腐敗国家日本:巨悪の創始は岩倉具視

 この国は、なぜこんなひどい国になってしまったのでしょうか?
 すべての根源は明治維新にあるのです。

明治維新とは何だったのか?140年めの真実。(補足版)

2008年10月02日 15時54分59秒 | Weblog
この記事は、2008/08/27の記事に、岩倉以後の権力関係がどう継承されたのか、説明を加えたものです。

明治維新とは何だったのでしょうか?

 民主主義国家の誕生?とんでもありません。

 藩幕体制からの変革を求める日本社会からの要求が、明治維新を引き起こす原動力となりました。
 その動きの中で、多くの人物が活動しました。
 岩倉具視は反幕活動を続けるあいだに、自分が日本を支配しようというたくらみを次第に強くして行ったのです。
 岩倉は、1866年、自分の意見と意思を持った孝明天皇を、自分の欲望の障害になるものとして殺害しました。このときすでに、岩倉にとって天皇とは、権力獲得のための「道具」に過ぎなかったのです。そのことは、後の「倒幕の密勅」の偽造(1867)や、錦の御旗の偽造(1868)事件を見てもわかります。

 1867年、岩倉は自分の邪欲の障害となる坂本龍馬を暗殺しました。岩倉はその後、徹底的に口封じをおこなったと思われます。
     *2007-11-26 「日本史上最悪の悪党 岩倉具視(その4)龍馬を殺した犯人」   もご覧ください。

 1867年春に高杉晋作が病死し、坂本龍馬が暗殺されたことにより、未来の日本を語り、方向づけることができる指導者は、反幕側からは、消えてなくなりました。
 高杉晋作の病死は、岩倉にとっては「殺害の手間が省けた」と言うことができます。
 明治政府の樹立後、岩倉の欧米使節団が帰国してみると、岩倉と同様に一方の江戸で強盗団を指揮した西郷隆盛が明治政府の実権を握っていました。1873年、岩倉は今度は西郷の殺害を企図し始めました。まず10月、岩倉は、征韓論で閣議決定とは反対の私見を上奏し、西郷追い落としを図り、ついには西南戦争で西郷を殺害したのです。これによって、岩倉の日本支配は確立されました。
     *2007-11-19 「日本史上最悪の悪党 岩倉具視」   もご覧ください。
     (「いけないことを岩倉具視はやったのです」 高坂正堯(こうさかまさたか))

 岩倉は、自分が使うことのできない孝明天皇を殺害し、容易に利用することのできる明治天皇を立てたのです。岩倉にとって、天皇とは、神でも、尊敬すべき統治者でもなく、邪魔になれば殺して入れ替える、自己の日本支配のために利用する道具でしかありませんでした。
  (岩倉は天皇を操っていたわけではないので、「傀儡(かいらい)」という言葉はまったく当てはまりません。)

 道具としての天皇。「立憲君主国」という大いなるまやかし。実際は、岩倉と明治政府が権力維持・日本国民支配のために利用するだけの天皇。

 岩倉は、下級貴族と下級武士から成る強固な支配構造を、明治政府という形で築きました。政府を操り、天皇を利用したのが岩倉です。
     *2007-11-21 「日本史上最悪の悪党 岩倉具視(その2)」   もご覧ください。
     (岩倉が死んでも隠し通したことは何だったのでしょう?)

 明治政府以後の権力は、徹底的な思想教育や言論弾圧をおこない、日本国民を、あの北朝鮮さえ比べられない程までに洗脳しました。
 文明開化、近代化というまやかし。明治維新というまやかしの美辞麗句。偽りの天皇像。明治政府以後の権力は、国民をだまし、弾圧して、日本国民を思うままに操り、近隣諸国の侵略に国民を駆り立てたのです。

 明治維新とは何だったのでしょうか?
 日本史上最悪の悪党岩倉具視が「改革」という世の中の動きに便乗し、日本国支配という自己の邪欲を実現することになり、下級貴族と下級武士が、腐敗した権力構造を確立することになってしまった不幸な動乱だったのです。

 そのように築かれたきわめて強力な権力腐敗構造の明治政府の黒い血が、脈々と現代の官僚に受け継がれているのです。この腐った血脈を断たなければ、日本の近代化、民主化はあり得ません。日本に未来などないのです。

 この国は、上は官僚から、下は、NHKなど、国民金融公庫など、公共放送広告機構など、の「おかみもどき」に至るまで、国の関与する組織の人間はすべて腐り切っています。
 このような、北朝鮮に劣るとも勝らない最低の国家体制の下で、黙々と働き、日常生活を営み、日本文化と伝統を守り続けている日本国民は、何と高貴なことでしょう!

  日本破壊 悪の系譜:薩摩藩→明治維新 ; 岩倉具視→明治政府→(長州藩)山県有朋→大日本帝国→昭和後期の官僚→(瞞着家,下村 治)→(小泉純一郎)→寄生虫集団:現代の官僚(悪の巣窟;霞が関)

     岩倉以後の権力関係  ①明治時代に、岩倉の死後、岩倉の権力をそっくり引き継いで、官僚が天皇を自らの権力維持のために利用し始めました。  ②官僚の天皇利用は、大正・昭和の時代も続きました。  ③太平洋戦争の敗戦で、見かけ上の天皇の権力が失われると、官僚が自らの権力を維持したまま、内閣総理大臣が、見かけだけの権力として利用される役割を引き継ぎ、「官僚内閣制」が存続し続けることになったのです。  つまり、現在の腐敗国家日本の「官僚内閣制」は、天皇対岩倉の関係がそのまま継承された、悪党支配の政治制度なのです。


  The genealogy of Japanese evil destroying Japan : Satsuma-han --- the Meiji Restoration ; Tomomi Iwakura --- The Meiji government --- ( Choshu-han ) --- Aritomo Yamagata --- Imperial Japan --- Japan's postwar bureaucrats --- ( Tricker,Osamu Simomura ) --- (Junichirou Koizumi) --- Japanese Parasite Maffia (Bureaucrats of Japan today) (The nest of vice :
Kasumigaseki)


 毎月1日に ”「腐敗国家日本:巨悪の創始は岩倉具視」の論理概要の目次マップ”を載せます。

            小天使みかえる MinorAngel Mikael

              (旧ブログ名「日本の諸悪の根源は明治維新」)

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