Drマサ非公認ブログ

貧困女子と「ああ無情」

 19世紀初めだったろうか、資本主義の矛盾が社会に表出する。教科書的に語るのはやめよう。ラッダイト運動があったとか。

 例えば、田舎で土地が少しあれば、それまではその土地が生きる糧にそのままなった。貨幣経済が田舎に浸透すると、土地を耕すよりも都会に出たほうが金になる。そういう人と結婚するより、都会に出てしまう。誰かと結婚するが、彼は工場労働者だ。

 工業、生産過程に機械が導入されたので、生産力が上がる。モノを作れば売れる。そこで工場労働者の労働時間を増やすことにする。そういう労働者は一家の大黒柱である。ところが労働で怪我をしたり、無理が祟って体を壊したりする。

 いまでは労災保険などが整備されているが、その時代そんなものはない。怪我したら押っぽり出される。そこで女性が家計を支えなければならない。

 女性は街に出る。体を売って生きていく。

 資本主義の発展は貧困を生み出したが、それは女性が体を売って生きて行くしかない状況を作った。それを金で買うのは男だし、少しばかり小金を持った奴らだ。

 おおよそ200年経つのだろうか?

 

 Yahoo News 文春オンラインから

コロナと風俗と「貧困女子」〈生きていくため、大学に通うために働かざるをえない“普通”の女性たち〉

https://news.yahoo.co.jp/articles/43dfa92f911e8bb01cf393a0841b7af5ed99be4b

 

 現代日本で貧しくて、女性が体を売って生きている。コロナ以前から指摘されていることだ。大学に通うことも経済的にままならないのは、しょうがないことだろうか。シングルマザーの問題は?

 これは個人の気持ちに還元できない。個人を集合として捉えるならば、社会構造がそういう人生を選ばせるのだから。構造だから、選んでいるというのは正しくない。そうなってしまう人間が必ずあるということだ。

 200年前はそこから社会民主主義的な思想がいくつも作られ、実践された。共産主義もそのなかの強い思想だった。

 ヴィクトル・ユーゴー『ああ無情』でも売春が描かれている。豊かなで美しい女性が娘を手放し、労働者となり解雇される。貧困に陥り、娘を取り返すことを夢見て、髪の毛を売り、歯を売り、体を売る姿が描かられている。ちょうど19世紀前半のフランスである。

 現代は物的豊かさは200年前に比較できないほど豊かだ。しかし200年前の娼婦、現在の風俗労働の女性、何にも変わらないじゃないか。

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