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作文コンクール

2016年10月29日 17時57分19秒 | 枕電子計算機
▽金曜日の講義で、土光敏夫さんのドキュメンタリーを見た。

講義の題目は「現代コミュニティーと地域社会」。

現代コミュニティについて考える上での参考として見た番組である。

中間テストがない代わりにこの番組の感想を書きなさいということのこと。

ちなみにこの番組は岡山放送の主催する高校生を対象とした作文コンクールの作品課題「土光敏夫氏から学ぶ日本の未来」の資料映像だそうである。


▽また若者が文章書くことから遠ざかりそうなことをやって・・・という思いが強い。

土光氏は素晴らしい人だと思うし、番組自体もメッセージ性の強いいい物だったと思う(実際やる気出たし)けれども、作文の題材としては、どうだろう。

そのメッセージ性の強さゆえか、これを見て作文したところで考え方に大きな違いが出てくるとは思えない。

結局は番組で言った「勤勉」「努力」「質素倹約」「目標」というような要素をうまく文章にまとめて欲しいんでしょ?という感じ。

それは作文じゃなくて説明文なんだよ。

作文ってのは考え方の違いが前提にあって、それを人にわかってもらったり楽しんでもらったりできるように工夫しようとするから面白いんだよ。



▽清水義範さんの『清水義範の作文教室』という本がある。

その中で、小学生の作文がつまらないものになる原因の一つとしてある例を挙げている。

それは「私は妹がにくらしくなり、殴ってやりたいと思いました」という作文に対して、「姉妹はなかよくしましょう。弱い子を殴るのはよくないことです」という指導を書き添えるような指導法。

作文を指導するのではなくて作文に書いてある内容を指導するというやり方。

それじゃあ道徳の授業じゃないか、と。

作文で大切なのは事実がちゃんと説明できているか、その時の気持ちが読み手に伝わるか(さらに言えば読み手を同感させられるか)で、そこを評価すべきだと。

書かれている事実を評価すると、子どもは大人に文句を言われないことを書かなくちゃ、と思ってしまう。というのである。(P.28)


▽今回のコンクールはそれの高校生バージョンの様な気がしてならない。

(自分が本当に思った事はどうあれ)「大人の喜びそうな感想を持った」文章を書くのは誰がうまいかを競わせているような。

それはそれで技術は要するしすごいことだとは思うのだけれど、やっぱり作文は本音を書いてこそだと思う。

自分も小学校の卒業文集でギャグ全開の文章を書いたら先生に中途半端な手直しをされて、自分の思っていることのようななんか違うような全く笑えない中途半端な文章ができたという記憶がある。

小学校を卒業してから一回も文集を開いていない。

文章に納得いってないし、そこに小学生だった自分を見いだすこともできないから。

「黒歴史だ―!」と笑い飛ばすこともできない。


▽で、この「現代コミュニティーと地域社会」の担当教員がそのコンクールの審査員だか審査員長だかをするらしい。

だから映像の感想もそこそこに、「見方がちょっとずれていると思っても表現の仕方にもぜひ注目してください」ということを熱く書き記した。

さて、この熱意が伝わるようにかけていただろうか。

このブログで培おうとしている「好きなことを相手にわかるように書く力」がどれだけ身に付いたか、成果が試される時である。
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