「敗者から見た明治維新」より
「一、明治維新とは何であったか」(前部のみ)無断転載
悪の系譜:薩摩藩→(明治維新)→明治政府→大日本帝国→昭和後期の官僚→現代の官僚
あなた方日本国民は、今こそ、この悪の系譜を断ち切らなければなりません。
「敗者から見た明治維新」
早乙女 貢 著
NHK出版 2003
>一、明治維新とは何であったか
理念なき革命
日本の近代は、明治維新にはじまるといわれている。近世とか近代とか、明確な定義があるわけではない。歴史学の上での便宜上の区分けにすぎないが、少なくとも明治維新が近代のトバ口(くち)であり、旧時代から現代へ突き進む幕開けであったことに異論はない。
理論的解釈は別にしても、日本人の長年の生活形態が、政治機構の大変革によって、大きく変えられたことは否めない。
この変革をもって、明治維新とは、過去からの脱皮であり、封建政治の崩壊による民主時代への進歩とし、長く暗い弾圧の時代からの解放であり、それが鎖国のもたらした諸悪・因習から自由への羽ばたきであったとするのが、従来の歴史観であった。
従来とは、明治維新によつて政権の座についた、いわゆる薩長政府による国民思想教育のテーゼにはじまるものである。
江戸時代を暗黒と定義することは、明治時代を明光とするレトリックにすぎないが、つい半世紀前の敗戦によって、わが国の価値判断が転覆されたときが思い出されよう。
戦争の敗北を、ただ敗北にとどめず、これを以って百パーセント、一九四五年以前の日本を悪とする見方である。当時はアメリカの政策もあって、日本及び日本人を、アメリカにとって都合のいい国・国民に改造しようとする動きがあった。現在から見ると噴飯モノでしかないが、実際に、国語を廃し英語にしようとか、漢字を廃してローマ字にしようなどということが、政府の審議会で真剣に議論されていた。
明治時代のポンチ絵に諷刺される山高帽にフロックコート、八の字髭の官員の尊大さと滑稽さが象徴しているように、為政者の暴力的な改造計画は、不合理かつ理念なきものになる。
いつの時代でも、世の中は完全ではない。悪いところも善いところもある。因習必ずしもろう習ではないし、昼寝と怠け者は同義語ではない。昼刻(ひるどき)の一休みが、午後の活動をよくさせるシエスタの習慣は生理上のものだ。
文化の伝統まで破壊し、何もかもひっくるめて生活と意識を改造しようとしたところに、無理があった。明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)による国家神道の強要が徳川時代の残滓(ざんし)の払底(ふってい)という目的を意図したものならば、それは千五百年にも及ぶ民族の宗教心を人為的に変えようとする暴挙にほかならない。アフガニスタンのタリバンや中国の紅衛兵を笑えない。
これらは一例にすぎないが、薩長土肥勢力による徳川幕府の打倒には統一された理念はなく、場当り的な行動の結果であったことをはっきりさせたい。
明治維新は一口でいうならば、徳川政権を外様大名の雄藩が同盟して転覆し、これにとって代った、ということである。
この武力革命を修飾する語が、勤皇攘夷であり、このスローガンは、佐幕開国の対語に用いられたのだが、この熟語の抱懐する閉鎖性と矛盾が、明治初期の混乱と流血を招くことになつたといえる。これは、当初から、革命の理念がなかったことを物語っている。
(以後省略)<
2007-06-23 ”「神殺しの日本」梅原 猛(著)より「神は二度死んだ」全文無断転載。”もご覧ください。
2007-06-21 「明治維新以後、この国はずっと悪党に支配されて来ました。」もご覧ください。(「敗者から見た明治維新」あとがき 全文無断転載しています。)
(The genealogy of Japanese evil : Satsuma-han --- (the Meiji Restoration) --- The Meiji government --- Imperial Japan --- Japan's postwar bureaucrats --- Japanese Parasite Maffia [Bureaucrats of Japan today])
毎月1日に ”「日本の諸悪の根源は明治維新」の論理概要の目次マップ” を載せます。
小天使みかえる MinorAngel Mikael
