく、ラインカラーの横線5本から、ラインカラー付きの地下鉄のマークに変更されているところもある。鶴舞線以外の路線では各駅の発車案内にはLEDのものが使われている(鶴舞線は行先が複数存在するため未だに発車案内が行灯式になっている駅が多い)。行灯式のものは次の電車が前の駅を出ると「○○を出ました」と表示される。バスの押しボタンと同じように表示されていない項目は暗くて見えない。ただし今後はLEDのものに置き換えられることになっている。名古屋市交通局独自の規則として、エスカレーターは2列で立ち止まって乗り、急いでいる人は階段を使うよう呼び掛けている。しかし、エスカレーターの片側を開けることは世間一般で言う「常識」であるために、これを守っている人は少ない。むしろ後ろの人に立ち止まらないよう言われることがある。ただし、上小田井駅と上飯田駅は名鉄管理のため、そのような呼び掛けはない。

広告
2000年頃から新たな広告媒体の事業化を目指す目的で、「新交通広告表示システム」の計画が開始された。翌2001年に桜通線名古屋駅で実証実験を行った後、2004年12月より東山線の栄駅と伏見駅のホームにて液晶モニタを使ったサービスを開始している。内容は、テレビコマーシャルのほか、オリジナルのアニメーション広告、ニュースなどで、公営の地下鉄駅としては珍しく音声も流している。さらに2006年12月からは名城線久屋大通駅ホームにプロジェクターを使ったシステムが導入されたのを皮切りに、翌2007年4月には同線の栄・本山・金山・上前津の各駅にも設置された。また、2007年6月からは東山線名古屋駅、翌年3月から同伏見駅ホーム軌道内にて液晶モニターを使ったサービスも開始している。
2006年5月頃に名古屋市交通局が地下鉄車両内に掲示したマナー啓発広告に使用した画像に関し、PHS事業者のウィルコムより抗議を受けて謝罪をした。

携帯電話・モバイル
2004年9月頃から、名古屋市営地下鉄では2GHz帯を使用する方式を除いて携帯電話各社についてプラットホームでは圏外になるような対策が行われた(改札口付近では利用可。また、PHSについては設置事業者においても元より改札口付近のみ圏内)。名古屋市交通局は、総務省の「電波の医用機器等への影響に関する調査結果」(2002年7月2日)に基づく処置であるとしている。なお、2010年現在では1.7GHz帯を利用するイーモバイルに関しても利用することができる。
車内アナウンスにて携帯電話の利用についての注意を促す内容が流されている。
ほぼ全線各駅に無線LANアクセスポイントを設置。NTTドコモやNTT西日本のサービスが利用できる。

料金の詳細

2011-05-08 11:59:55 | 日記
大人片道普通料金。小児・障害者手帳保有者等は半額(10円未満切り上げ。2010年現在)
当局では「運賃」という表現は用いられない。普通料金は経由駅にかかわらず最短距離の料金を適用する(東京・神戸などのような改札外乗り換えの駅はない)。ただし、定期券は指定経路で計算され、指定区間外では途中下車できない。当局では、入場券、往復乗車券、回数乗車券は発売されていない。また、プレミアム(特典額)つきの磁気ストアードフェアプリペイドカード「ユリカ」(後述)が発売されていたが、2011年2月11日にIC乗車カードmanacaが導入されたことで、前日の2011年2月10日に発売を終了した。名古屋鉄道の犬山・小牧・豊田の各線に上小田井・上飯田・赤池の各駅連絡で乗車する場合、連絡駅をはさんだ併算により特に割高となる一部の近隣区間では、別に定める乗継割引料金(大人20円、こども10円割引)が適用される。他に名称が類似する駅がある駅の場合、以下のように乗車券上の駅名表記が、かな書き表記や文字の大きさの変更など、一見して発行駅が判別できるよう工夫されている。名古屋駅のなごや(名古屋港駅・名古屋大学駅との区別。名古屋市営バスの方向幕は反対に、名古屋駅は漢字表記、名古屋港は「なごや港」と表記している。なお、名古屋大学は漢字表記である)

鶴里駅のつる里(鶴舞駅との区別)
中村公園駅のなかむら公園(中村日赤駅・中村区役所駅との区別)本郷駅のほんごう(本陣駅・本山駅との区別)

