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壊れたテレビ

みなさまどの様にお過ごしでしょう?元気にしてますか?

なんだこれ?

2006年04月01日 04時42分41秒 | 思慮の果ての独白

今ティクソンの家にいます。
明日の朝に、立ち会いがあるので今日はお泊りです。
ティクソンは、もう寝てます。
俺も寝ようと思ったんだけど、どうにも寝れそうにないのでPCいじってます。



深夜の3時過ぎです。


どうやら峠は越えたようです。
ここ3時間ほどいろいろ考えてたら、なんかすっきりした。
気分は晴れやかです。
あと、4月になったのも原因なのだろうという感じも少々。
感情に浸るのは学生である3月までです。
もうその時間は過ぎました。
社会人としてのイロハを実践していかなければなりません。


???
何が言いたいんだろう?
よくわからん。


よくわかんなくなって来たので、ここ3時間で考えたことを文字にしてみよう。
まず、考えたことは卒業式である教授が言ってたアインシュタインの言葉。
たしか、

「過去に学び、今を生き、未来に希望を持て
重要なことは、疑問を持つことである。」

だったかな?
まぁ、細かいところは違ってても伝わると思うのでこれでよしとしよう。
なんか、この言葉が妙に耳に残っててそのことについて考えてたんさ。


…重要なことは疑問を持つこと。

今、俺が疑問に思うことは、
「何故にこんなに落ち着かないのか?不安なのか?その原因は何なのか?」


その答えは、本当に離別なのだろうか?
もっと言えば今の環境からの離別だけなのだろうか?

確かに、あの家やみんなと別れることは悲しいし寂しい。
しかし、ここ数日の不安と虚無感はそれのみであったとは言いがたい。
バックボーンには、より重苦しい不安が見え隠れしていた。


そう、俺は気づいてたし、考えてた。
でも、それを深く考えることをやめ、その影だけに不安がってた。
言葉で言い表すなら、それは「死別」。
この世とのさよなら、意識の断絶、永遠の停止。


もうすぐ、俺も25歳。
この世に生まれて四半世紀。
先が見えない歳でもない。
でも、そんなこと小さいときに考えて以来久しく考えてはいなかった。


それを今ここで考えている。
昨年亡くなった、祖父の影響が強いのかもしれない。


少し話がこんがらがってきたか…。
分かりやすく言うと、あの家や人との別れが拡張されすぎて、
自分の死瞬間の走馬灯みたいな感覚で今の別れを見ていたってことなんだろうと言うわけです。



まるで、小さい子供だ。
不安に怯えて前に出ることも出来ない、そんな子供。
時間は絶えず進んでいるのにね。
大学で物理を学んでたんだから分かるだろうに。


そんなことに不安を抱いてた。


とか、考えてたらね。
なんか、馬鹿らしくなって来たわけで。
終わりを考えるよりも、もっと考えることがあるはず。
記憶として残らなくても記録は残る。
このブログにしてもそう。


きっと明日は、今日よりももっとよき日であろう。
ポジティブシンキングとマインドコントロール。



とかなんとか考えておりました。
文字にすると大分痛い文章だなぁ。
でも、すっきりはしたから、まぁ、よしといたしましょう。
なんか書いてたら眠くもなって来たことだし、そろそろ寝るとしよう。

こんなもん読んでくれて、どうもありがとうございました。はい。


草稿のすゝめ

2006年02月11日 03時13分38秒 | 思慮の果ての独白

自分の書きたい文章を書くってどうゆうこと?


書いては消して、書いては消してで、たぶんこれは6個目くらいの書き出しです。
きっとコレを書き終わった時には、矛盾となるのだろうけど手探りでやって見ることにしよう。
(さっぱり何言ってるかわかんないと思うが。)


自分の書きたい文章を書くとは、どうゆうことか?
それは、『自分の書きたい内容をしっかり認識し、それを適切な言葉と構成で表現できる』ってこと。
何かこう書いてしまえば簡単な様に思えるのだが、どうにもそれを実践できない。


それは、何故か?
理由は2つ、要は前半と後半それぞれがダメだからだ。
なんとも味気ない文章としか言いようがない。
言ってしまえば、全部ダメだと言ってるわけだから当然である。
しかし、ここで終っては話にならないので、そのことについて考察してみる。
簡単な後者から説明してみよう。
(本来この2つは独立の事柄ではないが、あえてこう書いてみることにする。)


まず、後者がダメな理由は、そもそもの俺自身の単語知識や文章構成力の無さである。
しかし、単語知識の無さは、それほど深刻な問題ではない。
なぜなら、難解な言葉を使った文章が必ずしも高尚であると俺自身が思っていないからだ。
わかりやすい言葉でも、深みのある文章は十分かける。
実際そうゆう文章の方が、伝わりやすいし俺は好きだ。文才があると感じてしまう。
(しかし、ここはあくまでも俺の好みであるため客観性に乏しい。)
より、深刻な問題は文章構成力の無さである。
これは、俺の読む書くの経験の絶対量の無さなので現時点では致し方ない無い物は無いと認識する。
と言うよりも、コレが今回のテーマのひとつであるから、問題点の洗い出しだけで先に進む。


次は前者『書きたい内容の認識』の問題点を挙げてみよう。
先ほどが、言ってしまえば技術的な問題なのに対し、こちらはなんというか意識的な問題点である。
書いて良いのか?悪いのか?
これは、俺の書きたい文章なのか?そうでないのか?
俺の頭で考えたオリジナルなのか?コピーなのか?
満足の行くものが書きたいという内なる葛藤である。
まぁ、その最たるものがブログというこの形式なのではあるが、ここでも洗い出しだけにとどめておく。



さて、問題分析も終わり食材もそろったところで、そろそろ本題に入ろうと思う。
そもそも俺は、何を求めてこんな文章を書いているのか?
それは、自分の書きたい文章を書きたいからである。
あたりまえだ、初めからそう言ってる。
でも、先の2つが障害になっておるわけで。
とりあえず、文章構成を無視って書いてみようと思ったわけ何ですよ。
要するにこの文章は実験なわけです。


が、結論としてこの文章は破綻をきたしているわけです。
実験なんで、まとめ切れてないのは当然だが。
でも、ちょっと進歩もありです。
なんにしてもやってみないとわからない。
少しでも改善の兆しが見えたので、この記事は意味がある…と思いたい。



じゃ、晒すか・・・。