11月3日はフィンランドでは
スーパーマーケットが閉まってしまうくらいの、大切な祝日の日、
"諸聖人の日"なのだそうだ。
日本でいう、お盆のようなもので、霊を祭るための日。
通常でも土日となると、
たいていのお店はここフィンランドでは閉まってしまうのだけれど、
スーパーはお昼12時にもなれば開店している。
そのスーパーですら開いていない日を
どうやって過したらいいのだろう?
と、数日前からぼんやり考えていたところ、
フィンランド人の友人から、
この祝日の過ごし方をアドバイスしてくれるメールをもらった。
美術館、もしくは墓地の見学。
これが私が選ぶことのできる、休日の過ごし方だった。
その美術館には一度行ったこともあったので、
3日は墓地の見学のみの予定にすることにした。
そして、一人のフィンランド人を含む
数人の友達と墓地ツアーに出掛けることになった。
"墓地ツアー"だなんていう言い方は罰当たりもいいとこだ。
それでも、夜になればたくさんのロウソクが揺らめいで
美しい光景が見られると聞いていた私にとって、
諸聖人の日の墓地は、観光地の一つだった。
中央駅から歩いて20分ほどのところにある
大きな墓地、"ヒエタラヒティ墓地"。
同じように駅の方から
墓地に向かって歩いて来た人たちがいたので、
どれほどの量のロウソクの灯りが見られるのだろうと
期待して入った墓地の入り口は
とても静かだった。
有名なアーチストの墓の集まっているところで、
この墓は誰それのだという話題をし、
家族葬の墓を見て、
"家族葬ってヨーロッパにもあるんだ!"
と、何も驚くこともないこに驚いたり、
自分の先祖の墓を夜の暗闇の中で探すために、
懐中電灯を持って右往左往しているフィンランド人を見て、
"夜にお墓参りするのは、なかなか難しいことなんだな"と
死者の魂に対して何ら敬意を払うこともなく、
広い墓地をさくさくと
皆と一緒に見て回った。
それにしても、メインの墓地にしては
思ったより人は集まっていないし、
ロウソクの灯りの数も少ないな、と
観光客の私は、墓地の状況に対して
心の中で、文句すら言い始めた。
なんて思っているうちに、
墓地の中心に辿り着いた。
参った人たちが順番にロウソクを灯し置いていく。
その、炎の群れが
広大な墓地の中で、ひっそりと静かに揺らいでいた。
期待していたよりも静かなロウソクの群れを見て、
"まあ、これだけ人口密度にゆとりのある国なのだから、
何か行事があるからといって、
日本のように、人や出店がごった返すことはないのだろう"と、
自分なりに納得をしていた。
しまいに、
"ロウソクは何かと宗教事に使われるけれど、
キリスト教と仏教をでは、何かロウソクの持つ意味が違うのだろうか?
"という興味すら抱き始めた。
フィンランド人の友達に訊いてもみたが
答えは得られなかった。
さっき、簡単にそれについて調べたところ、
キリスト教では、ロウソクの炎は
キリストそのものの象徴であり、
世を明るく灯すためのもの、
仏教では、各人の心の中を灯し、
闇の中の迷いを取り除くためだということがわかった。
外を照らすロウソクと内を照らすロウソク。
西洋と東洋では、同じロウソクでも
捉え方が全く違うことを知った。
けれど、墓地をエンターテイメントの一つとして観察している私と、
死者の魂を祭りに来ているフィンランドの人たちとでは、
それよりももっと大きな意識の違いがある。
スーパーマーケットが閉まってしまうくらいの、大切な祝日の日、
"諸聖人の日"なのだそうだ。
日本でいう、お盆のようなもので、霊を祭るための日。
通常でも土日となると、
たいていのお店はここフィンランドでは閉まってしまうのだけれど、
スーパーはお昼12時にもなれば開店している。
そのスーパーですら開いていない日を
どうやって過したらいいのだろう?
と、数日前からぼんやり考えていたところ、
フィンランド人の友人から、
この祝日の過ごし方をアドバイスしてくれるメールをもらった。
美術館、もしくは墓地の見学。
これが私が選ぶことのできる、休日の過ごし方だった。
その美術館には一度行ったこともあったので、
3日は墓地の見学のみの予定にすることにした。
そして、一人のフィンランド人を含む
数人の友達と墓地ツアーに出掛けることになった。
"墓地ツアー"だなんていう言い方は罰当たりもいいとこだ。
それでも、夜になればたくさんのロウソクが揺らめいで
美しい光景が見られると聞いていた私にとって、
諸聖人の日の墓地は、観光地の一つだった。
中央駅から歩いて20分ほどのところにある
大きな墓地、"ヒエタラヒティ墓地"。
同じように駅の方から
墓地に向かって歩いて来た人たちがいたので、
どれほどの量のロウソクの灯りが見られるのだろうと
期待して入った墓地の入り口は
とても静かだった。
有名なアーチストの墓の集まっているところで、
この墓は誰それのだという話題をし、
家族葬の墓を見て、
"家族葬ってヨーロッパにもあるんだ!"
と、何も驚くこともないこに驚いたり、
自分の先祖の墓を夜の暗闇の中で探すために、
懐中電灯を持って右往左往しているフィンランド人を見て、
"夜にお墓参りするのは、なかなか難しいことなんだな"と
死者の魂に対して何ら敬意を払うこともなく、
広い墓地をさくさくと
皆と一緒に見て回った。
それにしても、メインの墓地にしては
思ったより人は集まっていないし、
ロウソクの灯りの数も少ないな、と
観光客の私は、墓地の状況に対して
心の中で、文句すら言い始めた。
なんて思っているうちに、
墓地の中心に辿り着いた。
参った人たちが順番にロウソクを灯し置いていく。
その、炎の群れが
広大な墓地の中で、ひっそりと静かに揺らいでいた。
期待していたよりも静かなロウソクの群れを見て、
"まあ、これだけ人口密度にゆとりのある国なのだから、
何か行事があるからといって、
日本のように、人や出店がごった返すことはないのだろう"と、
自分なりに納得をしていた。
しまいに、
"ロウソクは何かと宗教事に使われるけれど、
キリスト教と仏教をでは、何かロウソクの持つ意味が違うのだろうか?
"という興味すら抱き始めた。
フィンランド人の友達に訊いてもみたが
答えは得られなかった。
さっき、簡単にそれについて調べたところ、
キリスト教では、ロウソクの炎は
キリストそのものの象徴であり、
世を明るく灯すためのもの、
仏教では、各人の心の中を灯し、
闇の中の迷いを取り除くためだということがわかった。
外を照らすロウソクと内を照らすロウソク。
西洋と東洋では、同じロウソクでも
捉え方が全く違うことを知った。
けれど、墓地をエンターテイメントの一つとして観察している私と、
死者の魂を祭りに来ているフィンランドの人たちとでは、
それよりももっと大きな意識の違いがある。