企画乗車券
バス・地下鉄全線一日乗車券(大人850円・小児430円)
地下鉄全線一日乗車券(大人740円・小児370円)
ドニチエコきっぷ(大人600円・小児300円) - 土・日・祝日(お盆や年末年始などの休日ダイヤ運行日を含む)と毎月8日の一日のみ有効のバス・地下鉄一日乗車券。地下鉄駅改札窓口・駅長室、市バス営業所・車内、交通局サービスセンター定期券売り場、一部の乗車券委託販売所で発売。
1区特別きっぷ(大人3,800円) - 地下鉄1区間を22回利用可能。manaca導入に伴い発売終了となっている。

乗車カード
乗車カードとして、従来の回数券や連続割引サービスを含めた乗車券として、トランパス対応で、同局の地下鉄・バス路線や名古屋鉄道などの提携他社において使用できるプリペイドカード式乗車券を「ユリカ」という名称で発売していた。ユリカが1998年に導入される前には、1988年4月1日から自動券売機・自動精算機できっぷの購入や運賃精算ができる(自動改札機に直接投入はできない)プリペイドカード「リリーカード」が発売されていたが、2003年3月27日に利用停止、2006年3月31日で交換終了となり、現在は無効となっている。また、同じ頃から、自動改札機に直接投入できる回数券カードが発売されていた。回数券カードには、地下鉄・バス乗継回数カードも存在した。これは、地下鉄(1区 - 5区)券10枚と、市バス200円券10枚が1枚のカードにセットされたものである。現在はユリカに乗継割引機能があるため、いずれも発売を終了した。2011年2月11日より、非接触型ICカード「manaca(マナカ)」が導入されたため、これに伴い、ユリカ(バス・地下鉄共通ユリカ、バス昼間割引専用ユリカ、地下鉄昼間割引専用ユリカ)および「地下鉄1区特別きっぷ」の発売は前日の2011年2月10日で終了した。利用についても2012年2月29日をもって終了する予定である。

車両
車両規格は東山線・名城線・名港線車両が標準軌(1435mm軌間)・第三軌条集電式(直流600V)の15.5m級3扉車、鶴舞線・桜通線・上飯田線が狭軌(1067mm軌間)・架線集電式(直流1500V)の20m級4扉車と大きな差がある。非冷房車については車齢25年を目安に冷房車へと置き換え、2000年に100%冷房化を達成した。今後予定されている5000形などの初期冷房車の置き換えは、これよりも緩やかに推移する模様である。車両横に貼ってあるロゴマークは従来、ラインカラーの横線を縦に5本、長方形に並べたものだった。これは名古屋の地下鉄が5路線からなることを表しており、その下に英語表記付きで路線名が入る。名城線・名港線用の車両は名城線のみ書かれていた。7000形以降の増備車からは、ラインカラーに塗られた地下鉄のシンボルマーク(右側に英語表記付きの路線名が入る)に変更されている。在来車は名城線・名港線用車両以外変更はない。編成は、上飯田線用の7000形が4両、桜通線用の6000形と6050形が5両、その他が6両であり、座席は7000形のみセミクロスシートであるほかはオールロングシートとなっている。製造会社は日本車輌製造と日立製作所の2社であるが、今般導入されたN1000形や6050形はいわゆる「日車式ブロック工法」を採用するなど、ここ数年は日本車輌での製造が主流になりつつあった。一方で、日立製作所はアルミニウム車体の車両「A-train」に事実上特化して、ステンレス車体の車両の製作を行わなくなってきているものの、2011年9月に落成予定の3000形置き換え用の新型車両(N3000形)の車体については、入札の結果、日立製作所によって製造されることが決まっている。車両形式は、東山線の5000形、5050形と、路線番号が設定されていない上飯田線を除いて、数字部1桁目が路線番号(名古屋市高速度鉄道第n号線のn)、2桁目が編成内の車両位置(1両目、2両目・・・)、3桁目と4桁目が編成番号を表し、編成番号が01から始まった型式の次の世代の形式は51から始まるというように、50を境に世代を分けている。これだけでは2世代までしか表すことができないため、3世代目は形式の頭にNをつけてN1000形、N3000形のようになる。

戦後になると

2011-05-07 22:57:51 | 日記
まず、1946年(昭和21年)1月、高速鉄道網検討用基礎案として、以下の4路線約43Kmが立案された。これは戦災復興のため、将来人口を200万人と想定した都市計画として立案されたため、鉄道着工よりも鉄道用地を先行確保するのが主目的の計画であった。この計画では、平田橋、上飯田、守山、八事などで既存の鉄道との相互乗り入れが重視されていたため、現在の地下鉄路線とはかなり違う経路を通っているものが多い。

