もう結構前になるが、お肉券がダメになった。評判も悪く、族議員批判なども加わり頓挫したかに見えた。3月のことである。
しかし、4月には次のような記事が密かに出た。
「新型コロナウイルスの感染拡大で和牛の需要が落ちていることから、農林水産省は500億円の予算規模で和牛の販売に奨励金を出すなどして販売促進を図ることにしています」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200411/k10012381471000.html)
さすが日本政府である。お肉券が奨励金になって、イメージ払拭だ。
お肉券がダメになっても、違う形で農林水産関係の事業を行う団体に新たに手を差し伸べたのだ。以降も、農林水産関係の団体が政府に要望書を提出するなど、活発な動きを見せている。
こういう強い団体があると、政府は力を貸す。お肉券の代わりなど、彼らの頭で考えれば、お茶の子さいさいである。こういうとき、政府とのつながりがある団体、企業は当然強い。いまでも、そういう団体、企業は熱心に政府にお願いに当たっている。
でも、飲食店、自営業、零細企業、個人で経営する事業者は困ったままだ。自粛しろと言われても、補償もなく、融資しやすくするといって、新しい借金をこしらえろとのご命令である。
他の先進諸国では、返済猶予、光熱費等々の減額や生活を補償するお金が配られている。数ヶ月分だ。各国政府の自国民へのメッセージは「今は我慢してください。生活はできるように保証します。何か事業をやってるならストップしてもらいますが、コロナが明ければ、戻れるようにします」、こんな感じじゃあないだろうか。個人が保証されているのだと理解できる。
次にあげるのは経済学の教科書の最初に出てくる経済の三主体である。この図式から見えてくることがある。
政府は税金やサービスの使い道、法律の運用を決定できる。これらは二つの主体に分け与えることができる。企業か、家計である。家計とは我々の直接の生活である。
そこで、政府はどちらに使うか決めるとき、政府の方に都合がいい方にお金を配った方がいい。我々の直接の生活にお金を配っても、何も旨味がない。そこで団体や企業に配ることによって、それらを利権として保持しておくのだ。仮に家計に配るにしても、その場合企業や団体を通じて配るように配慮する。
直接家計にお金を配るのではなく、お肉券を配ることで、食肉関係者という団体や企業に焦点を当てることができる。よって、政府は企業へのベクトルの方を重視する。
つまり、政府は個々人を見ていないのだ。彼らが見ているのは経済の三主体の企業だけを見ているのである。よって、企業も政府を見て、企業や団体がおいしいように政府に働きかけるのだ。これが陳情である。
おそらく、日本は政府が家計に、あるいは企業に、どちらに向かうのかというバランスが悪すぎるのだ。そして、こういう思考が自明になっていて、それに疑問が持てないどころか、政府の一員として、彼が優秀か否か、つまりは出世できるか否かは、団体や企業とのつながりを維持、発展させることにある。
だから、新型コロナウィルス という危機が襲っても、中途半端な補償しかできないでいる。これが日本政治の構造の帰結(現象)である。