さすがに透析はつらい。首に透析の機械が繋がっているので、自由に動けないし、首自体が動きづらい。テレビを見るのがしんどくなってしまった。ちょうどラグビーW杯開幕の日に処置をしたのだが、観る気力さえわかない感じであった。
ただ透析をした翌々日の朝、医者がベッドサイドにやって来て、「数値がいいので透析を外そうかと思う」と告げて来た。加えて、「いつ実施するかはまだ決めていない」とも。「はっきりしないなあ」と思いながらも、医者の言うことを受け入れることにしていたので、了解した旨だけ告げておいた。
その前日、今回の入院で一番つらいことがあった。
午前中、便意が生じてしまった。その時まで考えてもいなかったのだが、透析の機械をつなげたまま、どうやってトイレに移動するのか。おしっこなら、ベッドサイドに腰かけ、し瓶でチョロチョロやればいいのだが、大の方ではそういう訳にはいかない。とりあえず、看護師に「大きい方がしたいですけど、どうしたらいいですか?」と尋ねてみた。
看護師は自明なこととして、次のように言い放った。
「ベッドの上でしてください」。
驚く私を尻目に続けて「おまる持ってきます」。
看護師は布を巻いた小さなおまるを持ってきた。おまるといえば、子供が使うおまるをイメージしてしまうのだが、そんなかわいい代物ではない。かわいいという記号性を全て省いている、そんなイメージである。
「終わったら、ナースコール鳴らしてください」とだけ告げて、部屋のドアを閉めて出ていった。この時、妻はまだ見舞いにはきていなかった。
「どうやってやったらいいんだろう?」と素直な疑問と羞恥心がこみ上げてきたが、どうすることもできない。自力でやるしかない。ベッドの上におまるを置く。不安定だ。次にパンツを脱ぐ。そしておまるの上に、しゃがみこむようにしてみる。不安定だ。身体が弱りきっていることも重なって、なおさら不安定だ。おまるに直接お尻がつかないようにしゃがんでみるが、なんと不恰好なこと。誰もいないとはいえ、ある意味屈辱的な気さえしてしまう。
俯瞰して私を見下ろす私がいるような気がする。50代半ばの男が下半身丸出しでおまるにのっかっているのだ。滑稽なような、恥ずかしいような、なんともいえない感情が沸き起こる。今となっては、笑い話だが、その時は必死である。
さらに、なかなか出ないのだ。普段はすぐに出るというのに、なんだかこんな時だけ、超硬い便のようだ。この格好で踏ん張っているのも、なんだか可笑しくさえなる。歯を食いしばって踏ん張る。そうすると、首に力が入るので首が突っ張る感じがする。カテーテル付きの首が“ピキっ”と鳴るのである。この状態が15分以上続いたと思う。
悪戦苦闘の末、闘いはどうにか無事終わる。硬い便が戦果であるが、上からティッシュをいっぱいのっけておく。恥ずかしいからだ。なんせ看護師に処理してもらわなければならない。
ナースコールを鳴らすと、何食わぬ顔で処理してくれる。おまるを持って何処かに行ってしまう。すぐ戻ってきて消臭剤を撒く。私としては匂いはわからないが。とにかく看護師は大変だなあと思いながら、本当にしんどい時間であった。
ちなみに透析の機械はすぐに外された。医者が透析を外すと伝えにきた、その日の午後であった。結局透析は2日もしていなかったので通常よりは短い時間で済んだようで、経過は上向きのようであった。
(つづく)