八田 - 栄町 - 覚王山 - 守山
平田橋 - 栄町 - 八事
上飯田 - 栄町 - 八事
覚王山 - 総合運動公園
9月には、名古屋市高速度鉄道協議会が設置され、これには名古屋市のほか、運輸省、内務省、戦災復興院、名鉄、近鉄も参加し、1947年(昭和22年)10月に以下の6路線約55kmの路線網を定め、1950年(昭和25年)1月には、これらのうち約49kmが名古屋復興都市計画高速度鉄道路線網として都市計画決定された。この都市計画決定は、国鉄名古屋駅0番ホームを借り受け、そこに地下鉄を乗り入れ、栄生まで延長して名鉄名古屋本線と相互直通運転をする計画のほか、名古屋市、名鉄、近鉄の三者の協定により、新川橋、八田、大曽根、水分橋でも相互直通運転をすることが予定されていた。

1号線:(八田 - )名古屋駅 - 覚王山 - 石川町
八田 - 名古屋駅間は、都市計画決定から除外された。覚王山 - 石川町以外は、現在の東山線の一部に相当。
2号線:新川橋 - 市役所裏 - 石川町
市役所裏 - 石川町間は、現在の名城線の南西部に相当。
3号線:覚王山 - 東山
現在の東山線の一部に相当。
4号線:市役所裏 - 大曽根 - 水分橋
現在の名城線の北西部+上飯田線に相当。
5号線:石川町 - 旧名薬専前
石川橋付近 - 滝の水公園付近。現在の桜通線南東部に相当。
6号線:金山 - 名古屋港
現在の名港線に相当。
その後、建設資金分担や国鉄ホームの使用を巡る問題などにより上記計画は頓挫した。名古屋市は独自に、相互直通を前提とせずに地下鉄を建設することになり、第三軌条方式を採用し、すでに免許を取っていた名古屋 - 田代間および市役所裏 - 金山間の早期開業を図った。1954年(昭和29年)8月には、名古屋 - 栄町間について着工し、1961年(昭和31年)には、名古屋市電下之一色線での試作車による運行テストを開始した。そして、1957年(昭和32年)11月15日 、名古屋市営の最初の地下鉄として、名古屋 - 栄町(現:栄)間2.4kmが開業した。当初の料金は名古屋 - 栄町間で大人15円、小児8円の均一制。名古屋市内の1世帯に1枚ずつ試乗券が配布された。

年表
1957年(昭和32年)11月15日* 1号線(現:東山線)名古屋 - 栄町間が開業。
1960年(昭和35年)6月15日 1号線栄町 - 池下間が開業。
1963年(昭和38年)4月1日 1号線池下 - 東山公園間が開業。
1965年(昭和40年)10月15日* 2号線(現:名城線)栄町 - 市役所間が開業。
1966年(昭和41年)6月1日 駅名変更(栄町→栄、伏見町→伏見)。
1967年(昭和42年)3月30日* 1号線東山公園 - 星ヶ丘間、2号線栄 - 金山間が開業。
1969年(昭和44年)4月1日** 1号線星ヶ丘 - 藤ヶ丘間・名古屋 - 中村公園が開業。
1969年(昭和44年)5月1日 1号線の愛称を東山線、2号線の愛称を名城線として使用開始。
これ以前は1号線を「東西線」、2号線を「南北線」と呼称する場合もあった(名古屋市の広報紙・中日新聞など)。
1970年(昭和45年)12月10日 東山線上社駅新設。
1971年(昭和46年)3月29日** 名城線金山 - 名古屋港間が開業(現在の名港線)。
1971年(昭和46年)12月20日** 名城線市役所 - 大曽根間が開業(当時の名城線全通)。
1974年(昭和49年)3月30日** 4号線金山 - 新瑞橋間が開業。
1975年(昭和50年)12月31日 大晦日から元旦の終夜運転開始。
1977年(昭和52年)3月18日** 鶴舞線伏見 - 八事間が開業。
1978年(昭和53年)10月1日 鶴舞線八事 - 赤池間が開業。
1979年(昭和54年)7月29日 鶴舞線と名鉄豊田線の相互乗り入れ開始。
1981年(昭和56年)11月27日 鶴舞線浄心 - 伏見間が開業。
1982年(昭和57年)9月21日 東山線中村公園 - 高畑間が開業(東山線全通)。
1984年(昭和59年)9月6日 鶴舞線庄内緑地公園 - 浄心間が開業。
1989年(平成元年)9月10日 桜通線中村区役所 - 今池間が開業。名城線久屋大通駅新設。
1993年(平成5年)8月12日 鶴舞線上小田井 - 庄内緑地公園間が開業(鶴舞線全通)。名鉄犬山線と相互乗り入れ開始。
1994年(平成6年)3月30日 桜通線今池 - 野並間が開業。
2000年(平成12年)1月19日 4号線大曽根 - 砂田橋間が開業。
2003年(平成15年)3月27日 上飯田線平安通 - 上飯田間が開業。名鉄小牧線と相互乗り入れ開始。
2003年(平成15年)12月13日 4号線砂田橋 - 名古屋大学間が開業。
2004年(平成16年)10月6日 名城線名古屋大学 - 新瑞橋間が開業(名城線全通)。4号線の愛称を名城線に変更、名城線環状運転開始。
名城線金山 - 名古屋港間の愛称を名港線に変更。駅名変更(藤ヶ丘→藤が丘、瑞穂運動場→瑞穂運動場西)。
2011年(平成23年)2月11日 ICカード乗車券manacaを導入。
2011年(平成23年)3月27日 桜通線野並 - 徳重間が開業。
開業日の営業開始時刻は、日付に*印を付したものは14時、**印を付したものは12時、無印は始発からである。

