明治の自由民権運動は板垣退助の民選議院設立建白書の提出から本格化したのは、教科書でも習った。
その思想的な活動としては、中江兆民や植木枝盛らが有名である。いまそれらの思想を振り返ると、かなり過激であったとの印象を持つ。なんせ天皇否定の論まであるからだ。自由と平等、あるいは天賦人権説と天皇の存在の折り合いをつけるのに非常な苦労をしている。明治になり、新しい時代であるからこその、ラディカルな思想が繰り広げられたのかもしれない。
彼らは啓蒙思想を直に受容しているとさえいえる。今から思えば、多少楽観的な歴史観になっているかとも思う。面白いのはこの西洋産の思想と同型のものが日本や中国にもないかと探している点だ。特に社会契約論は日本にもあったし、中国の孟子に近い意見があったとし、彼らの意見を引用している。
さらに面白いのは百姓一揆を民権運動の先駆と位置付けていることだ。確かに百姓は年貢が重ければ、かなりの抵抗をした。確かに反体制運動ではないし、体制変革の意識などなかったに違いない。しかしながら、自分たちの生活が苦しめられれば、それに抵抗する気概があったのである。ゆえに武士は百姓の生活が成り立つようにする義務があると考えられた。
仁徳天皇が「民の竈から煙が出ていない」と民の貧乏を憂い、「向こう三年、税を免ず」としたのはよく知られる。三年後、煙は多くなったとのことだ。宮殿は傷んでいたそうだ。さて現代日本社会はどうだろう。
右寄りの人が嫌いな韓国に一人当たりのGDPで抜かれている。
政府は現代日本の「民の竈」から「煙」(=豊かさの象徴)を増やす政策を実行できるだろうか?仁徳天皇が「向こう三年、税を免ず」とした政策の現代版はなんであろうか?
現代の百姓一揆はどうやったら起こるのか?
若者からスマホでも取り上げますか?