「一、明治維新とは何であったか」(前部のみ)無断転載
悪の系譜:薩摩藩→(明治維新)→明治政府→大日本帝国→昭和後期の官僚→現代の官僚
あなた方日本国民は、今こそ、この悪の系譜を断ち切らなければなりません。
「敗者から見た明治維新」
早乙女 貢 著
NHK出版 2003
>一、明治維新とは何であったか
理念なき革命
日本の近代は、明治維新にはじまるといわれている。近世とか近代とか、明確な定義があるわけではない。歴史学の上での便宜上の区分けにすぎないが、少なくとも明治維新が近代のトバ口(くち)であり、旧時代から現代へ突き進む幕開けであったことに異論はない。
理論的解釈は別にしても、日本人の長年の生活形態が、政治機構の大変革によって、大きく変えられたことは否めない。
この変革をもって、明治維新とは、過去からの脱皮であり、封建政治の崩壊による民主時代への進歩とし、長く暗い弾圧の時代からの解放であり、それが鎖国のもたらした諸悪・因習から自由への羽ばたきであったとするのが、従来の歴史観であった。
従来とは、明治維新によつて政権の座についた、いわゆる薩長政府による国民思想教育のテーゼにはじまるものである。
江戸時代を暗黒と定義することは、明治時代を明光とするレトリックにすぎないが、つい半世紀前の敗戦によって、わが国の価値判断が転覆されたときが思い出されよう。
戦争の敗北を、ただ敗北にとどめず、これを以って百パーセント、一九四五年以前の日本を悪とする見方である。当時はアメリカの政策もあって、日本及び日本人を、アメリカにとって都合のいい国・国民に改造しようとする動きがあった。現在から見ると噴飯モノでしかないが、実際に、国語を廃し英語にしようとか、漢字を廃してローマ字にしようなどということが、政府の審議会で真剣に議論されていた。
明治時代のポンチ絵に諷刺される山高帽にフロックコート、八の字髭の官員の尊大さと滑稽さが象徴しているように、為政者の暴力的な改造計画は、不合理かつ理念なきものになる。
いつの時代でも、世の中は完全ではない。悪いところも善いところもある。因習必ずしもろう習ではないし、昼寝と怠け者は同義語ではない。昼刻(ひるどき)の一休みが、午後の活動をよくさせるシエスタの習慣は生理上のものだ。
文化の伝統まで破壊し、何もかもひっくるめて生活と意識を改造しようとしたところに、無理があった。明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)による国家神道の強要が徳川時代の残滓(ざんし)の払底(ふってい)という目的を意図したものならば、それは千五百年にも及ぶ民族の宗教心を人為的に変えようとする暴挙にほかならない。アフガニスタンのタリバンや中国の紅衛兵を笑えない。
これらは一例にすぎないが、薩長土肥勢力による徳川幕府の打倒には統一された理念はなく、場当り的な行動の結果であったことをはっきりさせたい。
明治維新は一口でいうならば、徳川政権を外様大名の雄藩が同盟して転覆し、これにとって代った、ということである。
この武力革命を修飾する語が、勤皇攘夷であり、このスローガンは、佐幕開国の対語に用いられたのだが、この熟語の抱懐する閉鎖性と矛盾が、明治初期の混乱と流血を招くことになつたといえる。これは、当初から、革命の理念がなかったことを物語っている。
(以後省略)<
2007-06-23 ”「神殺しの日本」梅原 猛(著)より「神は二度死んだ」全文無断転載。”もご覧ください。
2007-06-21 「明治維新以後、この国はずっと悪党に支配されて来ました。」もご覧ください。(「敗者から見た明治維新」あとがき 全文無断転載しています。)
(The genealogy of Japanese evil : Satsuma-han --- (the Meiji Restoration) --- The Meiji government --- Imperial Japan --- Japan's postwar bureaucrats --- Japanese Parasite Maffia [Bureaucrats of Japan today])
毎月1日に ”「日本の諸悪の根源は明治維新」の論理概要の目次マップ” を載せます。
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