名古屋市営地下鉄の様子

2011-05-06 20:55:56 | 日記
名古屋市営地下鉄は、名古屋市交通局が運営する地下鉄である。現在は6路線で営業中で守山区を除く名古屋市15区と日進市に路線を持ち営業キロ数は93.3km、駅数は87駅(以上2011年3月27日現在)、車両数は762両(2009年4月現在)を数える。1日あたりの乗車人員は約115万人(2009年現在)。名古屋市の例規上の正式名は、名古屋市高速度鉄道である。

路線
名古屋市営地下鉄の駅や車内に掲示されている路線図には、名古屋市営地下鉄の路線以外にも、相互直通運転を行っている名鉄線に加えゆとりーとライン、あおなみ線、リニモも掲載されている。路線番号は、1972年の都市交通審議会昭和47年答申第14号において1号線から9号線まで存在していたが、同答申が1992年の運輸政策審議会平成4年答申第12号で見直された際、すでに市営地下鉄として開業または着工済みの路線以外は、路線番号を引き継がなかったため、5および7以上の各号線は、計画上も存在しない。名城線と名港線は、正式には大曽根駅 - 栄駅 - 金山駅 - 名古屋港駅間が2号線、大曽根駅 - 八事駅 - 金山駅間が4号線である。名城線と名港線を直通運転する列車がある。各車両の側面には「名城線・名港線」と表示されている。鶴舞線は、上小田井駅より名鉄犬山線犬山駅まで、赤池駅より名鉄豊田線を経て名鉄三河線豊田市駅まで相互直通運転を行っている。上飯田線は、上飯田駅より名鉄小牧線犬山駅まで相互直通運転を行っている。上飯田線は第三セクター会社上飯田連絡線株式会社が第三種鉄道事業者として施設を保有しており、名古屋市交通局が第二種鉄道事業者として施設を同社から借り受け運営している。ただし列車の運行は同線に乗り入れる小牧線を運営する名古屋鉄道に委託している。

計画上の路線
1992年(平成4年)運輸政策審議会答申第12号「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」における計画路線中、名古屋市が事業主体として想定されているものは、以下のとおりである。駅名はすべて仮称。ただし、すべての路線について、現在事業化の動きは全くなく、上飯田線と東部線については、事業の凍結が提言されている。詳細は、答申の記事を参照。

桜通線(延伸)
七宝駅 - 稲葉地駅 - 中村区役所駅
徳重駅 - 豊明北駅( - 豊田市南部方面)
上飯田線(延伸)
平安通駅 - 新栄町駅 - 丸田町駅
東部線(新設)
笹島駅 - 丸田町駅 - 吹上駅 - 星ヶ丘駅 - 高針橋駅( - 岩崎駅)
金山線(新設)
戸田駅 - 金山駅 - 丸田町駅 - 黒川駅( - 楠町駅)

歴史
名古屋市による市営地下鉄の建設計画は、人口が100万人を突破した1936年(昭和11年)に発表されたものが最初である。この計画によれば、以下の7路線約52kmを2期に渡って建設する予定であった。この計画は、地下線での計画を基本にしながら、田端 - 市役所や桜山 - 柴田などでは高架線での建設も予定されていた。

