Drマサ非公認ブログ

『子宮頸がんワクチン問題』を読む(とりあえず最後)

 ワクチンの臨床試験では、生理食塩水のプラセボ(偽薬)が推奨される。これはワクチンに限ったことではなく、よく知られるように新薬でも同様である。

 ところが、ワクチンの臨床試験での実態は、生理食塩水が使われるのは例外である。つまり偽プラセボが使われているのである。生理食塩水ではなく、アルミニウム含有のアバジェンドが使われる。アバジェンドというのは、免疫反応を高めるために添加物を入れるのである。

 これは人間が持つ生理的な反応ではなく、生化学的にワクチンや薬の効果をあげようとしているのだが、一応身体への悪影響はないとされる。僕が知っているところでは、アルツハイマーと関係があるとされることもあるが、これまた科学的な因果関係は証明できないことになっている。

 僕はこの「科学的な因果関係は証明できない」との言説が金科玉条になっているが、それ自体が科学的なのかといえば、どうしても疑問が残る。ちなみにプラセボは「偽薬」であるから、偽プラセボは【「偽」×「偽薬」】であり、プラセボを操作している。なんだか得体の知れないものが使われている。

 実際の臨床試験ではプラセボとして「真の生理食塩水」が使われていると記載されているが、事実は違うのである。しかもこの臨床試験は「真の生理食塩水」で行われたとされるグループがいたようである。これらを考慮すると、臨床試験自体が何か操作されたものであると印象を受けてしまう。

 そこでもう一点重要なのが、インフォームド・コンセントである。なぜなら被験者に「真の生理食塩水」をプラセボとしていると記載しながら、そのじつアルミニウム含有の偽プラセボを使っている。つまりは被験者に嘘をついているのである。

 そうすれば、正しい情報をもとに自ら選択することができないわけだから、これをインフォームド(情報を正しく伝える)・コンセント(患者や被験者の同意を得る)ではない。これは誰の利益になるだろうか。僕個人は自らの意志で選択可能な主体像には疑問はあるが、少なくとも人を騙すようなものであるから、ここに臨床試験における倫理の問題があることは明確である。

 科学的という金科玉条について少し僕なりに言及すると、よく雑誌ネイチャーの査読論文が取り上げられるが、これらの内1割だけが歴史的にも意義のある論文として生き残るので、残り9割は科学的成果のPRに過ぎないとも言える。科学的であるためには、歴史の検証が必要なのであろう。そこで業績をあげるためにという場所になるので、実に政治的な場所である。科学もまたそういう問題から簡単に逃れられないのだろう。

 プラセボの話は結局のところ人体実験のような様相を呈すると思う。ここではこの1例しか提示しないが、『子宮頚がんワクチン問題』では多々問題が指摘されている。

 また製薬メイカーのワクチン開発競争とコスト回収のおかしさ、ワクチン市場という新たな経済的領域の開発、まだ実験段階や不十分な検証でのPRや供給などが挙げられる。

 どれも子宮頸がんワクチンだけでなく、医療全般で指摘されることであり、今回のコロナでも同様だろう。副作用を心因性であるとの見解があるが、そうであれば、そういう心的負担をワクチン接種者に与えることは、医療としてよき医療なのか、まさに倫理的問題が立ち上がるはずで、心の問題などとして個人の問題かのようにするのには、大いに疑問がある。

 少なくとも子宮頸がんワクチンはリスクとベネフィットが明らかになっていない不確実な代物というにしか受け止められなかった。

 最後に今あげた心の問題も含まれるが、「患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない」とのヒポクラテスの誓い思いだしてみれば、ワクチンは害を与えている。少なくとも副反応は収まるにしても、必ず人間に害を与えていることは間違いない。

 本書を読んで、僕たちはこのような医療倫理をリスクとベネフィットの関係に置き換えてしまっており、進歩と自惚れていることがあるのではないかと真剣に考える必要があると思う。

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