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Drマサ非公認ブログ

ナショナリズムについて少しばかり15

 さて第二次世界大戦で世界は、ヒトラーを生み出したことを強く強く反省し、そのような惨事が二度と起こらないようにと考えたのです。しかしながら、そんなことお構いなしの人がいるのです。他国であれば、こんな人が政治家であれば、皆で一斉に批判します。ところが、いろいろな意見があるとか、自由に発言していいとか無原則の自由を鵜呑みにしてしまう人々がいます。

 そういう人は決定的に子供のままで、理屈だけ言うような人になります。人類の歴史を無視していることに気づかないのでしょう。そして、そんな自由が自由だと思ってしまう人が多かったり、無関心層が多ければ、そのままです。

 それら偉い人を、なんとなく偉い人だし、偉い人が言うことだから、なんか一理あるのだろうと、ダメな父親も父親だからといって、ただ認めるのでしょう。このような関係性をパターナリズム(父権主義)と言います。父親がなんか与えてくれるように思うのです。与えてくれる温情のある父親像、パターナリズム(温情主義)です。

 でもこの父親、どうも歴史に疎いし、あの第二次世界対戦で反省を求められている当時の価値観、ファシズムを温存しています。

 このような構図、父親と子供の関係は子供にとって隷属です。ですが、なんか与えてもらっているかのように思うのです。だから温情なのです。

 そこで民主主義の問題点が浮上しまう。この自由は、人間の本来の精神的自由の火を消してしまうということです。楽しく娯楽に興じ、今ならスマホで情報を楽しみ、自由を享受しているように見えて、完全な従属ができます。なぜなら構造的には従属しているのに、自由に生きているように思えるからです。トクヴィルは、近代になってできた新しい隷属であると批判しています。

 ここで僕たちは自律が必要なことがわかります。そうでなければ、現代の宗教であるナショナリズムに取り込まれるのです。その典型はネット民に見られます。「非国民」などという言葉を当たり前のように使うということは、ナショナリズムを信仰しているからです。彼らは自身こそ日本民族であるというのですから。

 僕の知り合いで、ナショナリズムをよく知らないのに、「非国民」という言葉を使う者がいます。「どういう意味」かと問うと、「ネットで使われている」との返答で、その意味を考えもなしに使っていました。彼にナショナリズムを簡単に説明しましたが、彼の大衆的感覚には難しいようで、ネットで使われているその文脈に沿って、これからも使うことになるでしょう。

 僕たちは、そのような大衆と共に生きていますし、大衆なんですから、大抵の人間が、意味もよく知らずに「非国民」を口に出して生きていくのでしょう。

 このように話す僕は、間違いなく日本人でしょう。そう言える社会的存在です。それが事実です。ある保守政党の批判をすれば、「非国民」という人が出てくるかもしれません。どうして、そういう人が出てくるのでしょう。それは簡単です。事実を見ないからです。僕が日本人であるという事実。彼らが定義する日本人。この両者に違いがあるのです。

 僕が日本人であることは単なる事実ですが、彼らが定義する日本人は彼らの中で作り上げられたイメージです。もっといえば妄想です。このイメージを補強するのが、ナショナリズムなのです。イメージではなく、事実を見る力が必要です。

 悪いことにイメージや妄想を強化するのに、敵となる人々を作り出していくのです。ナチスはユダヤ人を敵としました。そういう妄想を反省しなければならないのです。

 自律とは、事実を見ることです。

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