一期
中村 - 覚王山
現在の中村公園駅付近 - 覚王山駅付近
田端 - 市役所 - 内田橋
現在の黒川駅付近 - 伝馬町駅付近
二期
桜山 - 篠原町 - 押切
現在の桜山駅付近 - あおなみ線 荒子駅東部? - 浅間町駅付近
覚王山 - 新池
現在の覚王山駅付近 - 東山公園駅付近
本山橋 - 八事
現在の本山駅付近 - 八事駅付近
押切 - 田端 - 大幸町
現在の浅間町駅付近 - 黒川駅付近 - 砂田橋駅付近
桜山 - 笠寺 - 鳴尾 - 柴田
現在の桜山駅付近 - 名鉄 本笠寺駅付近 - 名鉄 本星崎駅南部 - 名鉄 柴田駅付近
その後、1937年(昭和12年)に名古屋駅が笹島から現在の位置に移転すると、1938年(昭和13年)6月、その跡地に関西急行電鉄の名古屋乗り入れにあたって地下に関急名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)が建設され、名古屋で初の地下線による鉄道が開業した。

日中戦争の長期化により、名古屋市の財政が悪化する一方で、軍需産業都市としての発展もあり、1939年(昭和14年)、臨時名古屋市並近郊交通調査会が発足し、地下鉄計画を再検討した結果、以下の基本4路線約29kmが発表された。この基本計画のほかに、将来計画として大規模な地下鉄整備計画も発表されており、実際にボーリング調査の準備まで行われたものの、第二次世界大戦開戦の影響により、具体的な着工までは至らなかった。

空港や港湾と名駅。

2011-05-05 09:53:38 | 日記
市への空の玄関口、中部国際空港名古屋飛行場(県営名古屋空港)は、旧陸軍名古屋基地跡に自衛隊の基地と共用の空港としてオープンし、2005年2月17日の中部国際空港(常滑市)開港まで名古屋の空の玄関として機能していたが、中部国際空港に主たる機能を移転したあとは県営空港となり、現在では日本航空系列のジェイエアが国内九箇所(とかち帯広、秋田、山形、新潟、高知、松山、熊本、長崎)に就航するのみとなっている。名古屋市の北郊の豊山町・小牧市・名古屋市北区にまたがる場所にある。鉄道のアクセスがなく、バスと高速道路に頼る。なお、中部国際空港は名鉄名古屋駅と名鉄常滑線・空港線直通特急ミュースカイにより最速28分で結ばれている。名古屋港は宮の渡しで有名だった熱田港が周辺海域の干拓の進展や、浅い水深で近代港湾としての機能を果せないとの観点から、熱田前新田の沖合いを埋立・浚渫して築港された近代港湾である。第二次大戦時に三菱重工業名古屋航空機製作所が港の東側一帯に広大な敷地を構えて発達し、戦後はこの跡地への他工場進出や、地元資本と富士製鐵の合弁の東海製鐵(新日本製鐵(新日鉄)名古屋製鐵所の前身)が進出するなどして発展し、現在は貿易額日本一を誇るまでになった。伊勢湾に面しており、西から弥富市、飛島村、名古屋市港区、東海市、知多市と五つの市町村にまたがる。周辺施設名には「名港」(めいこう)と略して冠する場合が多い。東名高速道路の名古屋インターチェンジは名古屋市名東区にあり、市中心部(栄付近)からは名古屋高速と東名阪自動車道を利用すれば15分程度、一般道(県道名古屋長久手線など)では渋滞の無い状態で30分〜45分程度となっている

名駅
名駅は、名古屋市中村区と西区にある地名である。住居表示では中村区名駅1丁目 - 5丁目、西区名駅1丁目 - 3丁目がある。中村区と西区とで同じ町名は隣接している。

概要
住居表示上では名古屋駅の東一帯を指した地名に過ぎないが、駅の西側の椿町、太閤や則武、広小路通を挟んで南に位置する名駅南や北東に位置する那古野(なごの)、北西の牛島町といった町も名駅地区とされる場合もある。周辺は栄に次ぐ、名古屋の代表的ビジネス街及び繁華街である。近年、老朽化したビル等の再開発が盛んになっている。「名駅」という地名は1977年10月に名古屋市で住所表示変更が行われた際に付けられた。

