「エピソード(個人史)」を記憶するためには、エピソードを個人的に体験しなければならない。
無意識のこびとたちの多様な処理を、一つにまとめて個人的な体験に変換するために、必要十分なものが「意識」である。
つまり、意識は、エピソード記憶をするために存在する。
意識は、無意識の結果をまとめた受動的体験をあたかも主体的な体験であるかのように錯覚するシステムである。
前野隆司氏は、「意識」は身体システムに何らの関与もせず、ただひたすら、見つめるだけの完全受動的傍観者だという。
脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説by前野隆司from筑摩書房から抜粋引用。
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