今ティクソンの家にいます。
明日の朝に、立ち会いがあるので今日はお泊りです。
ティクソンは、もう寝てます。
俺も寝ようと思ったんだけど、どうにも寝れそうにないのでPCいじってます。
深夜の3時過ぎです。
どうやら峠は越えたようです。
ここ3時間ほどいろいろ考えてたら、なんかすっきりした。
気分は晴れやかです。
あと、4月になったのも原因なのだろうという感じも少々。
感情に浸るのは学生である3月までです。
もうその時間は過ぎました。
社会人としてのイロハを実践していかなければなりません。
???
何が言いたいんだろう?
よくわからん。
よくわかんなくなって来たので、ここ3時間で考えたことを文字にしてみよう。
まず、考えたことは卒業式である教授が言ってたアインシュタインの言葉。
たしか、
「過去に学び、今を生き、未来に希望を持て
重要なことは、疑問を持つことである。」
だったかな?
まぁ、細かいところは違ってても伝わると思うのでこれでよしとしよう。
なんか、この言葉が妙に耳に残っててそのことについて考えてたんさ。
…重要なことは疑問を持つこと。
今、俺が疑問に思うことは、
「何故にこんなに落ち着かないのか?不安なのか?その原因は何なのか?」
その答えは、本当に離別なのだろうか?
もっと言えば今の環境からの離別だけなのだろうか?
確かに、あの家やみんなと別れることは悲しいし寂しい。
しかし、ここ数日の不安と虚無感はそれのみであったとは言いがたい。
バックボーンには、より重苦しい不安が見え隠れしていた。
そう、俺は気づいてたし、考えてた。
でも、それを深く考えることをやめ、その影だけに不安がってた。
言葉で言い表すなら、それは「死別」。
この世とのさよなら、意識の断絶、永遠の停止。
もうすぐ、俺も25歳。
この世に生まれて四半世紀。
先が見えない歳でもない。
でも、そんなこと小さいときに考えて以来久しく考えてはいなかった。
それを今ここで考えている。
昨年亡くなった、祖父の影響が強いのかもしれない。
少し話がこんがらがってきたか…。
分かりやすく言うと、あの家や人との別れが拡張されすぎて、
自分の死瞬間の走馬灯みたいな感覚で今の別れを見ていたってことなんだろうと言うわけです。
まるで、小さい子供だ。
不安に怯えて前に出ることも出来ない、そんな子供。
時間は絶えず進んでいるのにね。
大学で物理を学んでたんだから分かるだろうに。
そんなことに不安を抱いてた。
とか、考えてたらね。
なんか、馬鹿らしくなって来たわけで。
終わりを考えるよりも、もっと考えることがあるはず。
記憶として残らなくても記録は残る。
このブログにしてもそう。
きっと明日は、今日よりももっとよき日であろう。
ポジティブシンキングとマインドコントロール。
とかなんとか考えておりました。
文字にすると大分痛い文章だなぁ。
でも、すっきりはしたから、まぁ、よしといたしましょう。
なんか書いてたら眠くもなって来たことだし、そろそろ寝るとしよう。
こんなもん読んでくれて、どうもありがとうございました。はい。