編プロ メディアクルーの日々

東京都目黒区で雑誌や書籍などの編集をやっています。
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『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)

2012-06-18 17:43:03 | 本と雑誌

700ページ2段組。堪能した。膨大な資料を検証し、従来の説の矛盾点を突き、新資料を発見し、しかもすべては書かかなかったという大変な労作。
木村政彦のバンカラ的エピソードが凄すぎて、証言者の掲載許可が得られなかったものが多数あるという。世間知らずの柔道家が力道山にはめられた、そんなものではないのだと著者は主張する。

力道山はもちろん、大山倍達にもかなりページが割かれている。劇画「コンデ・コマ」の主人公・前田光世、「グラップラー刃牙」に登場する合気道家のモデル・塩田剛三などもチョイ役(?)で登場。170cm85kgの木村が154cm47kgの塩田剛三に腕相撲で勝てなかった話など、たまらないものがある(双方の証言あり。P90)。ちなみに木村の握力は機械が壊れてしまうため測定不能(電車の吊革の環を割ってみせるほどの怪力)、ベンチプレスは250kgを上げたという。

技に関して素人なので、木村必殺の大外刈り(実際、失神者が続出)、キムラロック(腕緘み)については想像しながら読んだ。今、ウィキで発見。このふたつは読む前に知っておいてもいいかもね。

総合格闘技の寝技の原点、高専柔道というものがあったことも初めて知った。豊富な練習量、なんてものではない。まさに死屍累々。体を壊さずに這い上がってきた者だけが栄冠をつかんだ。こうして生み出された寝技と、抜群の切れ味を誇る立ち技を、一日9時間の練習で自分のものとした天才が、木村政彦なのだ。

一流のグラップラーたちが語る木村像が、読ませる。
あのヘーシンクとルスカに、木村なら圧勝するだろうとロジャース(東京五輪重量級銀メダリスト。ルスカには勝っている)。東京五輪直前、40台後半の木村に、ロジャースら五輪出場選手は寝技で子ども扱いされた。寝技における強さは、50代になっても変わらなかったという。

グレイシー兄弟の父、エリオ・グレイシーとの試合が、木村の戦闘能力を知る唯一の動画らしい。全盛期から10年経った木村が圧勝するが、ブラジリアン柔術家の植松直哉がこれを見て、ヒクソンと戦っても「木村先生が普通に勝つのではないかと思います」(p401)

ホイスvs小川直也の試合が持ち上がった時、インタビュアーが聞いた。
「小川選手とあなたの試合ということになると、外野はあなたのお父さんエリオと木村政彦との戦いをオーバーラップしてしまうんですが」
ホイスはキッと目を剥いて言った。
「木村の方が小川よりはるかに強かったと思います!」

……答えになっていない。だが、父を破った木村をどこまでリスペクトしているのか。負けた相手が木村であったことは、一族の誇りなのだ。グレイシー博物館には、エリオが木村との戦いの際に身に付けていた道衣が飾られているのだという。(p408、411)

プロレス界で辛酸をなめた木村は、のちに拓大の指導者になり、学生をしごきにしごく。全国大会決勝トーナメント出場を決めた夜、深夜12時過ぎに木村の呼集がかかった。「明日試合があるというのにまた腕立て千回と電柱打ち込みか」と、げんなりする学生(こんなことが日常的に行われていた)。しかし木村は焼肉屋に学生を連れて行き、大広間に座らせてビールを頼む。
「優勝おめでとう」
木村がグラスを上げた。とまどいながら乾杯する学生たち。翌日、拓大は初優勝を決めた。(p647)

いい話、だ。一方で、木村の破天荒ぶりがわかる話でもある。

木村が後継者として鍛えた岩釣兼生が……いや、これは書けない。
「グラップラー刃牙」の世界が本当にあったとは。いや、今もあるのかもな。

 

高橋伸和/旅行、車、アウトドア、情報、ビジネスなど、主に男性向けコンテンツを担当。

バイク誌、旅行ガイドブックの編プロ勤務を経て、フリーの編集・カメラマンとして活動中。
とくに横浜、鎌倉の知識と写真のストックには自信があります。

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