歴史
国鉄名古屋駅は、1886年(明治19年)5月に設置された当初は、当時の名古屋市街の西端にあたる、現在の笹島交差点付近にあった。ここから、名古屋市街に向けて、1898年(明治31年)に、現在の名古屋鉄道の前身の一つである名古屋電気鉄道(名電)により、路面電車(後の名古屋市電)が開業すると、当地区は交通結節点として、発展を始めた。その後、1913年(大正2年)、名電の郊外向けのターミナルが、当地区の東端の柳橋駅に設置された。昭和になって、1937年(昭和12年)名古屋駅が現在地に移転すると、桜通が整備されたほか、1940年(昭和15年)は関急名古屋駅(現在の近鉄名古屋駅)、1941年(昭和16年)は新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)が相次いで開業し、名駅地区は交通の集積地として発展するようになった。戦後には、名鉄百貨店、近鉄百貨店、松坂屋が出店し、1957年(昭和32年)には、名古屋で最初の地下鉄である東山線が栄町まで開業すると、商業地区としての大きな発展を見せたが、それでも、名駅地区は名古屋駅と名古屋市街への乗換えで通過する町という側面が強かった。しかし、1999年(平成11年)、JR名古屋駅がオフィス、ホテルや商業施設から成る超高層ビル(JRセントラルタワーズ)に建て替えられ、高島屋が進出してくると、名駅にも人の流れが出来るようになった。2005年には中部国際空港が開港し、名鉄特急で空港まで30分以内で乗り換えなしで行ける立地に目を付けた企業が名駅にオフィスを構えるようになった。また、JRセントラルタワーズの開業を皮切りに、ミッドランドスクエア、ルーセントタワー、スパイラルタワーズ、アクアタウン納屋橋や名古屋プライムセントラルタワーなどの超高層ビルの建設が相次ぎ、更に2013年以降にターミナルビル、中央郵便局や大名古屋ビルなどを超高層ビルとして建て替える計画が公表されるなど、国内屈指の超高層ビル街への変貌を遂げており、栄と並ぶ名古屋圏を代表するビジネス街としての拠点性が高まっている。

地理
中村区の東と西区の南に、東西約1.1km、南北約1.1kmの町域を成し、東端の丸の内との町界沿いには堀川が流れる。南北に町を貫く名駅通と江川線、東西を走る広小路通や錦通、桜通の大通りを軸に町が構成されており、これらの沿道にはビルが林立しているまた、日本初の地下街であるサンロードをはじめ、メイチカ、新名フード、ダイナード、ミヤコ地下街、テルミナ、ユニモール、エスカなど、駅の東側、西側ともに広大な地下街が複雑に広がっている。

名古屋駅東
名古屋駅から見た桜通(2005年当時)名古屋駅の東側の地区は名古屋市有数の繁華街となっている。鉄道駅が集中する名駅通沿いには百貨店などの商業施設が集中し、人通りが多い。ここ近年の再開発も名駅通の沿線を中心に行われている。桜通や錦通沿いはオフィスビルなどが林立している。また、名駅北東の那古野には円頓寺商店街があり、下町風情の残る地域となっている。

名古屋駅西
名古屋駅の西側は、「駅西」または「駅裏」と呼ばれている。駅西は、名古屋駅開業以後も、西側の中村地区の発展とは対照的に、市街地としての発展が遅れていた。戦後には、闇市やバラックが立ち並び雑然としていたが、東海道新幹線の開通と機を同じくして、大規模な土地区画整理が行なわれた。しかし、その後は、ビジネスホテルや予備校、専門学校のほか、小さな商店や風俗店などが雑然と立ち並ぶ地区となっている。近年の名古屋駅東での再開発の余波を受け、井門名古屋ビルが2007年の基準地価の上昇率が全国トップとなった。現在、駅西と笹島の再開発地区を結ぶ道路は建設されていないが、愛知県道68号名古屋津島線の太閤一丁目交差点と名古屋市道岩井町線の運河町交差点を結ぶ椿町線の建設が計画されている。

交通はこのようになっている

2011-05-04 15:50:45 | 日記
道路
久屋大通公園名古屋市はトヨタを初めとする自動車の町、企業城下町として有名であるが、大量の交通は卓越した道路網が支えている。碁盤の目のように片側3~5車線の道路が走っており、余裕ある道路設計により名古屋高速道路を中心部に通すことも容易であった。100メートル道路と呼ばれる幅員100メートルの広い道路(久屋大通・若宮大通)は名古屋の自慢にもなっている。なお、一本の道路幅が100メートルなのではなく、上り車線と下り車線および車線間にある20メートルほどの中央分離帯を加えて100メートルと呼んでいる。途中の中央分離帯は公園のようになっており安全に休むことができるので、歩行者は100メートルを一気に渡り切る必要もプレッシャーもない。日本一とも言われる広い道路網は、原点は広小路で見られるような江戸時代にあった「万治の大火」後の防火帯としての役割にあるが、後に来る車社会を見越し戦災復興都市計画に基づいて更に整備されたものである。この都市計画は大変大胆なもので、焦土化した市街地に幅員の広い道路を何本も東西南北に通し、市内各所にあった墓地をすべて1ヶ所に集約するというものであった。この計画は、当時の交通事情などを考えればあまりに突飛なもので批判の声も大きかった。戦後日本の急速な経済成長により、大胆な都市計画は見事に結実した。この計画の責任者は田淵寿郎技監で、その功績により1966年「名誉市民」の称号が贈られている。市内の中心部には環状に名古屋高速が走り、名古屋第二環状自動車道が環状に市域を取り巻く。市東郊外の名東区に東名高速道路の名古屋インターチェンジを持ち、南部の名古屋港エリアには近年伊勢湾岸自動車道が建設された。その他、郊外にも名神高速道路・中央自動車道・東海北陸自動車道・知多半島道路などが接続しており、一般道を含め道路インフラの整備が大変進んだ地域とも言える。

