大阪府議の山本圭がLineで中学生を脅したらしい。もちろん大阪維新の議員である。一応報道を貼っておこう。
いい大人で、ましてや議員である。していいことと、してはいけないことがわからない人物である。そういう行為は反社会的であるという以前の非社会的である。前回のブログでも指摘したように、非社会性がシロアリのように社会を覆えば、社会は壊れる。
考えるまでもないのだが、あえて考えてみれば、大人が中学生を脅すなんてこと、あり得ないだろう。虐待とか、ネグレクトとか、ほとんど同じ地平の出来事である。違いは、違法であるか否かである。
中学生に声をかけるというのは、どういう時なのか。大人とし子供を守るためなど、大人としての「ふさわしい」ふるまいの中で決まっている常識である。
中学生とLineグループを作っていたというが、その目的が青少年を守るためなら、まだ理解できるが、どんなことだったのだろうか。「山本けいたん応援隊」という私設ファンクラブが作られていたというが、事実だろうか。事実だとしても、芸能人ではあるまいし、大人が、議員が喜ぶことだろうか。落ち着けよ。
で、Lineで連絡すると反応もないのでキレて「ただでは済まさない」と脅す。また「校長に電話する」などと送り、メッセージを見たら、中学生がどのような心理に陥るのか、考えもしないのだろう。中学生が校長に怒られたらなどと考えたら、まだ子供であるから、不安になるのは必定。
多分自分と他人の立場を交換して考える能力を見つけてこなかったのだろう。ちなみにこれは共感の能力で5歳児になれば身につく。とすれば、5歳児の共感(他者の立場に立ち、他者がどんな想いを抱くのかをそうぞする能力)以下になってしまう。でも、そういう人物も成長するのだが、山本氏がそういう人物であるのか否かは、それぞれに判断してもらいたい。
ただこのような行為は非社会的であることは、指摘できる。責任ある立場の人には、責任ある立場としての「ふさわしい」ふるまいがある。最近は責任ある立場の人物に非社会的な人間が増えてきたのだろう。
それでも彼らは人との関係を求める。しかしながら心理的社会的つながりを構築していないので、Lineに反応がないだけで、自己を否定されたように思ってしまう。でも相手は中学生だよ。
そのため「ふさわしい」ふるまいができないで、自己肯定感を補填するために他者を攻撃し、マウントを取れば、一瞬の自己肯定を感じられるが、一瞬であるから、またもや安易な人と関係を求めることになるのだろうと思う。
大阪維新は「ふさわしい」ことをする能力がないため、よく問題になるが、その問題が解決する以前に新たな問題が現れ、うやむやになってしまうことが繰り返されている。
だから個別の現象ではなく。大阪維新現象として捉えなければ、事の意味を見失う。大阪維新は、日本の問題の中心にいると僕は考えている。