Drマサ非公認ブログ

頭のいい感染症専門家

 テレビを何とはなしにつけていた。『たけしのTVタックル』である。ちなみに普段全く見ない番組だ。

 元医系技官の木村もりよという人物が出ていた。こういう人物が出てくると思っていたのだが、頭のいい人なんだろうなという感じだ。

 簡単に言うと(「簡単に言うな」と怒られるかもしれないが)、このウィルスからは逃れられない。ゆえにワクチンの開発と免疫を持つ者が増加することが収束への道であるから、自粛なんていらないということのようだ。あるいは、集団免疫をつけるためには人が死ぬのは仕方がない。

 たけしが「強いやつだけが生き残り、弱いやつは死ね」っていう意味だと突っ込んでいた。そういうことになるよ。

 どうせ死人が出るので、効率的な方法を考えると、頭がいい人が考えるのはこのような功利主義だ。多くの人が生き残る方がいい。亡くなる人はしょうがないと。たけしが言うように弱肉強食という論理が控えている。

 こういう思考は人を数字に置き換えるので、一人ひとりの命の意味を考えることがないのだ。頭がいいと経済的な数値も頭に出てくるのだろう。でも、亡くなる人、その家族、その関係者の顔は頭に出てこないのだと思う。

 僕のブログ「はじめて入院した57」で紹介した三木成夫の言葉を引用したいと思う。

「あたまというのは、判断とか行為といった世界に君臨するのに対して、こころは、感応とか共鳴といった心情の世界を形成する。一言でいえば、あたまは考えるもの、こころは感じるもの、ということです」(三木『内臓とこころ』河出文庫P92)

 ここで説明はしないが、こころの方が真理と繋がっているように思われる。

 こういう考えからすると、木村氏は頭がいいのだと思う。最も適切な判断をしているのだと。だから、正しい。

 しかしながら、彼女の言葉は死者の“思い”、その家族の悲しみ、人々の不安といったこころの世界に触れないのである。その意味で心情が欠けているように思われる。

 番組では、彼女の意見より「自分が正しい」という主張の方が浮き彫りになっていた印象になったのではないか。

 確かに彼女の頭はいいのだろう。でも同時にこころはどうだろうか。他者への共感、愛にかけている、あるいはそういうこころがよくないのではないか。ただ彼女だって、彼女の最愛の人物の死を前にしたら、統計上の数字として「1」を記録するとは思わないはずだ。

 彼女のTwitterに「今日本に必要なのは、専門家集団ではなく、意思決定して国を守れるリーダーだと思う」とされていた。同意する。しかし、頭がいいだけではなく、こころのある他者への共感能力の高いリーダーを希望する。

 あ〜〜、今の日本じゃ、どの道ダメか!

 

@「あたま」と「こころ」に関して、ひらがなと漢字が混在して申し訳ありません。

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