有料高速道路以外にも名四国道、西知多産業道路、名岐バイパスのような複数の高規格バイパスが存在する。ナンバープレート名古屋市(中川区)の中部運輸局愛知運輸支局から交付されるナンバープレートには、「名古屋」の地名が表示される。これを俗に、「名古屋ナンバー」という。1965年3月1日に「愛(知)ナンバー」から「三河ナンバー」が分離されるのを機に変更された。さらに1979年8月6日には「尾張小牧ナンバー」が分離された。2007年1月現在、「名古屋ナンバー」が交付されている地域は、名古屋市、大府市、東海市、知多市、半田市、常滑市、知多郡、津島市、愛西市、弥富市、海部郡、豊明市、日進市、愛知郡である。ちなみに「名古屋ナンバー」の登録台数は全国で1番多い。

鉄道・バス
オアシス21鉄道の名古屋駅は名古屋の旧城下町の西の笹島と呼ばれていた湿地を埋め立てた場所に位置し、現在では名古屋市の都心のひとつとなっている。JR東海の名古屋駅の他に名鉄名古屋駅、近鉄名古屋駅、地下鉄・あおなみ線の名古屋駅があるが、それらをまとめて「名古屋駅」、あるいは略されて「名駅」(めいえき)(めーえき)と呼ぶことがある。名駅という呼称は、周辺の正式な地名に採用されている。地下鉄と市バスを経営する名古屋市交通局を中心に、鉄道はJR東海、名古屋鉄道、近畿日本鉄道の主要3社が乗り入れている。バス路線は市バスの他、名鉄グループの名鉄バス、近鉄グループの三重交通などが周辺区を中心に路線を運営している。代表的なターミナル駅としては名古屋駅・名鉄名古屋駅・近鉄名古屋駅・栄駅・金山駅がある。市内の鉄道利用については、市内主要地域の大部分をカバーする地下鉄が圧倒的である。その他の鉄道3社は名古屋駅等市内中心部主要駅と郊外都市との連絡が中心で、市内相互輸送については名鉄本線名古屋~神宮前、JR中央線名古屋~大曽根を除き、首都圏に比べ日常的な利用はさほど多いとはいえない。また、自動車通勤の抑制を期待して整備された西名古屋港線(あおなみ線)だが、運営する第三セクター名古屋臨海高速鉄道の当初の利用予測を大きく下回っており、苦しい経営が続いている。

バス利用についても市バスが路線密度の高さから最も多くの利用者を集めているが、自家用車の攻勢や地下鉄との路線重複等もあり、大部分の路線が赤字である。このため名古屋市交通局は、ここ数年バス路線の再編成を短いサイクルで行っており、利用者数の少ない路線の廃止、本数削減などの措置が実施されている。名鉄バス、三重交通バスについては、一部地域での運営にとどまっているが、基幹バスや星ヶ丘駅発着路線など、利用率の高いものもある。代表的なバスターミナルとして名古屋駅地区の名鉄バスセンター・名古屋バスターミナル、栄地区のオアシス21バスターミナルがあり、多くの中長距離路線バスが乗り入れている。この他地下鉄の主要駅を中心にバスターミナルが設置され、周辺区において地下鉄へのフィーダー輸送の役目を果たしている。バスの乗車方法は、市バスが前乗り後降り先払いであるのに対し、名鉄バス・三重交通バスは後乗り前降り後払い方式である。(市バスでも、名鉄と共同運行する基幹2系統やゆとりーとラインでは後乗り前降り後払いの方式を採っている。)運賃は、市バスがゆとりーとラインの高架区間を除き均一制。名鉄バス・三重交通バス並びにゆとりーとラインは整理券による区間制である。(ただし、市バスの高速1系統の名古屋高速道路通過区間は10円加算、名鉄バスと三重交通バスの市バス競合区間は市バスと同額の均一制である。)

