5月3日は憲法記念日でした。
僕が若い頃は憲法記念日にはテレビや新聞で大々的に憲法について取り上げられていたし、憲法の意義について語られていた。今思えば、憲法の核心が抜け落ちていて、戦後民主主義を賛美するような内容であったように記憶する。
日本国憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」となっている。
ということは、テレビや新聞があまり取り上げなくなっているということは、「国民の不断の努力」が薄まっているということでしょう。その割に自民党などは憲法改正に前のめりなので、権力と国民の間に乖離があるということになるでしょう。そのPRの方法がなんだかいいことをやるかのように印象付けているけど、その前に憲法って何か抑えないと。
で先日知り合いと話したことを少しだけ。
友人が「法律で人殺してはいけないってなってるでしょ」と。そこで道徳的哲学的議論は省いておいて、法律ってなんだろうという話に。
僕はこう答えた。「法律で人を殺してはいけないとは書かれていないよ。だから法律では禁止されていない」と。皆驚くのだが、以下その説明をしたのだが、簡単に。
人を殺したら懲役何年とか決まっているだけ。だから刑事訴訟法に基づいて証拠を出して、刑法の規定に基づいて刑罰を決める。それだけだよと。だから、警察検察は直接的にというか、訴訟法の手続きを守らないと証拠が無効になってしまうから間接的にというか結構守る。
それら法律を守らなければならないのは、裁判官であると。なぜなら国民が選んだ人たちが刑罰を決めているのだから、裁判官はそれを守らなければならない。守らなくていいのなら、窃盗したやつの態度が悪いから死刑にするというバカバカしいことが起こっても法的には問題にならなくなってしまう。それは人治ってやつにつながる。
つまり六法の憲法以外は、裁判官が守らなければならないのであって、それらが人々も守らなければならいように思われてるだけである。法律は人々を実質的に縛るが、本当に縛られるのは裁判官ってことになっている。
そこで憲法を外したが、どうなんだろう。憲法を守らなければならないのは権力、政府とそこで働く人たち、公務員である。厳密に言い出せば色々あるけれども、僕たち国民peopleは憲法を守る必要がないというか、憲法など気にしないで生きればいいということになる。だって国民が憲法を権力側に守りなさいと命令しているのだから。
親が子供に「遅いから寝なさい」と言っても、当然親が守る必要はない、そんな話だ。これは是非小室直樹先生の『日本人のための憲法原論』(集英社)を読んで理解して行きたい。日本人必読である。
では憲法記念日で憲法についての意識が低下しているとうのは、どんな問題があるのか。やっぱり憲法を守らない権力がいるかどうかちゃんと見ていなさいってことになるのでしょう。それが「不断の努力」として憲法に書かれている意義でしょう。