経済はこのようになっている。

2011-05-03 12:48:33 | 日記
産業平成19年度の市内総生産は14兆4267億円である。これはカタールの国内総生産よりも大きく、世界で50位以内の「国」に相当する経済規模を有している。
第一次産業市内の大半が宅地、商工業地帯となっているため全般には振るわない。農地の大半は庄内川以西の中川区や港区に立地し、野菜と水稲を栽培し、大消費地に立地するという優位性を生かした、地産地消の推進に取り組んでいる。

かつて天白では天白リンゴ、と呼ばれるリンゴが存在しており、青森のリンゴよりも収穫が早かった。
中川区大蟷螂町には西洋野菜の改良普及を行っていた野崎採取場があり、白菜、キャベツ、イチゴ、ニンジン等の品種改良が行われていた。
下之一色では明治30年頃には西洋野菜の栽培が始まっており、アスパラガス、オクラなどが栽培されていた。
水産では下之一色では昭和30年頃まで漁港だったが漁業権を返上してからも当時のなごりで魚市場が存在する。
第二次産業豊田市や四日市市などとともに、中京工業地帯の中核であり、製造品出荷額では県内では豊田市に次ぎ、全国5位にランクする。鉱業はかつて名東区の牧野ヶ池緑地付近には炭鉱があり、亜炭を産出していたが、現在は閉山している。

本社を置く主な製造業ブラザー工業(ミシン、ファクシミリ等の製造。JOYSOUNDを展開するエクシングの親会社)
大同特殊鋼
カゴメ
パロマ工業
リンナイ
日本車輌製造(鉄道車両の製造)
日本碍子
日本特殊陶業
ノリタケカンパニーリミテド
ジェイテクト
森精機製作所
フルタ電機
主要な製造業の工場ノリタケ本社工場(西区)
東レ愛知工場(西区堀越)
三菱電機名古屋製作所矢田工場(東区矢田)
レンゴー名古屋工場(東区砂田橋)
アサヒビール名古屋工場(守山区)
三菱重工業岩塚工場(中村区岩塚)
日清製粉名古屋工場(中川区長良)
東海旅客鉄道名古屋工場(中川区長良)
リンナイ愛知工場(中川区愛知)
中部鋼鈑本社工場(中川区)
中日本氷糖本社工場(中川区玉川)
日本ガイシ名古屋工場(熱田区)
日本特殊陶業本社工場(瑞穂区)
愛知機械工業熱田工場(熱田区)
愛知時計電機本社工場(熱田区)
パロマ本社工場(瑞穂区桃園)
トヨトミ本社工場(瑞穂区桃園)
ブラザー工業瑞穂工場(瑞穂区)
ブラザー工業桃園工場(瑞穂区桃園)
ブラザー工業星崎工場(南区)
大同特殊鋼星崎工場(南区星崎)
三井化学名古屋工場(南区)
愛知機械工業永徳工場(港区野跡)
住友軽金属工業名古屋製造所(港区千年)
三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所大江工場(港区大江)
東レ名古屋事業場(港区大江)
三菱ふそうトラック・バス大江工場(港区大江)
ニチハ名古屋工場(港区汐止)
東亞合成名古屋工場(港区昭和)
大同特殊鋼粉末工場(港区竜宮)
日本車輌鳴海工場(緑区鳴海)
第三次産業名実ともに中京圏の商業の中心地であり、前述の通り栄、名駅、大須など市外、県外からの集客力のある商業地帯が存在する。近年、一部の大都市を除く多くの商店街がロードサイドショップの進出等によって空洞化に喘ぐ中、数少ない賑わいのある市街地ともいえる。

主な商業施設名古屋市にある百貨店の松坂屋(Matsuzakaya)・三越(Mitsukoshi)・丸栄(Maruei)・名鉄百貨店(Meitetsu)で、4Mデパートと呼ばれる。最近ではこれに高島屋(Takashimaya)を入れて4M1Tとも呼ばれる。

姉妹都市・提携都市名古屋市の姉妹友好提携都市は4国の4都市と結ばれており、様々な分野での交流が年間を通して両都市間で活発に行われている。また各都市からの記念品が名古屋市中区の名古屋市公館地下1階にある国際交流展示室や久屋大通公園で一般公開されている。姉妹都市は近年提携したトリノ市を含め、オリンピック開催都市と結ばれているのが特徴である。
また、1986年10月24日、名古屋市の野外教育施設が設置されている中津川市と稲武町(現・豊田市)の3市町で、文化・教育・体育・経済・人物等の交流を通じ、友好親善と相互理解を深めることを目的とした、「ふれあい協定」を締結。協定に基づく交流事業として、現在も様々なイベントが催されている。